司馬遼太郎 井上ひさし 講談社
対談 国家・宗教・日本人 123p〜

日本人の器量を問う (初出誌 「現代」1996年1月号)
◆ いま石橋湛山に学ぶこと

司馬 石橋湛山は、大正時代、昭和初年に日本じゅうが「国家は伸長しなければならない」と合唱していたときに小日本主義を唱えましたね。朝鮮も台湾もすてよ。それは決して自己顕示で言ってはいない。暮夜密かに勘定してみたら、日本は干何百年の独立国だった朝鮮を、誇りの首の骨をへし折ってまでして併合したけれども、そんなことにカネをつぎ込んでもそこから得られる果実はほとんどない。合理的に計算してみたらそれは全部損だと言ったわけです。そして、江戸時代以来の国土のままでも日本は経済も外交も十分やっていけます、ペイしますという議論を、おそらく自分の紙と鉛筆でつくり上げた。
 もし彼が東京大学法学部に行っていたら、おそらく「合唱」グループに入っていたと思うんです。ところが彼は山梨県の身延山のお寺の子で、日蓮宗の坊さんになるという目的で早稲田に入って哲学を勉強した人でした。これは野茂が五島列島から生まれたのと同じですね、当時の官僚社会から見れば。
 いま日本が戦後五十年にして行き詰まっていることを考えれば、彼の小日本主義をきちっと政治思想化して受け継ぐ勢力があるべきでした。そういう石橋湛山を大好きだったのは労働大臣だった石田博英さんだと思うんですが、その子分が山口敏夫さんになるんですから(笑)、しようがないですね。
井上 石橋湛山が戦後に書いた文章でぼくの記憶にいまも鮮明なのは、日本は朝鮮半島に責任を背負わなきゃいけないと述べたものなんです。
 戦前、戦中にかけての永い間、三十八度線から北は関東軍の受持ち、三十八度線から南は第十七方面軍の受持ちだった。その日本が決めた軍の受持ちをそっくりアメリカとソ連が引き継いでしまった。だから日本がもう少し早く戦争をやめていれば朝鮮で南北相戦うことも、朝鮮が南北に分断されることもなかったかもしれない。したがって日本は南北分断に、朝鮮戦争に多少とも責任を持たなければいけないという短い文章です。
 一方にそういうことを言っている人がいるのに、「いいこともした」などと言う人がいる。あれほど日本の国益を害している人たちはいないと思うんですが。
司馬 その通りです。ふつうの計算からいっても、一声一億円の損害でしょう。河野洋平さんが謝りにソウルヘ行っていたら、その経費だけとっても大変な国益の害ですよ。
 韓国の人たちにしてみれば、自分たちの習った教科書とまったく違うことを日本の閣僚が言っているわけですから怒るのは当たり前。オフレコだろうが何だろうが、言いたいことがあれば教科書論議までお互いやればいいんです。隣国なんですからね。
井上 おっしやる通りです。
司馬 感情の爆発などという人もいるけれども、あれは「まだそんなことを言っている」ということであって、しつこいわけではないんです。私が韓国に生まれていたら同じことで、言葉は悪いけれども「あの野郎め!・」と言っているに違いない。

