NHK「JAPANプロジェクト 伊藤博文と安重根」 - 村山談話から15年

NHK安重根_1今年は韓国併合から100年の記念年ということで、NHKが日韓近現代史の特集を5回シリーズで放送することになり、第1回が昨夜(4/18)放送された。昨年、台湾論が放送されて話題を呼んだ「プロジェクトJAPAN」の第2幕で、五十嵐公利が制作を統轄している。今回の放送はそれなりに無難な出来で、台湾論のときのような問題は起きないだろう。閔妃暗殺事件など、若干物足りなく感じる部分もあったが、73分間の内容は充実して面白く、知識や情報の面で有意義だった。特に安重根に対する捉え方は積極的で、従来の日本人一般の歴史認識からは一歩踏み込んで、義士としての側面をよく浮かび上がらせ、すべての国が自主独立できることが東洋平和なのだとする思想に内在的に光を照射していた。伊藤博文暗殺の動機に理解的に接近する歴史認識の態度であり、韓国と歴史認識を共有する上で重要な契機となる。しかし、この程度の番組は、もっと早い時期に制作され放送されているべきだった。20世紀中にNHKが作品にしていておかしくなかった。遅くなったのは、この間の日本の政治状況が極端に右傾化したからで、今回の放送についても、安倍政権下であれば困難だっただろうし、政治の横槍が入って、自粛か改編の騒動に及んでいただろう。右傾化は無益で、国益の損失をもたらすばかりである。日本人は、韓国と仲良くすることが、どれほど国益を利して日本を富ませる方向に導くかを理解していない。  

NHK安重根_2今年は村山談話から15年の年でもある。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」。こう宣言した村山談話は、特に韓国との二国間関係で基本法的な意味を持つ。この声明の準備に関わった人間が3人いる。武村正義、鳩山由紀夫、司馬遼太郎。談話が出されたのは村山内閣だったが、準備と言うか、助走は細川内閣のときから始まっていた。中心人物として名前を挙げるべきは武村正義だろう。細川内閣のとき、司馬遼太郎が文化勲章を受賞した。当時、この50周年の宣言文の起草を司馬遼太郎が担当するのではないかという噂が立ち、朝日新聞などはその前提で記事を書いていた。実際のやりとりは不明だが、残念ながら、その構想は実現に至らなかった。

NHK安重根_3武村正義と五十嵐広三がそういう依頼をしていたと考えるのは、特に外れた見方だとは思わない。村山内閣の官房長官だった五十嵐広三は、96年3月の「司馬遼太郎さんを送る会」に出席していて、私はそれを大坂ロイヤルホテルの現場で目撃した。鳩山由紀夫の東アジア共同体構想が出たときは、鳩山由紀夫が細川内閣の官房副長官を務め、記憶は曖昧だが、特に歴史認識の領域で斬新で画期的な政府発言を繰り返したのを思い出し、当時との内面的な継続性を思わされた。格調高い宣言文を日本は出したが、その後の15年間は、この宣言を行動で裏切って後退させる一方で、特に小泉政権から安倍政権にかけての戦前回帰の妄動によって、日本政府は自らの立場を矛盾なく説明できなくなっている。95年の村山談話の後、これほどの反動と暗黒が日本を覆うとは想像もできなかった。今の日韓関係は、少し前とはまた違って、日本側にまともな政権ができたせいもあるが、穏やかで軋轢の少ない関係になっている。だが、もう少し言えば、日本がどんどん凋落し、韓国はそれなりに経済を伸ばし、韓国の中で日本への関心が低くなっている。ある意味でのジャパン・パッシングの現象が起きている。二つの超大国である中国と米国との間で、今は米国に接近して生き残りを模索しているように見える。盧武鉉政権の頃とは打って変わって、媚米的な姿勢が目につく。米国を世界基準として崇める傾向は、今は韓国の方が日本より強いのではないか。

NHK安重根_4ドイツの元大統領のワイツゼッカーが、日本の市民に対して「歴史に目を閉ざすな」と講演で言ったのも1995年だった。このときワイツゼッカーが言ったのは、日本は孤立化せずにパートナーと手を組めということで、具体的に挙げたのは韓国だった。だが、日本はワイツゼッカーの言葉に耳を傾けず、逆に韓国や中国と敵対する方向に舵を切り、今では国力の喪失と共に中韓から無視される存在に落ちぶれている。今、日本人がイマジネーションするべきは、GDPで韓国が日本を追い抜くという未来図だと私は思う。10年前、中国が日本をGDPで追い抜くなど、想像できて発言していた人間などいなかった。そこまでは行かないだろうとタカをくくっていた。10年などあっと言う間だ。想像もしていなかった事態が現実になったのは、中国の経済発展が驚異的だったと言う以上に、日本の凋落と下降が凄まじいからである。本当は、アップル社がここ数年市場に出しているような新製品は、日本のメーカーが出すべきもので、その標準仕様を日中韓台で策定するという発想があれば、10年前から5年前に簡単に実現していただろう。脱米入亜の思想で製造業を発展させるという政策を採用するべきだった。今はもう手遅れかも知れない。東アジア共同体構想というのは、基本的に日本がイニシアティブをとるべきもので、日本が韓国と中国から信頼されるということが前提である。靖国参拝の過誤を反省し、小泉時代を完全に総括しなくては、中韓の信頼を得ることはできない。日本はそこまで変わることができるだろうか。

