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...

(参考) 日本 NHK‘韓日強制併合’掘り下げたが…

伊藤=平和主義者,安重根=理想主義者’   右派 顔色伺い…歴史認識 転換できず

日本の植民地支配の受動性を印象づけ、主権蹂躙の実態をはぐらかした

NHKスペシャル~「韓国併合への道」を視て(1)(2) 醍醐聰のブログ

安重根 4月18日、NHKスペシャルでシリーズ「日本と朝鮮半島」の第1回として「韓国併合への道」が放送された。
伊藤博文と彼を射殺したアン・ジュングン(安重根)の軌跡を辿りながら、1910年の韓国併合に至る歴史をロシア、アメリカ、英国など当時の国際列強の動きと絡めながら明らかにするというのが番組制作者のねらいだった。しかし、番組を視終えた私の感想は、日本による朝鮮の植民地支配の受動性を印象づけ、核心的な史実である主権蹂躙の実態がはぐらかされたということだった。
 私がいう受動性の印象づけは次の2面からなされた。一つは朝鮮のそれなりの「自治」を認めようとした伊藤博文の融和的統治方針を朝鮮民衆が聞き入れず、過激なナショナリズムに走ったため、伊藤や日本政府は「併合」という手段を選ぶほかなかったというストーリーの仕立て方がされたという点である。
 受動性を印象づけたもう一つの手法は、朝鮮を属邦にしようとする清の野望とロシアのアジア進出の脅威を随所で際立たせることによって、日本が朝鮮の占領支配とその継続を余儀なくされたかのようなストーリーの仕立て方である。以下、これら2つのストーリーの真偽を検討していきたい。

1.日清戦争は日本が朝鮮の独立保持のために起こした戦争だったのか? 
 番組は冒頭で、1894年7月、日本は朝鮮王宮を武力で制圧した後、清に宣戦布告をしたというナレーションをさらりと流した。そして、こうした日本の行動は、日本が東洋の平和をめざしていたにもかかわらず、清は朝鮮を属邦にしようとする野望を持っていた、朝鮮を自主の国とするためにはこうした野望を持つ清の影響を断ち切る必要があったからだと解説した。さらに、番組は三国干渉で半島の返還を要求したロシアや中国進出を伺う西洋列強の動きも伝え、「日本と朝鮮王朝は否応なくこうした動きと向き合わなければならなかった」と解説した。これでは日本が朝鮮の後見人として列強の進出から同国の独立を守るために戦ったかのような歴史像を視聴者に植え付けることになる。
 番組がこのような印象づけをしたトリックの種は日本軍による王宮占領事件がなぜ起こったのか、それと清に対する開戦はどのようにつながったのかに一切触れず、ブラックボックスにした点にある。この日本兵による朝鮮王宮占領事件については、福島県立図書館所蔵の「佐藤文庫」に含まれている旧日本陸軍参謀本部筆の『日清戦史』草稿を解析した中塚明氏による詳細な研究成果が公表されている(中塚明『歴史の偽造をただす~戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」~』(1997年、高文研)。この草稿の中に1894(明治27)年7月20日付けで本野一郎参事官が第5師団混成旅団大島義昌少将に提出した次のような申し入れ文書が収録されている。

景福宮  「ちかごろ朝鮮政府はとみに強硬に傾き、我が撤兵を要求し来たれり。因って我が一切の要求を拒否したるものとみなし断然の措置に出でんがため、本日該政府に向かって清兵を撤回せしむべしとの要求を提出し、その回答を22日と限れり。もし期限に至り確乎たる回答を得ざれば、まず歩兵一個大隊を京城に入れて、これを威嚇し、なお我が意を満足せしむるに足らざれば、旅団を進めて王宮を囲まれたし。然る上は大院君〔李是応〕を推して入闕せしめ彼を政府の首領となし、よってもって牙山清兵の撃攘を我に嘱託せしむるを得べし、因って旅団の出発はしばらく猶予ありたし。」
                              クリックで拡大↑
 現実はこの申し入れ通りに進行したのであるが、要するに日本は朝鮮政府に対し、期限を切って清の撤兵を要求させる、それが聞き入れられない時は京城に歩兵一個大隊を進軍させて威嚇し、なおも朝鮮政府から満足のいく回答を得られない場合は旅団に王宮を占領させ、高宗皇帝を斥けて国王の実父である大院君を王位に就かせて、清軍を朝鮮から掃討することを日本軍に委嘱させるという作戦なのである。この提案を受けた大島旅団長は、「開戦の名義の作為もまた軽んずべからず」と言って同意した。
 この作戦にそって、1894(明治27)年7月23日、午前零時30分、大鳥公使から「計画通り実行せよ」の電報が届くや景福王宮に向けた混成旅団の威嚇行進が始まり、迎秋門を破壊した兵隊が次々と王宮の奥へと進み、雍和門内威和堂に在室した国王を発見、山口大隊長は彼の目の前で剣を振りかざして威嚇したのである。他方、この日午前11時に、日本軍は大院君をその邸宅から連れ出して王宮に入城させた。
 こうして、いわばクーデターにより高宗皇帝を退かせ、筋書き通りに傀儡の大院君を即位させた日本は新内閣に、牙山に駐留した清国軍を駆逐する任を日本に委託する文書を7月25日付けで出させ、清軍艦隊に対する攻撃を開始したのである。(以上、中塚明『歴史の偽造をただす~戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」~』1997年、高文研、37~68ページ参照)

安重根 以上のような事実経過に照らすと、日本は清の進出から朝鮮の独立を守るために清との開戦を余儀なくされたのではなく、―――朝鮮を属領としようとした清の動向は事実としてもーーそれとは逆に、朝鮮における自らの権益の確保・拡充のために武力を背景に王宮を占領し、国王を拉致・威嚇して政権を転覆させ、自らが発足させた傀儡政権からの「要請」に応じるという形で清との戦争に突入したことがわかる。この意味で、日清戦争は日本が清の進攻から朝鮮の独立と東洋の平和のために「余儀なくされた受け身の戦争」であったかのように描いたNHKスペシャルは史実を著しく捻じ曲げて伝え、歴史のねつ造を拡散させたといっても過言ではない。

2.治政者の主観に寄り添い、歴史の本質をはぐらかした伊藤博文評価
 日本の歴史学界には、朝鮮・中国の直轄植民地化、武断政治を唱えた山県有朋、寺内正毅、長谷川好道らと対比する形で伊藤博文を国際協調派・朝鮮の部分的自治を容認しようとした融和派と捉える見解がある。今回のNHKスペシャルはこうした見解を取り入れる形で、伊藤は当初は韓国「併合」とは別に朝鮮に「責任内閣」制を導入し、同国にも一定の行政権・立法権を認める「自治植民地」構想も考えていたという点に焦点を当てた。しかし、韓国民衆はこうした伊藤の構想を信用せず、民族自立のナショナリズムを先鋭化させ、経済面でも日本からの自立を図ろうと国債報償運動(タバコや酒を断ち、指輪やかんざしなどを拠出して、日本からの借款を国民の募金で返済しようとする運動)まで興した。伊藤はこれに不快感を抱き、高宗皇帝が第2次日韓協約の無効を訴える密使をハーグに送ったことが発覚したこともあって、「自治植民地」構想をあきらめ、「韓国併合」の道を選んだというのが番組の大まかなストーリーだった。

こうした筋書きだと、伊藤博文は韓国に一定の自治を認める融和的植民地統治を進めようとしたにもかかわらず、韓国民衆の過激なナショナリズムに直面して行き詰まり、やむなく「併合」の道を選んだかのような印象づけになる。しかし、史実はどうだったのか? 
 伊藤博文は日清戦争の開戦当時、出兵のタイミング、大義名分、規模をめぐって即時派兵を唱えた外務大臣・陸奥宗光や参謀次長・川上操六らと一線を画していたことは確かである。第2次日韓協約締結(1905年)後の韓国統治のあり方をめぐっても、軍事的威圧を行う必要上、武官統監論を唱えた韓国駐箚軍司令官・長谷川好道大将や山県有朋らの主張に対してシビリアンコントロールを説いたのは伊藤だった。
歴史の偽造を糺す しかし、日本が日清戦争開戦の口実を作るために起こした王宮占領の狡猾な計画を知らされた伊藤はそれを「最妙だ」とみなして同調する手紙を陸奥外相に送っている(中塚明『歴史の偽造をただす~戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』1997年、高文研、42ページ)。
 日露戦争また、日露戦争開戦時に伊藤は積極的に非戦を説いたわけではない。伊藤は、韓国への2個師団の出兵を主張する枢密顧問官・山県有朋と時期尚早論を説いた山本権兵衛、大山巌らの間に入って人員数を混成一旅団くらいに減らして派生する折衷案を持ち出したに過ぎない。韓国を「保護」する名目で日本軍を派生するという山県の考えを伊藤も諒としていた(以上、平塚柾緒『図説 日露戦争』1999年、河出書房新社、22~24ページ)。

3.第2次日韓協約の承認を強要した伊藤博文
 伊藤の強権的朝鮮支配の姿が露見したのは1905年に彼が日本側特派大使として韓国に出向き、第二次日韓協約書の調印をめぐる交渉の場面だった。この年の10月17日、王宮に韓国大臣を呼び集めて開かれた御前会議は調印に向けた日韓最後の交渉の場となったが、王宮内には日本憲兵や領事館警察官、韓国政府に傭聘された日本人巡査が配置され、戒厳体制を敷かれた。

その御前会議において、伊藤は調印にあくまで抵抗する韓圭萵参政を別室に連れ出させ、自ら各大臣に協約案に対する賛否を質し、賛否を明言しなかった大臣を含め5名の賛成があったとして多数決で可決されたものとみなし、協約の成立を宣言した。この報が伝わるや韓国内では抗議の声で騒然となり、高宗皇帝は、①強制された調印は無効、②皇帝の承認の欠如を理由に挙げてハーグに密使を送り、条約の無効を訴えた。また、協約案に賛成した5人の大臣は以来、韓国民衆の間で民族の主権を日本に売り渡した「乙巳五賊」と罵倒された。こうした中、皇帝の侍従武官長・閔泳煥(日本兵に虐殺された王妃閔妃の甥)は抗議の自決をした。
 NHKスペシャルはこの第二次日韓協約の調印に至る伊藤の強権的手法をかなり詳細に伝えていた。私がこの番組の中で評価できると思ったのはこの場面だが、一国の外交権をその国の意思に背いて日本側に「委任」させた協約が相手国の主権を根こそぎ奪うものであったという認識は番組から伝わってこなかった。

4.伊藤博文の「自治植民地」構想の実相
 次に、初代統監に就任した伊藤の朝鮮内政改革はどう評価されるのか?伊藤は在任中、ほぼ毎週のように韓国大臣と施政改善協議会を開いたが、この「協議会は伊藤が指導する閣議であり、行財政・司法・諸産業育成・教育など内政万般にわたる問題が伊藤提案をもとに審議決定された。第2次日韓協約に賛成し、そのまま大臣に留めおかれ、増俸と身辺警護で傀儡化した彼らの統監に向き合う気持ちは、近代への憧憬(あこがれ)韓国併合と嫌悪と恐怖が混ざり合っていた。伊藤に対し反対する自由はない」(海野福寿『伊藤博文と韓国併合』2004年、青木書店、78ページ)のは当然だった。しかし、皇帝は第2次日韓協約で委任したのは外交権だけで内政にまで介入するのは不当であるという不満を募らせた。そこで、伊藤は韓国に対して助言をなすことを定めたにすぎない第2次日韓協約では事足りないとみなし、韓国に対して助言ではなく、直接指導・命令ができる根拠法規として第3次日韓協約へと進んだのである(以上、(伊藤、同上書、78~83ページ)。
 このようにみてくると、伊藤が構想した「自治植民地」論は韓国の主権の根幹を侵害する点において直接統治論と同根であり、彼がいう一定の「自治」は自分の統治に従順に応える韓国政府や民衆に対する上からの施し、あるいは植民地統治をより狡猾に行うための外装に過ぎなかったのである。

 番組に登場した某大学教員は伊藤の「自治植民地」構想が行き詰った理由を、韓国のナショナリズムが予想以上に強かったためと解説していた。伊藤の主観と客観のギャップを評論する言葉としては大過ないであろう。しかし、歴史学者としての役割からすれば、番組のストーリーに忠実に伊藤の主観をなぞるのではなく、内政・外交全般にわたって主権を根こそぎ奪われた国の民衆の側の意識にも視線を向け、日本における朝鮮の植民地統治の歴史的意味、その負の遺産を客観的に評価する発言が求められたはずである。

NHKスペシャル 日本と朝鮮半島 第一回 「韓国併合への道」

(2010.4.18)を見て とりあえずの感想 中塚明(奈良女子大学名誉教授)

 韓国統監に着任した伊藤博文は、韓国をいわゆる「併合」ではない、朝鮮人による「自治」(朝鮮人による「責任内閣」制など)構想を持っていて、もっぱら日本の近代化を手本に韓国を近代化しようとしていた。しかし、朝鮮人がその伊藤構想に従わなかったので最後は「併合」に同意せざるを得なかった――というのが、この番組での伊藤博文の描き方でした。これは京都大学法学部の伊藤之雄氏らの主張にそったものであることは言うまでもありません。
ちらっと映像に登場した『末松謙澄文書』や『倉富勇三郎文書』などについては、断片的な言葉の引用が行われましたが、これはその文書全体の分析が当然必要です。テレビの番組ではその全面的な分析は無理だと思いますので、この小文でも取り上げません。

 ここでは、二点の疑問を呈します。
(Ⅰ)1905年11月17日の第二次日韓協約(いわゆる「保護条約」)を武力で強迫、強要して、韓国の「外交権」は奪われ、列国外交団は韓国から引き上げてしまい、韓国は自主的な外交権を奪われ独立国としての形式も内実も失いました。これは伊藤博文みずから韓国に乗り込んで自明の政策として実践、強要した結果でした。
 この状態で、「韓国の近代化をはかるから、韓国人は伊藤博文統監の言う通りについて来なさい」というのが、「併合ではない伊藤構想」だというのですが、そんなことがどうして言えるのでしょうか。なぜ、韓国人は「外交権を奪った日本に従順に従わなければならないのか」――そんな疑問を、この番組制作者は、まったく問いませんでしたね。
 朝鮮(韓国)は古い歴史と伝統をもった国、民族です。その民族を相手に散々、無法を繰り返した後に、こんな虫のいいことを言われても、韓国人がついてこないのは当たり前ではないでしょうか。
(Ⅱ)私はいま、「散々、無法を繰り返した後に」と言いましたが、この番組では、日清戦争は「朝鮮を属国扱いにしている清国から朝鮮を独立させる戦争だった」ということで片づけられています。日清戦争中に、「朝鮮の独立」といいながら、朝鮮の主権をどれだけ侵害したか、朝鮮人をどれだけ殺したのか、はては国王の后を惨殺するという世界史上空前絶後の事件を引き起こしたのか、その意味、そしてその事件には伊藤博文が肝心、要のところで全部かかわっていたことを、まったく描きませんでした。
 以下、肝心、要のところで伊藤博文が関わっていたことを史料をあげて紹介しておきます。
 (1)日清戦争における日本軍の第一撃が朝鮮の王宮に向かっておこなわれたことは、もう否定できないので、画面には一応出ました。しかし、なぜ「王宮占領をしたのか」、その意味はまったくふれないままでした。朝鮮の国王を擒(とりこ)にして、「属邦保護」として朝鮮に上陸している清国軍を国外に駆逐してほしいという公式文書を、国王から出させて、「戦争の大義名分を入手する」のが、この王宮占領の大きな目的でした。
清国が朝鮮を属邦としていることを取り上げて開戦の口実にしようとした陸奥宗光外相の案に、「そんな清韓宗属関係は昔からのことで、そんなことを開戦の口実にしても欧米諸国の賛成は得られない。もっと適当な口実をつくれ」といっていた伊藤博文でした。
そこで陸奥外相が大鳥公使に使者を送り、大鳥が考え出したのが、朝鮮国王を責めたてて、その返答を開戦の口実にしようとしたのです。伊藤博文はこの大鳥の案に「最妙(面白い案だ)、……大鳥強手段一着手ト被察候、此両三日之挙動ニ依リ、或ハ将来ヲ卜(ぼく)スルニ足ル乎(か)ト奉存候。精密御注意可被下候。……」と陸奥外相に手紙を送っています(明治27年6月29日、高橋秀直『日清戦争への道』東京創元社、1995年、384~385ページ)。
「速やかな開戦にいたる道を見いだせず焦慮していた伊藤にとり,このとき実行しようとしている朝鮮への圧迫は、その展望を切り開くものであったのである」(高橋、同書)。
まだこのあと列強の干渉などがありこれをかわしつつ、朝鮮の王宮占領が実行され、日清戦争の扉を日本軍がこじ開けたのが1894年7月23日だったのです。すなわち、伊藤博文は戦争には消極的、できるだけ清国とは戦争したくなかった、というのは全くの作り話です。

 (2)しかし、こんな無茶をやりながら、日本政府は王宮占領の事実を伏せたまま開戦に持ち込み、まんまと成功したかに見えました。しかし朝鮮人は怒りますね。当然のことです。秋には東学農民軍を主力とする朝鮮人民の抗日を旗印にした大規模な蜂起が始まります。日本政府・日本軍は困りました。「朝鮮の独立」のために戦うといっている日本軍に向って、「朝鮮の主権を侵害するもの」として公然たる大衆蜂起が始まったのですから。しかしこれは、昨日のNHKTVでは、まったく描かれず無視されました。
 これに対して日本政府・日本軍はどうしたか。井上勝生さん(北海道大学名誉教授)の詳細な研究があります。「東学農民軍包囲殲滅作戦と日本政府・大本営╶╴日清戦争から「韓国併合」100年を問う╶╴」(『思想』岩波書店、2010年1月号。この号はよく売れて雑誌としてはまれなことですが増刷され、まだ大きな書店には売っていますので、ぜひ買って読んで下さい)。新たに一個大隊の日本軍を朝鮮に送り、日本軍を三隊に分けソウルから西南方にむかわせ、朝鮮の抗日闘争を西南の珍島まで追いつめて殲滅する作戦を展開したのです。
 この作戦について、井上さんの論文の結論をあげておきます。
 東学農民軍に対する三路包囲殲滅作戦は、朝鮮現地の外交部や軍部が立案したものではなかった。広島大本営で伊藤博文総理、有栖川宮参謀総長、川上操六参謀次長兼兵姑総監以下の政軍の最高指導者たちが共同して、東京の陸奥宗光外相も参画の上、立案・決定され、朝鮮現地へ命令された作戦であった。「討滅大隊」後備歩兵第一九大隊は、非道で不法な「ことごとく殺戮」作戦を、朝鮮南部ほとんどの地域で実行するように命令された。(前掲『思想』41ページ)。
 伊藤は文官ですが、大本営に出席することを認められていて、日清戦争の軍事指導にもしっかりと参画していたのです。

 (3)最後に、いわゆる「閔妃殺害」と伊藤博文との関係です。伊藤之雄氏は「当時の外交文脈から、伊藤首相が関係していないことはすでに論証されている」(京都大学法学会『法学論叢』第164巻 第1~6号合冊、2009年3月、2~3ページ)と言っています。そして自著『立憲国家の確立と伊藤博文』(吉川弘文館、1999年)をあげています。しかし、残念ながらその「論証」はきわめて杜撰なもので、とても「伊藤首相が関係していないことはすでに論証されている」とは言えません。
 いわゆる「閔妃殺害」については、昨年、金文子さんによって詳細な研究『朝鮮王妃殺害と日本人』(高文研、2009年)が出版され、この事件についての研究水準が画期的に高められました。
 この事件では、井上馨に代わって朝鮮駐在公使になった三浦梧楼(元陸軍中将)が、日清戦争が終わった後もまだ朝鮮にいる日本軍を必要なときに動かす権限を手にいれておきたいという要求を赴任早々から持っていました。ソウルに着任して20日もたたない「明治28年9月19日付け、三浦公使から川上参謀次長あて電報」に「……本官(三浦公使)の通知に応じ、何時にても出兵するよう、兼て兵站司令官に御訓令相成、而して其趣外務大臣に御通牒相成りたし」(大韓民国国史編纂委員会『駐韓日本公使館記録』第7巻、1992年)とあります。公使というのは外務大臣の指揮下にある外務省の官吏のはずです。それが、外務大臣にではなく参謀次長にこういう重大電報を打ち、こんな電報が来たことを外務大臣に知らせておいてくれ、といわんばかりの電報です。西園寺公望外相代理(陸奥外相は病気で一時休養中)の激怒をかいましたが、当然のことでした。
 電報を受け取った陸軍参謀本部の川上操六次長は、この三浦の要求を伊藤内閣総理大臣に伝えます。「別紙之通、三浦公使より電報有之候に付、参命第三二三号之通、南部兵站監へ訓令可相成筈に候得共、一応御意見相伺度候也」(参謀本部としては三浦の要求にそえるように参謀本部の命令第三二三号として韓国にいる南部兵站監へ訓令する積もりですが一応意見をうかがいます――という内容)。参命第三二三号とは「今後若し朝鮮内地に賊徒再燃する場合に於て、之が鎮圧の為め、貴官の指揮下にある守備兵を派遣する件に関し、特命全権公使三浦梧楼より協議あらば、貴官は固有の任務を尽くすに妨げなき限り成るべく同公使の協議に応ずべし 大本営」というものです。
 意見をうかがうというより、一応伝え置くと言う感じの川上の伊藤あての文書ですね。 さて、伊藤首相はどうしたか。10月2日、伊藤首相は大山巌陸軍大臣にあてて「三浦公使より通知次第、何時にても出兵する様、大本営より予め在朝鮮兵站司令官に訓令相成度旨、大本営へ照会の儀、可然(しかるべく)御取計相成候也」と書きました。つまり、三浦公使から出兵の要請があった時は、いつでも応じられるようにして取りはからってほしい、と伊藤首相は陸軍大臣に申し伝えたのです。
 西園寺外相は激怒したのですが、伊藤首相によって、9月19日付の三浦公使から川上参謀次長あてに送られた「……本官(三浦公使)の通知に応じ、何時にても出兵するよう、兼て兵站司令官に御訓令相成……」ということは追認されて大山陸軍大臣に通知され、大本営と然るべくと計らうようにと、伝えたのです。
 伊藤博文首相が「閔妃殺害」と「関係していないことはすでに論証されている」という伊藤之雄氏の論証は、改めて検証されるに値する不十分な論証だと私は思いますが、いかがでしょうか。