◆日本人が怠った手続き
井上 最近、憲法学者の樋口陽一さんに、同じ敗戦国である西ドイツは再軍備したけれども、そのへんはどうなんですかと聞いたところ、答えはこうでした。
 西ドイツは、かつてのナチスドイツがいろんな国に迷惑をかけたということを、つまり当時のドイツが間違っていたということを、たえずフランスはじめヨーロッパの国々に表現している。これをぼくなりに言い換えると、西ドイツ政府は周辺諸国に、ことあるたびに、「いまの国のありようと、ナチスドイツ時代の国のありようとは、政治的に断絶している」ということを言いつづけてきました。西ドイツが支払った補償金は、邦貨への換算がむずかしいのですが、ぼくの計算では約十兆円です。一方、日本は五十四カ国を相手に戦い、賠償を要求してきたビルマ、フィリピン、インドシナ、南ヴェトナムの四カ国に対して約十五億ドル支払っております。他方で、軍人と軍属に対する恩給が九四年までで三十三兆円です。もちろん、軍人・軍属に払わなくていいというわけではなく、払うべきなんですが、西ドイツが日本と違っていたのは、他の国々に迷惑をかけたという基本態度をしっかりとって、過去のドイツとは違います、あのときを教訓に、いま新しい理念で国をつくろうとしていますということを絶えず表現して、そのためにナチス時代の公職にあった者は公職に就けないとか、戦争責任者たちを時効なしに追いかけるとかしながら過去との政治的断絶どアッピールして、周囲の理解を得ながら、再軍備をやっていった。
 なおかつ「良心的兵役拒否制度」という、自分は徴兵されたけれども鉄砲は持ちたくないという者は危険な汚い仕事を三年間やるというような、個人の良心が生きる制度をつくったうえで再軍備している。
 日本はそういう手続きを全部抜かして一気に「普通の国」になりましょうといって再軍備をしようとするからいろいろ問題が起きるんだ−−というのが樋口陽一さんのお話でした。これには心を揺すぶられました。
 日本人はこの五十年間、こういった手続きを抜かしてきた。相手の立場に立って、自分がそうされたらどう思っただろうかということをいちいち検証して、もう昭和十年代のあの大日本帝国とは違うんです、こういうふうにみんなと一緒に生きていきたいんですということをきっちり周りに表現しながら、しかし、やっぱり軍備は必要だという手順を踏んできませんでした。もし「普通の国」になりたければ、そうなれるような手順を踏むべきです。
司馬 踏んでないですね。反対運動とまあまあ運動だけある(笑)。
井上 そうです。
司馬 ドイツ人はヨーロッパで生きていけないほどの歴史を背負ってしまったわけでしょう。戦後ドイツの指導者たちはそう思って、われわれはドイツ人であるよりも、良きヨーロッパ人になりますと宣言した。もちろん若者にドイツ人という民族の誇りを待たせたいという気分はあると思うんですが、それを質に入れてまで、悪かったと言い続けた。地続きでお互いに隣人だった国をやっつけたわけですから、どのようなことをしてでも贖罪しますという姿勢以外には生きていく道がなかったろうと思うんですね。
 ところが日本は離れ小島なものですから、ラバウルから帰ってきたら歌を一つ歌って(笑)、忘れてしまった。韓国といえども、玄界灘を越えるわけだから、引き揚げて帰ってきたらそれですっかり忘れてしまう。
 しかも、ドイツ人ほどひどいことをやっていないという意識がどこかにある。しかし、程度の違いを論じたってしようがないんです。質は同じなんですから。
井上 あるドイツの学者によれば、彼らにはこんな意識があったと言うんです。地続きの国々をひどい目にあわせてしまったことをどうお詫びすればいいか。とにかく誠意はまずカネで見せるしかない。そのカネは工業で稼ぐしかない、そこで西ドイツは高度工業化を目指した、と。その点、日本人は哀れといえば哀れで、とにかくひどい状態から抜け出そう、黙々と働くしかないということで高度成長がきます。そしておカネがたまってくる。しかしその使い道がわからないんですね。
 ところがドイツは、カネを稼いで賠償金を払う、稼いだら払うということを繰り返していくうちにヨーロッパ統合の中心になってくる。結局、周りが前のドイツとは違うということを理解したわけですね。ですから、日本は表現が下手なんです。
司馬 下手ですね。とにかく相当な賠償金は出した。出したけれども心がうまく通っていないんです。しかし、アジア人に対してドイツのように日本が振る舞えたかといったら、これがなかなか難しいんですね。そうしたら当方の戦死者はどうなるんだという、別の議論を持ってくる人がいる。
 大火事が起こったら、誰でもそのへんの水を靴に入れてでもひとかけして、自分の家を守ろうとしますよ。自分の命をそうやって国家に捧げたのであって、それはどんな場面でも尊い。感謝しなきゃいけない。しかし、それとこれとは話は別だということなんです。
井上 そこは実に大事なところですね。
司馬 結果として遺族会の人が日本を不幸にする団体のような印象を、私たちに持たせはじめていますね。これは決して遺族会の本意ではないでしょう。遺族の方々を政治的圧力団体に巻き込んで、政治家たちの政策決定とか、政治思想の決定に制約を与えるような存在にしてはいけない。これでは美しき停滞が停滞にはなりませんから。

