http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0564.html
丸山真男 『忠誠と反逆』1992 筑摩書房
丸山真男嫌いだった。
 最初に『現代政治の思想と行動』を高田馬場の古本屋で買って読んだ。次に岩波新書の『日本の思想』を武田泰淳に貰って読み、さらに『日本政治思想史研究』を読んだ。
 きっと何も掴めていなかったのだろう。どうにもピンとこなかった。なにぶん学生時代のことで、しかも急進的なマルクス主義の本を何十冊も読んでいた最中 だったし、それをいっぱしに実践していると自負していたもんだから、丸山真男の装飾文様のようなマルクス主義や、とってつけたような左翼リベラリズムが まったく共感を呼ばなかったのだろう。
 そこへもってきて吉本隆明が当時書きおろしたナショナリズム論において丸山をこっぴどく批判した。
 こんなことが手伝って、丸山アレルギーが出た。ほんとうは丸山のレベルに手も目も届かなかったのだが、そうは謙虚に思えなかった。つまり役にもたたない読書をしていたわけだ。

 それがいつしか少しずつぐらついてきた。
 これは勘であって、実体験ではない。自分(松岡正剛)が丸山真男という果実を省いてきたこと(排除してきたこと)、そのことがいささか気になってきたと いうのが正直なところで、こういう勘はときどき動くものである。ミシェル・フーコーが雑談のなかで「そういえば丸山真男という人はものすごい人だった」という感想を洩らしたのもひとつのきっかけだったが(フーコーは来日した折に丸山を訪ねていた)、ぼくが少しずつ日本の近代を考えるようになったことが大きかったのであろう。
 こうして、丸山真男を通過することはどうしても必要なことなのだと思いはじめたのである。

 それからしばらくたって『忠誠と反逆』を読んだ。このときも本格的に読めてはいなかったようだ。ちゃんと読めていないということで、思い当たることがある。
 たとえば「稜威」(いつ)という概念について、丸山はこの本の「歴史の古層」の章で「勢」(いきほひ)や「活」(いかし)と並べて少しだけ採り上げてい るのだが、当時はそういうところは目が届かなかった。いや、注目しなかったのではない。
 ぼくには10冊か20冊に1冊の割合で本の中に夥しいマーキングをする癖がある。昔は鉛筆、ついで万年筆、そののちは赤か青のボールペン。なぜマーキン グをするかといえば、そのマークをする瞬間にそのキーワードやコンテキストを印象づけるためだ。また、のちにその本をパラパラと開いたときに、そのマーキ ングが“意味のかたち”のインデックスとなって高速の「蘇えり」がおこるからだった。
 『忠誠と反逆』も赤いペンでマーキングをしていた。そして、何年かのちに本居宣長のことを調べていて、本書にもたしかそのへんの言及があったことを思い 出し、パラパラとめくっていたら、おやおや「稜威」に強いマークが記してあった。あれっ、丸山はこういうことを書いていたんだと、そのときは丸山の深部へ のさりげない言及にギョッとした。
 いいかえれば、ちゃんとぼくが丸山真男を読めていなかったということだ。

 そんなおり岩波が『丸山真男集』全16巻を刊行しはじめ、ついで本人が亡くなった。死後、すぐに『丸山真男座談』全9冊(岩波)が、つづいて『丸山真男講義録』全7冊(東大出版会)が書店に並びはじめた。
 これらはときどき店頭で手にとってはみたのだが、そのあまりの物量にいささか腰砕けになっていた。
 そこへ『自己内対話』(みすず書房)を読む日がやってきた。これがやっとトリガーとなった。3冊の未公開ノートを編集したもので、ぼくのような編集屋が 見ると、かえって構想と断片との関係がよく見えてくる。実にすばらしいノートであった。なんだか丸山が優しくも見え、また切なくも見えはじめ、しかもその 思考の構図が手にとれるようになった。
 こうしてふたたび丸山を読むようになったのだ。

 で、『忠誠と反逆』である。
 本書では、丸山の思想のセンサーが動こうとしているところがよく見えた。これまで気取った知識人として防備されていた表層が剥落していって、その奥が覗 けた。そしてその奥に、ぼくにはわかりやすい丸山の長所と短所が見えた。
 冒頭の1960年執筆の長い「忠誠と反逆」論文は、これがそのまま膨らんだらさぞおもしろいだろうとおもえるもので、日本の法制史がどのように「反逆」 を規定してきたかという前提をあきらかにしながら(たとえば養老律令の八虐や御成敗式目の大犯三箇条)、そのあいだを縫って御恩と奉公が、義理や忠義の出現が、君主と臣民の絶対的関係の確定が、さらには山県太華の明倫館と吉田松陰の松下村塾の反逆のイデオロギーが、宮崎滔天や内村鑑三の苦悩が、広津柳浪の『非国民』が、どのように忠誠と反逆のあいだを揺動する精神として醸成されていったかという歴史的構造を明示しようとしている。
 この狙いは卓抜である。しかも随所に独自の流れの抽出と鋭い指摘が出入りする。
 ただ、全体としてはいまひとつ充実していない印象がある。当初に予定していたらしい大杉栄らのアナーキズムにおける自由と反逆の問題を割愛したことも響いている。昭和維新も出てこない。のちに松本健一がすべてを引き取って思索したことの大半が抜け落ちたのだ。
 この視点はおそらく、第233夜に書いた源了圓の『義理と人情』などとともに、今後に持ち越されるべき課題の萌芽とみたほうがいいだろう。今後の課題とは、「日本的方法とは何か」ということだ。

 つづいて、佐久間象山の世界観に照準をあてた「幕末における視座の変革」、夷人意識と「知足安分」意識と外圧受容意識の三つ巴を浮き彫りにする「開国」、福沢諭吉を扱った「近代日本思想史における国家理性の問題」などの論文や講演記録が並ぶのだが、いずれもこれまで読んできた主旨とかわらないので、とくに刺激は受けなかった。
 それが「日本思想史における問答体の系譜」「歴史意識の古層」で、俄然、光と闇の綾が眩しくなってくる。
 「問答体」のほうは、最澄『決権実論』と空海『三教指帰』を劈頭において、日本思想にとって「決疑」とは疑問に応えることだったという視軸にそって、夢窓疎石の『夢中問答集』、ファビアン不干斎の『妙貞問答』などにふれつつ、最終的には中江兆民の『三酔人経綸問答』にこの方法が近代的に結実していたことをあきらかにしたもの、丸山が「方法」に異様な関心をもっていたことがよく見てとれる。
 しかし、もっと炎のようにめらめらと“方法のセンサー”が動いているのは論文「歴史の古層」のほうである。1972年の執筆だが、その後に書き加えが あって、本書のなかではいちばん新しいものになっている。
 ここで丸山は、宣長が指摘した「なる」「つぎ」「いきおひ」の古語をつかまえ、日本的な思想が「生成」に関してどんなカテゴリー(基底範疇)をつかおうとしたかに光をあてた。

 世界の神話では、「つくる」「うむ」「なる」という基本動詞によって世界の発生と神々の発生が説明されてきた。
 これらは一連の神々の動作のように見える。しかしながら「つくる」では、往々にして作るもの(主体)と作られたもの(客体)が分離する。ユダヤ=キリス ト教やギリシア自然哲学ではここが明快だ。そして、その分離した主体には「うむ」という自主行為も位置される。「つくる」と「うむ」とは一連なのである。 ピュシスとはそのことだ。
 これに対して「なる」は、こうした主体の分離自立を促さないですむ。「なる」には「つくる」がなくてかまわない。では、いったい何が「なる」という動詞の意味なのか。

 本居宣長が注目したのも「なる」である。
 『古事記伝』のその箇所を整理すると、宣長は「なる」には3つの意味があるとした。(1)「無かりしものの生(な)り出る」という意味(神の成り坐すこと=be born)、(2)「此のものの変はりて彼のものになる」という意味(be transformed)、(3)「作す事の成り終る」(be completed)という意味、である。
 なかでも、「生る」(なる)を「生る」(ある)とも訓んでいたことを示せたことが、宣長自慢の発見だった。
 丸山は珍しくこれらの語彙語根を追う。そして日本における生成観念が「うむ=なる」の論理にあることを指摘して、その「うむ=なる」が後世、「なりゆ く」「なりまかる」というふうに歴史的推移の説明にもつかわれて、そのような言葉の使い方そのものがどこかで日本人の歴史意識をつくってきただろうこと を、ついに告白するのである。
 このように丸山が、宣長の発見した論理を日本人の一般的な歴史意識にあてはめながら説明することは、ぼくが知るかぎりは、警戒心の強い丸山がなかなか見 せようとはしてこなかったことだった。しかもそれは、丸山がうっかり見せてしまった“衣の下の鎧”というものではない。ややたどたどしい追究ではあるけれ ど、丸山はこの考え方に魅せられて、その意味を“方法のセンサー”で追いかけている。
 それが、「なる」につづいて「つぎ」に注目したことにあらわれる。

 宣長にとって、「つぎ」はむろん「次」を示す言葉であるが、同時に「なる」を次々に「継ぐ」ための言葉なのである。
 ついで丸山は古代語の「なる」「つぎ」が中世近世では「いきおひ」(勢)にまで及ぶことを知る。しかも「いきおひ」をもつことが「徳」とみなされていた ことを知る。どのように知ったかというと、徳があるものが勢いを得るのではなくて、何かの「いきおひ」を見た者が「徳」をもつのである。
 これは、儒教的な天人合一型の「理」の思想が日本の自由思考をさまたげてきたと見る福沢=丸山の立場からすると、意外な展開であったとおもう。
 儒教・朱子学では、天と人とは陰陽半ばで合一する絶対的な関係にある。しかしながら宣長と丸山が説明する「なる」「つぐ」「いきおふ」という動向の展開 は、互いに屹立する両極が弁証法的に合一するのではなく、もともと「いきおひ」にあたる何かの胚胎が過去にあり、それがいまおもてにあらわれてきたとみる べきものである。これはちょっと深いセンサーだった。

 こうしてついに丸山は、「いつ」(稜威)という機能がそもそもの過去のどこかに胚胎していたのであろうことを、突きとめる。
 「いつ」は、ぼくが第483夜の山本健吉『いのちとかたち』に おいて、ひそかに、しかし象徴的に持ち出しておいた超重要な概念である。スサノオが暴虐(反逆)をおこすかもしれないというとき、アマテラスが正装して対 決を決意するのだが、そのスサノオとアマテラスの関係そのものにひそむ根本動向を感じる機関や第三者たちの自覚がありうること、あるいはそこに“負の装 置”の発動がありうるということが、「いつ」である。そこではしばしば「伊都幣(いつのぬさ)の緒結び」がある。
 論文を読むかぎり、丸山が「いつ」を正確に捕捉しているとはおもえない。しかし、「いつ」こそが歴史の古層に眠る独自の観念であることには十分気がつい ている。「なる」「つぐ」「いきおひ」は大過去における「いつ」の発生によって約束されていたわけなのだ。
 それを歴史の古層とみなしてもいいのではないかというふうに、丸山真男がこんなところにまで踏みこんでいたことに、ぼくは再読のときに驚いたわけである。

 のちに丸山は、日本のどこかにこのような「つぎつぎ・に・なりゆく・いきおひ」を喚起する歴史の古層があることを、いささか恥ずかしそうにバッソ・オスティナート(持続低音)というふうにも呼ぶことになる。
 また、このバッソ・オスティナートを歴史的相対主義の金科玉条にしたり、歴史の担い手たちのオプティミズムの旗印にしたりするようでは、この古層がつね に“復古主義”や“国粋主義”と見間違われて、とうてい正当な歴史観になることが難しくなるだろうとも言っている。
 こういうふうに表明して、決して慌てないところが丸山真男が思想界から信頼されている理由でもあるのだが、しかし今宵は、ぼくとしては案外知られていな い丸山真男の“方法のセンサー”が触れた「ときめき」のほうを指摘しておきたかった。
 なぜなら、そこからしかぼくの丸山真男探検は始めようがないからだ。

参 考¶ところで、そのように読めるようになってきた丸山真男ではあるのだが、いまなおひっかかっているものもある。そのひとつが丸山の福沢諭吉一辺倒主義 だ。丸山は尊敬してやまない長谷川如是閑や南原繁についてさえ適度に距離をとって、その思索と行動を綴るのに、福沢諭吉のいっさいについてはそれを「自由 の弁証法」と呼んで、ほぼ絶対的に肯定しつづけた。どうもこの態度にはついていけない。たしかに福沢の徹底した反儒教主義には偉大な開明者としての一貫性 があるのだが、「それにしても」という思いが拭いえないのだ。まあ、このことについてはまた考えたい。どうせ、ぼくの丸山読みには最初から捩れていたもの があったのだから、このこともそういうせいかもしれないからだ。