 NHKも遠くアメリカやロシアにまで取材をして、たくさんのお金をこの番組につぎこんだことでしょうが、日本の国内の新しい研究の紹介にももっと精力をさいて、視聴者に上滑りしない情報をしっかり届けてほしいものです。
 以上、昨夜の「NHKスペシャル 日本と朝鮮半島 第一回 「韓国併合への道」を見て、とりあえずの感想です。ご参考までに。      (2010.4.19 中塚 明)
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参考 世に倦む日日 Arisanのノート

しまなみ海道から『坂の上の雲』へ/真之、黄海海戦を丁寧に説明/他

愛媛の弓山正路です。しまなみ海道から『坂の上の雲』へ~まちづくりについて考えよう~と題してパネルディスカッションが行われました。記事の中では『坂の上の雲』という言葉はあまり書かれていませんが実際の発言は『坂の上の雲』という言葉のオンパレードでした。会の冒頭には、全員起立で国歌斉唱がありました。壇上には『日の丸』が掲げられ、敬礼してマイクに向かいました。
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【愛媛新聞 2010年4月16日 金曜日 3面】
まちづくり 市民主役 今治・松山市長フォーラム 観光面協力に意欲

 今治市の菅良二市長や松山市の中村時広市長らがまちづくりをテーマに意見を交わすフォーラムが15日、今治市別宮町1丁目の市公会堂であり、市民約600人が両市のまちづくりの課題や展望などについて考えた。
 まちづくりへの市民参加を促そうと、今治青年会議所が開催。両市長と渡辺俊・同会議所理事長(38)がパネリストを務めた。

 市民参加型のまちづくりについて中村市長は「主役は行政ではなく市民だ」とし、自治会への権限移譲を進めていると説明。菅市長は本年度から市の11支所に予算300万円をそれぞれ配分したことに触れ「地域の活力につなげたい」と述べた。
 菅市長は瀬戸内しまなみ海道を「世界に誇れる地域」と強調。情報発信策を市の課題とし、自転車や徒歩で渡れる海道の魅力に磨きをかけることを観光戦略の要点に挙げた。
 菅市長は、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の効果で、明治時代に瀬戸内海防備の拠点として小島に設けられた芸予要塞(ようさい)跡に多くの観光客が訪れているとし、「観光面での松山市との連携は不可欠」と広域連携の重要性をアピール。中村市長は「大いにやりたい」と応じ、観光商品の開発段階からの協力態勢に意欲を見せた。
 次期県知事の人物像について中村市長は「さらに改革を進められる人」とコメント。菅市長は中村市長が最適との見解を示した。(多和史人)
【写真】まちづくりについて意見を交わす菅今治市長(左)と中村松山市長(左から2人目)=15日午後8時ごろ、今治市別宮町1丁目

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愛媛の弓山正路です。今日2回目の『坂の上の雲』関係の新聞記事です。反戦思想家に転じた水野広徳については、研究が深められ、その思想が広まることを願っています。
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【愛媛新聞 2010年4月16日 金曜日 7面】
真之、黄海海戦を丁寧に説明真之、黄海海戦を丁寧に説明

松山 後輩・水野広徳あて書簡発見
 松山出身の海軍軍人・秋山真之(1868~1918年)が同郷の後輩で戦記文学者の水野広徳(1875~1945年)に送った書簡が、同市の男性(81)方に所蔵されていることが、15日分かった。実物を見た坂の上の雲ミュージアム(同市一番町3丁目)の松原正毅館長は「日露戦争黄海海戦についての質問に真之が丁寧に答えており、二人の親密な関係がうかがえる」と話している。

 黄海海戦は日本海海戦前年の1904(明治37)年8月10日、旅順を出、ウラジオストクの艦隊と合流しようとするロシア太平洋艦隊と日本連合艦隊主力が衝突。日本側がロシア艦隊数隻を撃破した。真之は書簡冒頭に「八月十日合戦図改正愚見」と記し、戦艦の位置や進路について細かく説明している。
 封筒が残っていないため執筆年は不明だが、日付は6月12日。

 松原館長によると、水野が1914(大正3)年に匿名で刊行した「戦影」執筆に際し照会、同海戦で連合艦隊司令部参謀を務めた真之が回答した可能性があるという。「戦影」には黄海海戦略図が掲載されている。
 所蔵している男性は昭和40年代に市内の骨董(こっとう)商から軸装で購入、自宅で保管しているという。(渡辺純子)
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 水野広徳=和気郡三津浜村(現松山市)生まれ。海軍大尉として従軍した日露戦争の日本海海戦を描いたルポルタージュ「此一戦」(1911年刊)で知られる。欧州で第1次大戦の戦禍を目の当たりにし1921年に退役、反戦思想家に転じた。
【写真】松山市の男性方に所蔵されている秋山真之の水野広徳あて書簡
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愛媛の弓山正路です。愛媛新聞に題記の記事が掲載されていましたので紹介します。司馬遼太郎は「坂の上の雲」で明治期の日本軍を礼賛していますが、朝鮮、中国の人々を大虐殺した日清、日露戦争の延長線上に731部隊の残虐な行為が行われたことを認識しておかなければならないと思います。
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【愛媛新聞 2010年4月19日 月曜日3面】
731部隊実態忘れず 松山「悪魔の飽食」演奏会
 旧日本軍731部隊をテーマにした「第21回カンタータ悪魔の飽食・全国縦断コンサート愛媛公演」が18日、松山市堀之内の市民会館であった。作曲家池辺晋一郎さんの指揮で約420人が合唱し、戦争の悲惨さや平和への誓いを歌い上げた。

 「悪魔の飽食」は、731部隊が旧満州(中国東北部)で捕虜らを対象に行ったとされる人体実験を描いた作家森村誠一さんのノンフィクション。森村さんの原詩を基に池辺さんが全7章の交声曲(カンタータ)をつくり、1984年から全国で巡回公演している。
 愛媛公演は愛媛交響楽団と県内約150人、県外約270人で構成する合唱団が参加。人体実験のむごたらしい実態とともに、被害者の尊厳や加害者の心の葛藤(かっとう)を歌詞に託し、「歴史の教えを忘れぬため私たちは力を合わせよう」と高らかに歌った。
 公演に先立ち、池辺さんと対談した森村さんは「731部隊の存在をできるだけ大勢の方に知ってもらい、戦争の愚行を二度と繰り返すまじという悲願を(原詩に)込めた」と話した。(植木孝博)
【写真】戦争の悲惨な実態を合唱で歌い上げた「カンタータ悪魔の飽食」の愛媛公演=18日、松山市民会館
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【2010年4月21日 水曜日 10面】坂雲も憩いも味わって松山 ミュージアム内にカフェ
 松山市一番町三丁目の坂の上の雲ミュージアム内に20日、喫茶スペース「ミュージアムカフェ」が新たにオープン。同日、記念セレモニーがあった。
 カフェは同ミュージアム2階北西側のオープンスペースを活用。8つのテーブルに32席あり、一面ガラス張りの窓から萬翠荘などを眺めることができる。営業は午前10時~午後5時。閉館日(原則月曜)は休業。
 食器は砥部焼を使用するこだわりで、コーヒーや紅茶、みかんジュースなどが一律400円。「坂の上の雲」認定商品のお菓子とのセット(450円)もある。
 記念セレモニーでは中村時広市長が「館長の念願かなって喫茶コーナーを設置することができた。多くの人が利用してもらえるよう期待している」とあいさつ。セレモニーの後、オープン記念として来場者に無料でドリンクが振る舞われた。
 観光で訪れた広島市の無職菅原ミヨコさん(75)は「館内を歩いた後に、こうしたカフェで休めるとうれしい。眺めも良い」と喜んでいた。(清家俊生) 【写真】窓からの眺めを楽しみながらくつろげる坂の上の雲ミュージアムの「ミュージアムカフェ」
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弓山正路 myumi@icknet.ne.jp
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えひめ教科書裁判資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub2-sabannsiryou.htm
小説『坂の上の雲』及びNHK放映をめぐる資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
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ニューズレター第18号を発行(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)

ニューズレター第18号を発行しました。

181

ニューズレター第18号を発行しました。

 PDFダウンロード  http://kakaue.web.fc2.com/NL/No18.pdf

1頁  :「開かれたNHKをめざす全国連絡会」申し入れ
2頁  :「新通信・放送融合法案のねらいは何か」
3頁  :~全戦線にわたって崩壊―テレビ制作現場~
4-5頁:地デジ化をめぐる外国の経験と日本の状況
6頁  :掲示板・ご意見板 から
7-8頁:「坂の上の雲 (NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック)」
での記述について
9頁   :毎日新聞の「質問なるほドリ」について
10頁:NHKドラマ「坂の上の雲」第1部 を見ての感想       
       :NHKドラマ「坂の上の雲」放映を見て
11-12頁:安川寿之輔さんの福沢諭吉批判を聴いて考えたこと
13頁 : 歴史問題の前向き解決とNHKドラマ『坂の上の雲』
14頁 : 朝鮮王妃暗殺 背景学ぶ 松山

 
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ更新しました。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/
『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク更新しました。
http://kakaue.web.fc2.com/
 

明治の開拓精神驚嘆「ドクとイカロス-」近藤さん松山市長と時代語り合

今日(4/14)NHK総合で歴史ヒストリア「吉田松陰」
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愛媛の弓山正路です。また、「坂の上の雲」関連の記事です。
秋山兄弟は軍人として当時の日本の侵略戦争を先頭に立って遂行した人間です。その人たちが「生き方の刺激」になるとは?!
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 明治の開拓精神驚嘆「ドクとイカロス-」近藤さん松山市長と時代語り合う
2010年4月13日 愛媛新聞 9面
 松山市出身で京都府立医大名誉教授の近藤元治さん(73)=京都市左京区=が12日、松山市の中村時広市長を訪問。昨年11月に出版した「ドクとイカロスの翼」の主人公が生きた時代や、「坂の上の雲のまちづくり」に通じる明治の松山などについて歓談した。

 「ドクと-」は、松山出身で1903(明治36)年に米国に渡り、日本の民間人として2番目に飛行士になった近藤元久らの生き方を小説風にまとめた作品。市長に「当時の人々のバイタリティーや開拓精神には驚かされる」と話した。著作活動を振り返り「松山などを中心に人とのつながりが広がり、うれしい」とも報告した。

 市長は「坂の上の雲」の秋山兄弟や、同時期にアラスカで成功を収めた松山育ちの和田重次郎など、海外に渡った県人に触れ「過去に外に出て勝負をし、パワーある人がいたことを知るだけでも、私たちにとっては生き方の刺激になる」などと答えた。(清家香奈恵)【写真】近著や明治の松山などをテーマに中村市長(右)と歓談する近藤さん
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 今日(4月14日・水)22:00~NHK総合で歴史ヒストリア「吉田松陰」が放送されます。明治政府の朝鮮侵略の思想を弟子に受け継がせた人物がどう描かれるか、要チェックだと思い、お知らせします。添付ファイルがつけれる方には、ブックレット検証「坂の上の雲」p7を添付します。松陰の露骨な対朝鮮侵略思想が現れている文章です。
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第2章   近代日本が朝鮮を植民地にするまでの歴史過程 
次章では、作品『坂の上の雲』の記述内容に対して、具体的に検証・批判していきますが、その多くが、日本と朝鮮の関係に関わることがらなので、その前に、近代日本の出発時から韓国併合までの日朝関係史の大枠を、ごく簡単にたどっておきたいと思います。
(1) 日本の開国から、朝鮮への不平等条約強要まで 
    欧米列強には従属的協調を、アジアヘは侵略を
 江戸・幕末の1853年、ペリー率いるアメリカの艦隊が日本にやって来て開国を迫る。それに対し幕府は、日米和親条約(1854)、日米修好通商条約(1858)を締結し、不平等条約体制下での、欧米への開国に踏み出した。このような状況のなか、明治維新・明治新国家の多くの指導者的立場の人物を育てた長州藩の吉田松陰は、日本の針路について、以下のような主張をしている。
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魯墨講話一定、我より是を破り信を夷秋に失うべからず。ただ章程を厳にし信義を厚うし、其間を以って国力を養い、取り安き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯墨に失う所は、また土地にて鮮満に償うべし (1855.獄中から弟子たちに書いた手紙)
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 つまり、欧米列強との条約はきちんと守って、信用を失わないようにし、その間に国力をつけて朝鮮や中国をとり、欧米との交易で損をするところは、そこで補ったらよい、と言うのだ。
 その後の明治新政府一近代日本国家は、その出発時から、このような針路一欧米列強とは従属的協調関係を維持しながら、少しずつアジアヘの侵略を進めていく-を進むことで一枚岩となっていたわけではないが、基本的にこのような軌道で走り始め、やがて、国内での、それへの障害を排除しつつ、そのような針路・方向性を確かなものとしていったのである。
      アメリカついで日本、朝鮮の江華島を襲撃
 まず1871年、アメリカ艦隊が朝鮮の江華島を侵略・攻撃したとき、日本の明治新政府は、交友長き隣国朝鮮ではなく、日本に不平等条約を強要した当の国アメリカに協力し、長崎港を、その出撃拠点として使わせる。
 そして、朝鮮側の反撃でアメリカが追い返された、その4年後の1875年、日本は、アメリカがそのとき作成した測量地図を手に、江華島・永宗島を攻撃・侵略し、翌年、朝鮮に不平等条約(日朝修好条規)を強要し、開国を強いたのである。それは、日本が欧米列強に強いられた不平等条約を、さらに不平等にしたものであった。

[CML 003638] 追跡A to Zテーマ投票。と4月番組。沖縄、日韓併合

追跡A to Zテーマ投票。と4月番組。沖縄、日韓併合、パレスチナほか  
 転送・転載歓迎 京都の菊池です。
先日放送された 追跡A to Z 4月3日(土)NHK 「無縁社会の衝撃」
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/100403.html
ETV特集 4月4日(日)NHK教育 第307回
殺すなかれ ~没後100年 トルストイの遺言~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
とても興味深かったです。 ※NHKオンデマンドで見れるかもしれません。
4月の月間番組情報誌を見ていて、興味を惹かれたものを紹介します。
いずれも放送予定なので、変更になるときもあると思います。
4月25日 日曜夜 に次の放送が予定されています。
4月25日(日) 22時~NHK教育
ETV特集「シリーズ 安保とその時代 第1回 沖縄と内地の断絶」仮題
そのほか4月に沖縄関連として
追跡A to Z NHK http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/
※ちなみに追跡A to Zでは番組に追跡して欲しいテーマに投票してください。
投票期間:4月3日~4月10日(※今日締め切り)
・児童虐待
・上海万博
・普天間基地問題
・子ども手当
・事業仕分け
・その他
と番組ホームページで募っています。
(詳しくは上記番組ホームページで確認してください。)
追跡A to Z 放送予定 2010年 4月10日 土曜 午後10時00分口10時43分
問われる情報公開 ~密約問題の真相を追う~
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/next.html

日本テレビのドキュメンタリー番組
NNNドキュメント'10で 沖縄 43年目のクラス会変わらぬ怒りと苛立ち
放送:4月18日(日) 25:20~予定
http://www.ntv.co.jp/document/より
・・・
日本テレビのライブラリーに、あるモノクロ映像が保管されている。
日本のTVドキュメンタリーの草分け ノンフィクション劇場 で放送された 我ら日本人 沖縄18歳の発言 だ。本土復帰5年前、米軍占領下で育った高校3年生が、基地経済に依存せざるを得ない不満や苛立ち、本土に対する期待や不信感など複雑な心情を吐露している。
その3年後1970年にスタートしたNNNドキュメントは高校生のその後の歩みを約40年、追跡取材してきた。
普天間基地移転が注目を集める今、間もなく還暦・定年を迎える彼らの目に、今の沖縄、日本という国はどう映るのか?・・・

いよいよ、日本と朝鮮半島2000年で1910年直前まで検証してきたNHKが日韓併合からの100年に取り組みます。
4月18日(日) 午後9時00分~10時13分 NHK総合
プロジェクトJAPAN
日本と朝鮮半島
第1回 韓国併合への道 ~伊藤博文とアン・ジュングン~(仮)
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100418.html
NHKプロジェクトJAPANhttp://www.nhk.or.jp/japan/の一環としての
NHKスペシャル シリーズ「日本と朝鮮半島」
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_100418_2.html

第1回「韓国併合への道」~伊藤博文とアン・ジュングン~(仮)
第2回「民族自決を求める声」(仮)
第3回「戦場に動員された人々」(仮)
第4回「冷戦に引き裂かれた在日コリアン」(仮)
第5回「日韓関係はこうして築かれた」(仮)
の内容を予定しているそうです。

ドラマ「坂の上の雲」では、琉球処分、日清戦争、日露戦争と、侵略戦争を始めた日本のことを描けないNHKがどのような、日韓併合100年と向き合った番組をつくるでしょうか。
どんな方向へ向くか心配もありますが、その一回一回の放送も大いに議論が行われるもととなり、多くの人が日韓併合100年、そして今を考える機会にもなればと望みます。
パレスチナについてNHKBS世界のドキュメンタリー
http://www.nhk.or.jp/wdoc)が再放送のものも含め3つ放送します。
NHKBS1BS世界ドキュメンタリーにて
4/13火曜 24時 再放送  奇跡の映像 中東分割の悲劇
4/20 火曜 24時 再放送 シャロン ガザ撤退の真実
(※この週のBS世界ドキュメンタリーは人物を取り上げていて、他の日はサッチャー、チャベス、キッシンジャーのドキュメンタリーが放送予定です)
4/26月曜24時パレスチナとイスラエルの音楽家たち 前編
4/27火曜24時
〃 後編
NHK教育の福祉ネットワークがシリーズ自殺は減らせるかを放送します。
4/12月曜、13火曜、14水曜20時~
日本テレビのNNNドキュメント'10も 4/25日曜24時50分~
「ハウスブルー 主婦たちのうつ事情」(仮題)
http://www.ntv.co.jp/document/参照
NHK関西は
2005年4/25から5年を前にして4/23金曜
19時30分~
かんさい熱視線特集「JR福知山線・脱線事故から5年~問われる事故調査と被害者支援」(仮題)を放送予定です。
労働について
4/24土曜22時30分
NHK追跡A to Zなぜ彼女たちは立ち上がったのか~キャバクラ労組・深刻化する女性の雇用
※追跡A to Zは4/17土曜22時は
「虐待の傷は癒えるのか~立ちはだかる゛社会の壁゛~」も放送予定だそうです。
地域紹介では
4/10土曜21時毎日放送(TBS系)世界・ふしぎ発見が ブラジルについて
4/23金曜22時05分NHKとびきり九州沖縄SP 海の国道
4/30金曜22時NHK世界ふれあい街歩き台南・台湾が興味深いです。
音楽関連では 4/14水曜 22時55分 NHK SONGS 岩崎宏美 4/23金曜 23時~ NHK教育 劇場への招待「わらび座゛火の鳥゛」
 ※ミュージカル サウンド・オブ・ミュージックのモデルとなったトラップファミリーについての映画 4/29木曜13時 NHKBS2 映画「菩提樹」(1956西独) 4/30金曜13時 NHKBS2 映画「続・菩提樹」(1958西独)の放送がうれしいです。 いずれも放送予定なので、変更になるときもあると思います。
菊池 ekmizu8791アットezweb.ne.jp (菊池へ送信の場合、アットの部分を@に直して送信してください。菊池)

質問なるほドリ:100年前の「日韓併合」、今の両国間で問題なの?