NHK安重根_5番組は、伊藤博文と安重根にフォーカスしたもので、そこに至るプロセスはほとんど説明が簡略化されていて、例えば、なぜ日清戦争が起こったのかという出発点の部分は捨象されていた。日韓近現代史の歴史認識をシリーズでやるのなら、明治維新のところから、征韓論と江華島事件の歴史から説き起こさないといけない。と、そう不審に思って見ていたが、NHKは今年の3月にETVの「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」の第10回(「"脱亜"への道 - 江華島事件から日清戦争へ -」)で、この歴史の部分を扱っていた。今回の番組は、このETV特集に携わったスタッフがそのまま延長で作業をしているはずで、見落としてしまったETV特集の第10回放送を確認する必要がある。どういう内容になっていたのだろう。征韓論や幕末の尊皇攘夷思想における征韓論の萌芽については触れられていただろうか。日韓の歴史認識において重要なのは、まさに幕末から明治初期の日本人の対半島観である。例えば、吉田松陰は獄中からの手紙の中で次のように言っている。「魯墨講和一定、我より是を破り信を夷狄に失うべからず。ただ章程を厳にし信義を厚うし、其間を以て国力を養い、取り易き朝鮮満州支那を切り随え、交易にて魯墨に失う所は、また土地にて鮮満に償うべし」。不平等条約の交易で露国と米国に奪われた分は、侵略戦争で朝鮮と満州から取り戻せと言っているのである。まさにリアルなパワーポリティックスの論理そのものだが、これが幕末の志士の一般観念で、維新の元勲となって明治国家を建設する上での基礎の思想だった。

NHK安重根_6松蔭だけでなく、幕末の思想家の経世論は概ねこの傾向が顕著で、洋式化によって帝国主義エクスパンション(大日本主義)を目指している。弱肉強食の戦国の世界観が前提だった。問題は、この観念と思想に動かされた歴史をどう見るかというところにある。実際のところ、安重根的な東洋平和論の理想は、現実の国家経営の政策選択において難しかったかも知れない。そういう声が多いだろう。しかし、同じ思想的問題は実は現在でも続いていて、われわれにおいて問われ続けているのである。具体的には憲法9条の理念がそうだ。中江兆民の『三酔人経綸問答』を読むと、憲法9条の戦後民主主義的な思想が、日本の国家経営の選択レベルの問題として、すでに明治初期から存在していたことがわかる。そういう選択もあったのだ。理想に挑戦する政治の方向を選ぶこともできた。帝国主義列強の弱肉強食の環境の所与は、決して政策選択の絶対的命題ではなく、その条件があったからと言って、日本の半島大陸侵略を完全に正当化できるものではない。やむを得ない必然的で合理的な選択だったとは言えない。それを正当化することは、冷戦期の極東の現実があったから核持ち込みは仕方なかったとする認識に繋がる。日米安保は戦後日本の平和と安全に貢献したとする神聖化に繋がる。日米同盟の重要性を絶対視して、沖縄に普天間基地の代替施設を作るべきだとする発想に繋がる。「現実主義」の名の下に、支配者側が受け入れさせようとする既成事実の承認と屈服に繋がる。このことは、番組で紹介された第2次日韓協約を合法とする歴史認識にも関わる。

NHK安重根_7形式的合法性の根拠と当時の帝国主義の国際政治の前提があったから、第2次日韓協約を合法としてよいかという歴史認識の問題である。そう言えば、ソウルを旅したとき、仲良くなった男と酒を飲み、盛り上がってこんな会話をしたことを思い出す。I have one proposal. If we take common currency, it must be printed Ito Hirobumi on one side, and An Chung-gun will be on another side. How about ? 彼は、It's good idea と応じてくれた。やさしい、いい男だった。そうだ、思い出した。私が世宗(セジョン)のことを知らないと言い、彼が財布の中の韓国の紙幣を見てみろと言い、そこからこの話になったのだった。楽しい明洞の一夜だった。仁川空港から旅行社の車がソウル市内の中心部に入ったとき、あちらこちらに銅像が立っていて、ガイド氏に「あれは有名な人ですか?」と聴くと、植民地時代に日本の要人に爆弾を投げつけた烈士だという答えが返ってきた。どの名前も聞いたことがなかった。韓国では有名な独立闘争の英雄で、誰でも名前を知っているのである。ブッシュの「テロとの戦争」が始まったとき、韓国は左派政権に変わり、基地撤去を求める反米闘争が盛り上がったが、あの頃、世界中で「テロリスト」の言葉(米国流の政治的用法の)が流行ったときは、韓国は具合が悪いだろうなと同情したことがある。「テロリスト」の存在なくては韓国の近代史は物語として語れない。日本の侵略と植民地支配に抵抗した義士こそが韓国近現代史の主人公である。今は、ブッシュ流の「テロリスト」の言説が影を潜め、韓国も面倒な気分ではなくなったのか、韓国はすっかり親米国家に変わっている。

日本人が時間を無駄にしている間に、周辺の状況は先へ先へ進んで行き、理想に近づく機会を失って行く。

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