丸山真男の思想史(1)  丸山真男の政治思想史における“古層”あるいは“執拗低音”と言う事 
丸山先生の政治思想史には それこそ“執拗低音”の様に見え隠れする問題意識が有ります。
“日本思想史の非常に難しい問題というのは文化的には有史以来「開かれた社会」であるのに、社会関係に於いては近代に至るまで「閉ざされた社会」である。つまり このパラドックスをどう解くか”
一方では集約的労働を必要とする水田稲作を中心に生まれた社会関係ならびに宗教的儀礼が 有史以来今日まで維持された「閉じた社会」 一方に“文明国家”に近からず遠からずの地理的条件から古代に於いてはアジア大陸から非常に複雑な文化的刺激を受け明治以降は西欧からの刺激として続きます。
“日本ほど最新流行の文化を追い求め変化を好みながら頑強に自分の生活様式や宗教意識を変えない国民はない”
そびえ立つ“世界文化”から不断に刺激を受けながら それに併呑されない“個体性”を先生は日本思想の“原型”とします。
日本思想の持つ“原型とは何か?
日本の空間的・自然的所与および歴史的諸前提からくる社会結合様式及び政治的行動様式の原初形態。
日本文化発展の場は世界的文明を代表していた世界帝国を隣にひかえ、圧倒されるほど近すぎずそれとは無関係に閉鎖性を維持しうるほど遠すぎぬ位置にありました。
それ故に日本は有史以来 農耕儀礼、アニミズムとシャーマニズムなどの共同体規制を基底とする高度の民族的同質性、同族的結合を維持します。しかし 一方では 外来文化に不断に影響され それを逞しく取り入れます。
執拗な持続性と急激な変化性の二重構造こそ 日本思想、日本文化の特性と言えます。
近年に至るまで、日本人の“独創性のなさ”と“模倣のうまさ”は定評です。
日本文化には 厳として変わらぬ“不変物”が有るわけでは有りません、先生は外来文化の“取り入れ方”外来文化の“修正の仕方”こそに日本文化の特性を見ます。
故に先生は その特性を かって日本思考様式の“原型”と表現しましたが、それぞれの時代に見え隠れする“古層”と表現を変え、更には その構造的用語をマルクス的と嫌い 最終的には“執拗低音”という音楽的表現に変える事になります。
では 日本人が古来執拗に守ってきた思考の様式とは具体的にどのようなものであったか?
“講義録第4冊 思考様式の原型”に於いて先生は 日本人の次のような行動価値基準を見出されます。
@ 集団的功利主義
A 心情の純粋性
B 活動・作用を神化する
日本では荒ぶる神も一方では呪術的克服ないし追放の対象にされながら他方では英雄的崇拝と祭祀の対象になります。
歴史意識の“古層”
有名な“歴史意識の古層”と言う論文で先生は 記紀神話とくに天理開闢から三貴子誕生に到る一連の神話の発想と記述様式の中に近代に到る歴史意識展開の諸様相の基底に流れ続けた思考の枠組みを尋ねます。
@ なる・なりゆく   神々の生殖行為で生まれ、神秘的霊力の作用で具現した世界
A つぎ・つぎつぎ   血統連続の重視
B いきほい      徳が有るからいきほいが有るのでなく、いきほい有るものへの賛辞が徳
“つぎつぎになりゆくいきほい”=生成のオプティミズムに貫かれた世界像
自然的生産力による生成と成育を生の本質とし価値の本源とする
  生成・成育・生殖を促進する方向=“よい”もの
  逆にそれを疎外する方向=“悪い”もの
時間そのものの中にエネルギーが有り発展していくと考える
  一切を自然的な時間経過に委ねる(目標の主体的選択が苦手)
  超越的絶対者、永遠の観念がない
自然的時間の経過そのものが歴史とする歴史観(観念論なき実証主義)
“いま”の絶対的肯定。
進歩は過程から過程への無限の連鎖的変化ととらえられ目的意識は有りません。
その機会主義は欧文明に対し優れた適応能力をもたらしたが、
出来事は起こすものではなく起るもの、時代の体制は自分の行動で変えていくべきものではなく順応すべきもの、
ここでは革命も否定するが絶対的保守主義も否定されます。
流れる時間をそれとして受け入れ、流れに浮かぶその都度その都度の今を、そうあるしかないものとして肯定(長谷川宏)
永遠普遍の絶対者信仰あるいは規範信仰より集団的レベルでの功利主義がより重要な行動動機となります。
本来普遍主義的な宗教・学問すら所属集団のエネルギーを高めるための効用や実用で評価されます。
世界宗教としての仏教も“鎮護国家”“現世利益”の宗教として受容していきます
戦術は得意だが戦略眼がない。
今風に言えば代表的リーダーシップには有利だが創造的リーダーシップには有利ではありません。
繰り返します。
@ 集団的功利主義と心情の純粋性の結合  “ハライ”“キヨメ”
A なりゆくままの楽観主義・機会主義・情緒主義
B 目的指向を取らない学習指向
C 普遍・規範的信仰より現世利益
D 戦略より戦術
E 革命不在
福沢諭吉に傾倒する丸山先生はもとより啓蒙思想家です。
先生はかような“原型”的土着的思考様式に対しては少なからず批判的に思えます。
原型思考様式と普遍的・理念的思考様式の起伏の中で日本の歴史を捉えます。
古代律令制の輸入とその変容、普遍的思想としての仏教の輸入、17条憲法の理念的斬新さと鎮護国家宗教への変転、鎌倉新仏教のダイナミズムとその堕落、武士のエートス論、キリシタン論、国学論、明治維新論、戦時軍国主義、天皇論などがその文脈で論じられます。
@ 古代王制イデオロギーの形成
仲間共同体はその内部で役割遂行の機能分化が発展する事で成員それぞれの役割・機能の割当及び価値の割当を権威的に決定する人格の資格・地位が制度化され支配団体に転化する
日本に於ける天皇(首長)権威の生成過程
  呪術的司祭者としてのカリスマ
  軍事的指導者としてのカリスマ
  アマテラス(日神)カリスマ  万物の化育者、宇宙の中心としての太陽神
  血統カリスマ
  血縁共同体の擬制  天皇家を頂点とする豪族統合のヒエラルキーの形成
ここに 統治権者としての天皇は共同体・自然と一体化して消え入る如き存在と化し、政治的権力行使者のそこからの分離実現を通して権力の下降化と無責任体制が形成される事になる
A 17条憲法
先生は聖徳太子が発布したとされる17条憲法を古代日本が最初に持った一般的政治学説と位置づけています。
太子はその仏教的信仰を通して、自然と人間社会を超越した聖なるものとしての“絶対者”を自覚、“原型”的世界像が徹底的に突破します。
そこでは地上のあらゆる権威従って政治的権威もまた、普遍的真理・普遍的規範に従属奉仕すべき(篤く三宝を敬え)と説かれ、政策決定及び施行過程における普遍的理念が強調されます。
日本政治史上はじめて登場する“公”の意識です。
B 法仏法相似と鎮護国家
飛鳥・奈良時代において仏教は王法仏法相似の観念を基礎とした鎮護国家宗教として定着する。王仏(聖俗)癒着のなかで天皇皇室仏教=国家仏教が完成する。
平安貴族にとっても魅惑的外国文明の所産としての仏教は貴族仏教として社会的適応の手段として受け入れられる。
やがて 摂関家の紊乱、院政の堕落、売名売官等政治的腐敗、僧徒の殺生・乱暴など社会的アナーキーと天変地異は一方に諦観的隠遁の思想を産み一方に鎌倉新仏教を産む事になる。
鎌倉新仏教に見る運命と自由、法則と実践、必然性と主体性の自覚ついては すでに
本稿(2) "鎌倉仏教における宗教行動の変革" に論じたところである。
しかし これら革新的思想もやがて“原型の制約”を受けて堕落する。
その “原型の制約”とは何か? 
呪術的傾向が再び浸透
神仏習合、祖霊・地霊信仰との抱合、教義上の集合の傾向
教団組織保全への拘り
(直接生活環境に緊縛されて戒律を軽視、集団的排他主義・セクト的分裂)
王法(俗権)との再癒着=王法の担い手たる武士階級に癒着
聖価値の審美的価値への埋没(非社会的遁世・閑居)
以下 
C 武士のエートス
D キリシタンの思想
E 幕藩体制の精神構造
F 明治維新と開国
G 近代帝国主義  等
後日 稿を改めて論ずる事と致します。
特に“武士のエートス”論は外からやって来た外来の理念ではなく戦闘者としての武士の具体的存在状況そのもののなかから内発的に形成された土着の普遍理念として その異質性が長谷川宏氏によって評価されています。-------------
丸山真男の思想史(2)  “鎌倉仏教における宗教行動の変革” 
丸山真男講義録 第4冊 より
丸山真男先生は鎌倉時代の政治的混乱の中で彗星の如く現れた3名の宗教家に日本思想史の頂点を見ます。
“単なる経論のスコラ的注釈ではなく時代の深刻な苦悩を直視する認識を更に自己の内面の奥底からの体験によって深化させたところに生まれた魂の叫び”
3名の思想家とは勿論
宗教的情操の豊かさで内面性の純粋化(絶対者の人格信仰)を究めた“親鸞”
哲学的論理の構築し修行の純粋化(実践信仰)を究めた“道元”
予言者的な意志と実践の強烈さで教条主義(経典信仰)を究めた“日蓮”
彼らが共に叫んだ聖と俗の癒着の剥離、超越性の強調。
丸山先生は宗教行動の発展を3つの段階に概念します。
@呪術的力の所有者としての絶対者(仏)を仰ぎ見て祈祷祈願 
現世利益と来世浄土への希求
A自然的人間の有限性、地上願望の空虚性の自覚、
絶対者に抱かれ合一する事で永遠の生命に参与(出家・遁世)
B自然的人間の有限性、地上願望の空虚性の自覚しながら
同時に地上的なものの魅力を実感、人間の有限性の高次の自覚
    如何に遁世を乗り越えるか?
@ 親鸞 
絶対的他力信仰による非呪術化
生そのものの罪業の内面的自覚
僧俗の特権的区別をすべて抹殺自ら非僧非俗を唱える
末法末世に聖道を唱える傲慢と虚偽の否定
否定の否定としての在家
  
A 道元
求道修行の純粋化
信仰の内面化と峻厳な律法主義、一切の効果主義的・功利的動機からの修行の排除と
座禅への純粋専一化による外面的儀礼と雑行の排除
実践の過程そのものが得道
万人に開かれた精神的貴族主義
親鸞の絶対他力信仰とは反対の自力信仰ですが究極の所では共通性が見られます
 仏祖への絶対帰投→生死を離れた自由観
  世俗価値の顛倒
  権力依存の峻厳な拒否、宗教の自立、仏法の王法からの完全独立
  