=回答・大澤文護  2010/04/07

2/12付け毎日新聞の首記の記事について会員から問題提起がありました。
「閔妃暗殺」については、どんな色めがねをつけても「実行犯が日本人か、韓国人かなどを巡って、」「さまざまな意見」がでるような根拠は見いだせません。
3/17のNHK出版「坂の上の雲 (NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック)」での閔妃暗殺事件の記述について を参照。
NHK出版の場合は責任をあいまいにしていますが、こちらは署名入りです。
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<NEWS NAVIGATOR>
◆100年前の「日韓併合」、今の両国間で問題なの? 
条約の適法性、見解に相違 流れ決めた「閔妃暗殺」にも謎

なるほドリ 今年は、日本が朝鮮半島を植民地化した日韓併合100年だね。何か特別な行事があるのかな。

 記者 李朝が国号を改めた大韓帝国が、1910年8月22日に締結された「韓国併合に関する条約」でなくなり、日本が朝鮮半島の支配権を手にしました。韓国では研究機関のシンポジウムなどが予定されているけれど、政府レベルの特別な行事は予定されていません。
 Q 日韓併合や関連する事件を巡って、今も意見や主張の違いがあるそうだね。
 A 例えば、日韓併合への動きを決定的なものにする契機となった事件に、1895年の「閔妃(ミンピ)暗殺」事件があります。李朝内部の親露派である閔妃が殺され、それ以降、李朝は急速に日本に近づいていきました。実行犯が日本人か、韓国人かなどを巡って、小説やノンフィクション、テレビドラマなどで、今もさまざまな意見や主張が出されています。
 Q 真実の解明は、やはり難しいのかな。
 A 決定的な証拠はないようです。それに日韓両国には「日韓併合条約の有効性」という大きな問題も残っています。日本は「条約の締結自体は合法であり有効だった」という立場ですが、韓国は「締結自体が違法であり、もともと無効」と主張しているのです。
 Q 最近、日韓関係はうまくいっているよね。
 A 年間約500万の人々が行き来し、日本では一時ほどではないけれど今でも韓流の人気は高いといえます。それに、日本の民主党が昨年の衆院選のマニフェストで「アジア外交強化」を掲げたことが韓国では高く評価されています。昨年10月の鳩山由紀夫首相の訪韓は、幸夫人が熱心な韓流ファンであることを含め、韓国ではとても好意的に受け止められました。
 Q 今後、意見の違いが克服される可能性もあるのかな?
 A 韓国側には、最近の鳩山政権の対米外交の混乱や政治資金問題に対する失望感も出ています。だから、楽観はできません。李明博(イミョンバク)大統領が今年訪日すれば、「日韓併合100年」をテーマに日韓首脳がどんな意見交換をするのか注目が集まるでしょう。(ソウル支局)
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 ◇あなたの質問をお寄せください
 〒100-8051(住所不要)毎日新聞「質問なるほドリ」係
naruhodori@mainichi.co.jp毎日新聞 2010年2月12日 東京朝刊
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中塚明氏からの投稿:

「毎日新聞、おまえもか!」といいたくなる内容ですね。しかも質問に答えてこの記事を書いているのが、「ソウル支局」の記者というのだから、驚きですね。とくに上段の「閔妃暗殺」に関わるところは、デタラメ。この事件が「併合」の「流れを決めた」というのはどういうこと? また「親露派の閔妃が殺され、それ以降、李朝は急速に日本に近づいていきました。」とあって、この記者、歴史的事実のイロハも知らないのではありませんか。

『毎日新聞』にもすぐれたソウル特派員や支局長がおられたと思いますが、最近の記者はこんなに情けないのでしょうか。
日本のマスコミの堕落、極まる!という感じですね。国際的な恥と私は思いますが・・・。  2010.4.5 中塚 明  

安川寿之輔さんの福沢諭吉批判を聴いて考えたこと 醍醐聰のブログ

 4月3日、東京、千駄ヶ谷区民会館で開かれた不戦兵士・市民の会主催の不戦大学「『韓国併合・大逆事件』100年と『坂の上の雲』」で安川寿之輔さんが、「「暗い昭和」につながる「明るくない明治」」と題する講演をされると聞き、連れ合いといっしょに出かけた。少し遅れて会場に着くと、受付で安川さんが準備された30ページに及ぶ資料が手渡された。
 安川さんはそれを読みあげる形で約120分に及ぶ講演をされた。講演の内容を丹念に紹介するゆとりはない。いずれ、活字にされるものと思うので、以下は、私が特に啓発を受けた箇所を紹介しながら、ところどころで感想を挿入することにしたい。

1.福沢諭吉の天賦人権論の虚実
 「明るい明治」と「暗い昭和」を対置する司馬遼太郎の歴史観は、近代日本を「明治前期の健全なナショナリズム」対「昭和前期の超国家主義」と捉える丸山真男の二項対立史観をわかりやすい表現に言い換え、踏襲したものである。そして、その丸山が明治前期の健全なナショナリズムの代表格として評価したのが福沢諭吉の天賦平等論であり、一身独立論であった。
 しかし、福沢の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズは、「・・・と云へり」という伝聞態で結ばれていることからわかるように福沢自身の思想を表したものではない(アメリカの独立宣言を借りたことばであった)。丸山氏はこの点をすっぽり落としている。「万人の」という意味では後掲の福沢の天皇制論に見られる愚民籠絡論や、ここでは紹介できないが工場法反対論にみられる貧困市民層に対する蔑視の思想、家父長制的な女性差別論などは、福沢の人間平等論の虚実を示す典型例といえる。こうした福沢の天賦人権論の虚実を精緻な文献考証を通じて徹底的に立証した点で安川さんの研究には特筆すべき価値があると感じた。

2.福沢諭吉の「一身独立論」の変節
 福沢が『文明論の概略』の中で、「人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可らず」、「一国独立等の細事に介々たる」態度は「文明の本旨には非ず」という正しい認識を記していた。(もっとも、順序としては「先ず事の初歩として自国の独立を謀り、(一身独立のような)其他は之を第二歩に遺して、他日為す所あらん」と述べ、「自国独立」優先の思想を明確にしていたが)。
 また、福沢は自ら、アメリカ独立宣言を翻訳するにあたって、「人間(じんかん)に政府を立る所以は、此通儀(基本的人権のこと)を固くするための趣旨にて、・・・・・・政府の処置、此趣旨に戻(もと)るときは、則ち之を変革し或は倒して、・・・・新政府を立るも亦人民の通儀なり」と訳し、人民の抵抗権、革命権を正当に訳出・紹介していた。
 しかし、かく紹介する福沢も自分の思想となると、「今、日本国中にて明治の年号を奉る者は、今の政府に従ふ可しと条約(社会契約のこと)を結びたる人民なり」と記して国家への国民の服従を説いた。
 さらに、その後、自由民権運動と遭遇した福沢は1875年の論説において、「無智の小民」「百姓車挽き」への啓蒙を断念すると表明し、翌年からは宗教による下層民教化の必要性を説き、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合せならん」という人間蔑視の思想を憚りなく公言するに至った。こうして福沢は啓蒙期の唯一の貴重な先送りの公約であった「一身独立」をも放棄したのであった。

 ところが丸山真男は、福沢自身が優先劣後の区別をした一国独立と一身独立の議論の実態を無視し、さらにはその後の福沢が一身独立の思想を放棄した現実を顧みず、個人的自由と国民的独立の見事なバランスと言い換え、両者に内在する矛盾、軋轢――後年の福沢の一身独立論を変節に導く伏線となる要因――を無視して、福沢賛美の根拠に仕立て上げたのである。

3.福沢の変節の極みとしての神権天皇制論
 安川さんの講演の中で開眼させられた一つは福沢の天皇制論に対する言及だった。福沢は『文明論の概略』の第9章までの記述の中では、たとえば、「保元平治以来歴代の天皇を見るに、其不明不徳は枚挙に遑(いとま)あらず」と記し、「新たに王室を慕うの至情を造り、之(人民)をして、真に赤子の如くならしめんとする」のは「頗る難きこと」と述べて、天皇制に批判的な考えをしていた。
 ところが、福沢は1882年に「帝室論」を書く頃には天皇制論を大転換させ、「帝室・・・・に忠を尽くすは・・・万民熱中の至情」などと言いだした。これについて、福沢は国会開設後の「政党軋轢の不幸」に備えて人心の軋轢を緩和する「万世無欠の全壁」たる帝室の存在が必要になったと説くとともに、「其功徳を無限にせんとするが故に」帝室は日常的には政治の外にあって下界に降臨し、「一旦緩急アレハ」天下の宝刀に倣い、戦争の先頭に立つよう説いた。
 ところが、丸山真男は福沢が日常的にはと断って説いた皇室=政治社外論を一般化し、福沢が「一貫して排除したのはこうした市民社会の領域への政治権力の進出ないしは干渉であった」と誤解したのである。

4.福沢のアジア侵略思想の歩み
 1880年代前半に福沢が『時事小言』、「東洋の政略果たして如何せん」などにおいてすでにアジア侵略の強兵富国  政策を提起していたが、日清戦争が近づいた1894年に書いた論説「日本臣民の覚悟」では、「我国四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、・・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲つは勿論、老若の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」を呼びかけた。ここに至って、福沢のかつての一身独立論は国家への滅私奉公の前に完全に呑み込まれ、跡形なく消失したといえる。
 また、これに続けて福沢は、「戦争に勝利を得て・・・・吾々同胞日本国人が世界に対して肩身を広くするの愉快さえあれば、内に如何なる不平等条理あるも之を論ずるに遑あらず」と公言して憚らなかった。
 さらに、福沢は旅順の占領も終わり、日清戦争の勝利が見えてきた1895年1月に書いた論説(「朝鮮の改革・・・・」)において、「主権云々は純然たる独立国に対する議論にして、朝鮮の如き場合には適用す可らず。・・・・今、日本の国力を以てすれば朝鮮を併呑するが如きは甚だ容易にして、・・・・・」と記し、その後の韓国併合の可能性を予見するかのような主張をしていたことに安川さんは注目を喚起された。
 こうした福沢の言動は安川さんも指摘されたように、『坂の上の雲』において司馬が日本にによる朝鮮出兵を「多分に受け身であった」と記しているのがいかに史実に悖る虚言かを、同時代人の言説を通して物語るものといえる。 また、NHKは『坂の上の雲』の第一部で毎回、冒頭に「まことに小さな国日本が」というフレーズを流したが、上の福沢の言説は当時の日本が少なくとも対朝鮮との関係では「小国」どころか、何時でも朝鮮を呑みこめる国力を持った強兵富国の大国であったことを意味している。植民地として統治された相手国の認識を等閑に付して、武力で近隣国を占有した自国を「小さな国」などと呼号するのは、過去に自国が犯した罪に対していかに無邪気かを物語っている。

5.福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間の大きな懸隔
 安川さんの講演については、まだまだ、触れなくてはならない重要な指摘があるが、紙幅の関係でこのあたりにし、最後に、私が安川さんの講演から(正確には安川さんの後掲の3部作から)感じた福沢評価をめぐる明治の同時代人と戦後の「進歩的」論者の間に大きな懸隔が生まれたのはなぜかということを考えておきたい。
 まず、安川さんの資料から同時代人の評価として私の印象に強く残った論評を2点だけを紹介しておきたい。
 吉岡弘毅(元外務権少丞):「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」・・・・のは「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」
 徳富蘇峰:「主義ある者は漫りに調和を説かず。進歩を欲する者は漫りに調和を説かず。調和は無主義の天国なり」

 福沢が執筆した(『時事新報』の社説等を含む)全著作を吟味する限り、同時代人の評価が適正な福沢評であることは否めない。にも拘わらず、それと対極的な評価があろうことか、戦後の「進歩的」知識人の間に広まった理由は、安川さんが精根込めた考証で明らかにしたように、丸山真男の福沢誤読――『文明論の概略』など初期の著作のみを題材にした雑駁な読解に依拠し、福沢の政治論、天皇制論、アジア統治論などがもっとも鮮明に記されたその後の論説を顧みない文献考証の重大な瑕疵――とそれに多くの「進歩的」知識人が事大主義的に追随したことにあったといってよい。

 かくいう私も丸山神話に侵された一人だった。3月20日に私の退職送別会を兼ねて開かれたゼミのOB&OG会に参加した第1期生がスピーチの中で、夏休みのレポート課題として私が丸山真男『『文明論之概略』を読む』を挙げたことを懐古談として話した。自分では忘れていたが、そう言われて記憶が蘇ってきた。2次会でそのゼミOB生と隣り合わせ、今では自分自身、福沢に対する見方がすっかり変わってしまったことを釈明した。

 戦後日本の「民主陣営」に浸透した丸山神話は、過去のことではない。権威主義、事大主義が今日でもなお「進歩的」陣営の中でも、陣営の結束を図るのに「便利な」イデオロギーとして横行している現実が見受けられる。しかし、そうした個の自律なき結束は、陣営の外にいる多数の市民の支持を得るのを困難にし、長い目で見れば破綻の道をたどる運命にある。だから私は楽屋落ちの議論や個人の自律を尊ばない組織や運動を拒むのである。
(2010/04/07)

学習会報告『今、なぜ「坂の上の雲」か(上)―日清戦争までを中心に』の要約

みやざき九条の会より
2010年1月25日(月) 18:30~20:00 宮崎中央法律事務所3階にて行われた、 瀬口黎生さんによる学習会『今、なぜ「坂の上の雲」か(上)―日清戦争までを中心に』の要約を瀬口さんよりいただきましたので掲載します。
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今、なぜ「坂の上の雲」か(上) -日清戦争までを中心に-
1. はじめに
昨年の暮れ、NHKは司馬遼太郎の上記の作品を全5回、計7時間半の大型ドラマとして放映しました。この小説は70年安保の時代の約4年にわたって産経新聞の夕刊に連載され、その後単行本や文庫本にもなって、大ベストセラーとなり広くサラリーマンを中心に読まれた「歴史物語」で、2000万部にも及ぶ発行部数です。
2. どんな読み物か
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続きを読む                2010/04/05

投稿: 明治期の日本考える 松山で講演会 「坂雲」などテーマ

愛媛の弓山正路です。題記の記事が愛媛新聞に掲載されましたので紹介します。
「坂の上の雲」礼賛記事ばかりだった、愛媛新聞ですが、今回の記事を読み、共感してくれる読者が少しでも増えればと願います。

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愛媛新聞2010年4月4日 6面
明治期の日本考える 松山で講演会 坂雲などテーマ

 NHKドラマ「龍馬伝」や小説「坂の上の雲」で描かれる明治維新と明治期の日本像の問題点を考える講演会が3日、松山市内であり、精神科医で関西学院大教授の野田正彰さん(66)らの問題提起を通じ、市民ら約40人が歴史認識や日清・日露戦争について理解を深めた。
 平和や憲法問題に関心を持つ市民・団体が実行委を結成し開催した。

 高知市出身の野田さんは「若くしてテロに倒れた坂本龍馬は、青春像として理想を投影しやすい。しかしその後、どういう社会があったかをすべて忘れて龍馬だけ持ち上げていいのだろうか」と批判。高知での自由民権運動の弾圧や軍国主義への振幅などを紹介し、「わたしたちは個人としても社会としても統合された過去を持たなければならない」と歴史を部分的に切り取ることの問題を訴えた。

 また、えひめ教科書裁判を支える会メンバーで、小説「坂の上の雲」の歴史認識を問題視するブックレットを出版した高井弘之さん(54)=今治市=は「坂の上の雲」に描かれた朝鮮半島の植民地化の記述を問題視。「時代の必然や地理的な問題として正当化しようとしている。日本の進むべき道はほかにあったのではないかという問い掛けを発していない」として、自国の歴史に向き合うことの必要性を強調していた。(坂本敦志)
【写真】明治維新や明治期の日本像を考える講演会で話す野田正彰さん(左)と高井弘之さん=3日、松山市     2010/04/04

投稿:愛媛からの報告 NHK松山放送局の「ファンミーティング」に参加して

松山放送局は標題の会を3月20日(土)は《プロデューサーによる制作秘話編》21日(日)は《驚異の最新VFX(視覚効果)解説編》と名付け、各90分の予定で説明会を実施しました。一日目は本部の菅 康弘チーフ・プロデューサーが2日目は制作技術センターの川邨 亮チーフ・エンジニアが講師を務めた会の概要は以下の通りです。

プロデューサーの役割
 ドラマの構想 脚本づくり キャスティングに加え予算や費用の管理 労務管理 危機管理などを行うと、石垣のある港の撮影場面に万一に備え、終日ダイバーを待機させたことを自慢げに語っていました。
愛媛の視聴率のこと
 お礼を申し上げたいと、第一部放映の際の視聴率は同じ時間帯に「K1タイトル戦」があり、東京ではそれに40%もの視聴率。その為「坂の上の雲」は平均で17.9になったが。しかし当地愛媛では「坂雲」の視聴率33%で、全国で唯一28%のK1を上回ったと、感謝の言葉を。これについては数年前に東京から転居した女性が、この程度では申し訳ない、80%位は欲しかったという会場からの発言もありました。
不思議なのは、愛媛ではテレビを所有している(みていないも含めた)全世帯の33%もが見た、と言いながらその他の視聴率、例えば第五部の12,9%については、何も言わないことで、都合に良いところだけ取り出している印象。しかし、私がレポートしたように、松山では松山市が学童まで動員した「坂雲」キャンペーン等々の結果が、ここに表れたようです。
NHKへの各界からのご意見について
 プロデューサー氏の言うところでは、寄せられた意見の内、一番多かったのは出演者の熱演を称賛するもの。次に多いのが、彼らの姿から元気をもらったということだ、とその内輪話の数々を。 
軍服や軍装へのクレーム、例えば真之が、腰に刀を付けている場合とない場合の指摘などだが、実は現に両方有った。この間に日本軍の軍装は、目まぐるしいくらい変化したのだと自信たっぷりに。
又会場からあった、艦橋での空豆の殻の食べ棄ても、真之に関してはあったと記録されている、とていねいな考証を自賛していましたが、それだけやるのなら、ドラマの背景になった朝鮮・韓国の当時の状況などにそうした配慮すれば、歴史の見直しに役立つ事実の発掘なども可能だったのではないか、と感じました。
以後の計画
 一部(一年目)を「青春編」だと思って作ったのは、日本全体が青春の状態だったことに対応している。そして二部の四本を「友情編」と考えるのは、二人の友人の死にあたるから。真之は、正岡子規はもとより、広瀬武夫とも非常に仲良しで、広瀬は秋山家に遊びに来ていた、と「軍神広瀬武夫」の英雄話を予告している。そして正岡子規役の、香川照之の英雄的演技を称賛していた。いわく、同氏は撮影開始から子規の末期を撮影するまでの、一年余で17㎏近く痩せ、自らが成人して以後の最低体重以下にしたのは、子規の体の厳しさを体現する演技を志したからだと強調していたのは、香川氏の打ち込み方を通してドラマの秀作ぶりをPRしている印象。残念ながらこんな話しが聴衆に受けるんですね。
 そして未完の今年末放映分の一部をVTRで、
その1 エカテリーナ宮殿で伊藤博文役の加藤剛とニコライ2世が会見する場面、
その2 闘病する正岡子規、
その3 広瀬武夫が戦没する福井丸の沈没シーンなどを披露されたのは、ここが今年末の12月5日(日)から4週連続で放映される第2部のメインとなると言うことでしょう。

エカテリーナ宮殿、これは帝政ロシアの皇帝・貴族の華やかさを象徴する、豪華かつ広大な宮殿だそうですが、これを丸一日借り切って、観光客もシャットアウトして撮影したのだそうです。なぜ安上がりのセット撮影か、ナレーションだけで済まさなかったのか、その理由を特に強調し「明治の日本はこんなすごい国と戦争し、勝ったのだ」と言うことを、「言葉によって」でなく、目で見て「実感して欲しかったからだ」と「坂の上の雲」を強調。このように、この説明会のようすからは、原作を更に大きく膨らませたドラマ化を目指しているように感じました。

その他の裏話
 放映をなぜ三年に分けるのかについては、全部を作るのは間に合わないからだ、すなわち、全部出来てから連続でやるなら可能だが2009年末にあわせるのはとうてい無理だったと、09年スタートに特別の思いがあるような口振りでした。
 何度か女性を多く出したい、と繰り返し、その関連で脚本は「司馬財団」と繰り返していねいに詰めた、と語っていましたが、それは「女性が多く出た方が、原作にはないが司馬さんの思いに沿う」と思うのですが、のように語りかけ、財団の了解を取ったという感じでした。
会場からドラマは、原作の小説より面白い。年末が待ち遠しいが、12月5日にいきなり第7部を放送されたのでは困るとの声に、勿論ですと今年の分の前に、09年末放映分を再度届けることと、それに向けてのメイキング番組や周辺情報の時間を多数設け、PRにつとめると宣言していました。
会場で唯一「ロシアや中国という日本と戦った国で、ロケーションするのに相手国の感情に配慮したか」という、NHKには耳障りだろうと思われる質問に、「撮影前にこのようなドラマの撮影だ」と台本を渡してあるので、例えば中国なら、それが気に入らなかったら撮影を許さない位なことをする国だが、撮影を許可したのだから問題ないと思う、と言うようなコメントでした。
総じてここの話を聞く限りは、ドラマの放映になぜ「韓国併合100年」の年にこれを放映するのかなど多数の危惧の声があり、只のつぶやきでなくNHKの自粛を求めるなどの申し入れがあることなどは意に介せず、原作に輪をかけてでも、近代日本の「歩みを讃える」事のみに邁進している印象を受けました。

