世に倦む日日


シンポジウム「『普天間問題』のウラに隠された真実」(3/20)参加報告

3連休の初日(3/20)、マスコミ九条の会が主催するシンポジウム「『普天間問題』のウラに隠された真実」に参加してきた。内幸町のプレスセンターが会場だったので、地下鉄の駅を地上に出て、日比谷公園の中を散歩する経路を選んで向かった。ときどき強い風が吹いたが、暖かい春の陽射しが注ぐお天気で、小さな子どもを連れた家族が噴水の前で遊び、第二花壇に黄色い春の花が咲き並んでいた。シンポジウムのパネリストは、吉田健正、前田哲男、鳥越俊太郎。司会は桂敬一。共同通信が取材に来ていたようで、記事が配信されている。千円の入場料を取るイベントだったが、会場は満席で立ち見客が溢れるほどだった。千円は値段として安くない。しかし、議論の内容は予想を超えて面白く、対価として十分に満足できるものだった。3人の議論には準備された中身があり、観客から期待された役割を不足なく果たしていた。退屈を感じない討論会だった。今回、初めて近くで鳥越俊太郎の実物を見たが、印象としてはまさに俳優で、ルックスとスタイルが際立っている。なるほど、テレビに出るにはこのビジュアル・バリューが必要かと納得させられた。鳥越俊太郎は、学生時代の60年安保から話を始めた。3年生のとき、5/20の強行採決から6/19の自然成立までの1か月間、ほぼ毎日街頭にデモに出て、デモに行かない学生は当時は誰もいなかったと言っていた。この日の鳥越俊太郎の発言は、テレビよりもずっと過激で、日米同盟など不要だと断じ、共同の記事にもあるとおり、「(普天間は)移設ではなく撤去だ」と言い切った。

普天間の移設先を何処にするかは米国が決めればよく、日本が世話をしてやる必要はなく、鳩山首相はオバマ大統領に「撤去してくれ」と言えばいいと、そう結論した。この鳥越俊太郎の予想を超えたラディカルな発言は、痛快でもあり、意外でもあったが、会場から鳥越俊太郎に寄せられた(休憩時回収の書式の)質問の中では、「その直言をもっとマスコミの中でやってくれ」という趣旨のものがあった。同感する。鳥越俊太郎がシンポジウムで与えられた使命は、普天間問題をめぐるマスコミの役割と責任を考察することだった。この任を鳥越俊太郎が真摯に果たそうとすれば、単にマスコミを批判して済むことではなく、自己批判を伴うものでなくてはならない。われわれはそう考える。最近のテレビで鳥越俊太郎が、「日米同盟は不要だ」とか、「移設ではなく撤去だ」と激しく言い迫ったのを私は聞いた記憶がない。また、この日の鳥越俊太郎は、北朝鮮の侵略に対する抑止力として海兵隊を日本国内に置く必要を言う保守の議論や鳩山由紀夫の認識に対して、北朝鮮には継戦能力がなく、石油の備蓄もないから、海兵隊の抑止力など要らないのだとも明言した。私が繰り返しブログで言い続けている主張である。鳥越俊太郎がそう言ってくれるのは結構なことだが、われわれが望むのは、それをテレビで言うことだ。北朝鮮脅威論や日米同盟必要論を常識のように垂れ流しているマスコミ論者の前で、生放送のスタジオで直接に論争をして、論破することを鳥越俊太郎に求めているのである。このような九条の会の席で、300人の聴衆を前に言っても世論への効果が薄い。