B 日蓮  
仏法と王法の否定的媒介による結合
初めての平民出身“センダラの子”
他宗にたいする壊滅的批判、迫害を恐れぬ強烈な自己確信と戦闘的布教
天台教学を継受、呪術的・神仏習合の要素を内包
著しい政治的性格  鎮護国家論・日本至上主義的側面
宗教改革がどのような性格を帯びるかは 聖と俗の関係に帰着します
宗教意識とはどのように発展するのか?
@個別的状況に内在した罪・災厄のデーモンから神聖なものが抽象され
 絶対的疎外(罪)と絶対的救済者(絶対者)の観念される
 罪・災厄は外から来るものではなく絶対者にとって
人間存在自身が絶対的疎外(原罪)となる
A体制宗教化が進み 一旦超越した聖なるものが再び現世秩序の中にちりばめられ
伝統・慣習・制度がそれ自身神聖なものになる
B宗教改革=聖なるものを再び階層秩序から剥離
 僧官僚制による救済装置独裁の打破
 よって“下から”の運動となる(下層の利害と予言者の利害が一致)
C それぞれの宗派が教団として発達していくに従って世俗的行動様式に翻訳され、
いずれ開祖の精神から遠ざかり、その限りに於いて原型の制約が再び表面化する。
つまり自我人格が“世間”や“既成事実”との内面的緊張関係を保つ事で
不断に前者を体系的・合理的に再構築していくような精神的エネルギーを再生するほどには
日本の宗教改革はラディカルに遂行されなかった
“原型の制約”とは何か? 
@呪術的傾向が再び浸透
A神仏習合、祖霊・地霊信仰との抱合、教義上の集合の傾向
B教団組織保全への拘り
(直接生活環境に緊縛されて戒律を軽視、集団的排他主義・セクト的分裂)
C王法(俗権)との再癒着=王法の担い手たる武士階級に癒着
D聖価値の審美的価値への埋没(非社会的遁世・閑居)
丸山先生の言う“日本思想の原型”
@民族的同質性
A社会底辺に於ける生産様式と結びついた共同体規制、宗教儀式
(農耕儀礼・アニミズム・シャーマニズム)
B持続性と変化性の二重構造(外来と土着)
原型における行動の価値基準
@集団的功利主義
A心情の純粋性
B活動・作用の神化
仏教哲学はキリスト教神学と異なり
絶対者としての唯一人格神と人間との関係を中心とて構成された救済宗教ではなく、
根本的に“空”の直感を目指す汎神論ないし汎心論である、
よって絶対者との神秘的合一の境地を目指す神秘主義的瞑想行動に傾斜する
俗世を不断に合理化する方向への実践に動機付けるタイプに対して
俗世逃避(隠遁)へ動機付けるタイプである
キリスト神が人間に与える義務遂行を実践する所から来る人格的責任の考え方は
霊魂の不滅を説かずかえって輪廻転生の宿命観から一切の煩悩・執着を絶つ事を
“解脱”する仏教からは思想内在的に出てこない
このような仏教教理の性格から、純粋化すれば世間的浸透力を失い、
さもなくば世間的価と権威との境界を無限に曖昧にせざるを得ない二律背反に直面する
仏教の現世的意義を弁明し王法仏法相依を強調する結果 
俗権と世間的秩序への直接的順応が空間的隠遁か無限の俗化への二者択一を要請する
この様に 丸山先生は鎌倉時代に現れた3人の宗教改革者の革新性を読みながら
“仏教”と“キリスト教”を比較する事で
“仏教”思想の限界を鮮明にえぐり出します。
確かに日本仏教の歴史、現状を見るかぎり 正にその通りの気が致しますが
浅学非才な私の事、日本仏教 殊に“親鸞”においてはキリスト教思想以上に
“信ずる”事のラディカルな形を感じます。
更にキリスト教に於いても“資本主義”の精神的基盤であったかどうかは別として
先生が日本仏教の軌跡に見たものと同じ流れを一方に感じてしまいます。
乱暴な言い方をすれば 結局人間の生み出す理想的観念=“宗教”とは
一度その純粋性を失ない大衆化すれば こうなってしまうのだろうかと言う
不遜な考えに時に囚われます。 
先生の列挙した転換期に現れた宗教行動の基本型
@人格的救済者信仰
   自己と救済者の神秘的一致  空也→一遍
     忘我行動による非日常世界への飛躍
   絶対的他者への傾倒
     敬虔主義  法然・親鸞
       自己の無力感と罪業感を内面的に徹底
     絶対者の道具としての召命的自己意識(カルヴィニズム)  親鸞・日蓮  
A宇宙的真理信仰
   自我との神秘的一致  栄西
       観照的、反学習主義
   絶対者への傾倒  道元
       絶対者は人格ではなく宇宙的真理  聖への集中に基づく内面志向型
   経典信仰
     神秘的一致  日蓮
     律法主義   律宗・臨済宗
明治の近代化は外からの普遍主義の輸入と“原型”の集団的功利主義および行動主義を
結びつけ、そのエネルギーによって儒教的・身分制的な
複数のparticularism(セクト主義?)を一つの天皇制国家のparticularismに
統合した過程である
再び先生は鎌倉仏教の積極的役割に触れます
鎌倉仏教は“原型”の制約を受けて変質、本来の宗教改革としての面目を弱めた
しかし 伝統的宗教行動の型に新たな型を打ち出した
@生死という人間実存の問題を凝視させた
A目標価値を設定
  目標に関心を集中させる事で人間行動を目標に向かっての合理的なものにした
  日常性をルーティンな繰り返しではなく目標を目指す無限の決断過程とした
B武士の行動様式にも精神的基盤を与えた(因果関係ではなく対応関係として)
C広大な仏恩に対する日々の報恩行動としての修行・勤行
D世俗的次元で主君への忠誠行動にも相関する
  恩と報恩観念は中国の儒教倫理では比較的希薄であるが
  日本の忠孝範疇は血縁から来る慈愛・儒教の五倫観念・仏教の慈悲の観念から
“親鸞”の思想を大衆のものにした“蓮如”そして一向一揆に
丸山先生は“思想の大衆化”の一つの理想型を見るようです。
終生“大衆”にあこがれながら“大衆”の中には生理的に入りきれなかった
先生の鼓動が聞こえます。
@ 蓮如の徹底した平等主義
A 天才的オルガナイザーとして本願寺勢力を驚くべく伸張させた
B 同時に極めてリアリストの一面を持ち俗権(守護地頭・山門神社)へ妥協する
C 講→農民の自治的集会のモデルになり やがて 一向一揆の基礎単位となる
  様々な組織的利害の錯綜する中にも 超越的原理で地域連合を形成した
  勿論その戦いは宗教的動機より年貢公事の軽減など現実的要求に発すると云え
  農民一揆が信仰共同体としての門徒組織に支えられなければ
  孤立分散的共同体の枠を突破した連帯にまで推し進む事は無かったであろう
  本願寺の懸命の抑圧に拘わらず 門徒農民勢力による一揆のエネルギーは燃え上がる
  やがて 信長との石山合戦において 本願寺挙げての抵抗勢力となる
しかし 徳川封建制下 兵農分離・武装解除・各宗派寺院は幕府権力に従属、
末寺は幕府の下部行政機関になる
思想的指導性は封建倫理の支柱となった儒教に移る
@ 超越的普遍者(人格的創造神、彼岸的救済者)から内在的普遍者(普遍的道徳)へ
A 普遍性から特殊性へ
B 此岸的・特殊主義的価値の強調
C 秩序維持・天下泰平こそ至上
     世間的秩序とか天下は特殊主義的(particularistic)集団であって人類ではない
     閉鎖的・特殊主義的公私の集団への奉仕と忠誠
かくて 戦後日本のオピニオンリーダーであった丸山先生は
政治に於ける“正義価値”と“秩序価値”を次のように結論します
政治的価値は特殊集団を基盤とするが故に秩序価値は必須の構成要素である
しかし 秩序が全てではない
政治的リアリズムは正義価値と秩序価値のバランスの上に成り立つ
秩序価値が無くなると強度の主観主義
(秩序価値を多少とも持つ圧倒的多数に浸透出来ない)
秩序価値が一方的に強調されると革新のエネルギーの実現の場が失われ
天下泰平から天下停滞へ
 “今でも充分新しい問題だし、成る程 先生は間違った事は言わない”と言うのが私の感想です
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丸山真男の思想史(3)  "武士のエートスとその展開"
丸山真男講義録 第5冊  岩波書店  日本政治思想史  1965 より