 2日目の主にコンピューターグラフィックを駆使することの解説は、参加者は昨日の半分以下となり、話しも映像技術なので素人には、ただただすごい、そんなことができるのか、とビックリさせる様な説明に終始しました。会場からの質問も多数ありましたが、参加者みんなが共有するものは殆どありません。  
ただ最新の映像技術によると、コンピューター駆使で、通常なら撮影困難な映像や、本来あり得ない画面の合成もできる、それも技術の進歩に連れ、短時間で安価に仕上げることが可能になると言うことのようです。
 そうだとすると、気になる「坂の上の雲」の場合でも、本来あり得ない、例えば、全く悲惨さを感じさせないで、「凄惨な戦場」の場面を描写するような、又は私たちでは到底予測できないような映像により、視聴者を満足させることが可能になるようで、むしろこの進歩を懸念します。
以後は私の、全くの想像ながら、NHKは映像化のために司馬財団や福田みどりさんを説得するのに、司馬遼太郎の原作を膨らませ、「平和や国際的友好を促進する」方向よりも、「司馬さんの小説は歴史に残る大作」であり、そんな「価値あるものをこのまま眠らせてしまう」ことこそ司馬さんの本意に逆らうことになる。どうですNHKなら、最先端の技術を駆使して、司馬さんが懸念したことの一つである「大きなスケールになるから映像化困難」とされた点は簡単にはクリアできるし、更に、「戦争を悲惨なもの」と描くことなども回避できます。「悲惨な場面などは決して画面に出しません」のように説得して、財団から了解を得た可能性があると思います。
もしそうだとすると、この映像技術のとてつもない進歩が、とてもくせ者と言うことになりそうです。勿論問題は、その技術を駆使するNHKの在り様にあるのですが。

2010年3月27日          愛媛県  西原 一宇
 2010/03/29

投稿:秋山好古大将揮毫の忠魂碑 /露兵の墓前平和願う松山/慰霊祭に住民ら

秋山好古大将揮毫の忠魂碑

愛媛の弓山正路です。3月27日付愛媛新聞読者投稿欄に「秋山大将揮毫の忠魂碑」の写真が掲載されました。読者の説明とともに紹介します。
愛媛県人はNHKや松山市の宣伝の影響を受けているのは、たしかです。投稿写真を添付します。
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2010年3月27日愛媛新聞30面 
投稿欄 秋山大将揮毫の忠魂碑  読者

 新潟市の日枝神社境内に、秋山好古大将揮毫(きごう)の忠魂碑がありました。大正2年、第13師団長(中将)として在任中で、中将時代の石碑の日本海側での発見はこれが初めてのようです。 (17日撮影)
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「忠魂碑」で検索した文章と有名な「箕面忠魂碑訴訟」の内容を貼り付けます。「政教分離」で有名な「愛媛玉串料訴訟」は長文ですのでURLからお読みください。

忠魂碑 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E9%AD%82%E7%A2%91
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
忠魂碑(ちゅうこんひ)は、明治政府の成立以降、日清戦争や日露戦争での戦死者の供養のために、自治体で建立した碑。慰霊碑、凱旋碑という言い方をする場合もある。
また、両戦争最中の特定の戦闘での戦死者の霊を弔う目的で立てられたものもある。建立の主体となったのは帝国在郷軍人会で、1910年(明治43年)から始まり、その後、遺族会などが運営管理を行った[1]。教育的な意図をもって、小学校、中学校の敷地内に立てられたものもあった。
第二次世界大戦で敗北すると、GHQの指示で、かなりのものが撤去された。地元と縁がある将官に依頼して碑文を書いてもらうことが多い。

箕面忠魂碑訴訟 http://www.jicl.jp/now/date/map/27.html
Y.M.記「忠魂碑」という文字が刻まれた石碑を目にすることがあります。忠魂碑とは、元々戦没者の霊を慰霊・顕彰するために町や村で建立された石碑をいいます。その歴史は、明治時代の戊辰戦争までさかのぼることができますが、その後の日清・日露戦争以降に全国的に広まりました。また、かつての軍国主義の下では、軍事教育の一環として学校の敷地内に建立されたものも多くあったといいます。箕面忠魂碑訴訟は、学校の敷地となる場所にあった忠魂碑の移転と、その忠魂碑前で行われた慰霊祭に対する自治体の関与が政教分離違反として争われたケースです。

大阪府箕面市の箕面小学校では、生徒数の急増や校舎の老朽化によって校舎の増改築工事や校庭の拡張をすることが急務となりました。ところが、これらを行うためには、同小学校の用地に隣接していた土地の明け渡しを受ける必要がありましたが、そこに問題となる忠魂碑が建立されていたのです。箕面市は、この忠魂碑を管理維持していた地元遺族会に対し、忠魂碑の移転用地を取得して移設することと、その敷地を無償で貸与することを約束します。

他方、地元遺族会は、毎年この忠魂碑の前で神社神職または僧侶の主宰の下に、神式・仏式隔年交替でそれぞれの儀式のやり方で慰霊祭を行っていました。そして、1976年と1977年の慰霊祭には、市教育長が参列して玉串奉納や焼香を行い、また市職員や公費が用いられ慰霊祭の準備が行われたのです。これに対し、箕面市の住民は、これらの事実がそれぞれ日本国憲法20条及び89条の政教分離原則に反するとして2つの住民訴訟を提起したのでした。

大阪地裁は、1982年3月24日、まず前者について、忠魂碑の宗教的性質を認め、箕面市によるその移設と敷地の無償貸与が政教分離に反するとしました。また、1983年3月1日、後者についても、市教育長の慰霊祭への参列は公務とはいえず、その時間分の給与は不当利得となり返還義務を負うとしたのでした。これに対し、これらの事件を併合審理した大阪高裁は、1987年7月16日、忠魂碑の宗教的性質を否定し、遺族会の「宗教団体」としての性格を否定すると共に市教育長の慰霊祭参列は社会的儀礼の範囲を出るものではないとして、政教分離違反を主張する住民らの訴えを退けたのです。

 1993年2月16日、住民らの上告を受けた最高裁は、箕面市による忠魂碑移設並びに地元遺族会への敷地無償貸与と市教育長による慰霊祭参列のいずれについても、憲法の政教分離原則に反するものではないとして、上告を棄却しました。それを判断する際に最高裁が用いた基準が、いわゆる「目的・効果基準」と呼ばれるものです。これは、問題となっている公権力の行為の目的が宗教的なものであるかどうか、そしてその効果が特定の宗教を援助、助長、促進あるいは圧迫、干渉するものかどうかによって、その行為が政教分離原則に反するかどうかを判断する、という基準です(憲法MAP愛媛編・愛媛玉串料訴訟も参照)。しかしながら、この基準は、用いられ方次第では、公権力と宗教とのかかわりを緩やかに認めてしまいかねない余地を残しており、現に本件ではそれが現実のものになってしまった感は否めません。確かに遺族会は「宗教団体」ではないにしても、それが管理維持する忠魂碑や、またそれが執り行う宗教的な行事について公的な財政援助を行うことの実質的な意味を厳密に検討することが、本件においては問われるべきことだったように思われます。

愛媛玉串料訴訟  http://www.jicl.jp/now/date/map/38.html

. ロ兵の墓前平和願う 松山 慰霊祭に住民ら40人

愛媛の弓山正路です。題記の見出しの愛媛新聞記事を紹介します。 
日本とロシアの友好を深めるのに、「坂の上の雲」ドラマが果たして貢献するのか、逆に日本の優越意識・軍国主義礼賛を助長し悪影響を及ぼすのではないかと危惧します。

「坂の上の雲」で司馬遼太郎は、ロシア兵捕虜に対して国家をあげて優遇したと書いていますが、実態については、高井弘之著・検証「坂の上の雲」ブックレット32ページからをお読みください。
決して日本が国をあげて優遇したのでなく、虐待していた事実が記されています。  その中で、松山捕虜収容所の部分を紹介します。
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最後に、「優遇」したということで有名な松山捕虜収容所のことについての証言も、少しだけ紹介したい。
〔略〕一般捕虜に起きた事件について若干述べてみよう。
(一)ほかのバラックから少し離れた所にある別名「隔離病棟」で、松葉杖無しでは歩けない負傷兵が立入り禁止の中庭に入ったことで作業員(このバラックには看護婦はいない)に松葉杖で殴打された。彼はバラックから七歩以内の歩行許可をもらっていた。それ以来彼はベッドから起き上がれなかった。〔中略〕
(三)ある兵士は、禁を犯して官給じゅばんを風呂場の熱湯で洗濯したかどで数時間立たされた(当時彼の足の傷はまだ癒着していなかった)。下着の交換はごくまれで、兵隊たちは一か月半も同じシャツを着せられていた。」
(F・クプチンスキー著『松山捕虜収容所日記─ロシア人将校の見た明治日本─』/中央公論社)ブックレット検証「坂の上の雲」高井弘之著p35
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2010年3月26日 愛媛新聞 11面
ロ兵の墓前平和願う 松山 慰霊祭に住民ら40人

 日露戦争の捕虜が眠る松山市御幸1丁目のロシア人墓地で25日、第50回慰霊祭(市主催)があり、保存活動に取り組む住民ら約40人が、帰郷を果たせず異国で人生を終えた兵士の冥福を祈った。
 同墓地には、日露戦争で捕虜となり松山収容所で亡くなったワシリー・ボイスマン海軍大佐ら98人が埋葬されており、地元の勝山中学生や老人クラブなどが清掃している。
 同日は同校生徒会長の曽根夏生君(14)が「ロシア兵を親身に世話した市民の美しい心を受け継ぎ、地域の協力を得て、奉仕活動を続けてきた。地道だが素晴らしい活動から世界平和が広がることを望む」とあいさつ。参列者がそれぞれの墓前に献花して合掌した。
 在大阪ロシア連邦総領事館のイワン・プロホロフ総領事は一つ一つの墓碑銘に目を通し「墓地を見守り平和を願う松山市民は戦争の残酷さを誰よりもよりよく分かっており、日本、ロシア間の理解と友情を強いものにしてくれた」と謝辞を述べた。(森田康裕)
【写真】日露戦争で捕虜となり松山市で亡くなったロシア兵の墓に花をささげる参列者
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なお、ブックレット検証「坂の上の雲」の注文については下記HPに掲載しています。ご一読ください。
弓山正路 myumi@icknet.ne.jp
えひめ教科書裁判資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub2-sabannsiryou.htm
小説『坂の上の雲』及びNHK放映をめぐる資料
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/sub4/4/sakakumo.html
2010/03/29

3/13の 『坂の上の雲』と日露戦争 於市民連帯集会 報告

政治の変革をめざす市民連帯MLから転載
3/13 CS政治討論集会 報告
   日時:3月13日(土)午後2時~
   講演:深津真澄 氏(ジャーナリスト)
   テーマ:司馬遼太郎をどう見るか
   司 会:林 克明   主催:政治の変革をめざす市民連帯 

「司馬史観をどう考えるか」
 2010・3・13 『坂の上の雲』と日露戦争 於市民連帯集会 レジュメ
講演:深津真澄 氏(ジャーナリスト)
1)「司馬史観」とは何か
・幕末から明治時代への作品群。『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』『峠』『歴史の中の日 本』『明治という国家』『この国のかたち』などエッセイ、講演多数
・司馬史観否定論 から靖国派の利用まで。史観は誰にも、どの時代にも存在する
・「明るい明治」と「暗い昭和」の二項対立史観→日露戦争以後をなぜ書かなかったか
・江戸、明治に対する愛情、マルクス主義歴史観への反発、民衆よりエリート重視

2)小説『坂の上の雲』の構造・三人の主役=正岡子規、秋山好古・実之兄弟。三人は伊予松山の同じ町内で生まれ、国 家として 青春期を迎えようとした明治日本の発展にそれぞれの役割を懸命に果たした
・「明るい健気な明治」=書き出し「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている」 「一朶 の白い 雲をのみ見つめて」→タイトル、町工場のような小さなひらけた国家
・日露戦争の性格規定=祖国防衛戦争、国民戦争。「当時の日本人は精一杯の智恵と勇気と幸運をつかんで外交能力の限りを尽くして勝利をかちとった」
・独特な文体=小説というより文明批評的エッセイ、鳥瞰図的小説作法の完成形

3)日清・日露戦争と史実
・「明るい明治」による史実切り捨て=「朝鮮半島という地理的存在」「多分に受け身」山県有朋の朝鮮利益線論、隠された日清戦争の発端、旅順虐殺事件、妃惨殺事件無視・祖国 防衛戦争といえるか=シベリア鉄道の東進、ロシアの遼東半島租借、国民的脅威感 本質は朝鮮半島支配権をめぐる帝国主義戦争=第一次世界大戦に先立つ「第零次世界大戦」→日英同盟と英露の世界戦略、韓国の局外中立宣言無視、対露戦の兵站基地、連絡基地として実質植民地化、韓国併合は総仕上げ、日清・日露はセットの戦争

4)司馬の戦後歴史学批判・悪玉か善玉かで捉える歴史学に近代精神はない=執筆時期(1968~72)の反映「明治一〇〇年、高度成長、左翼学生運動の世界的拡大、72年の連合赤軍事件の衝撃・東大教養学部報の『坂の上の雲』評価座談会=歴史学側の自己批判。生きた歴史の実感・司馬の戦後日本評価=軍国主義日本の否定、史上初めて国民が食える、死ぬほど好き・司馬の功績=近代日本の歴史に大衆的関心を集めた、安心して生きた歴史を知った実感 

5)司馬史観で解けぬ謎
・大正期無視の一直線史観=合理的でリアリズムに徹した明治の日本人はなぜ昭和前期の 軍国主義に転落したのか、日比谷焼討事件から統帥権日本に直結したといえるのか
・『近代日本の分岐点』の主題=植民地支配が生んだ軍部の権限強化→・満州問題協議会による 軍部押え込み
・師団増設問題と上原参謀総長の単独辞任による西園寺内閣退陣・シベリア出兵の狙い
・バーデン・バーデンの密約による中堅幕僚層の政治集団化・山梨軍縮と宇垣軍縮の反動による危機感・満州事変予告編としての張作霖爆殺事件

6)私の結論=
・司馬作品を歴史そのものと思い込むな、
・「明るい健気な明治人」とい見方に立って実際の歴史過程から切り出して来た物語である。
・史実を絶対とする歴史学と史実のデフォルム、切り捨てもあり得る文学作品とは違いがあって当然
・歴史をつくるのは人間であり、戦後歴史学は実証を重視するあまり人間不在だった。 

<質疑>
M:日本は欧米列強の近代化を追いかけていた、というのが司馬さんの認識か。
F:深津さんは寛容だ。司馬は100%史実通りだとどこかで主張している。読者は彼の小説を必ずしも歴史に忠実ではない物語だとは読まないだろう。
深津:そのようなご意見はあるだろうと思っていた。確かに第五巻に事実に100%拘束されると述べているところもある。例えば戦闘場面などは長々と経過そのものを事実に沿って丁寧に記述している。しかし切り捨てられている部分もたくさんあるのも事実だ。
M:犬丸義一さん曰く「歴史の勉強にはロマンが必要」。彼がこういうのは意外だと感じたがなるほどと思うこともある。
A:年取ると許すようになる。相互にないものねだり状態ではよくない。歴史小説家にねじまげや切捨てが生じる。結局は作者の好みの問題か。
深津:好みを意識的に排除して純粋化、客観化するのは困難だと思う。例えば小村寿太郎の悔しさから生まれた怒りによってアメリカ排除の満州鉄道建設があったのではないか。小村の悔しさを理解しつつ両者を公平に書き込むべきでそのように努力するが、これを現在時点で裁いてはいけないと思う。底の浅いものになってしまう。小村個人の責任というより当時の日本全体の体制が招いたものだと私は認識している。
Y:司馬は陽気だ。作家には正反対な欝気味と二種類ある。坂本竜馬も陽気で、司馬はそういう点でも 坂本を好きだったのではなかったか。
深津:竜馬を好きでその延長で歴史を見ていったのではないか。反対に乃木はその精神主義と妻への態度などの面で嫌いだったと思われる。司馬は乃木以外は殆どの場合、主人公に愛情をもって書いていた。幅広い新聞に書いていたが、全紙の編集者から好かれていた。逆に言えば人間の救いようのない冷酷さなどは書けなかったのではなかったか、司馬の限界かもしれないが。ノモンハン事件は取材はしたが途中で嫌になったらしく書いてはいない。明治以降のことを書いてない三つの理由 
①日本軍の酷さが分かって描くことが苦痛になった 
②昭和の陸軍に天皇をどう位置づけるか、立憲君主制と見れば天皇の言動が憲法の範囲内であれば戦争責任はないとなるが、現実ではどうか、書けなかったか 
③明治以降のことで書いためずらしいのものに正岡子規の養子と友人を中心にした「ひとびとの足音」がある。これは明るい。
K:晩年には在日韓国人に理解を示していたようだ。NHKがなぜ3年がかりでのドラマ化に踏み切ったのか?
深津:在日問題は書いたものは見当たらないがそうだったのだろう。映像化を一貫して拒否していたのもそのような問題への反省があったのかもしれない。NHKもそのあたりを考慮して慎重にドラマつくりしていると思われる。ナショナリズムを煽ることなく、センセーショナルにならないように作っているようだ。
Z:史実中心でなく個人の人間の評価を基本にするというのは理解できるが、作品とは別に司馬の歴史へのスタンス、昭和天皇への評価が高いことをどう見るか。
深津:ご自分なりの司馬観をつくればいいのでは。司馬の日本軍国主義の馬鹿らしさ、酷さに対する心底からの怒りをもっていたのは本物。これが読者に安心感を抱かせる。軍国主義のナショナリズムは否定するが明治時代の初々しいナショナリズムは評価すべきと考えていたのだろう。リアリズム、合理主義の人であった。なんでも一辺倒で見ることを嫌っていた。土地バブルへの怒りも大きかった。経済政策の誤りやオウム事件への主張も持っていた。
S:日本人とは何か、がテーマだったと感じている。一方、暗い面を避けることがあったのではないか。
深津:暗い面を書いた作品もある。作家だから、、、。     以上

4・18シンポジウム―朝鮮植民地化から100年

ー東アジアの平和と共生をめざしてー
「韓国併合」100年市民ネットワーク より転載
今年は「韓国併合」100年。しかし、いま だに「韓国併合」が適法だったのか違法だっ たのか、無効だったのか有効だったのか、その評価は日本の中で定まっていません。
こんなことで日韓関係は「未来志向」で発展していくのでしょうか?
「韓国併合」100年という地点に立って、 もう一度「韓国併合条約」を問い直してみよ う、そんな趣旨で 4月18日にシンポジウム を開催します。日韓の研究者によって「韓国併合」を歴史的、法的に検証していきます。 是非、ご参加ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さる 1月 31日、東京において、 200名をこえる参加の下で「韓国強制併合 100年共同行動」日本実行委員会が結成されました。同実行委員会は、韓国強制併合から 100年を迎える今年、 8月 22日(日本)、 8月 27~29日(韓国)での日韓市民共同宣言大会の開催を中心に、今なお清算されていない植民地支配の清算と平和な東アジアを実現していくために、日韓の様々な団体の協力・共同で、日本政府への要請やキャンペーンを展開していこうとするものです。
今回の企画は、その第1弾です。皆様の積極的な協力・参加をお願いします。
***シンポジウムの案内***
◇ 日時:4月18日(日)午後2時~5時 (開場 1時30分)
◇ 場所:全水道会館大会議室 ( JR水道橋駅から徒歩3分)

◇ パネリスト 李泰鎮さん(ソウル大学名誉教授、著書「東大生に語った韓国史」「国際共同研究 韓国併合と現代」笹川紀勝さん(明治大学教授、著書「韓国併合と現代」「自由と天皇制」等) 姜徳相さん(在日韓人歴史資料館館長、著書「朝鮮人学徒出陣」等)
◇ 参加費700円(学生500円) 【会場案内図】全水道会館(文京区本郷 1-4-1 03-3816-4196)
案内チラシ http://www.nikkan100.net/100418syukai.pdf
主催:「韓国強制併合 100年共同行動」日本委員会
(共同代表伊藤成彦、姜徳相、鈴木裕子、宋富子、中原道子、山田昭次) (連絡先 ピースボートとうきょう 03-3362-6307新宿区高田馬場 3-13-1-B1)10/03/27

投稿:福田みどり氏の「菜の花忌」での発言について 中島 晃(弁護士)

