司馬遼太郎の革命第一世代論から丸山真男の悔恨共同体論へ
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鶴見俊輔の言う「指導者の入れ替え」が必要である。しかし、私はそのことの困難を思って溜息が出、そして鬱懐に沈む。鶴見俊輔の言う「指導者の入れ替え」とは、別の言葉で言えば「革命」に他ならない。今がこの国の大きな歴史的転換期で、このままではやって行けなくて、頭の天辺から足の爪先まで丸ごと社会体制を入れ替えて刷新(維新)しなくてはいけないというのは、恐らく誰もの共通した認識であり、しかも皮膚感覚で感じる切迫した実感だろう。けれども、維新を維新として、革命を革命として成就させるためには具体的な条件が必要になる。それは簡単に言えば変革主体の存在であり、残念ながらそれが今の日本にない。歴史の転換期が訪れたことは、この国には何度かあった。幕末の転換期には、鶴見俊輔が言うところの社会学的意味における「エリート」が出現し、リーダーとなって革命運動を推進、見事に旧体制を破壊した。英雄群像が出現した。理論的指導者も、軍事指導者も、革命運動家も、惚れ惚れするような天才ばかりが歴史の表舞台に揃い出た。

例えば、今から80年前の1920年代末から1930年代初頭の日本も、幕末や現在と同じように大きな歴史的転換期だったと言える。旧来の秩序やシステムではやって行けなくなった危機の局面で、維新(革命)を経て新しい時代へ移行することが希求された時代だった。そして歴史の結果はあのとおりで、自国民と他国民の大量流血という惨禍と悲劇で転換期に対応した日本人の「努力」(=侵略戦争)は終止符を打った。今と似ていると私は思う。1930年代の日本人は、幕末の経験のように転換期を積極的な方向にはくぐれなかった。否定的な方向にくぐって行った。今、転換期が迫り、日本人は必ずそれをくぐり抜けて新しい地平に立つだろうが、私の目から見て、今の状況は1930年代よりもずっと悪く、その理由は社会を変革する主体の存在が皆無である事実である。1930年代は、幕末の優秀で有能な革命勢力と英雄群像に較べれば圧倒的に無能で貧相だったが、それでも転換期に新しいデザインを示して運動した革命勢力は存在した。

彼らの理論にも戦略にも根本的な誤謬と混乱があり、何と言っても最大で致命的な欠陥は、彼ら革命勢力が外国(ソ連)の指導と管理を受けていたという決定的な問題であり、その意味で彼らの革命運動は最初から挫折と破綻が見えていたが、それでも、現在の日本のサハラ砂漠のような荒涼たる政治状況を考えれば、転換期に対応して「エリート」たらんとした変革主体の努力として歴史に失敗の事業を刻むことはできる。今の日本は、国会の周辺を見ても、ネットの中を見回しても、失敗の歴史さえハプンしそうにない。理論的展望を示している(佐久間象山や吉田松陰のような)指導者の存在がなく、と言うより、そうした理論の需要さえ存在しないように見える。テレビを見ても、ネットを見ても、大衆の政治への関心は決して低くなく、唾を飛ばして政治を議論している現実はあるが、それは「お笑い番組」の視聴で感情を起伏させて娯楽消費するレベルであり、福田康夫やめろとか、小沢一郎頑張れといった大衆レベルの床屋政談の集積と循環であり、転換期に対応する変革主体の運動とは全く無縁のものである。

私がわずかに期待を寄せているのは、河添誠と湯浅誠だが、彼らには直面している現実と運動論があり、転換期論や政治変革の考え方は私とは少し違うようであり、どこまで共通な認識と展望を持てるか自信がない。私は、以前は、革命の第一世代が必要だという認識だった。司馬遼太郎の理論であり、ブログのどこかで紹介した記憶がある。すなわち、詩人である予言者が第一世代として出現し、体制に自己の肉体を激突させて非業に死に、その志を継いだ第二世代が革命を成し遂げるが、その殆んどは生き残らず、そして第三世代が革命の果実を独占して貪り食う、という革命三世代論の第一世代である。明治維新の成功パターンを現代に再現させよう、松蔭が登場して非業に死ぬこと、それができれば第二世代に繋がる、そういう考え方。そういう考え方を10年前の1998年頃から強くして、2006年の春まではその考え方だった。それが2006年の春から変わり、違う考え方に移って行った。それは何かと言うと、丸山真男の悔恨共同体の考え方である。すなわち、今は1930年代である、生き残ること、死なずに生きのびて、生きのびて次の時代を見る。