戦国武士道→葉隠武士道→幕末武士道
丸山真男先生はその講義録第5分冊で
初期日本武士団の発生から消長、自らを守り家を守るべく下から立ち上がり自意識に目覚めた戦闘集団としての戦国武士から家産官僚への変転、そのもろさの根元にある所謂“日本思想の原型”にも触れながら武士道から儒教的“士道”への変転を語られました。
さらに戦国武士道の純粋結晶化 過去へのノスタルディアとして生まれた“葉隠武士道”の積極的・消極的側面を分析されました。
その積極的合理的側面は明治維新における幕末武士道として花開く事になります。
逆にその消極的反規範的側面の遺産は忠君愛国の帝国日本精神に受け継がれ、ついに“武士道”は堕落する。
十把一絡げで“武士”へに憧れが横溢する今、武士道とは何か?
さすが日本精神史を包括する素晴らしい遺作です。
序説
まず“武士”概念は
“具体的階級や特定集団の名称がある種の行動様式を表示する言葉となり、その行動様式の特徴があたかも国民的性格の一面を最もよく表示するものとして国際的に通用する事となった例と言える”と概念づけられます。
“武士”はアジアでは日本のみに存在した。
では 軍人(官僚)と武士(在地の自己武装集団)との違いとは何だろうか。
明治天皇制で政治権力と精神的権威が一元化が先行する武家政治の伝統から思想史的に何を消失させたか?
そして帝国日本は日本“武士道”をどの様に歪曲して行ったのか?
このような問題提起の中で“武士のエートス”が分析されます。
第1節 初期武士団の発生と構造
“封建化”とは 保護と服従の人格的関係が土地の直接支配と結びついて古代帝国の内部に地方的割拠性が作り出されていく過程を言います。
よって 中央政府の軍事・警察力の弛緩、一般的治安の解体によって政治体の成員が自己及び家族・同族の生命財産の安全保障を自己武装化に俟たねばならぬ状況の発生深刻化した場合に進行します。
そうした中で公職の私権化(地方官吏の官職世襲特権化)と私的支配の公権化(土地の直接経営者が在地領主の地位を獲得して農民を支配)が起こります。
畿内は公家・大寺社の勢力範囲で武士の在地領主化は困難であった。
東国武士は武力で土地支配を広げ在地領主化が多く発生した。
初期武士団の内部構造の特性。
 @同族的結合と主従の恩給的(封建的)結合の統一体
 A所領の開発者を先祖と仰ぐ祭祀共同体、
B古代氏族制の伝統を引きずっているのが日本武士団の特徴
室町以降地縁的要素が血縁的要素に優越するようになります。
武士の構成要素
  家督―庶子―姻族―家の子―家人(王朝時代の家内奴隷?)―家礼(主人と主従契約)
    以上 侍
  郎従・郎等(陪臣、騎乗して武士)―所従・下人(騎乗せず非武士)
恩給(レーエン、官職ではなく個人に与えられる土地占有権)と忠誠(軍役他)
  但し 忠誠は法的義務であり恩給は道徳的義務で有る点でヨーロッパと異なる
  江戸期になると武士は所領でなく職務給として俸給を与えられ家産官僚になっていきます
第2節 “武者の習”もしくは“弓馬の道”(弓矢の道)の形成
発生期は武家の統領は単なる自己武装集団(ギャング団の首領?)
11世紀から12世紀にかけて(保元・平治の乱から鎌倉にかけて)
独自の習俗、規範意識を持った特殊戦闘者集団に
  戦闘者として(家を代表する)一種の“個人主義”
←自己所領を保有、自弁武装、一騎打ち的戦闘様式
丸山先生の“武士”は斯様に 武士に一種“個人主義”を見ます。
従って “武士のエートス” として
  強烈な名誉心と自負心が見られます。
中国士太夫的名誉心は理性的調和をめざし、
日本武士のそれは一定の行動目標に志向する技能の明証によって不断に試される
この点 明治以降 近代的専門官僚制採用にも有利性をもたらします。
しかし 丸山先生の所謂“日本思想史の原型”
=血縁的(擬制を含む)共同体及び祭祀共同体的性格から生ずる観念と意識が
次のような特性を日本武士にもたらしました。
  @ヨーロッパに比べ主従契約の対等性と双務性にかける
  A直接的感覚的な人格的相互関係(私的情誼関係)
  B主従のエートスに心情倫理的要素と利害打算的要素が分かちがたく結びつく
  C朝廷の権威(伝統的忠誠義務)よりも同族関係よりも譜代の主従関係が優先
第3節 武士のエートスの概念的洗練(合理化)
頼朝の権力は自然生長的要素の強い御家人勢力(守護に補任された開発領主層、私領安堵された荘官に由来する地頭等)に下から支えられた実力を朝廷に強引に承認させたもので、極めて不安定な“独裁”権力でした。
それ故逆に非人格的な機構的合理化が貫徹します。
  官僚制的合理化ではなく武家の習いの自己意識化としての合理化であった
伝統的権威の降下の中で“道理”の観念及び天道思想=自然法観念が生まれ
既成事実からのイデーの剥離が起こります。
勃興する中間層(武士)が“道理”の客観的支配の観念の中核的担い手になります。
承久の乱に於いて徳治主義理念が皇室の権威に優位に立ちます。
貞永式目には“法の支配”精神、市民法的考え方(紛争の合理的解決)が見られます。
しかし鎌倉末期になると 武士の規範意識はうすれ御家人意識の利益主義化が起こり
南北朝内乱時代と突入します。
第4節 変容と分化
* 第1段階
 上からの制度としての律令制の崩壊過程です。
まずもろもろの官職また行政権としての土地人民の支配の私的特権化として荘園体制が形成されます
そして荘園体制の中に土着的エネルギーとして“武士” 生長してきます
荘園が地頭によって浸蝕されて行きます
制度的側面  幕府・守護・地頭・六波羅探題・鎮西探題などの制度化
社会的側面  自己武装化した在地開発領主に領地を恩給して主従結合関係
武家社会の自律性、自立支配、道理の自覚が“下から”形成されていきます。
 一方に古代国家の崩壊→武士の台頭→“至強”と“至尊”の二元化→
中央権門貴族の豪族武将に対する猜疑と恐怖、古代勢力からの反発が起こります。
* 第2段階   
守護大名が国司の権限を浸蝕していく過程です。
御家人の窮乏と離反(分割相続と蒙古合戦に起因)や
非御家人(天皇・摂関家に直属する武士団、地方独立武士団)
その他の諸階層(寺社に勤仕する供御人など、座を結成した商人・高利貸)の台頭
により むき出しの実力闘争が行われます。
下克上・悪党の時代です。  
部分的には キリシタン教徒・一向一揆門徒・商人ギルト・自治都市などの
新規範が形成されます。
守護職が幕府官職から所領・所職としての恩賞の対象(守護職の私権化)になり
同時に国司職権を実質的に奪い統治者的側面を強めます(守護職の公的側面拡大)
 更に 下級レベルの武士団が流動化、守護の権限下に入る
 御家人的エートスの解体、同族的伝統的主従関係の解体、行動様式の打算性、
忠誠対象選択性の拡大がこの段階の特徴です。
第5節 戦国武士道の形成
* 第3段階   
戦国大名による分国形成の過程です。
やがて在地性を持たない守護大名は没落
幕府=守護体制崩壊の中から郷村を直接把握する分国大名制なる新支配様式が凝固していきます。
惣的団結で台頭した農民=直接生産者層が独立で
或いは武装した名主層の国一揆と結んで“土一揆”で蜂起します。
非常事態を日常化した戦闘的行動的リアリズムがこの期の精神です。
 @器用・兵法・軍学・臨機応変を尊ぶ
 A名誉感と開放的独立不覊の精神が育ち単なるエゴイズムと区別された
 B自己規律を伴う一種の英雄的個人主義が噴出
C幕藩体制の確立とともに地方的自律的規範意識は上から押さえられ
神国思想とリンクした儒教思想がヘゲモニーを取るようになります。
社会全体制の固定化による泰平・安定化→武士的主従関係が家産官僚型に変化します。
儒教的考えでは 道徳外的存在としての“民”を教化する役割を武士に求めます。
武士道から儒教的“士道”へ
戦闘者のエートスから秩序倫理へ
“主従のちぎり”情的・人格的結合から客観的身分的階層秩序の倫理へ
“葉隠武士道” 
この期に於いて江戸期鍋島藩士の武士修養書“葉隠れ”が
戦国武士の精神を極地にまで観念昇華します。
観念の極地とはいえ自らを生かすために己を捨てる禅的実践を踏まえた独自の思想です。
当web での拙稿 
  降 慶一郎作“死ぬことと見つけたり”と武士道”葉隠” 
  日本文化論(2)武士道(1)   新渡戸稲造 “武士道”を中心に 
を 参照下さい
丸山先生に依れば
@武士のエートスが過去のものになった時に成立
A戦国武士道純粋結晶化 過去へのノスタルディア
B現実には存在しないイデオロギー
C極限状況の日常的設定
   最悪事態の日常的覚悟の上にかえって日常的事態における積極的前進を期待、
   又 かえって余裕のある自由な決断を期待
D単一目標の設定によるエネルギーの集中  瞬時の決断
E反知性主義及び反規範主義
F絶対無条件の忠誠行動  
 反対給付を一切求めない、主人への盲目的なまでの没我的献身
G偏狭な排他性  身分秩序を越え讒言・讒争さえ厭わない
H個人主義的イニシアティブと決断の精神に至る逆説
I佐賀藩と鍋島公に限定された忠誠
J一切の普遍的原理(真理・正義)一般的徳目を含まない
K時代の風潮を徹底的に批判しながら元禄・享保の閉鎖的時代精神を反映 
しかし現実の武士の行動様式は葉隠が嘆いた方向に一路進んでいく
家産官僚制進展に伴う身分的恭順性の蔓延と主従関係の非人格化と儀礼化
儒教的名分論は日本に於いて正統性の観念の磁性に引きつけられ
絶対的随順の側面が中国より前面に押し出されます
(君君たらずとも臣臣たらざるべからず)
しかし 逆にどうしても破棄出来ない主従関係によって
讒争も忠誠の不可欠の契機になる
原初的武士のエートスの伝統に由来する一種個人主義的主体性と
没我的忠誠の逆説的結合が下から上に吹き上げるような主体的能動性を持ち
藩の運命を個人で担いきろうとする精神と結合していた“葉隠精神”は
幕末志士の行動の中に実現する事となる
明治維新と幕末武士道。
外圧に対する日本の独立と名誉の確保を自分自身の名誉と独立の問題として引き受ける意識を持った階層が外圧に対する敏感な対応を可能にし植民地化、半植民地化を免れ得る事になる
大土地所有者としての君主・皇帝と彼に身分的・家産的に隷属しいかなる意味でも独立性を欠いた文武官僚が人民から遊離した一握りの支配者として人民と別世界を構成し政治的国家運営に当たっているところでは“ネーション”の意識は生まれない
中華帝国、身分的礼の関係で宇宙の星座のように整然とした調和を保っている世界では外夷はその完結したシステムを一時的に錯乱する要素にすぎず、その錯乱要素を排除すれば自動的に元のシステムに復帰すると考えられ、外圧の危機を国内体制の変革に転轍する論理は成熟しにくい
一方日本に於ける幕藩体制の危機は国際的にも国内的にも一旦凍結された戦国的状況の解氷であった
武士層の間に強烈な目標志向性、業績によって不断に証示せねばならぬ名誉感情、転変する状況に対する即応と自主的決断と言った伝統的武士のエートスが蘇り攘夷論はそれに裏打ちされます
攘夷論自体を鎖国から開国へ積極攘夷へ読み替えていったプロセス、和の精神を身分間、公武間の和と言う客観的関係の倫理から人心一和という心情的同一化の倫理に読み替えていったプロセスの底にはまぎれもなくあの危機的状況に対する臨機応変の精神が作用していました
かくして攘夷論は明治的ニュールックの富国強兵論へ変貌します。
武士道エートスの演じたマイナス面
@兵学的=軍事的リアリズムの実践的強みの反面として理念・理想の位置づけを欠き
目標設定能力が低く精神主義、戦術主義に陥る
A特定身分の名誉感は根強い愚民観を生む
人間の人間としての尊厳に基づく自由と平等の思想及び友愛と連帯の思想は一切の経験的・感覚的存在を越えてこれを規律する絶対的・超越的普遍者へのコミットメントなしには生まれない
神=絶対者へのコミットメント→水平的平等
武士のエートスの消滅後 徳川時代の家と藩の組織原理であった儒教道徳が復帰→
明治中期以降顕著になる軍隊の絶対服従、臣民的随順、忠君愛国の家族国家観
儒教の天道超越性、規範主義的契機は稀薄化、権威への消極的恭順の契機のみが生き残る
体制への恭順、非人格化された天皇の神聖化
国民教育の枢軸となった“忠君愛国”は封建的範疇でも近代的範疇でもない
“武士のエートス”は“愛国”とリンクする事でその“忠君”から生き生きとした人格的契機を失い“市民のエートス”は“忠君”と結びつく事で市民的自発性を脱落させて行きます。
忠君愛国と武士道の間には越えがたい溝があったのです。--------------------
丸山真男の思想史(4)  キリシタンと弾圧の精神・幕藩体制の精神構造
丸山真男講義録 第6冊 日本政治思想史 1966 より
今回は 前回丸山先生の“武士のエートス”に引き続き
講義録第6分冊 “キリシタンとその弾圧”並び“幕藩体制の精神構造”を読んでいきます。
次回は これらの分析を受けて“明治維新・開国の精神構造”を取り上げようと思っています。
“キリシタンの活動と思想”
ここでの先生の分析はキリスト教弾圧の本質に触れながら、経験的存在を超越した普遍者へのコミットメントを否定する“閉じられた社会”の人為的創出の過程を明るみにします。
つまり先生の“キリスト教”は その弾圧を通して その後の日本“閉じられた社会”がどのように作り上げられるか 近代日本前史の側面から分析されています。
日本キリスト教の歴史
第1期 イエズス会・ザビエルの布教開始の1549年から1587年秀吉布教禁止まで
第2期 1594年スペイン・フランシスコ会伝道開始、1612年家康禁令
1914年高山右近など追放
第3期 1616年家康没 1937年 島原の乱 翌年から厳禁、全面鎖国へ
第4期 徹底的根絶方針
燎原の火の如く急激なキリシタン布教拡大要因は何か
@布教者側の熱烈な宣教、献身的奉仕活動
A日本側の伝統的権威とヒエラルキーの崩壊進行  
カオスの中で独立・自由の気風、下からの秩序形成の萌芽、農民自治、自由都市
信長などの旧勢力に対する現実的打算
B知識人の宇宙科学的知識に対する知的関心
C下層民の性道徳など道徳的関心
D民衆が求めた絶対者への指向(彼岸救済) 一向宗への傾倒と通ずるところ
教義をめぐる思想的諸問題
@究極実在としての唯一絶対の人格神、及び神による天地万物の創造という根本信条の弁証と他方儒、仏教的汎神論、宋学の太極論、神道の自然宗教的多神論などを含む汎神論批判
A明らかに優位に立っていたのは合理主義的宇宙像をもってする自然宗教的宇宙像の批判であった
B儒教など既成教義とキリスト教的人間観の根本的相違点=原罪観
    全知全能のデウスの造った世界に何故悪魔と地獄があるのか?
    悪魔が人間を地獄に落とすのを神が妨げないのは
    人間をして自己の罪を知らしめ人間が傲慢の心を捨て謙虚に神に救いを求めさせ
    永遠の栄光に入らしめんがため
    人間は悪をなす自由を通してデウスの教えを選択する
Cデウスの信仰と戒律の履行が一切の地上の権威や法令・習俗への服従義務に優越
    但し 聖俗への忠誠が矛盾しない限り封建的支配体系、
    階層的社会関係を神の定めた自然秩序として聖化した
キリシタン禁制の遺産
@寛容の伝統故の不寛容、文化的同質性に基づく集団凝集性が高いから、一旦集団的同質性がゆるがされると言う猜疑が深まるとそれだけ異質的分子の排除は狂熱的となる
Aもともと 権力者のキリスト教に対する態度は極めて機会主義的であった
当初は仏教寺社勢力への対抗馬として利用されたが 既成勢力の牙が抜かれた段階で 
キリスト教の存在価値は薄れむしろその障害が目立ってきたが故に排除される事になる
神国思想はキリシタン禁圧の理由付けに利用された
一切の宗教と宗教教団が地上の権威に従属させられ超越的絶対者へのコミットメントに基づく共同体の形成が禁圧された上鎖国によって“閉じた社会”が人為的に2世紀に渡って維持される
政治体系は本質的に閉じた社会、文化は開いた社会を前提とする
かくも閉じた社会を作り出す試みが長く続いた歴史的秘密は経験的存在を超越した普遍者へのコミットメントが剥奪されていた点に伏在する
この事が第2の開国明治近代にわたって日本思想文化に大きな刻印を押す結果になる
“幕藩体制の精神構造”
先生は“幕藩体制の精神構造”を分析する事を通して 伝統主義・秩序主義と言う物が、逆に厚顔無恥なエゴイズム、利己心を増長せしめる事、
徳川幕藩家産官僚制(軍事・行政が一体化した)の閉じられた社会の腐敗性が近代日本に接ぎ木される経緯を語ります。
封建制とは
@西洋法制史上  主君から従臣へのレーエンの恩給と此に対する主君への忠勤義務によって結ばれた関係
Aマルクス主義  主要生産手段としての土地所有と支配を機軸とする領主と
    これに経済外的強制によって全余剰労働を収奪される直接生産者としての農民との関係
幕藩体制は純粋封建制ととらえるには無理がある
家産制からプフリュンデ(俸禄)封建制(官吏の土着化、土地の私有化)へ、
Lehenからpatrimonial(在地領主の家臣化)へと言う2つの過程の融合と考えられる
閉じた社会の人為的造出がこれほど隅々まで計画され長期的に成功した例は稀である
徳川幕府の政策
@朝廷・公家の徹底的非政治化(禁中並び公家諸法度)京都所司代の設置
A社寺の領主化と自己武装化をチェック行政機構の末端に組み入れ(諸寺法度)寺社奉行設置
B都市・商工業勢力の自治化をチェック城下町に集中せしめて幕府・大名への寄生的存在たらしめ大都市は直轄領とする
C大名の統制
    改易・移封・転封による直接的強制(土着性を排し地方行政官的色彩を与える)