  3月13日の朝日新聞朝刊に、「ことば」と題するコラム欄があり、そこに「福田みどりさん(司馬遼太郎記念財団理事長)」の14回目の「菜の花忌」シンポジウム(2月13日)における発言がのっている。
 その発言は、NHKドラマ「坂の上の雲」が放映されるまでの葛藤をふり返って、
「司馬さんは『坂の上の雲』だけは映像化したら嫌だ、これは遺言だと言っていました。 それを裏切ることになって、私なりに理由もあったのですが、悩んでおかしくなって、おびえてしまうようになっていました」としたうえで、
「戦争賛美と誤解されないよう、司馬さんの精神がまっすぐ伝わるよう、どうすればよいのか、何度も(心の中の)司馬さんと話しました。よそ行きのスーツを着た司馬さんではなく、パジャマ姿だったり、ソファに寝ころんでいたりする司馬さんです。私はこれまでで今が一番深く司馬さんとつきあっているような気がします」というものである。
 「坂の上の雲」だけは映像化しないという司馬遼太郎氏の遺言は、生前、これをNHKブックスという公刊物に掲載して発表されており、遺族に向けられているだけではなく、多くの読者にも向けられた半ば公的な約束ともいうべきものである。
 したがって、遺族がこれを映像化することは、作者の遺言に対する裏切りだけではなく、読者に対する裏切りでもある。
 こうした二重の裏切りを犯したうえで、はじめてNHKが「坂の上の雲」をドラマとして放映することが可能となったことを考えると、遺族の責任はきわめて重いものがあり、その経緯と理由について、読者にきちんと説明する必要があるといわなければならない。
 したがって、福田みどり氏が「私なりに理由もあった」というのであれば、その理由とは具体的に何かを明示すべきであり、パジャマ姿やソファに寝ころんでいたりする司馬と何度も話し合って了解を得たかのようにいうことは、いかに著作権者であるとはいえ、読者を愚弄するに等しいものといっても過言ではない。
 福田氏が、昨年末に放映されたドラマの第1部について、「司馬さんの世界に心を込めて向き合っていて、感動しました」と述べて、遺言に対する自らの裏切りの正当化を図っている。

 しかし、「坂の上の雲」が日露戦争のそのものを肯定的に描いていた作品であり、戦争の悲惨さや非人道性をテーマとしたものではないことからいって、これを映像化することがいかに大きな危険をはらんでいるかについて全く認識しておらず、作者の残した遺言のもつ意味の重大さに気づいていないのは、まことに残念なことである。
 この程度のことで、読者に対する裏切りが許容されると考えるのであれば、それは司馬遼太郎氏に対する読者の信頼そのものを大きくそこなうことになるばかりではなく、国民的作家とされている司馬氏の業績に消しがたい汚点を残すことになったのではないだろうか。 (3月23日記す)
参考:菜の花忌シンポ 「『坂の上の雲』と日露戦争」を語る (産経 02/13)
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醍醐 聰氏からの返信

中島 晃様
ご論稿、読ませていただきました。今回の福田みどりさんの発言を見過ごさず、問題点を突く批判を明らかにされたことに深く共鳴しました。

ご論稿の中の「読者への裏切り」の意味が十分に理解できていませんが、「司馬氏の遺言を裏切ったのではないか」と後ろめたさを吐露する一方で、放送されたドラマを見て、「感動した」と語る福田さんの言動を第三者が理解するのは困難です。
ドラマ化を承諾した心の葛藤を人前で語るのなら、ドラマ化を承諾した「私なりの理由」なるものを公にすることこそ、司馬氏と読者に対する真摯な責任を負い方だと思います。

と同時に、私は以前から時々言っていますが、NHKに対し、ドラマ化の許諾を得るにあたって、著作権承継者と交わした同意(文書)のせめて要旨だけでも公開するよう求める必要があると考えています。

凄惨な戦場の場面の描写等を避けたり、朝鮮王宮占領事件や朝鮮王妃殺害事件をナレーションでさらりと済ませたりしたからといって、原作の好戦趣向、対朝鮮侵略を正当化した原作の歴史隠ぺいの事実を消し去ることができるわけではありません。

また、原作を脚色する番組制作者の裁量の余地を理由に原作のドラマ化に対する批判を躊う一部の意見も大きな誤りだと再度、指摘したいと思います。

むしろ、私はひとたび、ドラマ化すると決めたなら、凄惨な戦場のシーン(たとえば、肉弾が飛び交った旅順攻防戦を体験して真之が衝撃のあまり出家して、敵味方なく戦死者を弔いたいと言い出したことなど)をしっかりと描き、戦争の実相を少しでも伝えるよう努めることが制作者の役割といえるでしょう。

この数年の間に見たナチ・ドイツ時代の洋画――「戦場のピアニスト」、「カティンの森」、「誰がため」などーーはこれでもかこれでもかというくらい、虐殺の場面を描き切っています。                     醍醐 聰

「坂雲」ここでも人気 横須賀市の戦艦「三笠」

投稿:愛媛県今治市の弓山正路です。   10/03/24
3月23日付愛媛新聞「読者投稿・みもの」欄に横須賀市の戦艦「三笠」が題記のように紹介されていました。
見学者が増えているとのこと、ドラマの影響力の大きさに注意を払う必要があります。
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2010年3月23日 愛媛新聞 26面より
「坂雲」ここでも人気 読者の投稿
横須賀市に保存されている連合艦隊旗艦「三笠」。艦内で「秋山真之と正岡子規展」が開かれていました。NHKドラマ「坂の上の雲」放映後、見学者が増えたそうです。(16日撮影)
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記念艦「三笠」公式ホームページ|神奈川県横須賀市
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/
(参考)「新しい歴史教科書をつくる会」扶桑社版 歴史教科書「歴史の名場面 日本海海戦」(p169)
このような戦意高揚をはかる記述の教科書をこの4月から、今治地区の中学生は使わされてしまうのです。「三笠」の例ひとつで「坂の上の雲」と「つくる会」教科書が1本の線で結びつきます。
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秋山真之の功績しのぶ 松山 生誕142年祭 いり豆振る舞う 10/03/23
2010年3月22日 愛媛新聞 9面 より
秋山兄弟ははたして本当に『無私の精神』であったのか、それが検証されなければなりません。(弓山正路氏提供)          ◇   ◇   ◇   ◇
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に登場する明治期の軍人・秋山真之の生誕142年祭が21日、松山市歩行町2丁目の秋山兄弟生誕地であり市民ら約200人が参加した。【写真】振る舞われた煎茶を楽しむ出席者

秋山好古・真之兄弟の功績を後世に語り継ごうと、常盤同郷会(平松昇理事長)が生誕地を整備した2005年から、真之の誕生日の3月20日ごろに行っている。
式典は天候不良のため生誕地内の武道場で実施。真之の孫・大石尚子参院議員が「祝っていただき感無量。真之も喜んでいるはず」とあいさつした。武道場内の真之胸像に献茶した後、煎茶(せんちゃ)を味わった。

ドラマ「坂の上の雲」や小説の中で真之が食べるいり豆をヒントに、ことし初めていり豆のプレゼントを実施。しちりんでいった豆を生誕地のボランティアガイドが手作りした伊予かすり製の小袋に入れて、参加者に振る舞った。園児や小学生による琴の演奏もあり、出席者は真之の人柄や秋山兄弟の無私の精神に思いをはせていた。        (桧垣修)

ドラマ「坂の上の雲」と朝鮮半島 - 多面体F

http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/fa5f1eebf62c6e556932ea4d0e52a239?st=0より
3月11日(木)夜、練馬区役所会議室で大日方(おびなた)純夫さん(早稲田大学文学部教授)の「ドラマ『坂の上の雲』と朝鮮半島」という講演会が開催された(主催:ねりま日朝女性の会)。ねりま日朝女性の会は韓国併合100年の歴史を3回シリーズで学ぶ学習会を企画し、これが1回目に当たる。
大日方さんは、司馬が書いたままに読むと朝鮮の歴史の何が見えなくなるか、このテレビドラマを見るとき何に留意すべきかを話された。なお大日方さんは、日本・中国・韓国三カ国の歴史学者が共同編集した「未来をひらく歴史(高文研 2006年7月 第2版)の日本委員会の代表の一人である。
6時半スタートでわたしは遅れて参加したため、「はじめに」で語られた「併合」という言葉の意味や併合と国際法などの部分は残念ながら聞けなかった。
ぜんぶみる  (多面体F さまの許可を得て全文転載)

NHKドラマ 「坂の上の雲」第1部 特に(3回)~(5回)を見ての大まかな感想

呼びかけ人 中塚明氏 (奈良女子大学名誉教授)
1. 日清戦争を書いた第3回の後半と第4、5回を見ての感想ですが、日清戦争が日本による朝鮮制圧に重大な歴史的位置を占める戦争だということがなにもわからないよう描かれているのが大きな特徴ですね。豊島沖の海戦からいきなり旅順の戦争に飛びます。朝鮮のすがたは日本軍の仁川上陸の場面で、雨のなか泥水のなかから、なにかを拾う子どもの姿がちょっと出てくるだけ、貧しいどうしようもない朝鮮というイメージがこのワンショットに凝縮した描き方です。
日本が朝鮮を制圧していく中身が全く描かれないのです。第5回に「閔妃殺害事件」のことがちょっと出てくる。しかし、その後に日露戦争後の義兵闘争の写真が出てくるなど、直接関連のない朝鮮の写真を入れ、結局、閔妃殺害事件も「朝鮮がロシア寄りになったから起こった事件」という印象しか残りません。
    ◇   ◇   ◇   ◇
,日本の朝鮮侵略を書かないのは原作に忠実な描き方。だから伊藤博文の日本帝国主義を代表する政治家としてのイメージがまったくドラマから浮かび上がらず、ただ、いつも臆病な「平和主義者」というイメージしかし出てこない。
伊藤をこういうふうに描くのと日本の朝鮮侵略の実態を描かないというのは、このドラマの裏表の関係でしょう。
 第5回で、伊藤博文・井上馨・陸奥宗光の三人が語り合う場面があります。
伊藤「陸奥、わしらは何のために清国といくさをしたんじゃ。外務大臣は、理由なしにいくさをしちょるんか」(あっけにとられている陸奥に代わって)、井上「ハッハッハッ、そりゃ朝鮮の独立じゃろう、のう、ハッハッハッ」という場面。
 これがこのドラマの日清戦争のオチなのです。視聴者もこれで、日清戦争を納得!なんですね。
    ◇   ◇   ◇   ◇
.アメリカ・ロシア・イギリスなどの帝国主義国としてのありようの批判が随所に出てくる。「アメリカインディアンのクリーン戦術」等。「狡いやり方」を語り、「食肉獣」としての「帝国主義国」というイメージを繰り返し、日本人のナショナリズムをかきたてるが、日本の朝鮮にやったことをなにも書かないから、日本だけが「まことに小さい国」で少数の優れた政治家、たとえば小男の小村寿太郎らが、必死でその「食肉獣」に対抗しているという状況を視聴者に印象づけている。
    ◇   ◇   ◇   ◇
.「外交には軍事力の裏付けが必要です」という陸奥宗光。これは帝国主義時代の政治家として当然の主張。しかし、これも対帝国主義国、ひいてはロシアに収斂する方向で物語られているので、日本の軍事力が、朝鮮をはじめ中国になにをしたのか、また列強に日本の軍事力をどう売り込んだのか、そういう近代日本にとって基本的なことがなにも語られない仕組みになっている。
    ◇   ◇   ◇   ◇
.原作もそうだからドラマもそうなるのは避けがたいのでしょうが、原作者の司馬はもとより、NHKのこのドラマ制作の当事者(演出から俳優諸氏まで)、あるいはNHK総体もごく一部の人を除いて、近代日本における朝鮮侵略の朝鮮にとってはもちろん、日本にとってもどんな深刻な問題を今に残しているか、という問題意識をもっていない。
だから平気で「韓国併合100年」の年に重ねてこういうドラマを放送して恥じないのだと思います。広くいえば「現代日本の姿そのもの」と言ってもよいかもしれません。こういうと身も蓋もない話になってしまいますが?
    ◇   ◇   ◇   ◇
.ただ、こういうNHKドラマ「坂の上の雲」ですが、その影響は甚大です。高文研の梅田さんに知らせてもらいましたが、2009年12月26日の朝日新聞のテレビ欄「はがき通信」にこんな中学生の投書が寄せられています。松山の市長や愛媛の教育委員会の動きとあいまって重大な注意を払っておく必要があるでしょう。その投書を紹介しておきます。

※「坂の上の雲」を毎週見ている。 内容は前に歴史の授業でやったのだが、よくわからなかったところがドラマを見てすっきりした。秋山真之が、どんどん出世していく姿が、とてもかっこいい。これから来年も、再来年も、放送が楽しみだ。司馬遼太郎の小説は、難しそうでなかなか読めないけれど、ドラマは見ているだけでいいので、その点もいいと思う。(名古屋市・中学生・14歳)
(NHK問題京都連絡会ニュースNo.15より転載)2010/03/18

NHKドラマ 「坂の上の雲」放映を見て 呼びかけ人 中島 晃氏 (京都 弁護士)

、NHKは、昨年11月から12月にかけてスペシャルドラマ「坂の上の雲」を、5回にわたって放映した。この作品は、作者の司馬遼太郎自身が生前、映像化を承諾しなかったという経緯があることから、NHKがこれをドラマ化して放映することには、さまざまな批判や疑問が投げかけられてきたことは周知のとおりである。
 NHKは、しきりに、この作品について、戦争を肯定する意味で書かれたものではないと弁解しているが、今回のドラマ化にあたって、原作になかったシーンやナレーションが登場する個所がいくつか見られたものの、基本的には、日露戦争を主題として、これを肯定的に描いた原作をそのままドラマ化したものとなっている。
   ◇   ◇   ◇
、「坂の上の雲」は、最初の部分には、副主人公として正岡子規が登場するものの、子規は肺結核で死亡し、途中からは、秋山好古と真之という2人の兄弟だけが主人公となったドラマが展開することになる。しかも、この2人は、兄の好古が陸軍の騎兵隊長であり、弟の好古が海軍の参謀として活躍するという職業軍人を主人公としたドラマであることから、いかに取りつくろうとしても、この作品がミリタリズムの鼓舞する危険性をもっていることは否定しがたいところである。
 このことは、このドラマで、毎回のように阿部寛の扮する秋山好古が騎馬で草原を疾走するシーンが登場し、”当時世界最強といわれたコサック騎兵を破った”とのナレーションが流されるシーンを見れば明らかである。
     ◇   ◇   ◇   ◇ 
、NHKは、今年11月から12月にかけて4回、さらに来年11月から12月にかけて4回、合計13回にわたって、「坂の上の雲」を放映する計画をしているが、今年11月からは、いよいよ日露戦争がこのドラマの主要なテーマとなって展開することになる。
「坂の上の雲」の最大の問題は、日露戦争を祖国防衛戦争として肯定的にとらえていることである。NHKがいかに弁解しようとも、このドラマは、明治の若者たちが、大国ロシアを相手どって、祖国日本を守るためにいかに勇敢に闘ったかを主題として描いており、戦争の悲惨さや残虐さをテーマにしたものではない。
しかも、NHKは、この作品の製作意図について、「『坂の上の雲』は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語」であるとしたうえで、この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違い」ないとしている(NHK大阪広報資料より)。
、この作品に込められたメッセージをそのまま読み解くとすると、現代日本の若者もまた、祖国日本の存亡をかけて、海外に出かけていって、銃を持って戦うべきであるということになりはしないであろうか。いいかえれば、「坂の上の雲」は、海外派兵と集団自衛権行使に向けて、国民世論を誘導するための格好の地ならしに利用される危険性を多分にはらんでいわなければならない。
 今年5月から、憲法「改正」のための国民投票法がいよいよ施行されることになる。憲法9条を改悪するために必要な法律上の手続はすでに整えられている状況のなかで、上に述べた危険性をもっている「坂の上の雲」がNHKによって放映されることの意味はきわめて深刻である。
 したがって、この問題に対して、私たち市民の側から引き続き、NHKへの批判と監視を強めていくことがいま何よりも必要となっていると考える。
(NHK問題京都連絡会ニュースNo.15より転載)2010/03/18

NHK出版「坂の上の雲 (NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック)」

での閔妃暗殺事件の記述について

NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック「坂の上の雲」の
(17ページ ひとくちmemo
)には閔妃暗殺事件について
『閔妃とは李氏朝鮮の第26代皇帝高宗の后であり、明成皇后と呼ばれる。大院君の追放後、近代化に眼を向けたのだが、旧式軍隊と大院君とのクーデターにより清国に助力を頼み、日清戦争後は、ロシアに接近していく。閔妃に不満を持つ大院君や開化勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年、大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織により焼却された。悲しい運命に翻弄された一人でもある。』
・・・・と記述されている。

一方 09/12/20 放映のNHKドラマ「坂の上の雲」第4回「日清開戦」の中では
「王妃閔妃が三浦梧楼公使率いる日本人たちによって暗殺されたのである。」という一言のナレーションが挿入されている。
全く正反対の内容である。NHKは何を考えているのか?

このナレーションには「原作には書いてない」等のクレームがNHKによせられていて、これに対する「NHKの公式見解」は
「閔妃暗殺事件についてですが、ご指摘のとおり、この事件について、さまざまな議論があることも承知しています。当時の状況を視聴者のみなさまにわかりやすく説明するため、多くの歴史資料にあたったり、専門家の意見を伺ったりして、描きました。」(NHK視聴者コールセンター)ということのようだ。

NHK出版(日本放送出版協会)はNHKの子会社であるがこの本の責任はどこにあるかといえば極めて”あいまい”である。
奥付には /(取材、編集、文) 三猿舎 /(編集人) 河野逸人 /(発行所) 日本放送出版協会/となっている。
三猿舎 とは検索すると
(有限会社)三猿舎 東京都 千代田区 猿楽町2-8-5 電話 03-5282-7061
(ウェブサイト 未登録 Eメール 未登録)であるが
この会社の本は三猿舎(編), ××社(発行)とされているものが多く、「取材、編集、文」に力をいれているようだ。(出版関係者によるとNHK出版のこの手の本は”まる投げ”らしい)

それにしても「NHK出版」の本にこんな記述があれば「NHKの見解」と思う人が多くても不思議ではない。
NHK視聴者コールセンターの回答「閔妃暗殺事件に.....、この事件について、さまざまな議論があることも承知しています。........、多くの歴史資料にあたったり、専門家の意見を伺ったりして、描きました。」はいったい何を意味しているのか?
「さまざまな議論がある」とは何のことか?

そこで 中塚明氏(奈良女子大学名誉教授、朝鮮史研究会幹事 )に次の2点を質問してみました。

① 閔妃暗殺については現在でも「さまざまな議論がある」段階なのでしょうか。
②(根拠を提示して)[首謀者は、朝鮮人の大院君で、実行犯が禹範善]と言っている人などいるのか?

中塚明教授からの回答(概要)は次のとおりでした。
────────────────────────────────────────
「閔妃暗殺について....「さまざまな議論がある」段階なのか。」とのご質問にお答えします。
 日本の内外を問わず、真面目な研究者の間では、犯人が日本人であることは共通理解になっています。直接、王妃を斬ったのは「宮本竹太郎陸軍少尉」と見られますが、ほかの日本人かも? という「議論はある」かも知れません。
しかし、日本や韓国、その他外国でも、真面目に歴史を研究している人の間で、「犯人が日本人か、朝鮮人か、さまざまな議論がある」ということは決してありません。「犯人を日本人か、朝鮮人か、特定できないようにグチャグチャにしてしまう」というのは、事件直後、三浦梧楼公使が意図的にそうしようとしたことから始まっています。

 資料①は、事前には事件計画のカヤの外におかれていた京城領事の内田定槌の原敬外務次官あて私信の事件直後の第一報です。この内田も日本の外交官として、あとでは三浦などと口裏あわせをすることになますが、この資料①はまだ口裏合わせをする前のもので信憑性が高いものです。 

 資料②は、在日韓国人の研究者である金文子さんの『朝鮮王妃殺害と日本人』(高文研、2009年2月刊行)

 資料③は、東京大学名誉教授の和田春樹さんの『日露戦争』(上)(岩波書店、2009年12月刊行) 両者とも、現在、日本内外できわめて評価の高い第一級の最新の研究です。 

また、資料④として、外務省外交史料館日本外交史辞典編集委員会編の『新版 日本外交史辞典』の「閔妃事件」をコピーしておきます。

 以上のような理由から、私は④参考としたNHK出版(日本放送出版協会)の「歴史ハンドブック」の17ページの「ひとくちmemo」は「NHKによる歴史の偽造」だと思っています。
「多くの歴史資料にあたったり、専門家の意見を伺ったりして、描きました」ということですが、どんな「専門家の意見を伺った」のか、聞きたいですね。
  以上のようにお返事いたします。        忽々不一  中塚明
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「坂雲」ドラマ 菅野さんPR 松山でイベント

2010年3月13日 愛媛新聞 8面 (弓山氏提供)
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で正岡子規の妹・律を演じる女優の菅野美穂さんを招いた同ドラマのPRイベントが12日、松山市大街道3丁目の「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」などであり、大勢のファンが詰め掛けた。
 7日にオープンした同ドラマ館をアピールしようと、県内企業などでつくる交流人口・産業拡大会議(会長・麻生俊介松山商工会議所会頭)が開催した。

 ドラマ館前であったセレモニーで菅野さんは「松山のような穏やかな地域から、秋山兄弟ら新しい時代を切り開くヒーローが生まれたことを新鮮に感じる。ドラマは、私の家族からも代表作になると言われ、女優として大切な一歩を刻めた」とあいさつ。
 同市一番町3丁目の坂の上の雲ミュージアムではトークショウもあり、来館者ら約200人を前に、菅野さんは「撮影環境のつくり込みなどが壮大な作品で、出演できて光栄。第2部は12月に放映されるので、ぜひ見てほしい」とPRしていた。(柳生秀人)
【写真】NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のPRイベントであいさつする
    正岡律役の菅野美穂さん
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鐘馗(しょうき)さんと名城めぐり&好古揮毫石碑紀行
お竹さんは心配症 : 坂の上の雲
司馬遼太郎「坂の上の雲」:六号通り診療所所長