◆「普通の国」より「理想の国」
井上 日本人はこの五十年間、一生懸命働いて生活を何とか立て直そうという気持ちを持ってきました。ぼくももちろんそうでしたし、それは大変意味のあることだったと思います。しかし、この五十年目にその考え方にけじめをつけるときが来たといいますか、いま、断崖に立たされているような気がします。
 たとえばわれわれはムルロア環礁の核実験に反対しますが、調べていくと、日本は中国からウランを買って原子力発電所を稼働させて、その廃棄物の処理をフランスの核燃料公社に頼んでいる。フランスとの取引額でいちばん大きいのが、ルイ・ヴィトンとこの核燃料公社へ払うおカネなんですね。
 フランスの核燃料公社には、他の国からも廃棄物がきます。核燃料公社はそれを処理して、ここからプルトニウムを取る。このプルトニウムで核兵器をつくるわけです。そうすると、ひょっとしたら私たちの使った電気の残り滓から、実はムルロアで爆発する核兵器の何分の一かができている可能性がある。
司馬 むろんありますね。
井上 とすると、フランスに対して抗議するのはもちろんですが、やっぱり日本人が自分たちの生活の中から核の問題を考えなければいけないのではないか。たとえば原子力発電所に対する態度です。どこまでも断々乎として平和利用しよう、あるいは原子力発電所は世界的に流行らなくなったので違う手を考えようということでもいい。そういう国民的な議論をして、日本政府の態度にわれわれの考えをきちんと反映させて核に向かっていかないと、外から見ると力の弱い反対になってしまう。
司馬 そうですね。
井上 それから、ラロック証言などで日本国内に核兵器があることは確かですね。そうすると、よく中国が、日本は核の傘に入っていて何を言ってるんだ、反対も何もないだろうと批判してきますが、実は外から見るとその通りで、間接的に核を保持していながら、ノー・モア・ヒロシマ、ナガサキ、ムルロア反対というのは、外国から見れば、あの人たちは何をノーテンキなことを言ってるんだととられかねないわけです。
 安保条約にしても、もちろんアメリカと友好関係を保つことは必要ですが、日本に核兵器を持ち込ませないという非核三原則があるのだったら、それは大事にしなきゃいけないし、大事にできなかったらその原則はなくさなきゃいけないんですね。自分たちが選んだ原理原則に責任を持とうとしない……。
司馬 私は、「普通の国」になどならないほうがいいと思ってます。日本は非常に独自な戦後を迎えて、独自な今日の形態にあって、この独自さはいいんだという気持ちがある。たしかにその独自さの中に間尺に合わない、つまり核の問題も再軍備の問題もあります。しかし、かといってそれを全部クリアしてフランス並み、あるいはアメリカ並みの「普通の国」になって「普通」に振る舞って、それが何になるんだということがあるでしょう。
井上 ありますね。
司馬 再び砲艦外交をやる、あるいは核を持って人を脅す外交をやるというんでしょうか。われわれはそれ以外の道を戦後に決めて、しかもわれわれの頭にはそれがしっかり染みこんでいるのだから、もうちょっと違った理想的な国をつくるほうに行こうじゃないかと思うんです。日本が特殊の国なら、他の国にもそれを及ぼせばいいのではないかと思います。
 そういうことを言うと、じゃあ北朝鮮や中国のような普通の国が核攻撃を仕掛けてきたらどうなるんだと言う人たちが出てくる。どうなるもこうなるも、そうなると地球がだめになるんだから、そうならないように早くから外交を積極的にやって、それらの国を世界という一テーマ、つまり人権とか平和といった一テーマに参加してもらうように持っていくべきなんです。
 そういう努力もしないで、今日になってにわかに「普通の国」というのは、イメージとしては要するに昔の五大強国とか三大強国という意味でしょう。
井上 だろうと思いますが。
司馬 ぼくらは戦後に「ああ、いい国になったわい」と思ったところから出発しているんですから、しかも理想が好きな国なんですから、せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう、といえばいいんです。そのとき「おまえ、朝鮮半島を支配したことがあるじゃないか」と言われれば、昔の話だけれども「申し訳なかった」と頭を下げていかなければいけない。頭下げるのはカッコ悪いと言うけれども、いくら頭を下げてもいいんだ、カッコ悪いもヘッタクレもない。
井上 ああ、いいですね、それは。
司馬 基本的な誇りの首の骨を折られた人たちには、三代、四代あとまで謝ることは必要です。それでいいんです。それで少しも日本国および日本人の器量が下がるわけではない。
井上 おっしゃる通りです。