    直臣の家産官僚的編成と在地領主への所領安堵による軍役調達の使い分け
    譜代(家産官僚化)と外様(伝統的恩給制)
    幕権の集中(レーエン的性格の否定)と戦国大名分国関係(レーエン的性格の維持)
       と言う“天下泰平”の両面性
    大名は原則として領内の自己立法、自己武装、自己徴税権を持ち
       幕府に対しては戦時軍役提供の義務を負うのみで納税義務はない
    参勤交代制による忠誠義務の確保(財政力削減、妻子の人質化)
    大名の軍事力増強及び相互交通と連合の防止(新築城・同盟禁止、相互婚姻の許可制)
D幕藩体制の行政組織がそのまま軍事組織を兼ねている事に特徴がある
    戦国状態の凍結化、非常時臨戦体制の常時化
    “猜疑と恐怖の制度化”=スパイ組織の驚くべき緻密さ
    逆に “さわらぬ神にたたりなし”の消極的安全主義が蔓延する
積極面としての文治主義
@統治上のプラグマティズムに基づき儒教を推奨
    (排他的正統イデオロギーとなった訳ではない)
A支配的身分としての武士の身分的閉鎖性の保
B武士階級内部の微細な階層的編成
C被支配内部に於いても階層的身分制を形成  
D“知足安分”の精神 
    “うえをみな、みのほどをしれ”
    最上級と最下級を除くあらゆる身分レベルに於いて
    一面では統治者であり他面では非統治者
    主権者は最上級身分ではない、秩序そのものである
E“祖法墨守”“新儀停止”と言う伝統主義  固定化による安定
社会生活と文化のパターン
@他の一切の価値に対する秩序価値の優位
A本来の武士のエートスは戦闘という転変する状況を前提としており
    制度化とはほど遠く臨機応変が尊重される
B戦闘者から家産的行政官への馴到
C能動的業績主義より権限に基づく“場”への固着、奉公の形骸化
D君臣主従の直接的・人格的接触性は退化、非人格的な“地位”に基づく恭順に変化
E秩序は特殊的人間関係を基礎とした具体的秩序であり、
  聖・真理・正義と言った普遍的原理は特殊関係からの超越性を剥奪され、
  具体的秩序の“泰平”を維持する目的に従属される
F文化は特殊集団への所属・奉仕としての功利的な意味づけ
  宗教学問の実用主義・芸術の職人主義
  一方規範が峻厳に適用される儀式化された世界の外に例外領域として営利の無遠慮な追求、
  官能的享楽への耽溺が許される世界が許容される
表口の峻厳な規律にははじめから裏口に抜け道が用意されている
厚顔無恥のエゴイズムの追求、利己心の無邪気な発揮が伝統主義の厳粛な拘束としばしば併存する
行動様式の“場”に応じての使い分けによる人格的統一性の解体
建前としての峻厳な規範と免れて恥じなきアモラルな“自由”がうらはらに共存する
正義価値は秩序価値に従属、リーダーシップの重要な構成要素である目標設定能力ないし多元的目標からの選択能力をルーティンな事務遂行の中に埋没させた
“文明開化”は定型化された行動様式を崩したかわりに新しい社会と文化の型を精神の内側から創出するには成功せず、天皇制なる国家体制の枠をはめる事で収拾された
幕藩体制の家産官僚制の延長上に近代専門官僚制が接ぎ木され、地租改正は幕藩体制下の本百姓の分解と寄生地主の発生を近代法で承認、警察国家面は幕藩体制下の慈恵的精神を継承、内在要因の延長と外から来たものが結合された
個々の部分についての継続性とワンセットとしての断絶制
家産官僚制的組織化と家及び部落共同体が打ち出した行動様式は明治近代国家に近代的変容を経ながら受け継がれ、その限りで“型”は相続されたが
頂点と底辺の間の広大な中間領域では“型”の崩壊はひたすら進行した
一切の型を欠いた行動は恣意の乱舞となる----------------
丸山真男の思想史(5) 開国  丸山真男集 8巻より
丸山先生の政治思想史、いよいよ 幕末開国から明治維新を経て、軍国日本への道を辿ります。
明治維新・開国は日本国家歴史の一つの分かれ目でした。
先生はこの論考で徳川幕藩体制と言う“閉じた社会”の諸矛盾から説き起こし
西欧列強からの衝撃での“閉じた社会”の解体、その後にもたらされた経済混乱と道徳的アナーキー、下級武士層の“怨”に色づけられた民権運動のエネルギー、そしてそれらを “天皇制国家”概念で再び沈静化していった上から動きを描いています。
“開国”とは象徴的には 閉じた社会から開いた社会への相対的推移を指す、
歴史的現実としては19世紀中葉以降において極東地域の諸民族とくに日本と中国と李氏朝鮮が“国際社会”に多少とも編入される一連の過程を指す
ヨーロッパで長期的に成長した諸々の文化的要素が一度に重なり合って殺到、
この“西洋”価値体系に屈服するか拒否するかがアジア諸地域の運命の分かれ道となった
徳川幕藩体制は室町から戦国にかけてのダイナミックな歴史過程から生じた領国分国制を
いわばスタティックに凍結したところに成立した
徳川幕藩体制の特徴
@ 戦国割拠の状況の凍結=行政組織は軍事組織に即転化出来る体制
A 300にのぼる大小兵営国家がその上に征夷大将軍に統率される全国的兵営国家を抱く重層構造
B 超軍事体制を基礎としながら2世紀半以上にわたって“泰平”を現出した歴史的逆説
C 中国家産官僚制の典型的イデオロギーたる儒教を体制教学とした
 “閉じた社会”の基本的傾向は政治的権威が道徳的価値ないし宗教的価値と合一する事にある
 下民の政道批判を道徳・神聖の崩壊とみなし利欲淫乱の無制限氾濫に直通するとした
D 徳川体制の凝固化は支配者対被支配者、武士対庶民の身分的価値的隔離に依存したではなく
 支配層内部での階層関係を設定、それを被支配層に押し及ぼす事で完成した
E 大名行列などに見られる日常生活の様式主義
F 地域的身分的定着化と集中・移動の排除
G “臨機応変”の戦国武士精神とは逆の“祖法墨守・新儀停止”の徹底的伝統主義
H “知足安分”の消極的保身主義
類い希な統治技術と鎖国は“開国”の衝撃により
凍結された戦国割拠と足利末期“下克上”を再現する
支配層は国際的コミュニケーションが直ちに国内の凍結された戦国状態の解氷をもたらすと
直感していた
交易・邪教潜入による社会秩序解体への支配層の恐怖
しかし閉じた社会の思考の典型化した“古典的”攘夷論が変容する
その要因は
@大名領国制は列強対峙のイメージを比較的容易にイメージせしめた
A儒教的天理・天道の観念が国際法的観念の受容を助けた
B東洋道徳・西洋技術の使い分けで狂熱的排外主義をおさえた
徳川社会の定型性の解体がもたらしたものは経済混乱と道徳的アナーキーであった
そして やがて自由の行きすぎと云う名目で政府は伝統的道徳教育が復活する
下級武士の分解は社会的怨恨の発酵素となり彼らが維新革命の重要な推進力となった
彼らには“裏切られた革命”に対する士族の悲憤から
在りし善かりし日への追慕と“人民自由”の観念が混在していた
よって 維新直後には様々な方向への可能性をはらんでいた
維新政府はやがて
自らを政権にのしあげた革命的エネルギーの鎮静と定着化に乗り出す
維新第一段階では“御布告”と旧体制の崩れた直接的結果として
混沌としたエネルギーの氾濫が対峙していたが
次の段階では法律革命の漸次的下降と浸透によって
下からのエネルギーは次第に明確な目標と形態を持つ民権運動として組織化され
かえって政府は自ら呼び出したデーモンに悩まされるようになる
儒教主義教育の復活、言論集会の峻厳な弾圧が行われる
無数の閉じた社会の障壁をとりはらった所に生まれたダイナミックな諸要素を  
天皇制国家という1つの閉じた社会の集合的エネルギーに切り替えていった所に
“万邦無比”の日本帝国が形成される歴史秘密がありました
次回では明治維新国家をより詳しく取り上げます。---------------
丸山真男の思想(6) “明治国家の思想”  
丸山真男集 第4巻 1949-1950 岩波書店より
国際社会に投げ出された維新政府明治初年においては
“国権論”と“民権論”がバランスしていました(対外的独立が民権の前提であるという国権論)
しかし日本に於ける脆弱な資本主義的蓄積(藩閥国家権力と産業資本の癒着、都市農村或いは産業部門間の不均等発展)と国際的な帝国主義展開は
民権と国権の分裂を招き日清戦争を契機として前者を犠牲にして後者が伸張します
国権論は帝国主義の色彩を帯びる事になり、露骨な国家主義と俗物的功利主義
更には感覚的本能的な個人主義が蔓延することになります
明治維新の精神的立地点---尊皇攘夷論
政治的頂点への集中
中央集権的統一国家建設の要素として国権論(対外的国権拡張)に発展
公議興論思潮
政治的底辺への拡大
五ヵ条ご誓文における万機公論となり自由民権論に発展
政治的集中の原理と政治的拡大の原理の同時的登場がペリー来航の際に表面化した
その頃の日本の歴史的条件
  徳川期に於いて近代的産業資本の蓄積はいまだ微弱であり、被支配層である一般庶民は自らその動向を指導するまで成熟せず、変革の方向付けは所謂下級武士群や激派公卿ないしたかだか上層庶民層等の中間的社会力であった
  同時に国際的環境は帝国主義段階に入りつつあり、後進国は絶えず植民地化或いは半植民地化の危機に晒されていた
日本は自身一人前の国家にならないうちに他の国に対して一人前の帝国主義国家として行動せねばならなかった
例えば 征韓論の意図・目的
  旧武士階級の失業対策
  不平等条約打破の手段としての国威発揚
  東亜連合によってヨーロッパ勢力の東漸を食い止めようとした
  ヨーロッパ帝国主義の小型模倣を抵抗の一番少ないところでやってみようとした
国際紛糾を起こしてその機会に国内改造を狙う
国権論と民権論は微妙に絡み合って明治国家の課題となっていた
  反征韓論者の台湾征討提議
  右翼運動も自由民権の中から育て云った事
  福沢に見る 内部解放=外部からの独立
  自由民権論は絶えず国権拡張論と結びついていた
当時の歴史的条件の下、少なくとも明治10年頃までの日本政府は日本近代化、文明開化の先頭に立っていた
伊藤博文ですら人民の生活力こそ国家の基礎である事を認識していた
明治初年の健全さと先進性が見える
しかし明治14年の政変(大隈一派締め出しのクーデター)を契機として
明治政府は藩閥既得権擁護に色彩が変わる
  教育方針に見る儒学・国学の復活
欧化主義の裏に隠された国家主義的教育改革→M23の教育勅語
この様な政府の欧化主義に対する民間の思想的反撃
  日本主義運動(陸羯南など)
  平民主義運動(徳富蘇峰など)
  共通性として 上からの欧化主義、官僚主義への抵抗
民権論と国権論の乖離はM25,M26そしてM27日清戦争によって大きく表面化する
  特恵的保護を受けた少数財閥と藩閥との結託
  民権論と保守主義者との連合
  藩閥勢力の政党への接近
  政党の背景をなすブルジョア的勢力が藩閥と癒着
日清戦争を契機として多くの民権論者が国権論の主張者になっていく
  国民的独立という意味の国権論→帝国主義的発展を意味する国権論へ
更に国際的環境も日清戦争を契機に本格的帝国主義段階に突入
下から支えられたナショナリズムは上からの官僚的国家主義に吸収される
この頃起こった日本主義はM20年代の日本主義とは大きく性格を異にする
  上からの国家主義を前面に出し、天皇を絶対主義者として神格化、思想等の自由を否定、植民地台湾に対する徹底的帝国主義政策の唱道
  弱肉強食、優勝劣敗の論理である
一方では“頽廃”を内に蔵した感覚的本能的個人主義が蔓延する
民権と国権との分裂、前者を犠牲にしての後者の伸張は社会的地盤から云えば、
日本資本主義の発展の仕方つまり国家権力と産業資本との癒着が非常に早くから起こり、それに対して広範な農村が近代化から取り残された、その結果都市と農村の対立、更に或る産業部門とくに軍需産業部門と他の産業部門との間の非常に不均衡な発展、進んで文化全般にわたる都会中心主義、つまり政治的・文化的過度の求心性そうしたあらゆる近代日本の不均衡な発展のイデオロギー的表現と考えられる
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丸山真男の思想(7)  “軍国支配者の精神構造”
  丸山真男集 第4巻 1949--1950 岩波書店より
今日はクリスマス・イブ
米国では”メリー・クリスマス”の挨拶から”ハッピー・ホリデイ”に変わって居るそうです。
さすが 信仰の自由を愛するアメリカ人民ですね。
さて 頭書の論文で丸山先生は日本の戦前戦中無責任体制がどのように創出されたかを
極めて明瞭完璧に語ります。
対米宣戦は世界情勢と生産力その他の国内的条件の緻密な分析と考慮から生まれた結論ではなく、
恐るべき国際知識に欠けた権力者によって
“人間たまには清水の舞台から眼をつぶって飛び降りる事も必要だ”と云う東条の言葉に現れているような
デスペレートな心境のもとに決断されました
日本の戦争機構に内在したエートスとは。
ナチ指導者との比較を試みます
  ナチ指導者は無学歴の底辺層、無法者が権力を掌握しました
  自己の行動の意味と結果をどこまでも自覚しつつ遂行
  罪の意識に真っ向挑戦
一方 日本帝国指導者は 最高学府出身の秀才、登り詰めた顕官でした
  結果 自己の現実の行動が絶えず主観的意図を裏切っていく
  善を欲してしかも悪を為した
  澎湃たるナチズムに感染、その感染しやすい素地が問題
“弱い精神”=戦争責任を否定する“矮小生”
既成事実への屈服
  過去の事案に賛成したか反対したかを明確に答えられなかった戦犯達
  自ら現実を作り出すのに寄与しながら現実が作り出されると今度は逆に
  周囲や大衆世論に寄りかかろうとする態度、曖昧なポーズを取ろうとする
日本最高権力の掌握者達は彼らの下僚のロボットであり、
その下僚はまた出先軍部やこれと結んだ右翼浪人やゴロツキにひきまわされ、
こうした匿名勢力の作った既成事実に喘ぎ喘ぎ追随して行かざるを得なかった
“抑圧委譲の原理”=日常生活における上位者からの抑圧を下位者に順次委譲していく事で
全体の精神的バランスが保持されているような体系
本当にデモクラチックな権力は公然と制度的に下から選出されているというプライドを持てる
しかし 専ら上からの権威で統治されている社会は
統治者が矮小化した場合にはむしろ兢々として部下の或いはその他被統治層の動向に神経を使い、
下位者の内の無法者或いは無責任な街頭人意向に実質的に引きずられる。
そしてヒエラルキーの最下位に位置する民衆の不満は委譲すべき場所がないから必然に外に向けられる
権限への逃避
権限が無かったと無責任を装う戦犯達
自己にとって不利な状況の時には何時でも法規で規定された厳密な職務権限に従って行動する専門官吏になりすます
この“からくり”に利用された統帥大権と編成大権の区別、
国務大臣の単独輔弼制度、国務・行政大臣重複制
絶対君主こそ官僚の優越せる専門知識に無力である
君主に直属する官僚の無責任体制を防御するには
カリスマの存在、強力な議会の存在  いずれかである
日本の“重臣”その他上層部の“自由主義者”達は天皇及び彼ら自身に政治的責任が帰する事を恐れて、
つとめて天皇の絶対主義的側面を抜き取り、
反対に軍部や右翼勢力は天皇の権威を“擁し”て自己の恣意を貫こうとして盛んに神権説を振り回した。
こうして天皇は一方で絶対君主としてのカリスマを喪失すると共に
他方立憲君主としての国民的親近性を希薄にしていった。
“御輿=権威”“役人=権力”“無法者=暴力”
最上位の“御輿”を直接擁して実権をふるうのは文武の役人であり、
彼らは“御輿”から下降する正当性を権力の基礎として無力な人民を支配するが、
他方無法者にはしっぽを掴まれ振り回される。
ただ無法者も本気で“権力への意志”を持つわけでもなく、
ただ無責任に暴れて世間を驚かせ快哉を叫べば満足する、
故に彼らの政治的情熱はたやすく待合い的享楽の中にとけ込んでしまう。
かくて“無責任体制”が形成されたのである
実に見事に戦前戦中のよってたかって創り上げられた無責任体制、腐敗した権力構造が分析されています。
追って 先生の主著”現代政治の思想と行動ー超国家主義の論理と心理他”を読み下しながら-------------------
丸山真男の思想史(8) 日本の思想(前)  岩波新書
今日は 1961年 巷間の紙価を高からしめた頭書の書を読んでみましょう。
まずは 読みやすい所から巻末に収められた二つの講演記録から入ります。
1. 思想のあり方について
あの有名な“ササラ型”と“タコツボ”型文化比較です。
ササラとは今の人には解らないかも知れないが、竹の先を細かくいくつかに割ったもの、手のひらのように元の所が共通していてそこから指先が分かれる、そう言う形です。
タコツボ型は文字通り孤立したタコツボが並列している状態です。
日本に西洋近代文明が導入されたのが明治の開国期、西欧歴史の長い共通の文化伝統としての根っこがが切り捨てられて非常に個別化した専門化した形態で近代の学問が入ってきたわけです。西欧の学問の根底にあって学問を支えている思想或いは文化から切り離され独立に分化し技術化された学問の枠の中にはじめから学者がすっぽりはまってしまったのです。その為に日本の近代社会構造が“タコツボ”型になりました。
文学者、社会科学者、自然科学者それぞれが一定の仲間集団を形成しそれぞれの仲間集団が一つ一つの“タコツボ”になった状態です。
仲間集団相互に共通の言葉、共通の判断基準が無く当然コミュニケーションが欠如する。