非戦の市民講座:第10回・第11回連続講座「韓国併合100年」を迎えて

2010/03/13日清・日露両戦争を経て、日本は武力により1905年韓国に「保護条約」を押しつけ、1910年にはついに「韓国併合」を行いました。http://blog.livedoor.jp/hisen_shimin/archives/50455083.html
しかし戦後65年を経た今も、日本の朝鮮半島侵略と植民地支配の精算は未だに行われず、鳩山政権が掲げる「アジア共同体」形成の大きな障害となっています。日本国憲法第9条の実現にとっても、朝鮮半島における冷戦構造の解体と平和構築は不可欠の課題です。
「韓国併合」から100年を迎えた今年こそ私たちは、侵略と植民地支配の過去に向き合い、その精算に踏み出さなければなりません。

第10回講座:2010年4月18日(日)13時30分~16時(開場:13時15分)
会場:サンスクエア堺(JR阪和線・堺市駅下車すぐ)第1会議室
ゲスト:朴一(ぱく・いる)さん
(大阪市立大学大学院経済研究科教授)
テーマ:「韓国併合100年 植民地支配の精算とは何か
資料代:1000円

第11回講座:2010年5月30日(日)13時30分~16時(開場:13時15分)
会場:サンスクエア堺(JR阪和線・堺市駅下車すぐ)第1会議室
ゲスト:康宗憲(かん・じょんほん)さん
(韓国問題研究所代表、早稲田大学アジア研究機構客員教授)
テーマ:「韓国併合100年 日朝国交正常化をめざして
資料代:1000円

東京の戦争遺跡を歩く~『坂の上の雲』を斬る~

葵から菊へそして今みどり様より  2010/03/13
「人骨の会」からのお知らせ
(軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会・代表神奈川大学教授常石敬一)
プレ企画 第2回 4月25日(日)午後1時30分~
「葵から菊へ」
~江戸徳川屋敷跡から帝国陸軍施設へ~
講師:長谷川順一が本企画の「軍都東京を歩く」
フィールドワーク全体の意味や目的を解説します。
会場 新宿区立戸山生涯学習館会議室 新宿区戸山2-11-101 
電話 03-3207-1181 資料代 500円
申し込みは「人骨の会」事務局  jinkotsu731@yahoo.co.jp
 □連続フィールドワーク□
東京の戦争遺跡を歩く~『坂の上の雲』を斬る~
講師:長谷川順一(東京の戦争遺跡を歩く会) 何れも資料代500円 雨天決行
申し込みは「人骨の会」事務局  jinkotsu731@yahoo.co.jp

◇第1回 2010年5月23日(日)午後1時~
 「日清・日露戦争『10万の英霊』」
集合場所:東京メトロ・都営地下鉄九段下駅6番出口(地上)
見学コース:しょうけい館(戦傷病者史料館)と靖国神社・遊就館 遊就館の入館料800円は各自負担です。
◇第2回 2010年9月26日(日)午後1時~
 「江戸から明治へ~近代国家への歩み~」
集合場所 皇居大手門前(東京メトロ大手町駅下車徒歩5分)
◇第3回 2010年11月21日(日)午後1時~
 「秋山好古が学んだ陸軍士官学校」
集合場所 JR市谷駅改札口
◇第4回 2011年1月23日(日)午後1時~
 「上野戦争の戦跡」
集合場所 JR上野駅公園口改札口

スペシャルドラマ「坂の上の雲」ファンミーティング開催

松山放送局が開催する会館公開(春のふれあい広場)にあわせて「坂の上の雲」ファンミーティングを【プロデューサーによる制作秘話編】と【驚異の最新VFX (視覚効果)解説編】の2本建てで、開催します。 ぜひご参加ください! http://www.nhk.or.jp/matsuyama/info/fan/
3月20日(土)12:30~14:00【プロデューサーによる制作秘話編】
3月21日(日)12:30~14:00【驚異の最新VFX (視覚効果)解説編】
会場 NHK松山放送局(松山市堀之内5)
内容【プロデューサーの制作秘話】
 講師:菅 康弘(「坂の上の雲」チーフ・プロデューサー)
 世界各地でのロケや豪華な出演者たちのエピソードなど、第1部を振り返っての思い出と、
 2部・3部に向けての見どころや撮影の進捗状況などを、映像を使ってわかりやすく解説。
 質問・疑問にもお答えします。 【最新VFX (視覚効果)による映像合成の世界】
 講師:川邨 亮(「坂の上の雲」放送技術局制作技術センターチーフ・エンジニア)

 作品の見どころであるVFX(実写映像などにCGなどを加える視覚効果)を、実際の制作に携わっている担当者がわかりやすく解説し、疑問点にもお答えします。
申込方法 入場無料です。NHK松山放送局に電話でお申し込みください。
【プロデューサー編】と【VFX編】のどちらか、あるいは両方お申し込みも可能です。受付終了後、案内状を郵送します。
<申し込み先>NHK松山放送局(広報)(089)921-1134 (平日9時半~午後6時) 締め切り先着順・定員(各回50人)になり次第締め切ります問い合わせ先NHK松山放送局
 広報(089)921-1134 (平日9時半~午後6時)  2010/03/12

イベント:3/26、3/28「韓国併合」100年市民ネットワーク

http://www.nikkan100.net/
韓国併合から100年・植民地支配の植民地支配の清算へ 記憶・責任・未来という言葉を知っていますか?
日時 : 3月28日(日) 14時~17時
会場 : エルおおさか(京阪・地下鉄谷町線「天満橋」駅下車5分) つづきをよむ
 2010/03/12

「たま九条の会」の主催講演会「『坂の上の雲』の時代と現代の日本」

2010/3/12(金) 午後6時半開演 たま九条の会(神奈川県川崎市多摩区)主催
講演 「『坂の上の雲』 の時代と現代の日本」
講師:山田 朗(あきら)さん (明治大学文学部教授近現代史専門)
19世紀末から20世紀初頭にかけての「坂の上の雲」の時代状況を解説。そこから、現代の国際社会の一員として、日本に何が必要なのかについて考える。
続きを読む

仏が強奪した朝鮮王朝の図書、韓国が永久貸与を要請

――本はどうなるか コモンズの悲喜劇
http://bigdragon.at.webry.info/201003/article_2.html
2010年3月8日10日 Asahi.com
 【ソウル=牧野愛博】韓国政府は、1866年にフランス艦隊が黄海沖の江華島を攻撃した際に持ち去り、いまはフランス国立図書館が所有する朝鮮王朝の王立図書館「外奎章閣」の所蔵図書の永久貸与をフランス政府に申し入れた。韓国政府関係者が明らかにした。今月、ソウルである韓仏外相会談でも取り上げる見通しだ。
 この図書を巡っては、1993年9月に訪韓したミッテラン大統領が、返還を求めた金泳三(キム・ヨンサム)大統領の要請を受け入れる考えを表明したが、約束を履行していなかった。
 韓国の市民団体は「仏政府が韓国の高速鉄道にTGVを売り込むためウソをついた」と非難し、返還訴訟を起こしたが、フランス行政裁判所は昨年12月、「フランスの国有財産」として訴えを棄却。控訴審が続いている。  韓国政府はフランスの司法判断を尊重する必要上、「永久貸与」という方法に訴えたとみられる。

 韓国内では、日本の宮内庁にも朝鮮王朝関連図書の返還を求める動きがあり、仏政府の対応が影響を与えそうだ。

歴史問題の前向き解決とNHKドラマ『坂の上の雲』 牧 俊太郎氏(賛同者)

鳴り物入りで始まったドラマ、その中間決算は       2010/03/08

 NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は昨年11月29日放映を開始、12月末に第1部の5回分が終わった。放映開始前から始まった宣伝は、嵐の前の〝騒々しさ〟。インターネットなどでその「やりすぎ」を指摘する意見が、自民党代議士からもでる始末だった。
 しかし、こうした宣伝、豪華キャスト、1億という破格の制作費にもかかわらず、視聴者は踊らず、冷静であった。ちなみに視聴率。第1回は17・6。これは、48年間の大河ドラマ史上、初回としては下から4番目の低さ。裏番組のボクシングにとられた面もある。したがって第2回、3回は19・6、19・5と一定挽回したが、4回は17・8に逆戻りし、最終回は12・9に転落してしまった。
 これは原作そのものが、高度経済成長期の経営者・中間管理職以上のサラリーマン・官僚にはよく読まれたが、女性・若者に不人気だったことの反映だと私は思う。「戦勝」を軸とした「サクセス物語」への忌避である。
 第1部は、主人公の青少年期を扱った「青春物語」的要素が強いのだが、それでも〝軍事色〟のぬぐいきれない事前宣伝と実際の絵を見て、視聴者は逃げたというべきである。5回の視聴率の推移はそれを示している。

ドラマ化批判と歴史を学ぶ運動が広がり始めた

原作『坂の上の雲』の核心は、日清・日露戦争の「勝利」を軸にして、アジアの「小さな国」が「一等国」へ駆け上る「明治の栄光」を描こうとするところにある。NHKも、原作の意を受けてこのドラマを「明治の栄光」を描くことによって「現代日本人」に示唆と勇気を与えるものにすると、その意図と決意を語っている(08年3月NHK「企画意図」)。
とくに、原作は日清・日露の戦争を「朝鮮の独立」、日本の「防衛」のための戦争と描き、内容的には「朝鮮無能」論など、誤った朝鮮認識に立ち、被害国としての朝鮮とその国民の苦悩は視野の外においている。 晩年、司馬氏は、こうした朝鮮認識についての変化と反省の弁を語っているが、朝鮮植民地化を抜きに日本の近現代は語れない。NHKがこの問題をどう扱うか問われ続けるだろう。
 原作・ドラマの、このような意図と内容に対して、歴史やメディア関係の専門家・団体が、啓蒙と批判を旺盛に展開、それとともに、ドラマを批判的にとらえ、議論する取り組みが広がり、高まってきている。また、原作者が「ミリタリズムを鼓吹している」との「誤解」をおそれて、終生、映像化を拒みつづけていたという事実が知れわたるにつれ、司馬ファンのなかでもドラマ化への疑念が広がり始めている。
 私が、参加した各種の集会や学習会でも、かなりの司馬ファンがおられたが、事実を知ることで認識が変わったという感想が多く寄せられた。
 このドラマ化について、大阪民主新報に問題提起的に一文を投稿した08年初めごろは、「いまなぜ『坂の上の雲』か」という矢は私に向かってくる雰囲気があったが、いまその矢はNHKに向き始めたと実感できる。

歴史学・文学を超えて、「歴史問題」「政治問題」として

 当初の疑問の中心は、歴史と小説の問題――『坂の上の雲』はあくまでも小説・フィクションの世界である、史実にそう綿密でなかっても良いのでは、政治的に扱うのはどうか、というところにあった。
しかし、作者自身「この作品は小説であるかどうかじつに疑わしい……事実に拘束されることが百%に近いから」と書いている(単行本第四巻あとがき)。
また、元もと『坂の上の雲』という作品とそのドラマ化には「政治」がまとわりついている。私が取りあげたのもそのゆえであった。
原作を、「産経」に連載をはじめた1968年には、政府・財界一体で「明治百年記念祭」のキャンぺ-ンが開始されていた。改憲を社是としていた「産経」はその広報紙のような役割を任じていた。作品はこういうなかでスタートしたのである。中曽根元首相ら右派政治家は歓迎し、自民党では、作品を「教科書」のように扱ったことはまだ記憶されている。
一方NHKは、ずっと映像化を要請していたが、司馬氏は96年に死去する。3年後の99年にはNHKの天皇と言われ、内部の「不祥事」問題で責任を問われ辞任に追い込まれた海老沢勝二会長が直々に遺族にドラマ化の説得を開始。01年には、従軍慰安婦番組改ざん事件があった。
安倍晋三(当時、内閣官房副長官)・中川昭一氏(同自民党政調会長)が介入、NHK上層部がこれを「忖度」し、番組を〝換骨奪胎〟、取材協力の市民団体が提訴した事件である。
 ドラマの企画・推進は海老沢体制のもと、この事件と時期的にもほぼ重なる。02年には了承を取り付け、03年ドラマ化発表となる。翌04年は、日露開戦百年にあたる。中曽根・安倍・中川氏はじめ右派政治家を中心にそのキャンペーンを始めていた。03年のドラマ化発表は、彼らにとって〝贈り物〟となったであろう。
 この時期は、「神の国」発言の森喜朗内閣(2000年発足)、「靖国参拝」の小泉純一郎(01同)、「戦後レジームからの脱却」の安倍(06同)――自民党タカ派・靖国派が政治の表に浮上した時期である。ドラマ化はこうした「政治」状況の中で進められたのである。司馬氏の「ミリタリズム」云々の危惧も以上の「政治」と無縁ではない。

「韓国併合」百年の年に――NHKの恥ずべき時代錯誤

 今年は「韓国併合」百年の年。ドラマ企画が始まったころから見ても情勢は大きく動いたなかで迎える。
東アジアの平和の枠組みや歴史教科書づくりでの共同などアジアをめぐる平和と友好の気運が高まり、いろんな問題点や曲折をはらみながらも、政府レベルでも取り組まざるを得ない状況が生まれている。南米では選挙による「革命」が破竹の勢いで進み、米国でもオバマ政権を生み出すような変化が表れている。
 国内では自民党が、国民の審判で大敗し、政権の場から退場した。「靖国派」と目される自民党議員も多量に落選した。従軍慰安婦番組改ざんや、『坂の上の雲』ドラマ企画を推進した、政治家、NHK上層部の面々も表舞台から姿を消すこととなった。あくまでも「表舞台」だが。
 こういう年に、奇しくもNHKドラマは、韓国併合への一里塚というべき、日露戦争開戦前後の時代を舞台にした展開をむかえる。国民の税金と受信料で運営されている公共放送としてのNHKは、以上見てきた世界と日本の動向のなかで、恥ずべき時代錯誤を演じることになる。私は国際問題化さえ懸念する。
                 ◇
「韓国併合百年」のこの年、アジアで唯一の侵略国となった日本は、明治以来の歴史をあらためて学びなおし、国民的な議論をおこすことが求められている。それは、歴史問題を前向きに打開するカギ、アジアはじめ国際社会と日本の新しい関係を生み出す土台となり、そして憲法九条を守り、活かす力となる。

(牧 俊太郎・「司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」著者、もと大阪民主新報編集長)「2010年3月7日付大阪民主新報より転載」

福沢諭吉の実像をどこまで伝えたか? 醍醐聡のブログ

--NHK「日本と朝鮮半島2000年」第10回を視て--          2010/03/07

 1月31日、NHK教育テレビの10時からETV特集「シリーズ 日本と朝鮮半島2010年 第10回 “脱亜”への道~江華島事件から日清戦争へ~」が放送された。新聞の番組表に「“坂の上の雲”が描かなかった朝鮮への進出 征韓論から日清戦争へ」と記されていたのが気になって録画を取りながら視た。

番組が伝えた江華島事件の真相
番組は江華島事件から日清戦争開戦までの流れを資料や現地の映像、スタジオでの解説を交えて、丹念に伝えていた。特に、江華島事件について表(外国向け)の報告と裏(部内)の報告が存在したこと、表向きの報告書にある、「ちょっとした事件が起こった」、「島に立ち寄り」、「しかたなく応戦した」という記述は、欧米から国際法に違反したという非難を招かないよう、井上良馨艦長が作成した海軍内部向け報告書を改ざんしたものであったこと、実態は日本側からの侵略行為といえるものであったことを資料に沿って克明に伝えたのは、国の公式説明をなぞるのではなく、独自の取材で史実に迫ろうとする意欲的な編集と思えた。

番組が迫った福沢諭吉の知られざる実像
 この番組の予告記事を見て、私が特に注視したのは福沢諭吉の「脱亜論」だった。「脱亜論」とは福沢諭吉が自ら創刊した『時事新報』の明治18年3月16日号に社説として掲載した論説である。福沢がこうした標題の論説を発表した背景には、彼が朝鮮の近代化を推進する人材として期待し支援もしたキム・オッキュン(金王均)ら開化派が1884年12月に企てた甲申事変(清国に頼る閔氏一族の政権を打倒し、国王を頂点とする近代立憲君主制国家の樹立を企てた一種のクーデター)がわずか3日で挫折したのを目の当たりにして李氏朝鮮の「近代化」の可能性を見限った福沢のいらだちが根底にあったといわれている。
 番組では、「脱亜論」の中の次のような重要な一節をクリップで写し出した(一部、原文が省略されていた)。

 「・・・・主義とする所は唯脱亜の二字に在るのみ 我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず」
 「其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪友を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

 アジア諸国を「悪友」と言い切り、彼らとの絶縁、西洋への接近を説いた点が注目される。さらに私が注目したのは、番組の中で、上のような『脱亜論』の一節ばかりでなく、福沢諭吉の中国・朝鮮論を知る上でもっとも重要な論説とされる『時事小言』(明治14年出版)をほぼそのまま踏襲した「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年3月11日付社説)の末尾の次の一節中の下線部分をクリップで紹介したことである。

 「今の支那国を支那人が支配し、朝鮮国を朝鮮人が支配すればこそ、我輩も深く之を憂とせざれども、万が一も此国土を挙げて之を西洋人の手に授るが如き大変に際したらば如何。恰も隣家を焼て自家の類焼を招くに異ならず。西人東に迫るの勢は、火の蔓延するが如し。隣家の焼亡、豈恐れざる可けんや。故に我日本国が、支那の形勢を憂ひ、又朝鮮の国事に干渉するは、敢て事を好むに非ず、日本自国の類焼を予防するものと知る可し。」

 このように、福沢が隣国朝鮮の「有事」を日本にとっての脅威と捉え、日本の国益の名において朝鮮の国事に干渉することを正当化したことは一般には知られていない。

大東亜共栄圏構想のさきがけ~福沢諭吉のアジア文明史観の実相~
 福沢諭吉というと、大半の国民は万人の平等を説いた『学問のすすめ』から明治の自由主義思想の代表的論客というイメージを抱いてきた。また、戦後の多くの知識人は丸山真男の『「文明論の概略」を読む』の講釈に感化され、福沢を明治におけるリベラリズムの騎手のごとくみなしてきた。それだけに、この番組が、通説的な福沢諭吉像を揺るがす彼の言説を、原文を示しながら紹介したのは特筆すべき点だった。しかし、「類焼の防止」という比喩を真に受けて福沢の「朝鮮干渉」論を受け身の国防論と捉えるのでは不十分である。同じ「朝鮮の交際を論ず」のなかで福沢は次のように記している。

 「仮令ひ或いは自衛の備えを要せずとするも、彼の国人心の穏やかならざる時に当て、我武威を示して其人心を圧倒し、我日本の国力を以て隣国の文明を助け進るは、両国交際の行き掛りにして、今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり。
 我輩が斯く朝鮮の事を憂て、其国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切望するものは、唯従前交際の行き掛りに従ひ、勢に於て止むを得ざるものあればなり。・・・・此時に当て亜細亜洲中、協心同力、以て西洋人の信凌を防がんとして、何れの国かよく其魁を為して其盟主たる可きや。我輩敢て自から自国を誇るに非ず、虚心平気これを視るも、亜細亜東方に於て、此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず。」

 つまり、福沢の脱亜論は消極的な「脱亜」ではなく、文明開化を助けるという尊大なアジア蔑視の思想を錦の御旗にして、朝鮮への武力侵略を正当化するイデオロギーにほかならなかったのである。また、彼の「入欧」とは西洋文明への同化ではなく、アジアの盟主として欧米列強のアジア進出に対抗するためのイデオロギーにほかならなかったのである。言い換えると、「脱亜」と言いつつ、日本をアジアの盟主と呼び、「入欧」と言いつつ西洋列強との対抗を唱導する福沢の主張には論理的な首尾一貫性はなかったものの、その後に日本を席巻した「大東亜共栄圏」の原型というにふさわしいものだった。番組がこの点にまで踏み込まなかったのは物足りなかった。

 丸山真男によって造作された福沢神話を福沢の原作に沿って徹頭徹尾反証してきた安川寿之輔氏は、この番組を視た感想を次のように記している。長年にわたる同氏の福沢諭吉に関する批判的研究の蓄積が活きた論説で、私も大いに啓発された。
 安川寿之輔「ETV特集「日本と朝鮮 2000年 第10回」について」2010年2月6日
 http://kakaue.web.fc2.com/b1.html#YASUetv

 このほか、「坂の上の雲が伝えなかった歴史を描く」というふれこみにしては、朝鮮王宮占領事件を一言のナレーションで素通りしたのは拍子抜けだった。

「坂雲」紹介 松山元気に ドラマ館あすオープン

2010/03/07前回、前々回は松山市や公立小学校での「坂雲」礼賛の記事でしたが今日は、「官民」の「民間」の企業・団体が整備した「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」オープンの新聞記事です。こういうのを「便乗商法」というのでしょう。今日7日オープンで正午のNHKローカルニュースでも当然ながら放映されました。松山の動きをお伝えします。(賛同者:弓山正路さん)10/3/6 愛媛新聞 7面
                       ★
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の紹介を通じて松山の魅力をアピールする「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」が、松山市大街道3丁目の松山城ロープウエー駅舎2階に完成し、観光業界関係者らに5日公開された。7日オープンする。