司馬遼太郎の革命第一世代論から丸山真男の悔恨共同体論へ。私の気分は変わって行った。10年後の新しい地平の到来を信じて静かに命を守り抜く。丸山真男や大塚久雄や鶴見俊輔のように生きのびて、生きのびて、生きのびた後で今の時代を振り返る。そういう態度になった。戦争も流血も起きないかも知れない。私だけが異常に恐怖を感じて喚き叫んでいるのかも知れない。だが、私には、日本人が理想的な福祉国家を簡単に手に入れられるとはどうしても思えない。福田康夫やめろ、小沢一郎がんばれ、自民党を終わらせろ、民主党に政権交代させろ、とネットの床屋政談で何十人かが騒いでいれば、それで日本国民が福祉国家を手に入れられるとは絶対に思わない。それはあまりにも資本と権力の体制をバカにした話であり、歴史を甘く見た妄想だ。無知の政治観である。敢えて言えば、今のレベルの日本人は、多大な流血なしに福祉国家を手に入れることはできない。半世紀前の日本人が、あの転換期の苦痛の呻きと喘ぎの後に、1千万人の加害犠牲者と3百万人の被害犠牲者の流血を経て、思いもよらなかった福利(民主主義と経済発展と豊かな生活)を手にしたように、今世紀の日本人も必ず福祉国家の幸福を手にするだろう。

しかし、そこには必ず大きな犠牲が出る。犠牲なしに社会は福利を得られない。食糧危機と資源高騰の波、これは新自由主義の資本蓄積の最後の暴力だが、これが日本に与える影響を考えると、今は太平洋の南海上を北上する弱い熱帯低気圧で、これから大型台風になって列島を直撃して、国民生活に甚大な被害を与えることだろう。今はそれが分らない。オロオロしているだけだ。この危機が世界を直撃して通り過ぎたあと、世界は大きく変わる。米国も変わっている。わずかに予想するなら、それまでとあまり変わらない堅調な国々があり、ブラジル、中国、インド、ロシアの四カ国が特にそうだろう。波をかぶっても影響は小さい。変化も小さい。この危機と混乱を通り抜けたあと、世界の中で最も大きく変わっている国はきっと日本で、日本は今からは考えられないほど経済的に貧しくなり、今からは考えられないほど軍事的に粗暴な国家になり、最も当を得た表現をするなら、桜井よしこが中国を評して言った「異形の国」になっているだろう。10年後の日本は誰も想像できない。だが、10年後の日本は現在の日本の中にある。ネット右翼やブログ左翼の粗暴で下品な誹謗中傷や他人に対する侮辱や罵倒の中に10年後の日本の姿がある。

ネット右翼やブログ左翼が他者に対して何の良心の呵責もなく平気で暴力をふるうように、10年後の日本人は国内の弱者に平気で暴力をふるい、海外の弱者に対して軍事力で脅して資源を奪おうとするだろう。人間が変わる。今から10年前、1999年頃、現在の日本を見事に予言していた男がいた。大橋巨泉。忘れもしない。あれは秋の紅葉狩りの季節で、あの頃は桜の花見と紅葉狩りと日帰り温泉がやたらブームで、その日は土曜日で、私は車のラジオで永六輔の「土曜ワイド」を聞いていて、つづら折の日光いろは坂の途中で大橋巨泉の語る地獄の黙示録を聞いたのだった。税金が重くなる。年金が減る。公共料金が高くなる。税金の負担が重すぎて生きていけなくなる。話があまりに強烈で重々しく、スタジオの永六輔も驚いていた。10年前はまだ日本は全体として楽観的だったのだ。大橋巨泉が予言したとおりになった。第二次石油危機が日本を襲ったとき、当時の政府と経済界は今から考えればとてもしっかりしていて、省エネと高技術でそれを乗り切り、より低コスト高品質で付加価値の高い製品の生産へと製造業を転換させた。そういう企業の指導者やエンジニアがいた。今の経済界と企業の指導者は、リストラと賃金カットと海外労働力の輸入解禁しか知恵がない。

第二次石油危機の高波が過ぎたとき、日本の自動車産業は米国の自動車産業を技術開発力で圧倒していた。今度の高波のあと、そういうことが日本とどこかの国で起きていそうな気がする。


【世に倦む日日の百曲巡礼】

1984年の アラン・パーソンズ・プロジェクト のヒット曲で 『Don't Answer Me』 を。

ご存知ですかね。
東京にカフェバーが流行って少しした頃の名曲で、小林克也もお気に入りの曲だった。
自由が丘とか、店の壁にテレビ画面が据え付けてあって、それを楽しんだわけです。
映像もとてもいいでしょ。 いい時代だったな。



バブルの前の時代の日本というのは本当にいい。無憂の王国だった。
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