それぞれの集団は組織の内と外が峻別され偏見の塊“クローズド・ソサエティ”を形成する。しかもその事で各集団は一種少数者意識を持つ事になり、被害者としての強迫観念に駆られるようになる。保守勢力・進歩主義者・自由主義者・民主社会主義者・コミュニストそれぞれが精神の奥底に少数者意識、被害者意識を持つという非常にいびつで奇妙な状態になる訳です。戦前はまだ“天皇制”という結び目でそれぞれの“タコツボ”が結ばれていたが、戦後はそのタガもはずれてしまいました。
丸山先生の観点はただに組織の閉塞制を批判するのでなく、そのよってきたる所を“根っこにある思想性”の無さから捉えています。
詳しくは次週、頭書巻頭論文を読んで参ります。
さすが現代では学際的学問も盛んになり、大学も私ども昔人間には解らない学科が目白押しに成りました。官界・経済界でもかって無かった官庁やビジネスが生まれています。但しその現象も根っことなる“思想”を持たない社会では、逆に単なる高度専門化の現れかも知れません。だって横溢するセクショナリズムと保身のための組織擁護の精神は、いくら“改革”だなんだと言っても相も変わらず健在じゃありませんか。良い例が“規制緩和”“経済改革”の象徴であった“ホリエモン”の“理念”はただ“自分のライブドアを世界一大きな組織にする”に過ぎなかったのです。
2.「である」ことと「する」こと
思わぬ所から論が始まります。
法律言語に“時効”という規定が有ります。
この法律の根拠は“権利の上にねむる者”は保護に値しないと言う“法理”が有るそうです。“自由とか権利は置物のようにそこにあるのではなく現実の行使によってだけ守られる、
いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうる“
私のような不精者にとって甚だ耳の痛い言葉です。
一人一人の人間が能動的に働きかける事の重要性。
現実的な機能と効用を問う近代精神は「である」論理、価値から「する」論理、価値への重点移動に依って生まれました。
徳川時代のような儒教道徳社会では各人が“分”に甘んずる事、何をするかより何であるかが価値判断の基準でした。
一方人間関係が複雑に交錯・分業化の進み、組織の機能が重視される近代資本主義社会では人と人との関係は“役割関係”こそ重視されます。身分社会の崩壊です。
価値の判断基準は良い人、悪い人と言う基準に変わって良い行動、悪い行動になる。
「状態」の側面重視から運動や過程にアクセントが置かれるようになります。
機能する事でのみ結果を生み出す経済社会はもちろんの事、政治の社会に於いても市民は不断の政治参加に依ってのみ民主主義の果実を手にする事が出来ます。
しかし現実には伝統的な価値観、派閥とか情実が現代社会を汚染している事はご承知の通りです。
「である」行動様式と「する」行動様式の混在というか、いまだ「である」の論理が日本の資本主義、民主主義発展の桎梏になっています。
同時に丸山先生は現代社会に於ける場違いな効用と能率原理の恐るべき進展にも警鐘を鳴らしています。例えば機能一点バリの住生活、消費「する」事に追われる余暇、論文提出件数に追われる大学の先生。
「である」価値と「する」価値の倒錯―前者の否定しがたい意味をもつ部面に後者が蔓延し、後者によって批判されるべきところに前者が居座っている状況。
“現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのはラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつく事ではないか”
ここの所がちょっと複雑ですが、特に文化的側面で効率万能主義を諫め、「である」価値を再評価されておられるようにも見えます。
「である」価値基準に安住する事の愚は当然ですが、思想・理念とかの主体的な根っこの無い軽薄な「する」価値基準への批判です。この詳しい立論を先生は頭書第2論文“近代日本の思想と文学”というプロレタリア文学論争にからむ文明批評で明かされています。来週に譲ります。
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丸山真男の思想史(9) 日本の思想(後)  岩波新書
先週の続きです。
3. 日本の思想
丸山先生は有名な”歴史意識の古層”と言う論文で中心文化から遠過ぎもせず近過ぎもしない(併合もされず無縁でもない)日本文化の特性を”外来文化の圧倒的影響”と”日本的なものの執拗な残存”の二面性と捉えました。
外来の普遍文化を無制限に受容しながら、それを自分の背丈に合うように修正、日本化して取り込む型そのものに日本文化の”原型”を見ました。
「日本人の世界観の歴史的な変遷は、多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰返された外来の体系の日本化によって特徴づけられる」
ではその受容と修正とは、具体的にどのような形で行われるのか?その事が”開国”(特に明治維新に於ける西欧文化との接触)の形が問われ、西欧に習った積もりが暴走した日本帝国軍国主義の形態が問われる理由です。
”雑種文化”と言うより”雑居文化”。
次々らっきょの皮をむくように外来思想の影響を取り外す手順で分析した後に残る物は何か。
先生はそれが”執拗に持続する低音”と言われますが、何もなかったと仰っている風にも見えます。
つまり受容する形態そのものが日本文化の”個体性”であれば何も残らなくても当然かも知れません。
さて日本は外来文化をどのように受容していったのか、
論文”日本の思想”に入ります。
「仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なもの、あらゆる思想が相互に関連する事もなく
、占めるべき位置付けもなくただ漠然と雑居するのが日本思想の特徴である。新たなもの、本来異質的なものまでが
過去との十全な対決無しにつぎつぎ摂取されるから新たなものの勝利は驚くほどに早い、過去は過去として忘却され、時に突如としての「思い出」としての噴出する」
「異なったものを思想的に接合するロジックとしてしばしば流通したのは何々即何々あるいは何々一如と言う仏教哲学の俗流化した適用であった」
「明治の開国期に輸入された西欧思想も既存思想と対決する事もなく、その対決を通して伝統を自覚的に再生させる事もなく、ただ無秩序に新しい思想として埋積される事によって近代日本人の精神的雑居性をさらに甚だしくする事になる」
明治維新から大戦遂行にかけて座標軸の無い国民精神の統合のために導入されたのは日本近代天皇制による精神的”機軸”です。
「”国体”は雑居性の伝統自体を自らの実体としたがために、日本人の思想を実質的に整序する原理としてではなく
、否定的な同質化(異端の排除)作用の面だけ強力に働き、人格的主体(自由な認識主体、責任主体、秩序形成主体)の桎梏となる運命をはじめから内包していたのである」
そして敗戦による”開国”、思想界を覆う怒濤の如き左翼思想の氾濫、六〇年代全共闘の怒れる若者達、情報処理スピードとパフォーマンスのみを”カネ”で換算する狂乱の現代。
”しっかり”日本型に修正すると言っても、別にどって事無かったようです。
その場その時代で結果だけを”勢い”で受入れ、自分流に解釈するだけです。
あらゆる哲学・宗教・学問を相互に原理的に矛盾するもの迄「無限抱擁」する「寛容」
しかしその「寛容性」は逆に無原則なイデオロギー批判を形成します。
平たく言えば“理屈を言うな、俺に付いて来い”で済ましてしまう(無限包容)は盲目的追従を拒絶する人間に対す
る暴力的徹底的反撃(異端の排除)に反転します。無原則寛容の欺瞞性が暴かれます。無限責任ゆえの無責任の思考様式。
これは”開かれた社会”のようで逆に”閉じた社会”の裏返しです。
戦時軍国主義下の無思想、無責任な絶対権力による支配、そして戦後に繰り返された野卑で軽薄な”イデオロギー的迫害”は如何ほどに知性の人、丸山先生の心に耐え難い苦しみを与えた事でしょう。
4. 近代日本の思想と文学
近代の機能的合理性に基づく権限階層制(官僚的機構化)と家父長的共同体としての人間関係(いえ的同化)の並立。
その狭間の中で日本近代文学は「実感信仰」に陥ります。
一部の文学者はその文学的実感を日常的感覚の世界においてか、さもなければ絶対的自我が時空を越えて瞬間的にきらめく真実の光を「自由」な直感で掴むときだけに満足させる事になる。
一方マルクス主義者が陥ったのは「理論信仰」でした。
科学の党派性をあからさまにし、多様な歴史的事象の背後にあってこれを動かす基本的要因を追求しようとしたマルクス主義は日本的感性と根底的に対立しました。
およそ理論的なもの、概念的なもの、抽象的なものが日本的感性からうける抵抗と反発をマルクス主義者は一手に引き受ける事になります。
そうした状況の中で、「理論」か「実感」かの選択を迫る知的風土は一部マルクス主義者を理論ないし思想の物神化「理論信仰」の陥穽に追いやる事になりました。
この論文で先生は”プロレタリア文学論争”を評する事で政治―科学―文学の三角関係を語ります。
第一次大戦後の労働運動・社会運動の勃興期、マルクス主義が文学の世界に衝撃を与えます。
「近代西欧に於いてそれぞれの由緒来歴をもち様々な論理的組み合わせにおいて発展してきた思想的要素がただ一つの「科学的世界観」に凝縮されて芸術の世界に持ち込まれ、マルクス主義がその総合的象徴として機能したところに、日本プロレタリア文学史の、いなプロレタリア文学を始点として展開した昭和文学史の光栄と悲惨があった」
前項同様に日本文学界”開国”事情です。
文学に対する「論理的構造をもった思想」の切り込み。
「政治は、より正確にはプロレタリアアートの立場に立つ政治は科学の意識的適用である」
政治的なるもの=科学的なるものが「政治優位」を主張する。
政治に於ける非合理的要素の切り捨て、もしくは軽視が政治的なものと法則的なものとをイコールに置いた「政治優
位」の思考から生まれる帰結でした。
しかし プロ文学理論における政治的および科学的トータリズムは正しかったのか?
人間行動を組織化する政治過程において不可避的に非合理的契機が発生します。
理論はいかに具体的理論でも一般的・概括的性格を持つ故に理論と個別的状況との間にはつねにギャップがある。そこに政治的決断の契機がある。
青野李吉は「政治主義」もしくは「科学主義」的一元論と「文学主義」的一元論との間に立って“政治に於ける人間的なもの”“革命家の人間学”を文学の課題として追求する事を提唱しました。
さて今言った政治的決断としての「直感」と「賭け」
この要素を絶対化し自己目的化したのが政治至上主義を掲げる「ファシズム」です。
逆に政治行動から決断的要素を極力排除しようとするのが法治国家的官僚の「合理主義的」思考様式です。
「日本の正統的マルクス主義者はどちらかと言えば官僚制的合理主義に近いのではないかと思われる(徳川家産官僚制の儒教・朱子学の精神的遺産、理論リーダーが帝大卒エリートが多い事の影響か?)」
ここから「理論信仰」が生まれる事になりました。
「過度合理主義にとらわれた政治的トータリズムが思考を支配するところでは
日常政治はあたかも大政治の単純な縮小再生産として観念され、理論からはみ出る個別的決断の問題を意識化する事を軽視し、さらには日常的観察における例外的事態から仮説を作っていく科学的思考過程が脱落する傾向がある」
理性的、合法則的なものをどこまでも追求して行く根源の精神的エネルギーはかえってむしろ非合理的なものでする。科学と芸術をただ一方を普遍性・法則性・概念性として他方を個体性・非合理性・直感性において規定すべき
でない。科学創造における人間的空想の役割を見逃すべきでない。
この論文で丸山先生は”実感信仰”の虚妄性を批判しながら、かえす刀で”理論信仰”を批判、政治・科学における合理主義の限界に迫りました。
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丸山真男の思想史(10) 現代政治の思想と行動 未来社
丸山先生自身は“夜店”の屋台として メイン商品では無いことを断っておられましたが、世間では先生の著作の第一に挙げられる物です。
中でも巻頭論文“超国家主義の論文”超国家主義の論理と心理“は戦前・戦中の日本超国家主義の病理に鋭いメスを入れ、”日本が何故あのように馬鹿げた戦争を行ったか?“を問い、今日に至るもその新鮮な輝きを失っていません。
(超国家主義の理論と真理)
そもそも近代国家はナショナリズムを本質的属性とする。各国とも帝国主義的膨張主義で拮抗していた時代である。そのような環境下で何故日本の国家主義がウルトラ級と言われるのか?その由縁が欧米の国家主義と比較することで明らかにされる。
宗教改革、市民革命を経由した欧米の国家は“中性国家”で有る事に大きな特色がある。
欧米に於いて国家は“真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした選択と判断は専ら他の社会的集団(例えば教会)ないしは個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである”公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収される。
しかるに日本の国家は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。
例えば“教育勅語”で日本国家が倫理的実体としての価値内容の独占的決定者たることを宣言するのである。国家が“国体”において真善美の内容的価値を占有、全てが“国家”に寄りかかる。
“国家のため”の学問・芸術・国民。
ここでは私的なものが私的なものとして承認される事はない。私的なものは悪か悪に近い何か後ろめたい物になった。
ここまでは周知の事実かも知れない。さて そこから素晴らしい驚くべき論理展開がなされる。
“私事の倫理性が自らの内部に存せずして国家的なるものとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に進入する結果になる”
“国家神話”が殆ど崩壊しかかっているかに見える?現代、解りやすい例で“会社”を取ってみよう。
“会社のため、株主のため”と声高に喧伝する者に限って、自らの私利私欲の為に、その情報独占の立場を利用する事が多いこと、村上世彰氏を持ち出すまでもないだろう。“国家”や“会社”と言う理念の曖昧さがつけ込まれるのだ。但しこれは単に私の慨嘆である。
“国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内在的正当性の規準を自らのうちに持っており、従って国家の対内及び対外活動はなんら国家を越えた一つの道義的規準には服しない“
“それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる背信的行動も許容されるのである”
“真善美”の価値体系は天皇を長とする権威のヒエラルキーが決定する、法はヒエラルキーに於ける具体的支配の手段となる。
支配層の日常的モラルを規定するのは抽象的法意識でも内面的罪の意識でも民衆の公僕観念でもない。天皇への感覚的親近感のみとなる。結果自己の利益を天皇の利益と同一化、自己の反対者は直ちに天皇に対する侵害者と見なされる。支配者は天皇の御名を唱える事で自らの行動を全面的に正当化する事が出来るのである。“統帥権”、王に直属し王の名を取れば全てが許される。
誰が天皇に近いか、各分野がそれぞれ究極的権威(天皇)への直結によって価値付けられる結果、活動的・侵略的なまでに自己を究極的実体に合一化しようとする衝動から生ずるセクショナリズム。
究極的権威への親近性による得々たる優越意識と、権威の精神的重みをひしひしと感る臣下としての小心さ。そこには“独裁”観念すら生ずる隙間がない、独裁のもつ個人的責任の自覚は生じない。
独裁観念にかわって、上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に委譲して行くことによって全体のバランスを維持する“抑圧の委譲による精神的均衡の保持”
絶対的権威である天皇すら無限の古にさかのぼる伝統の権威を背後に負うことで、その責任を免れる。
全てが王の御名を唱え国家に寄りかかる事で自らの急進的行動を正当化する無責任の体系。
“「天壌無窮」が価値の妥当範囲の絶えざる拡大を保障し、逆に「皇国武徳」の拡大が中心価値の絶対性を強める循環過程”
(日本ファシズムの思想と運動)
準備期  第1次世界大戦の終わった頃から満州事変頃に至る時期“民間における右翼運動の時代”
     反共・反資本主義的民間右翼団体“猶存社”“建国会”“経綸学盟”“大化会”
     血盟団事件・三月事件
成熟期  満州事変頃(昭和6年)から二.二六事件(昭和11年)に至る時期
“急進ファシズム全盛期”
軍部特に青年将校と結びついた“下からの運動”
又 無産政党内部や在郷軍人や官僚を中心とする政治勢力も結成された
完成期  二.二六事件以後粛軍の時代から終戦まで“日本ファシズム完成期”
     二.二六事件を契機に“下からの運動”に終止符
官僚・重臣等半封建勢力と独占資本及びブルジョア政党間が不安ながらも連合支配体制
イデオロギー的特質
@ 家族主義的傾向
   家長として国民の“総本家”としての皇室とその“赤子”によって構成された家族国家
A 農本主義的思想
   プロレトリアート軽視
B 大亜細亜主義に基づくアジア諸民族の解放
  