 県内企業や団体など171会員で組織する交流人口・産業拡大会議(会長・麻生俊介松山商工会議所会頭)が整備。ドラマ放送期間に合わせ2012年1月末まで開催し、年間約15万人の入館を見込む。

 ドラマ館の面積は約300平方メートルで、七つのコーナーで構成。ドラマの登場人物を紹介するパネルや衣装、小道具などを展示するほか、主人公の秋山兄弟と正岡子規の生涯を時代を追って紹介する。映像シアターでは、ドラマのダイジェスト版を放映する。

 開館は午前8時半~午後5時半(8月は同6時)。入館料は中学生以上600円、小学生300円、小学生未満は無料。

 同館近くに「伊予の国えひめの逸品物産館」が同日オープン。小説「坂の上の雲」にちなんだ商品や県内の農水ブランド品などを販売する。開館は午前8時半~午後6時(8月は同6時半)。(宮野雄)

【写真】スペシャルドラマ「坂の上の雲」を紹介する展示品を集めたドラマ館=5日、松山市大街道3丁目 10/3/6 愛媛新聞
(参考)松山で「坂の上の雲」楽しんで ドラマ館がオープン
明治体感まつやま博 『坂の上の雲』のまち松山 | スペシャルドラマ館&「伊予の国 えひめの逸品」物産館

3/6 「韓国併合100年」東海行動たちあげ集会

2010/03/05「日韓併合100年」の今年、各地で様々動きがありますが、東海地方でも以下のように、「韓国併合100年」東海行動を立ち上げることになりました。3月6日に、以下のように結成集会を持ちます。集会への参加並びに会への参加・賛同をお願いいたします。
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◇◆◇「韓国併合100年」東海行動たちあげ集会◇◆◇
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■「韓国併合100年」を問う3・6大阪集会   2010/03/05

 日時:3月6日(土曜)午後1時30分~5時
 場所:大阪人権センター  TEL:06-6561-9121
 (JR環状線「芦原橋」下車7分) 
 http://www.osaka-jinkencenter.jp/access/index.html
 講演:韓国併合100年と福沢諭吉の「脱亜」論
 講師:安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
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『季論21』特集 日本近代と「坂の上の雲」  2010/03/05

創刊一周年記念シンポジウム〉生きた思想とは何か――近代啓蒙思想と自由民権
堀尾輝久/宮地正人/吉田傑俊
「明治の精神」は何を語るか 松本三之介
「坂の上の雲」と日本近代 原田敬一
司馬遼太郎にとっての「坂の上の雲」 新船海三郎
植民地・朝鮮の「御用英字新聞」 李 修京

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宮地正人:(福沢が)致命的なくさびとして打ち込んだのは、天皇の政治的権限の部分です。政治には一切関与するな、この1点です。それは、イギリスの議院内閣制とイギリス王室のあり方です。.....これを、福沢が天皇制と天皇制イデオロギーの成立に悼さしたと言うのは、福沢への侮辱以外の何ものでもない、と私は思います。
吉田傑俊:天皇を補佐する政府、並びに統帥権に依拠する軍部のグループは日本の政治を軍国主義および戦争へ導いていったわけですが、そういう背景は、福沢はここ(帝室論)で明示していますように、天皇制イデオロギー的機能をある意味では先駆的に方向づけしている。
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本の泉社,240頁,本体1,000円     全部読む

「坂雲」歩いて学習 松山・石井東小143人が施設巡る   2010/03/05

「坂の上の雲」まちづくりを進めている松山市の小学校が「坂の上の雲」ゆかりの施設をオリエンテーリングした記事が愛媛新聞に掲載されていましたので紹介します。
日露戦争を「祖国防衛戦争」と教えられ、秋山兄弟を「英雄視」する歴史観を植え付けられる子どもたちの将来が思いやられます。(賛同者:弓山正路さん)

 松山市越智1丁目の石井東小学校(谷井紀夫校長)の6年生143人が3日、小説「坂の上の雲」ゆかりの施設を巡るオリエンテーリング遠足をした。
 小説の主人公について地域の有識者が小中学生に話す同市の「語り部派遣事業」が昨年9月、同校であったのを機に(こちら参照)、「坂の上の雲」をテーマに授業などで学習。卒業前の集大成として遠足を実施した。
 この日は30グループに分かれ、坂の上の雲ミュージアムや秋山兄弟生誕地などを巡回。「愚陀仏庵で俳句を作れ」や「秋山好古の銅像はどちらの手で馬の手綱を握っているか確認せよ」など六つの指令を次々こなした。
 参加した尾道夢さん(12)は「松山の歴史に触れて松山のことが分かり、もっと好きになった」と笑顔で話していた。(渡部竜太郎)
【写真】秋山兄弟生誕地の銅像前で「指令」を解く石井東小の児童 2010/3/4 愛媛新聞11面

■ 朝鮮王妃暗殺 背景学ぶ 松山 ■ 韓国併合100年 誤った歴史を繰り返すな 京都

2010/03/04
■ 日本コリア協会・愛媛(東俊一会長、約50人)の「3・1朝鮮独立 運動記念講演会」が1日夜、松山市北持田町の県教育会館であった。元 奈良女子大助手の金文子さん(朝鮮近代史)が、日本公使らによる19 85年の朝鮮王妃・閔妃(明成皇后)暗殺事件をテーマに多角的な分析 を交えて講演し、約70人が事件の経緯や背景を学んだ。

 講演会は1919年の大規模反日行動「3・1独立運動」を記念して 毎年開いており、9回目。東会長が本年の日韓併合100周年に触れ「 一つの事件を掘り下げることで、日本の狙いが明らかになる」とあいさ つした。

 金さんは、暗殺の計画から実行までの流れを日本公使や領事館員の記 録を基に詳述。王朝の勢力争いによる事件に見せようとした日本の関与 が、不備で発覚した経緯を説明した。

 暗殺の目的が、軍事的に重要な朝鮮半島の国際通信線の独占だったと も指摘。ロシアなどの三国干渉が朝鮮問題に及ぶのを恐れ、ロシアと通 じているとみた王妃を日本が排除したと解説し「国家を消滅させること は一朝一夕にはできない。背景に凶悪な事件があったことを心にとどめ てほしい」と結んだ。

 聴講した愛媛大1年の男子学生(20)は「事実を知ることは大切。 内容は難しかったが、背景が分かってよかった」と話した。
【写真】日本公使らによる朝鮮王妃暗殺について講演する元奈良女子大助手の金文子さん(右)=1日夜、松山市 2010/3/3 愛媛新聞7面(秦俊太郎)

■ 韓国併合100年 誤った歴史を繰り返すな

韓国併合100年を考えるつどい 「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす、『併合』100年日本委員会」の呼びかけに応えた「京都の会、結成のつどい」が、2月28日、下京区の京都市ひとまち交流館で行われ、約240人が参加しました。

 元朝日新聞ソウル支局長、波佐場清さんが「現代韓国の誕生を見る─元ソウル駐在記者として」と題して講演。100年間の近現代史をひもときながら、戦後の歴史と87年民主化闘争後の現代について語りました。日本帝国主義の朝鮮強奪からアジア侵略、第2次世界大戦へと「狂った35年」の本質とともに、韓国では日本で報道されない多くの民主化闘争が繰り広げられていることも指摘。「併合」100年の今年、二度と誤った歴史を繰り返さず日・朝・韓の友好で新しい歴史を開こうと呼びかけました。

 歌手のケイ・シュガーさんが熱唱、参加者に深い感銘を与えました。
 参加者からは「日本の安保闘争を思い出した。青年が歴史を切りひらく先頭に立っていた姿に感動した」(69歳男性)、「現在韓国のドラマ、映画、冬季オリンピックでの活躍など、国民の変革へのエネルギーに感動し、私たちも負けていられないと思った」(63歳女性)などの感想が寄せられました。「京都の会」は、8月の戦争展への参加、秋には、第2弾のつどいを予定しています。(大橋満)
京都民報Web 2010年3月 2日 18:44

イベント:NHK「坂の上の雲」チーフプロデューサーが語る 習志野商工会議所

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」チーフプロデューサー(藤澤 浩一氏)が、番組制作の裏側と見所、ゆかりについて語ります。    2010/03/03
※定員に達したので申し込み終了いたしました
● 日 時 平成22年 3月 20日(土) 午後2時 ~
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日清、日露をめぐるメール・ダイアローグコモンズの悲喜劇:2010/03/02

コモンズの悲喜劇さまより転載
A 先日神保町の岩波ブックセンターで、和田春樹の大冊『日露戦争』上下2卷が出たのを知りました。早速Amazonで買って、さっきから読み始めたところです。和田さんもこればかりは全力投球でしょう。正確には日露開戦史ですが、近現代日本のロシア認識、対ロシア感情の起源の問題、と同時に、この戦争も日清戦争も「朝鮮戦争」ですから、近代日本の対朝鮮意識の問題でもある。司馬遼太郎批判から始めていますがこれはまったく妥当です。

 ロシア帝国には日本と開戦する意図も準備もまったくなかったというのが、和田氏のこの本の筋道の一つであるようです。日本への侵略どころか、朝鮮についても、その意図はほとんどなかった。帝政ロシアはでかすぎる図体を時にほとんどもてあましていた。ところが幕末・明治日本もその後も、ロシア「脅威論」は国是のようなものになった。明治日本ではその差し迫った「脅威」が「事実」なわけで、『坂の上の雲』は、近代日本の常識となったその「事実」からしかこの戦争を観ていない。

 去年の暮れにNHKTV版『坂の上の雲』と並行的に、私たちは韓流DVD『明成皇后』(明成皇后とは日露開戦前史で暗殺された閔妃で、70回くらいの大河ドラマ)を、出来・不出来を比較しながらほとんどまったくの同時代を描いてかくも異なるのかと、おもしろがって観ていたのですが、『坂の上の雲』(小説もそうですが)には、肝心の「朝鮮」はほとんど出てこないのです。

 「ロシア」とはなにか。と同時に「朝鮮」とはなにか。そしてその向こう側に広がる、満州・沿海州とはなにか。ということを考えてみなければいけませんね。 全部読む

〈シリーズ「韓国併合」100年 朝鮮観を根底から覆す 中塚明さん-中〉

3/13(土)司馬遼太郎史観をどうみるか?(第8回政治討論集会)2010/03/01

日時:3月13日(土)午後1時30分~
会場:文京シビックセンター(地下鉄後楽園駅、春日駅下車) 5階Cの市民会議室
地図:http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
(3/1 会場変更)
講演:深津真澄(ジャーナリスト、昨年、石橋湛山賞受賞者)
参加費:700円
主催:政治の変革をめざす市民連帯
http://www.siminrentai.com/

NHKの『坂の上の雲』放映で、司馬遼太郎が大きな話題になっています。 明治時代を美化しすぎる、日本の中国や朝鮮への侵略を直視していない、 などの批判が加えられています。そうであったにしても、なぜ司馬遼太郎の 歴史小説はこれほど大きな共感を呼びさましているのか、そのことを深く 理解しないと、「批判」は表面的なものにしかなりません。日本の近代化は いかに実現したのか、その光と陰をしっかりと認識しなけくてはなりません。講師の深津真澄さんは、著作『近代日本の分岐点』(ロゴス)で昨年の 石橋湛山賞を受賞し、日本近代史に独自の視点で切り込んでいます。司馬作品に興味を抱く人、批判的な人、多いに意見を交換しましょう。
☆講演者の著作:「近代日本の分岐点」(ロゴス)
最近の論文:「日本デモクラシーの伝統を評価せよ」『プランB』掲載。
「歴史とロマンの距離を考える」『プランB』第26号掲載予定

『坂の上の雲』のVFX合成手法を映像で紹介するコーナーも  2010/02/22

NHKは、同協会が開発している放送機器や制作手法を披露する「第39回 番組技術展」を、
3月7日(日)から9日(火)の3日間、NHK放送センターで開催する。入場は無料。
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「坂の上の雲記念館」の問題を考える会 松山市長に質問状  2010/02/21

2010年2月16日 愛媛新聞 7面より
「秋山兄弟ロシアから日本守った」松山市長発言に市民団体質問状
 松山市の中村時広市長が市立小学校で児童らに講演した際、日露戦争に関し史実と違う発言をしたとして「えひめ教科書裁判を支える会」などは15日、市長に歴史認識と根拠の開示を求める公開質問状を出した。月末までの回答を求めている。
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2月27日(土)「韓国併合」100年 - 3・1朝鮮独立運動91周年

今こそ100年に及ぶ不正常な関係に終止符を!2・27集会2010/02/19
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◆ 2月20日「坂の上の雲」批判、我孫子近現代史講座・特別編

 ご存知のようにNHKが大宣伝をし力を入れている「国民作家」司馬遼太郎のベストセラー小説の第一部放映が終わりました。皆様はご覧になっていかが感想を持たれましたか? このドラマはあと2年間、放映されるそうです・・・2010/02/16
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菜の花忌 「坂の上の雲」問う

シンポジウムで『坂の上の雲』の魅力を語るパネリストら=栗原怜里撮影

(シンポジウムで『坂の上の雲』の魅力を語るパネリストら=栗原怜里撮影)
 作家の司馬遼太郎をしのぶ「第14回菜の花忌」(司馬遼太郎記念財団主催)が13日、東京の日比谷公会堂で開かれ、司馬遼太郎賞の授賞式とシンポジウム「『坂の上の雲』と日露戦争」が行われた。
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「坂の上の雲」推移に注目(新聞投書)/金文子さん講演

毎日(1/14)みんなの広場
NHK「坂の上の雲」推移に注目 無職 84(東京都八王子市
 NHKが「坂の上の雲」をどう映像化するか、 関心を持って番組を見ています。 100年前の1910年に日清、日露戦争の帰結として韓国併合があり、日露戦争に反戦論を唱えた人たちが、大逆事件で計画にかかわったとされる人たちと共に翌年、処刑されました。「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」と歌った石川啄木、幸徳秋水らの助命を訴えた徳富蘆花、「雨の降る品川駅」で朝鮮人との連帯を歌った中野重治、そして、あの侮蔑の時代に異国の留学生・周樹人(魯迅)に温かい手を差しのべた「藤野先生」、これらの人たちがいたことで、私の心は慰められ、明日に向かって生きる力をもらったような気がします。 弱肉強食の帝国主義時代を迎え、英露独仏米の巨大な潮流の内で、小国日本外交は福沢諭吉の言う「脱亜」の道しか選ぶことができなかったのか、そして今日の韓国、中国の人たちがこの作品をどう受け取るか、心にかかります。
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「坂の上の雲」投書に教えられる  無職 83 (千葉県八千代市)
 NHKテレビ「坂の上の雲」の今後の展開を韓国や中国の人たちがどう受け取るかと案ずる投書(1月14日)に目を覚まされた。
 日清、日露戦争の帰結としての韓国併合や、社会主義者で日露戦争に反対した幸徳秋水らが大逆事件で処刑されたことなどのほか、啄木、蘆花、魯迅、諭吉らの名前も出てきて、改めて明治史をひもとく機会となったのは楽しかった。
 1月17日の「今週の本棚」では、「『坂の上の雲』と司馬史観」が著者の中村政則氏によって語られた。これは勇気の要る書だ。一例が、軍備拡張のため「飢餓予算」を組んだ明治政府に対し当時の人々から不満はほとんどなかったとする点は「小説」とはいえ司馬史観の誤りと断ずる。司馬さんは圧倒的な影響力を持つ作家だけに、フィクションが史実として浸透してしまうと著者は心配される。 史実とフィクション。同じ歴史を見るにも表と裏があって、両方に目を配らないと真実が見えてこないことを教えられた。
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金文子(キム・ムンジャ)さんが講演「朝鮮王妃殺害と日本人」著者
「韓国併合」100年歴史から学ぶ 奈良--- 日本支配の過程明らかに
奈良県で44回目を迎える「建国記念の日」に反対する県民集会が10日、奈良市内で開かれ、研究者や教員、市民ら90人が参加しました。同集会実行委員会が主催したものです。 集会では朝鮮史研究会会員の金文子(キム・ムンジャ)さんが講演に立ち、明成(ミョンソン)皇后(朝鮮王妃)殺害事件=1895年10月=の真相を、朝鮮の日本領事らが本国の外務次官に送った私信や、外交文書などを示して解き明かしました。この中で金さんは同皇后殺害は日本政府と大本営の意を受けた特命全権公使の三浦梧楼が企てた謀略事件であり、朝鮮での国権回復の動きが激しくなるもとで、同皇后の存在が、朝鮮半島の「電信線」を日本のものにする「緊急の事項」を遂行する上で大きな障害と考えられたと話しました。講漬のあと、参加者はNHKドラマ「坂の上の雲」を疑う連続学習会,など各地域、分野のとりくみを交流しました。(写真:金さんの話しに聞き入る参加者・10日)
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京都----アジアの平和創造をともに
 京都市下京区内で11日開かれた「建国記念の日」不承認を訴える府民のつどいには、100人を超す市民らが参加しました。実行委員会の大八木賢治さんが基調提案。「韓国併合」や大逆事件から100年となる今年が、「歴史から何を学び、教訓とするか、アジアの平和な未来をともに創造するためのチャンスだ」との思いを訴えました。
 ジャーナリストの島本慈子(やすこ)さんが「労働と戦争-この国のいまと未来」と題し講演しました。在日米軍基地で働く日本人の労働現場の取材や、戦中の毒ガス工場について紹介。「銃後で働く人の戦争責任」を問いかけました。また、米国に追随した日本の貧困・格差拡大政策を批判し、社会情勢が「(戦争を求めた)戦前にUターンしている」と、戦争を支える労働が全国に広がる危険性を示し、「主権者の力でベクトルを変えないといけない」と呼びかけました。
参加者からは、木製の飛行機や陶器の部品を作っていた「戦争のバカさ加減」の告発や、請負企業による″戦争の民営化″を危ぐする発言がありました。<しんぶん赤旗(2/12)>

「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」がニューズレタ17号発行


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1頁   :「言論の自由を守る砦」のために  (岩崎氏)
2頁   :NHK「ニュース7」ウォッチから(お邪魔します)
3-5頁:視聴者接触率を超えて(醍醐氏)
6-7頁:中塚明名誉教授に聞く
8頁    :作品と史実対照表(週刊金曜日)
9頁    :「これまでにないドラマ」への危惧(醍醐氏)
10頁  :「韓国併合100年と丸山諭吉」(方丈子)
11-12頁:「日本と朝鮮2000年第10回」(安川寿之輔氏)
13-14頁:「言論の自由を守る砦」(岩崎論考つづき)

イベント「韓国併合」100年 2/12(金)、2/17(水)

ぜんぶよむ

日露戦争にいたる近代日本の膨張戦略 山田朗明大教授

http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20100226#p3
第1期「坂の上の雲」で日露戦争はわかるか
講演 シリーズ「近現代史のなかの事件と人物」(1)
「日露戦争にいたる近代日本の膨張戦略」
講師:山田朗(明治大・日本近現代軍事史)期日:2010年2月26日
場所:文京区区民センター4Fシルバーホール(地下鉄後楽園駅徒歩1分)
時間:13:30~16:30 会費:800円 主催:都老協

中村政則氏『坂の上の雲』に関する講演会お知らせ

フォーラム色川: 中村政則氏『坂の上の雲』に関する講演会お知らせ http://firokawa1996.seesaa.net/article/140609941.html
立川九条の会 学習講演会
『坂の上の雲』と司馬史観
日時:2010年2月19日(金) 19:00~
場所:立川市柴崎学習館(旧中央公民館)
講師:中村政則 一橋大学名誉教授
入場無料
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東京都歴史教育者協議会 第43回研究集会
記念講演 
『坂の上の雲』と歴史教育の課題
日時:2010年2月28日(日) 9:30開場 10:00開会
場所:桐朋中学高等学校
参加費:会員 学生 500円  一般 700円
講師:中村政則 一橋大学名誉教授
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『坂の上の雲』と司馬史観
~中村政則さんと語る~
日時:2010年3月13日(土) 13:00~
場所:府中ルミエール(市立図書館)
講師:中村政則 一橋大学名誉教授

ETV特集「日本と朝鮮 2000年 第10回」について 安川寿之輔氏

2009/12/14 「坂の上の雲」は「丸山諭吉神話」で始まったで安川寿之輔氏(名古屋大学名誉教授)の論考を紹介しましたが
1/31放映された「シリーズ日本と朝鮮半島2000年第10回 “脱亜”への道 ~江華島事件から日清戦争へ~」について 安川寿之輔氏に感想をお聞きしました。
(参考)
プロジェクトJAPAN:未来へのプレーバック。
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090426_3.html
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坂の上で自由を叫ぶ オフィスエム代表 寺島純子

大きな時代の転換点というのは、自然災害のように、ある日突然襲ってくるわけではなく、気づかないうちにそうなっている場合が多い。昨日と同じ日々の中で、ひたひたと世の中は変わっている。歴史の教科書に載っている出来事のどれほどを一般庶民は意識していたことだろうか。 考える力や自分の主張をもつことを奪われた国民たちは、おとなしく決めたことに従う。出口の見えない不況で鬱屈した気分の果てに「坂の上の雲」…。
甲子園をめざすように、さわやかに戦争に行っちゃいそうな、不気味なムードを感じているのは私だけだろうか。
高らかに坂の上で雄叫びを上げることを夢見てはいけない。坂は転げ落ちてこそだ。転がっていれば苔はつかないローリングストーン。情けなくていい。勝ち負けで人生を考えない。世界にたったひとつの自分の頭に考える力を取り戻すことだ。そして自分の口や手や目や足を使って考えたことを伝えることだ。それこそが自由への第1歩である。
坂の上で自由を叫ぶ オフィスエム代表 寺島純子