◆自尊心と広い度量と
司馬 器量が下がると思っている人は、自尊心の持ち方の場所が間違っている。
井上 ケチをつけられたくないという、みみっちい自尊心を持ってるんですね。間違ったことを認めてそれを表現するということは、自分の暗部を自力で乗り越えることでしょう。ですから、かつての日本、そのあとの日本、あらゆる日本について日本人がしっかり自己評価して、あのときの日本はよくなかったとか、このときの日本は誇るべきだとか、そういう表現をするのは一向、自分の値打ちを下げることではないんです。
司馬 私たちの自尊心はどこからきているかというと、ニューヨークにいてもパリにいても、「ああ、室町時代に世阿弥という人がいたな」と思うだけで、ちゃんと町を歩けますよ。「考えてみれば江戸時代に西鶴もいたな。近松門左衛門もいた。日本人は偉いとも思わなかったけれども、西洋人が偉い人だと言いはじめた広重も歌麿も写楽もいたんだ」と、そんなふうに思って歩くから歩けるのであって、経済力がどうだとか、いろいろ侵略したから頭を下げ続けてますというようなことで自尊心はどうこうならないですね。
井上 そうですね。
司馬 私も、自国の文化がいちばんいいと心の底で思い続けている一人です。同じように、イヌイットもモンゴル人も、自分の文化がいちばんいいと思っている。そうでなければ、人間はこの地球上で暮らしてはいけない。これをエスノセントリズムというそうですが、これは性欲に次いでの人間の本能の一つだと思うんです。人間の荘厳さの一つだと。
 もちろん、現代ではそれだけに凝り固まっていては世界はとらえられません。モンゴルの草原に住んでいれば自分たちの文化への誇りだけで一生を送れるかもしれませんが、日本では複雑な世界状況を経験しなければいけない。学問の形で受けたり、政治状況で受けたり、あるいは経済や芸術の形で世界が日本列島で渦巻いている状態の中では、民族としての自尊心を保つのはなかなか単純にはいかない。単純にはいかないけれども、そこはせっかく高い識字普及の社会でっくり上げた自分たちの教養でもって、何とか保たせなきゃいけない。そのとき世阿弥が生きてくるんですね。
井上 一人一人それぞれがそんな世界の中心だと思っていいわけですね。そして、外には輸出できない自分の文化をしっかり持ちながら、輸出できるもので生活を立てていく。
 輸出できるものとは、おそらく文明と称されるものでしょうけれども、文化は輸出できない。これはオレたちが祖先からずっとつくってきたものである。これがあるからここは素晴らしい、ここが世界の中心である。そして、隣の人もそう思っているわけです。
 大切なのは、お互いにみんなそう思っているという眼と、自分のところを大事にするという眼と、どちらか一方に偏ることなしに、両方、非常に矛盾してはいながらその矛盾を同時に持って生きていけるような、度量の広い民族になってゆけるといいですね。
司馬 度量の広さ、いいことばですね。

◆世界は公開せよと言っている

司馬 江戸時代からのクセがまだ抜けてないんですね。自分の家とか自分の藩とか、あるいは幕府の恥は外へさらさない。手の内を明かさない。国民にも明かしませんな。明かさなかったために一度国が滅びましたからね。
 第一次大戦は軍事革命でしたから、人も物資もトラックや船で動くようになり、軍艦も重油で動くようになりました。そうすると、石油のない国はもう終わりなんですね。そういって海軍も陸軍も手の内を明かせばよかったんです。それを、ロをぬぐってファナティズムに変えていった。それで結局追い詰められて、太平洋戦争を始めなければならなくなったときに、蘭領インドシナに石油を取りに行ったわけでしょう。
 そのためには周りの軍事基地をやっつけておかなきゃいけないからシンガポールもコレヒドールもやっつけた。やっつけるだけではだめで守備隊も島々に置いた。それだけのことだったということに、私は二年ほど前のある晩に気がついて愕然としたんです。これだけの大戦争を経験していながら、防衛庁の戦後史も太平洋戦史もその基本テーマを明かしてこなかった。
 よく考えれば、石油を取りに行くために石油で軍艦を動かさなきゃいけない。それをわれわれに早く言ってくれたら、昭和のファナティズムもなかった、右翼の勃興もなかった、二・二六事件もなかった。石橋湛山ではないけれども、小日本主義を考えようじゃないかという議論もひろがりえたと思うんです。
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対談 中国を考える (司馬遼太郎、陳舜臣)文春文庫 148頁

<日本の侵略と大陸の荒廃>
司馬 まあ、日本が近代化する上で一番の失敗は、朝鮮を占領したことだと思います。なんでそんなことになったかと言ったら、日本は幕末において外からの圧力で興奮して統一国家を作った。外からの圧力に対して、攘夷エネルギーが収まりつかんほど沸騰した。攘夷エネルギーというのはいってみれば異常心理ですからね、自分がやられるという……。中国がやられている、朝鮮も眠ってるからやられるだろう、その次はこっちだ。だからやられる前にこっちから出て行け。なんの実質もなくて、観念だけが先走って朝鮮を占領してしまった。
実質っていうのは、資本主義になったんなら資本主義的リアリズムっていうのがあるわけなんだけども、そんなものなにもない。
観念だけが先行して、朝鮮に踏み込み、日清戦争を始める。清国との戦争において、何か要かというと、本能的にそれは李鴻章だ、とはわかってたんだろうな。それで日清戦争でもって李鴻章の陸海軍をやっつけて、かれを講和談判で下関まで来させる。それでもう話は終わりというわけなんだ。
(1978.1月)
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