運動形態の特質
@ 軍部及び官僚という既存の国家機構内部に於ける政治力を主たる推進力
大衆組織運動として発展せず少数者の“志士”の運動
A 少数者の観念的理想主義の運動として展開されたため
   空想性・観念性・非計画性
B 破壊主義“我々は破壊すればよい、あとは何とかなる”
社会的担い手における特質
   ファシズムは一般的に小ブルジョア層を地盤とするが
   中間層の2つの類型
    @小工場主・商店店主・小地主・小学校教員・下級官吏など“親方”“主人”層
    A都市サラリーマン・文化人・自由知識職業者・学生などの知識人
   に分けるなら
@ の疑似インテリ層である地方の小宇宙主人公を基盤とし
A の知識人層は文化的に孤立していた
(このインテリゲンチャへの過大な期待と絶望は丸山先生が煙たがられた所かも知れない)
歴史的発展の特異性
大衆的組織をもったファシズム運動が外から国家機構を占領するようなことはなく
下からの急進ファッショ運動のけいれん的激発を契機としその度毎に
軍部・官僚・政党など既存の政治力が国家機構の内部から
上からのファッショ体制を促進・成熟させていった
下からのファシズム運動は上からのファッショ化に吸収される
“皇道派”の急進的運動を契機に
“統制派”はもっと合理的に天皇を利用しながら自分のプランを上から実現した
かくて二・二六事件での急進ファシズム弾圧後
本来的に国民的基盤を持たない官僚
自らは革新の推進力と称しながら決して政治的責任を引き受けない軍部
ファッショ勢力と一戦を試みる闘志を失った政党
三者が挙国一致の名の下に鼎立競合する
更に 財界と軍部・官僚の利害が接近し独占資本と軍部の抱合体制が完成していく
日本のファシズムは“下からの運動”として成立せず国民的基盤を持ち得なかったのは何故か?
 ブルジョア民主主義の欠如していたが為
“近代的人間類型”からほど遠い封建的浪人あるいはヤクザの親分的人間が右翼運動を起こす事になり、明治時代の絶対主義的=寡頭的体制がそのままファシズム体制に移行したのである。
(軍国支配者の精神形態)
ナチ指導者と日本戦犯の比較
ナチ指導者に比べ日本戦犯に無法者や精神異常者は少なく
最高学府・出世街道を経て日本の最高地位を占めた顕官が殆どである。
先に述べた如く“無法者”タイプも日本ファシズムに重要な役割を果たしたが
彼らは権力的に就かず権力者に癒着していたところに特色がある
日本戦犯はこれら“無法者”に感染し引き回された哀れなロボットであったと言えよう
自己の行動の意味と結果をどこまでも自覚しつつ行動するナチ指導者と
自己の現実の行動が絶えず主観的意図を裏切っていく我が軍国指導者
一方はヨリ強い精神であり一方はヨリ弱い精神である
弱い精神が強い精神に感染する
弱い精神には無計画性と指導力の欠如が随伴する
ナチ戦犯裁判に見る“ヨーロッパの伝統的精神に自覚的に挑戦するニヒリストの明快さ、悪に敢えて居座ろうとする無法者の啖呵”
対し東京裁判被告の答弁はうなぎのようにぬらくらし霞のように曖昧である
そして見よ、被告を含めた支配層一般の戦争に対する主体的責任意識の稀薄。
日本ファシズムの矮小性
@ 既成事実への屈服・権限への逃避
現実はつねに未来への主体的形成としてでなく過去から流れてきた盲目的必然性として捉えられる。
“無法者”の陰謀が次々とヒエラルキーの上級者によって既成事実として追認され最高国策にまで上昇する。
そしてもっともらしく責任が回避される“それでは部内が収まらない”“それでは英霊が収まらない”
“もっぱら上からの権威によって統治されている社会では、統治者が矮小化した場合、むしろ兢々として部下のあるいはその他被治者の動向に神経をつかい、下位者のうちの無法者あるいは無責任な街頭人意向に実質的に引きずられる結果となる”
上からの絶対的権威によって支えられた社会こそ“下克上”(無責任な力の非合理的爆発)を呼び起こし易いプロセスが解明されています。
更に“抑圧委譲の原理”によって ヒエラルキー最下位に位置する民衆の不満のはけ口が排外主義と戦争待望気分に注ぎ込まれる。支配層が不満の逆流を防止するため、そうした傾向を煽るのである、そしていよいよ危機的段階に於いて支配層は、逆にそうした無責任な“世論”に屈従して政策決定の自主性を失うのである。無責任・無計画・無指導性の循環が完結する。
A “訴追されている事項は官制上の形式的権限の範囲に属さない”と言う責任回避
東京裁判で述べられた責任回避の理屈である。
被告の大部分は帝国官吏であった。M・ウェーバーの“官僚精神”が遺憾なく発揮される。
彼らの仕事は政治的事務なるが故政治に容喙しうるのであり、政治的事務なるが故政治的責任を解除されたのである。自己にとって不利な状況のときには何時でも法規で規定された厳密な職務権限に従って行動する専門官吏を装うことが可能なのである。
天皇の権威を“擁し”て自己の恣意を貫こうとした軍部・右翼勢力はただひたすらに天皇の“神権”を実現すべく“地位”に定められた事務を実行したと言う、しかしカリスマ性を自ら抑圧した立憲君主たる天皇は“聖断”を実行して自ら責任を取ることを避ける。かくて人格のない無責任な匿名の力だけが乱舞する。
日本ファシズム支配の“無責任の体系”
神輿=権威
役人=権力
無法者=暴力
神輿は単なるロボットであり“無為にして化する”
役人は神輿を直接擁する正当性を権力基礎として人民を支配するが、最下位にある無法者に尻尾を掴まれ引き回される。
一方無法者には“権力への意志”はなく無責任に暴れて世間を驚かせ快哉を叫ぶのみである。
3つの類型は固定的ではなく一人の人間がこれらの類型を混在させる事もある。
しかし無法者がより役人的、神輿的に変容することで上位に昇進する事があっても、無法者が無法者としてそのままに国家権力を掌握することはなかった。
http://ww2.tiki.ne.jp/~h-hidaka/
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ジョン・グレイ
グローバリズムという妄想
日本経済新聞社 1999
ISBN:4532147565
John Gray
False Dawn 1998
[訳]石塚雅彦