この日の鳥越俊太郎はクールだった。クールという意味は、「カッコイイ」という意味と、もう一つ別に、「冷ややかな」という意味の二つがある。集会は九条の会主催で、だから、どういう来場者かを鳥越俊太郎はよく知っている。前提的な意識がある。私が鳥越俊太郎の表情と態度から読み取ったのは、「俺一人がこんなに頑張っているのに、お前たちは何をやっているんだ」という本音の内面だった。同じものを、1年前の反貧困フェスタの会場で、湯浅誠の発言からも感じた。湯浅誠の場合は、私の前でその不満を隠すことなく、かなり明瞭な表現で吐露をした。「俺にばかり、ああしろこうしろと要求せず、市民として自分ができることを先に考えてくれ」、という意味の視線と態度。鳥越俊太郎が、そういう心境で客席を眺めるのも無理はないと思うし、鳥越俊太郎や湯浅誠は正直にそういう気分になるのだろう。一生懸命やっているのに、立ち上がって行動してくれる市民がいない。自分の思いどおりの方向に政治や世論が変わって行かない。孤立無援だという徒労感。そういう鬱屈や憤懣が伝わるし、よく理解もできる。一方、逆に市民であるわれわれはと言えば、有名人である鳥越俊太郎や湯浅誠に、もう少し表面で派手に動いて欲しいと期待と願望をかける。自分たちは何かを言いたくても言う場を与えられないし、マスコミが取り上げてくれる代弁者に直論してもらうしかないのだ。有能な指導者に託すしかない。そういう相互に対する欲求不満と言うか、マイナスのベクトルがぶつかり合っている感じがある。鳥越俊太郎のピリピリした緊張感は、ワイドショーの温和な雰囲気とは全く違うものだった。

シンポジウムの基調講演を務めた吉田健正の議論は、米軍のグアム統合計画の背景と実情をパワーポイントのスライドで紹介するもので、非常に有益な情報が満載されていた。吉田健正は69歳の高齢者にも関わらず、パワーポイントのアニメーションを自在に駆使するプレゼンテーションを演じて驚かされた。パワーポイントの名手として本田宏がいたが、これで二人目の達人の発見となる。米軍のグアム統合基地計画については、昨年11月に米軍が「環境影響評価案」をネットに公表した際、それを宜野湾市長の伊波洋一が言及、単に海兵隊司令部だけでなく普天間に駐留する部隊の大半がグアムに移転する事実を暴露、大きな話題となって政局に浮上した。今回の吉田健正の説明は、グアム統合計画を2001年の同時テロ後の「トランスフォーメーション」(米軍再編)から検証するもので、グアム統合計画が米軍の世界戦略の中でいかに重大で長い時間をかけて構想されたものかを浮かび上がらせた。このグアム統合計画と普天間海兵隊移転の米軍内におけるマスタープランの事実は、私にとって一つの大きな謎で、それは具体的にどういうことかと言うと、米軍は普天間の海兵隊をグアムに移転させる将来計画を持ちながら、何故、あれほど執拗に辺野古沖に滑走路を建設させる現行案の履行を強要するのだろうかという疑問だった。グアムに全面移転する予定があり、それを実行しているのなら、辺野古沖に固執する合理的な理由はないではないか。政権交代した日本政府に妥協をして、辺野古沖を放棄する方針転換に踏み切ってよいではないか。そう思っていたからである。 私だけでなく、誰もがこの疑問を自然に抱いたはずだ。

その疑問に解答を与える典型的な仮説の一つが、例えば、田中宇による「日本官僚による米政府買収」の議論である。そういう理屈を立てないと説明できないほど、グアム統合移転を基本計画として進めながら、同時に辺野古沖に新基地を建設して使用するという米国の方針は論理的に矛盾している。不可解だ。この矛盾の謎解きについて、矛盾を矛盾として正面から問題提起することも含めて、テレビは無論、伊波洋一からネットの論者に至るまで、これまで私に納得のできる整合的な説明を提供してくれた者はいなかった。吉田健正の議論は、むしろグアム統合計画の完結性を明らかにするもので、聞けば聞くほど、それでは何で米国は辺野古沖に滑走路を作れと催促するのか、グアムに移転予定の海兵隊を辺野古に残そうとするのか、疑問が膨らむ一方だった。討論会が終わり、私は吉田健正に質問をぶつけてみた。その回答は、米国はグアムに移転しながら辺野古も使うのだということで、要するに、使えるオポチュニティはフルに使うのだという説明だった。決して矛盾していないと言う。吉田健正の前には何人も待ち人が立ち、私だけが質問攻めで身柄を独占することは差し控えられたので、やむなく次の人間に順番を譲って引き下がった。帰りの電車で考えながら、一つ直観したことがある。それは、グアム統合基地計画についての私自身の誤解と言うか、従来の理解と観念の訂正の必要だった。グアム統合計画について、私はそれを軍縮的な契機と表象で捉えていたが、そうではなくて、これは軍拡だということだ。米軍のアジア太平洋地域における軍拡なのである。グアム統合計画は、縮小とか整理とか撤退ではなくて、壮大な規模の新規の軍拡計画なのだ。