装幀:神田昇和
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グローバル資本主義は
普遍的文明を広げる啓蒙主義である。
それは、合意と契約をふやして国を弱らせ、
企業をコンプライアンスで縛り、
さらには各国の文化を蹂躙しながら、
雇用を不安定にして、労働力を低下させ、
誰もかもを見えないリスクで
不断に脅かしていくことになる。
なぜ、世界はこんなものに騙されたのか。
諸君はアングロサクソンとアメリカの歴史的準備を
あまりに甘く見すぎてきたのだ。

 ジョン・グレイについては書きたいことも、言いたいこともいろいろある。とくにその『自由主義論』『自由主義の二つの顔』(ミネルヴァ書房)については議論すべきことが少なくない。なかでも「暫定協定」論はそこそこ雄弁で、かつ難問をひそませた提案だった。また、最新著作の『わらの犬』(みずず書房)や『アル・カーイダと西欧』(阪急コミュニケーションズ)は、この政治思想家の新たな才能をきらめかせて、ちょっとどきどきさせた。

 が、今宵は10年前に話題を攫った『グローバリズムという妄想』だ。いまさらと思うかもしれないが、そうではない。

 世界の現状に挑んだ書物というものは、10年や20年をへて、その本格的な意義を光らせるものなのだ。ストレンジの『マッド・マネー』(1352夜)、ソロスの『グローバル資本主義の危機』(1332夜)、トッドの『経済幻想』(1355夜)、ハーヴェイの『新自由主義』(1356夜)もそのつもりで採り上げた。アマルティア・センの『合理的な愚か者』(1344夜)など20年前の本だった。しかし、いずれも新しい。
 本書が刊行早々に話題になったことは省く。30カ国以上で翻訳されただろう。このあと、ジョセフ・スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(2002)などが矢継ぎばやに出て、それぞれ話題になったけれど、多くの論点はだいたいはジョン・グレイが先行していた。
 原題はちょっと洒落ていて、“False Dawn”という。『まがいものの夜明け』とか『擬似黎明紀』といったところだ。何が偽りの夜明けかといえば、副題に「グローバル資本主義の幻想」とあるように、グローバリズムやグローバル資本主義や民主的資本主義が偽りの夜明けなのである。
 中身は、ここまで断定していいのか、それってちゃんとした裏付けがあるのか、ロジックが単純すぎやしまいかというほど、明快だ。
 だからぼくもごくごく端的に編集要約していこうと思う。グレイは次のように断罪していったのだ。とりあえず10項目にしてみた。今夜はその紹介をして終る。それがグレイっぽいだろうから。

 (1)グローバル自由市場は普遍的文明を強要する啓蒙思想である。その強要はコミュニズムやファシズムに匹敵する。民主的資本主義とか自由資本主義の名を借りてはいるが、その正体は単一的普遍主義なのだ。
 それゆえ、その作用は国家を弱体化させ、社会をばらばらにする。とくに伝統的な社会制度と慣習をひどく弱体化させる。そして、そのかわりに「新たな不平等」か、もしくは「新たな自由放任」(ネオ・レッセフェール)を助長する。IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)、OECD(経済協力解発機構)はそのための機関だった。

 (2)グローバル資本主義はたしかに理性的ではあるが、決して自己制御的ではない。投機的であり、内在的な不安定をつねにかかえる。自由市場主義を方針とした各国政府がかかげた目標は、その多くが失敗した。これからも失敗するだろう。
 だから、グローバル資本主義が「小さな政府」と「規制緩和」と「民営化」を促進したからといって、自由主義だとか新自由主義だとかの「自由」を標榜する権利はない。もしもリベラルな国際経済秩序というものがあるとしたら、そんなものは1914年の開放経済までのことか、もしくは1930年代に非業の死を遂げたのだ。

 (3)そもそもグローバル資本主義の基礎は、ピューリタン革命からヴィクトリア朝初期までの「囲い込み」(エンクロージャ)が用意した。「囲い込み」がイギリスを農村社会から市場社会に変えた。それが自由市場主義に向かったのは、穀物法の廃止と救貧法の改正以降のことである。
 サッチャーが実施したことを見れば、イギリスのグローバル資本主義がこの路線の上にあることは明白だ。労働組合の削減、公団住宅の奪取、直接税の減少、大企業の民営化は、市場にエンクロージャの機能を明け渡しただけのことなのだ。政府がそれによって得た名誉があるとしたら、言葉だけのネオリベラリズムの称号ばかりだった。

 (4)グローバル資本主義の生みの親は、どう見てもアングロサクソンによるものだ。アングロサクソンは「合意」のための「契約」が大好きな民族だから、その合意と契約による経済的戦略を非アングロサクソン型の国々に認めさせるためには、どんな会議や折衝も辞さない。その象徴的な例が、たとえば1985年のプラザ合意だった。
 こういう合意と契約が、各国に押しつけがましい構造改革を迫るのは当然である。ニュージーランドやメキシコや日本が、いっときではあれそのシナリオに屈服しようとしたのは、不幸というしかない。もっとも、それほどにグローバリズムが“最後の勝利の方法”に見える幻想に包まれていたのである。

 (5)グローバル資本主義はアメリカとドル金融機関が促進したけれど、世界に広まったものは必ずしもアメリカのコピーとはかぎらない。むしろその変態と変種がはびこった。それゆえ、グローバリズムの実態は国際的な混乱をよびさます。ところが、アメリカにとっては、アメリカ以外のグローバリズムは変態と変種の巣窟なのだから、これはアメリカが文句をつけるにはとても都合のいいことなのだ。
 アメリカが優秀だとしたら、そしてアメリカが狡猾だとしたら、それはアメリカがグローバリズムのためのコストを世界に分担させる秘訣を知っているということにある。あげくのこと、アメリカの自由市場はリベラリズムを非合法化してしまった。

 (6)グローバル自由市場は多元主義の世界や国家とは合致するはずがない。どうしてもグローバリズムを無批判に受容したいというなら、国民国家(ネーション・ステート)の内実を実質的に無意味にしてしまう覚悟をもつべきだ。そのうえで企業は無国籍や多国籍になればいい。
 しかしそうなるのなら、国民国家はすべてのオプションが不確定であることを知ったうえで行動したほうがいい。国家こそがリスクにさらされているのだから。むろんアメリカも損をしている。その最も顕著なことは、アメリカにおける家族の紐帯が失われていっていることにあらわれている。もはやアメリカの夢見る家族たちは、ハリウッドとディズニーランドとホームドラマにしか出てこない。

 (7)グローバル自由市場こそが各国の生活を繁栄させたと感じているのなら、それはまちがいだ。企業の外部契約による労働力供給に頼って、雇用の不安定がどんどん増していくことは、むしろブルジョワ的生活がどんどん不安定になっていくことだと認識すべきなのである。
 つまりは、「グローバリズム」と「文化」とは正確な意味で対立物なのである。とくにウェブなどのコミュニケーション・メディアに乗った情報グローバリズムは、その国の地域文化を破壊し、その痕跡と断片だけをグローバリズムがあたかも拾い集めたかのようにふるまうことによって、各国の国民を自国文化から対外文化のほうへ目を逸らさせる。

 (8)グローバル経済は、人間の深い確信を希薄にし、組織に対して不断の疑いをもたせる。
 そのため、都市や社会やメディアがグローバルな装いをとればとるほど、各人の心の蟠りは鬱積し、各組織はコンプライアンスに縛られ、衣食住の管理問題ばかりが日々の生活を覆っていく。これは資本が自由に世界を流通するのに逆比例しておこる。

 (9)グローバル自由市場は、減少しつづける天然資源をめぐる地政学的な争いのなかに主権国家を対立させる。
 たとえば環境コストを想定してみると、当該国家や当該企業がその環境コストに敏感になろうとすればするほど、その国家や企業の地政学的・経済地理学的不利が「内部化」されてふりかかってくることになる。これに対してグローバリズムの指導者のほうは内部コストを「外部化」しうる。こんな不公正な話はないはずだ。

 (10)グローバル資本主義が新自由主義や新保守主義と結びついたことは、自由や平等や正義の議論を最大限にあやふやなものにさせた。思想や理論、科学や数学さえ、グローバリズムの災いにまみれたのだ。
 とくにフランシス・フクヤマやサミュエル・ハンチントンにおいては、歴史観についての錯覚すらおこることになった。

 以上、ぼくが要約するに、ジョン・グレイが一番言いたかったことは、「歴史と社会は市場の要求に仕える必要はない」ということにある。
 まったくその通りだ。市場原理を歴史や社会が思想や哲学にする謂れなど、ないはずなのだ。まして「自由」の本質に結びつける必要など、あるはずがない。ただし、グレイの論拠や論証がこのことを主張するに十分なものだったかといえば、そうではなかった。
 もっとも、そういう思想的な格闘については、グレイはすでに本書の前の著作の『ハイエクの自由論』(行人社)、『自由主義』(昭和堂)、『自由主義論』(ミネルヴァ書房)などで試みていたし、また本書のあとの『自由主義の二つの顔』(ミネルヴァ書房)においてもそのあたりの議論を試みているので、本書ではあくまでグローバリズム批判のための集約的メッセージを叩きつければいいということだったのだろう。
 本書にはまた、上の10項目に入れなかったけれど、ロシア地域やアジア地域におけるグローバリズムの受容の関係についても触れている。ロシアが資本主義を導入していけばきっとアナルコ・キャピタリズムが蔓延するだろうという予測はいまひとつ説得力がなかったが、日本についてはそこそこおもしろかった。二つだけとりあげておく。
 ひとつには、グレイは日本が幕末維新で開国したことをもったいながっていて、江戸社会こそは「ゼロ成長経済が繁栄と文化生活を完全に両立させた希有な例」だとみなしたのである。なるほど、ゼロ成長モデルがこんなところにあったかと思わせた。もうひとつは、日本には輸出不可能なものがあり、そこにこそ日本の文化的持続性があるのだから、やたらに文化の海外進出など考えないほうがいいというものだ。これはちょっとばかり痛し痒しという指摘だろうか。いやいや、そうでもない。諸君、『日本という方法』(NHKブックス)と『日本力』(パルコ出版)を読みましょう。

【参考情報】
(1)ジョン・グレイは1948年生まれの政治哲学者。オックスフォード大学出身で、エセックス大学、オックスフォード、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で教鞭をとり、主にヨーロッパ思想を講義してきた。
 その政治哲学の主要テーマはもっぱら自由主義の検証である。『自由主義』(昭和堂)や『自由主義論』(ミネルヴァ書房)では、スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサー、カール・ポパー、フリードリヒ・ハイエク(1337夜)、アイザイア・バーリン、ジョン・ロールズ、ロバート・ノージック(449夜)、アラスデア・マッキンタイア、マイケル・オークショットなどがつねに論じられている。ぼくが読んだ感じではポパーの漸進的社会工学と、バーリンの「二つの自由」論(「〜への自由」としての積極的自由と「〜からの自由」としての消極的自由)には、比較的好感をもっているようだ。
 が、グレイが最も依拠しているのはマイケル・オークショットである。オークショットは合理主義が多くの分野、とりわけ政治分野で破壊的な悪影響をもたらしたとみた政治哲学者だが、グレイもまたその視点からロールズの自由論に内在する市場社会主義を批判し、オークショットの提案する「公民的結社」の考え方や「暫定協定」への道を評価し、これを律義に詰めていった。自由主義を論じてその限界を自由主義の内部から切り崩していくというのが、グレイの政治哲学なのだ。
(2)「暫定協定」(Modus Vivendi)について一言。この政治行為的な概念はホッブス(944夜)の契約論を思いきって発展させたもので、途中にロールズの「重畳的合意」やオークショットの「公民的結社」が挟まれ、乗りこえられて、独特の選択に達した社会的価値観を言いあらわしている。
 今日の社会はどんな国であれ、多かれ少なかれ「価値の多様性」が前提になっている。しかし、これを文化相対主義や価値多元主義と捉えたり、「諸価値の衝突をやわらげる」というふうに捉えていては、多くの議論が理想や普遍を求めた自由主義議論に舞い戻っていく。グレイはそこをむしろ「諸価値の衝突を尊重する生の諸様式を共存に至らせる」ために、あえて暫定協定に積極的にとりくんでいくことこそが重要だと見たわけである。これがグレイが行きついた最新の政治哲学としての暫定協定的多元主義だった。『自由主義の二つの顔』の最終章に詳しい。
(3)グレイの『アル・カーイダと西欧』(阪急コミュニケーションズ)は、なかなか興味深い。アル・カーイダの活動はきわめてグローバルであり、かつグローバル資本主義諸国の弱点を知り抜いている。その組織はヒエラルキーではなくて、電子的な情報ネットワークと古来の秘密結社を組み合わせたもののようになっている。しかも驚くべき再生能力をもっている。なぜこんなふうになれるのか。
 グレイは、アル・カーイダは西欧社会の敵対部から生まれたものではなく、西欧社会が生み出したものであるからだと見た。ということはアメリカとアル・カーイダは同じ母親が生み落した双頭の鷲なのである。この見方を説明するためにグレイが持ち出したのは、サン・シモンとオーギュスト・コントである。二人の病的な人生がもたらした空想性と実証性こそ、アル・カーイダのアメリカ性と反アメリカ性を裏付けるというのだ。見逃せない一冊だ。
 もう一冊、グレイのものではないが、グレイがときどき気にしているアラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』(みすず書房)も見逃せない。時間があればページをめくってみられるといい。
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