その盲点に気づき、思わずハッとした。吉田健正による私の質問への回答も生きる。われわれは、大統領がオバマに変わり、国際協調路線への転換などという米国の言葉にすっかり騙されていたが、米国はアジア太平洋では逆に猛烈な軍拡路線に出ているのである。ベトナム戦争敗北後、フィリピンの基地を返還して後方に下がりつつあった米軍が、グアムを拠点にして陣地の再構築に出て、日本のカネでアジア太平洋の四軍(陸・海・空・海兵)を増強する戦略に出ていた。すなわち「不安定な弧」に対応する世界戦略であり、中国封じ込めの軍事戦略である。グアム統合基地計画は、まさにラムズフェルドが設計した軍事計画であって、撤退でも縮小でもなく、アジアを軍事支配するための攻撃的で拡張的な性格のものだった。観光の島だったグアムは、これから軍事の島に変貌するのである。「不安定な弧」の路線は米軍の中で生きていて、発想も展開も何も変化を加えられていない。国防長官もラムズフェルドの子分のゲーツが引き継いでいる。今度の普天間移設をめぐる米国の強硬姿勢も、あるいは裏でラムズフェルドが糸を引いている可能性を私は疑う。米国がアジア太平洋地域で軍縮しようとしないのは、無限にカネを出す日本政府を与件として前提しているからである。米国は出費しない。日本がカネを出す。だから存分に軍拡ができる。ここまで考えを廻らせたとき、米国が(グアム統合計画を推進しつつ)辺野古現行案を手放さない理由について、これまで思いつかなかった答えが浮かんだ。防衛省と国防総省の間で密約があるのではないか。辺野古現行案は2006年の「日米ロードマップ」の一部である。この「日米ロードマップ」に裏の秘密協定があるのでないか。

これまで、日米密約と言うと、外務省と米国政府との間の問題で、日本政府の主役は外務省だった。しかし、橋本政権以降、2+2の時代になり、日米安保や沖縄問題では防衛省(防衛庁)が積極的に顔を出すようになっている。防衛省(庁)が巨額の予算を編成するようになり、日米安保の拡大解釈との軍事的一体化を率先して進めている。おそらく1990年代以降、外務省よりも防衛省(庁)の方が、数多く米国(国防総省)との間で軍事上の密約を結んでいるはずだ。日本が小泉政権になり、米国がブッシュ政権になり、ラムズフェルドが米軍再編に着手を始めたとき、やたら日本の防衛相(庁長官)が渡米する機会が増え、外相と防衛相がワシントンに呼び出されて2+2の会議を何度も開く機会があった。そのたび、日本は幾ら米国にカネを貢ぐことになったという報道が漏れた。だが、それらの報道は妙に曖昧で、表に出たステートメントに金額や納期や費目が明記されてはいなかった。小泉政権と安倍政権は、ラムズフェルドに資金上の恒久的な密約をしていたのではないか。何か特別会計等を使って、国民の目に触れぬように米軍再編にカネが流れる仕掛けを約束したのではないか。それが、2006年の「日米ロードマップ」の秘密協定として存在するのではないか。米国が、辺野古沖の日米合意の反故に無闇に神経過敏なのは、日本政府が「日米ロードマップ」の裏の密約をリセットするかも知れないと危惧しているからではないか。周知のとおり、1939年の独ソ不可侵条約の締結には、裏でポーランド分割の秘密議定書があり、新国境線を赤鉛筆で記した地図とスターリンの署名があった。米国には、辺野古沖の現行案を譲れない隠された事情がある。それは、これまで論理的説得的に明示されていない。そして、鳩山由紀夫は普天間問題を日米外交協議の席で正式交渉しようとしない。

できない理由があるからだ。それは、防衛省と国防総省の間に米軍再編をめぐる密約が存在するからではないのか。現在のグアム統合計画における日本側の負担金額は、公式には61億ドル(うち財政支出28億ドル、融資33億ドル)である。だが、例の沖縄返還時の費用負担と同様、これにはきっと、公式金額をはるかに上回る裏勘定の密約がある。新軍事基地グアムのメンテナンスの費用だとか、ランニングコストの負担とか、憲法改正後の日本軍のグアム基地共用駐留とかがある。正鵠を射ているかどうかは分からないが、そういう疑いに思いを馳せるようになったのが、シンポジウムで吉田健正のグアム統合計画論を聴いた収穫だった。



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