中塚明さん講演。「司馬遼太郎の朝鮮観・『坂の上の雲』に思う」

在日韓人歴史資料館、第37回セミナー

日時:2010年2月6日(土)14時~16時
テーマ: 「司馬遼太郎の朝鮮観・『坂の上の雲』に思う」
講師:中塚 明(奈良女子大学名誉教授)
参加費:1,000円(会員、学生800円)
在日韓人歴史資料館では、毎月第一土曜日に「在日を知る!日本を知る!歴史を知る!」をテーマにしたセミナーを開催しています。さまざまな分野で活躍する講師をお招きし、お話を聞く「土曜セミナー」。どうぞふるってご参加ください。 土曜セミナー開催日は、展示室を無料開放いたします。
http://d.hatena.ne.jp/nikkan1984/20100112/1263250013
在日韓人歴史資料館

「坂の上の雲」の西村与志木プロデューサのメッセ-ジ

スペシャルドラマ「坂の上の雲」HP http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/NHKに、西村与志木プロデューサのメッセ-ジがあります。「成功」と評価し、今後、再放送やDVD化もやり、さらに深めていくと決意を語っている。次回は11か月後で「間延び」することなどは、相当気にしている様子です。
http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/outline/pop/06.html
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内野光子のブログ 『坂の上の雲』を見ました

『坂の上の雲』を見ました(1)放送にいたる背景
『坂の上の雲』を見ました(2)幾つかの疑問~小説とドラマと
『坂の上の雲』を見ました(3)幾つかの疑問~小説とドラマと~日清戦争の原因をめぐって
『坂の上の雲』を見ました(4)幾つかの疑問~小説とドラマと~正岡子規の実像を求めて
『坂の上の雲』を見ました(5)幾つかの疑問~小説とドラマと~正岡律の実像をもとめて
『坂の上の雲』を見ました(6・完)幾つかの疑問~小説とドラマと~「坂の上の雲」の女たち
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/02/post-6ed4.html

「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会結成の集い(1/31)

過去を清算し平和 の未来へ1.31集会 ──「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会結成の集い──
2010年1月31日(日)午後3時30分[直前まで他の企画で入れません]~7時30分
会場 早稲田奉仕園スコットホール 新宿区西早稲田2-3-1 最寄り地下鉄・西早稲田駅、早稲田駅 全部よむ

全記事一覧を追加(サイドバー、アッパーリンク)

白い雲か黒い雲か・梅原猛さんの『坂の上の雲』論

超左翼おじさんの挑戦
http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-334.html
 昨日(1/6)の東京新聞(夕刊)、「『坂の上』後の歴史は」と題して、梅原猛さんが書いていた。たいへん興味深く読んだ。  梅原さんは、この小説を「もっともおもしろく読んだ小説の一つ」だと言う。また、NHKのドラマについても、「視聴者を十分楽しませた」と評価している。
 しかし、「一つ気にかかることがあった」らしい。それは、坂の上の「雲」が、白い雲か黒い雲かということだそうだ。
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「検証『坂の上の雲』」ブックレットが「ひまわり博士のウンチク」で紹介

ひまわり博士のウンチク: 高井弘之「検証『坂の上の雲』」
(参考リンク)ひまわり博士のウンチク: 『坂の上の雲』とはどういう作品か

「検証『坂の上の雲』」ブックレットが愛媛新聞で紹介されました

「日清戦争は侵略」史料から「坂雲」検証今治の高井さん 冊子を発行
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歴史の教訓の第一条のような命題を、安重根は100年前に喝破していた

「日本の偉大な名声や絶大な勲功は一朝にして失われ」たと安重根は断じた。 歴史は、最終的には民衆の動向で決まる。国内だけでなく国外の民衆の支持があれば、国策は栄光となる。内外の民衆の支持がなくなれば栄光は強圧へと反転する。
歴史の教訓の第一条のような命題を、安重根は100年前に喝破していた。
ごきげんようチャンネル
「坂の上の雲」を安重根ならどう批評するだろう その1
「坂の上の雲」を安重根ならどう批評するだろう   おわり
安重根は「坂の上の雲」のさらに上からアジアを見ていたのかもしれない。

今なぜ「坂の上の雲」か学習会を開催

1月25日に行われる、世話人会の際に、学習会『今、なぜ「坂の上の雲」か(上)―日清戦争までを中心に』を行います。 講師は瀬口黎生さん。 宮崎中央法律事務所3階で18時30分から開催します。 どなたでも参加できます。今なぜ「坂の上の雲」か - みやざき9条の会

■"戦争屋にだまされない厭戦庶民の会"の今村さんから賛同のメールを頂いた。

こちらで    (2010.1.15)

世論を気にしているか?『坂の上の雲』ついに始まった 壮大な「目くらまし」

世論を気にしているか?『坂の上の雲』。第一部が終わりましたね。感想はいかがですか。  四回目の「日清開戦」。見ましたよ。  司馬遼太郎の書かなかった日清戦争前後の朝鮮侵略の三大事件。東学農民蜂起については前回触れました。朝鮮王宮占領事件についてどうだったか。「(朝鮮の)王はロシア大使館に逃げ込んだ」という一言で終わっていましたね。大使館のベランダみたいなところに(王が)立っている写真が一枚映されていました。この間数秒。
ぜんぶよむ
壮大な「目くらまし」このドラマは、あたかも歴史的事実のドラマ化だと思わすようにつくられています。よくドラマ番組の最後に「このドラマはフィクションです」というスーパー(文字)が表示されますね。『坂の上の雲』も、それをやったらどうですかね。 鳩山首相は「東アジア共同体」と言っていますね。このドラマを韓国、朝鮮の人たちが見たらどう感じるでしょうか。NHKは、「まさか政権が代わるとは思っていなかった」「しまった」と思っているのではないでしょうか。でも、走り始めた車は停まらないでしょうね。
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司馬さん胸中明かす書簡発見「坂の上の雲」苦心しております

資料収集に苦労する様子をつづった司馬遼太郎さんの手紙
■露の資料少なく…作家、司馬遼太郎さんが小説「坂の上の雲」を連載・執筆中の昭和44年当時、資料収集に苦労する胸中を吐露していた手紙が、見つかった。とくにロシア側の資料入手が困難だった様子が読み取れる。

 日露戦争の戦況伝える電報発見 司馬遼太郎さんが表書き
 日商会頭「科学技術創造立国で『坂の上の雲』を」

今月号の雑誌「思想」は韓国併合100年を特集

NHKドラマ「坂の上の雲」感想・投稿・意見交換掲示板 http://8101.teacup.com/shichoshacommunity/bbs/t1/l50
投稿転載 「坂の上の雲」を理解する上で大変参考になる雑誌 投稿者:naokora 2010/ 1/10
  今月号の雑誌「思想」は韓国併合100年を特集している。これは日露戦争の意味を考える上で大変参考になる雑誌だ。2009年12月に著書「日露戦争」を出した和田春樹氏も寄稿している。ネットで読める水野直樹氏の巻頭言だけでも面白い。日露戦争を語りながらその目的であった韓国併合を無視した司馬遼太郎の認識はこの「韓国合併奉告祭碑」そのままではないのか?そしてそれをそのままドラマ化しているNHKの認識は結局「韓国合併奉告祭碑」から変わっていないのではないか?(2010/01/10)   全部読む

『「坂の上の雲」放映を考える全国ネットワーク』の呼びかけに賛同され

左のサイドバーリンクの「賛同者からのメール」をご覧ください。(2010/01/08)

NHKを操っている人たちが「坂の上の雲」で伝えたいことは…。

NHKを操っている人たちが「坂の上の雲」で伝えたいことは…。2009年12月31日
http://sponta.seesaa.net/article/137021405.html
「坂の上の雲」を使って、NHKに影響を与えるような「日本の黒幕」の人たちが何を言いたがっているのか…。そのことに興味を持つ。
そして、この作品の影で、一人の優秀なシナリオライターが自殺していることを忘れてはならない。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20081218
私の父親のような金沢大学出のプチインテリであっても、人生のどこかで「NHKの番組企画に影響を与えるような人たち」と出会っている。彼らは、地方活性 化などさまざまな思惑から番組を決定する。朝の連続テレビ小説の舞台になった地域の経済が新興されることを考えれば、利害調整機関があるのは当然のことだ ろう。
つづきをよむ
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スポンタ通信2.2: 「坂の上の雲」…。そして、2009年。
http://sponta.seesaa.net/article/136962116.html
「マスコミとは洗脳装置であって、それ以外の何物でもない」
http://sponta.seesaa.net/article/137532946.html

「坂の上のキノコ雲」への道

まさに約25、000人もの戦病死者を犠牲にした見返り戦利品と言えるだろう。果たして戦争はそれだけの人命を賭する価値があるのであ ろうか。これらの反省もなく大日本帝国が富国強兵の下で更に日露戦争(1904年)から、際限なく昭和の15年戦争へと突進し、日米戦争の結果、坂の上に 原爆のキノコ雲を見ることになるとは、秋山兄弟も想像出来なかったことであろう。老人党リアルグループ「護憲+」ブログ
「坂の上の雲」映像化について
坂の上の雲-大陸国家か海洋国家か

朝鮮侵略の事実を書かない「司馬史観」の危険性..中塚明教授に聞く.

-『坂の上の雲』のひどさ、危険性が最も象徴的 に示されているのは、「日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたね ばならなかった」とする記述ではないでしょうか。実際に「迷惑」をかけられた朝鮮半島の人々の痛み、苦しみ、悲しみに何の配慮もない。..
朝鮮侵略の事実を書かない「司馬史観」の危険性  週刊金曜日2009.12.18(780号)より
NHKドラマ「坂の上の雲」の原作は、歴史の偽造に満ちている。朝鮮半島支配のための戦争を正当化する司馬遼太郎の発想こそ克服されるべき自国中心主義な のだ。
(09/12/28)
PDFでよむ........
画像で(参考)

疑念残る「司馬史観」JCJ機関紙部ブログ...

ドラマは第3回以降、朝鮮での支配権を巡る日 清・日露戦争の段階に入るが、後の日露戦争に比べて司馬氏の日清戦争の扱いが軽いという批判もある。
 日本が戦争に突き進む姿をドラマがどのような視点で示すのか、注意深く見てゆきたいものである...
全部よむ

試論「坂上の雲」とNHK.薔薇、または陽だまりの猫..

私はかなり昔になりますが、『坂の上の雲』を2 度ほど読んだことがあります。これは非常に面白く、わくわくしながら読んだ記憶があります。幕末から明治の日本の様子を描写する司馬遼太郎の作品は数多く ありますが、それらはどれも面白く人気があるため、現代の日本人の歴史観に少なからず影響力を及ぼさずにはいられません。その影響力があるからこそ、危惧 されることがあるわけです。今回NHKでこの『坂の上の雲』を放映するにあたって危惧された問題点は2点ほどあるだろうと思います。.全 部よむ..

『坂の上の雲』が隠そうとすること - 元林徹の硬派辛口一直線...

司馬遼太郎は戦前の日本の歴史観は「尊皇」を柱 とする「水戸史観」であり、本来は「日本人の精神秩序の中心」である天皇を一君万民の思想から「地上の皇帝」にした「プロシャ流儀の変な天皇制」をもとに 築かれたのが明治国家だという。そして自分らの世代は戦前、この体制維持のためにこうした水戸史観の「麻薬」の入った歴史を教えられたという
http://blog.goo.ne.jp/tamapocho/e/4161533eba2968c1c6499743c9a1295a...

ドラマ『坂の上の雲』の感想と検証ブックレットのご案内

【転送・転載歓迎です】
「えひめ教科書裁判を支える会」からのお知らせです。
NHKドラマ『坂の上の雲』の第3回後半から第4回にかけて、日清戦争
が描かれた。日清戦争とは、朝鮮から清の勢力を逐い出して、日本が朝鮮
を単独支配するために、日本の方から主体的・積極的に起こした戦争であ
る。
「清国軍と平壌あたりで一戦をまじえ、勝利を得たのち
和を講じ、朝鮮を日本の支配下におく」
(林薫外務次官(当時)著『回顧録』)
「曲を我におわざるかぎりは、いかなる手段にてもとり
開戦の口実を作るべし」(1984・6・22,陸奥外相が加藤増
雄書記官を朝鮮に特派したとき持たせた内訓)
 そして、まずは1894年7月23日に朝鮮王宮を軍事占領し
て、大院君(国王の実父)に、清国軍を朝鮮から駆逐するよ
う日本に依頼する文書を、脅迫・強圧的に出させ、日本の方
から一方的に清国軍を攻撃し始めたのである。
 しかし、ドラマ『坂の上の雲』の第4回目の放送は以下のよう
なナレーションから始まった。
(高井弘之氏)
つづきをよむ

なぜいま『坂の上の雲』なのか 司馬史観をどう見るか

アジア記者クラ ブ1月定例会
なぜいま『坂の上の雲』なのか 司馬史観をどう見るか
■2010年01月28日(木)18:45~21:00
自 動車会館 大会議室 東京都千代田区九段南4-8-13(市ヶ谷駅2分)…会場確定しました。
■参加費:会員・学生1000円、ビジター1500円、ワーキングプア(自己申告)1000円
ゲスト 中村政則さん(一橋大学名誉教授)
司馬遼太郎原作『坂の上の雲』の放映がNHKで始まった。司馬ファンにとっては 待望のTV番組化だ。原作者の司馬は生前、この作品のTV番組(映画)化を 「誤解を招く」として、頑なに拒んでいたことでも知られている
つづきをよむ

『週刊金曜日』に『坂の上の雲』論を発表: 醍醐聰のブログ

『週刊金曜日』の2009年12月18日号で<「坂の上の 雲」正しい見かた・読み方>というタイトルの記事が掲載されている。そこでは、歴史学者、中塚明氏の「朝鮮侵略の事実を書かない『司馬史観』の危険性」と 題するインタビュー記事と、拙稿「なぜ今、NHKが「坂の上の雲」なのか」が掲載されている。このたび、編集部から転載の許可を得たので同号の表紙と拙稿 をここに掲載する
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-69a8.html
PDFはこちら..

参考文献ページ 更新…

半沢英一『雲の先の修羅 ――『坂の上の雲』批判』他..
歴史の真実を探り、日本近代史像をとらえ返す <http://www.koubunken.co.jp/genre/rekisi.html>

NHKドラマ「坂の上の雲」の過剰宣伝に違和感: 山本一太…

い くら何でも「坂の上の雲」の番組宣伝が多過ぎると思うのは自分だけだろうか?(苦笑) 複合不況に見舞われているテレビ業界は、ほとんど「NHKの独壇 場」という感じになっている。..
つづきは

『坂の上の雲』宣伝に対する松山市長、松山市教委への公開質問状

【転 送・転載歓迎です】 2009/12/18
えひめ教科書裁判を支える会
「坂の上の雲記念館」の問題を考える会
『坂の上の雲』宣伝に対する松山市長、松山市教委への公開
質問状を下記の二団体が行いました。
添付ファイルをご覧ください。
つ づきをよむ

なぜ『坂の上の雲』に警鐘を乱打

2009/12/17 (木) 午後 0:11 NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』NHKは今月29日から3年にわたり、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を原作としたスペシャルドラマを放映す る。すでにキャンペーンがはられ、一大ブームになる勢いだ。
  『坂の上の雲』は日露戦争での騎兵少将秋山好古、海軍参謀真之兄弟の活躍を軸にした英雄物語であるが、同時に同郷の俳人・正岡子規を配した青春物語の要素 を加味している

つ づきをよむ

NHKは歴史の真実に目をふさぎ国民をど こに導くのか

NHKは歴史の真実に目をふさぎ国民をどこに導くのか - 京都民報Web
な ぜNHKが「坂の上の雲」なのか NHKが11月から放送を開始したスペシャルドラマ「坂の上の雲」について考える講演会が12日、長岡京市のバンビオ 1番館で開かれ、奈良女子大学名誉教授の中塚明さんが「『韓国併合』100年と重ね合わせて なぜ、NHKが『坂の上の雲なのか』」をテーマに語りまし た。乙訓革新懇が主催したもので、 130人が参加しました
(09/12/18)
つづきをよむ

「日 韓併合百年」を控えての『坂の上の雲』どう考えても政治ドラマ

                            マだろう
特集記事「坂の上の雲」 正しい見かた・読みかた
『週 刊金曜日』2009年12月18日号
■「これまでにないスケールのドラマ」への危惧
 なぜいま、NHKが「坂の上の雲」なのか
   醍醐 聰

来年は「韓国併合」一〇〇年にあたる。この時期にあえて
朝鮮侵略を美化した作品をドラマ化するNHKの見識が問われる。
原作者本人がミリタリズムが鼓舞されるのを恐れて、
映像化することを拒んでいた遺志をまげることは許されるのか。
中塚明・奈良女子大学名誉教授に聞く
 朝鮮侵略の事実を書かない「司馬史観」の危険性

NHKドラマ「坂の上の雲」の原作は、歴史の偽造に満ちている。
朝鮮半島支配のための戦争を正当化する司馬遼太郎の発想こそ
克服されるべき自国中心主義なのだ。

つ づきをよむ

投 稿 みどり夫人の99年の発言とNHKのドラマ化強行

NHK ドラマ「坂の上の雲」感想・投稿・意見交換掲示板
http://8101.teacup.com/shichoshacommunity/bbs/t1/12
にtarokanja氏から投稿があった。
(引用開始)
「映像化は絶対断ってくれ。これは遺言だ」みどり夫人の99年の発言とNHKのドラマ化強行投稿者:tarokanja 投稿日:2009年12月13日(日)15時36分6秒
続きを読む
『司馬遼太郎――伊予の足跡』より

「視 聴者コミュニティ」が「坂の上の雲」特集のニューズレター16号

「NHK を監視・激励する視聴者コミュニティ」が「坂の上の雲」特集のニューズレター16号を発行しました。(09/12/16)
こちら
PDFダウンロード

「坂 の上の雲」は「丸山諭吉神話」で始まった─(安川寿之輔氏)

福沢 諭吉と『坂の上の雲』─「暗い昭和」につながる「明るくない明治」
2009年12月5日 東京文化会館
<「韓国併合」百年と『坂の上の雲』を考える会>結成総会
安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
   この報告は、日本の近代を<「明るい明治」と「暗い昭和」>に分断する司馬遼太郎のNHKスペシャルドラマ『坂の上の 雲』が、丸山眞男 の<明治前期の「健全なナショナリズム」と昭和前期の「超国家主義」>の二項対立史観を踏襲したものであることを確認したう えで、『坂の上の 雲』や戦後日本の丸山眞男流の福沢諭吉研究では、なぜ「明るい明治」=<明治前期の「健全なナショナリズム」>が、天皇制軍 国主義の「暗い昭 和」=<昭和前期の「超国家主義」>につながったのかが理解できないという問題の提起です。つまり、『坂の上の雲』批判は、 丸山眞男の福沢諭 吉研究の誤った二項対立史観批判にまで進み出なければならないという問題提起です。..
>>続きはこちら

「韓 国併合百年」とどう向き合うか(中塚 明氏)

―NHK スペシャルドラマ『坂の上の雲』を問う―..(09/12/14)
NHK『坂の上の雲』放映の狙い
来年 2010 年は韓国併合 100 年にあたる。韓国にとっては国恥 100 年である。これをどう考えるか、日本人として否応なしに問われる。このとき、NHKがスペシャルドラマ『坂の上の雲』を 11月29日から3年かけて13回にわけて放映する。この小説は 40 年前、5 年に及び産経新聞夕刊に連載され、発行部数 2000 万部を超える国民的なベストセラーとなり、司馬遼太郎の代表作となった。日本が世界の大国ロシアに勝った日露戦争が主題で、いわば明治の「成功物語」であ る。
>続きはこちらで

「坂 の上の雲」の破綻:司馬遼太郎を砲撃せよ!…

2009 年 12月 09日 「坂の上の雲」の破綻:司馬遼太郎を砲撃せよ! アルルの男・ヒロシです。 ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 http://amesei.exblog.jp/10541305/ 正直、司馬遼太郎の小説は文章がだらだらとしていて読むと疲れてくるのだが、ドラマの「坂の上の雲」は、一応録画している。(まだ見てないけど) そんな折り、露日同盟案があったというおもしろい記録があったという記事が産経に出てきた。
>続きを読む

日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦 争直前、新史料発見

Tokyo 2009年12月7日 14時17分
 日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙 殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。日露戦争についてはこれまで、作家司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で論じた 「追いつめられた日本の防衛戦」とする見方も根強く、日露戦争前史を見直す貴重な発見と言えそうだ。
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<本 と話題>司馬遼太郎著『坂の上の雲』/その歴史観を読み解く

どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)より
http://ameblo.jp/warm-heart/theme-10011300578.html

参考文献紹介
続きを読む(09/12/07)

「坂 の上の雲」放映に思う「歴史小説と歴史著述の違い

老人党リアルグループ「護憲+」ブログより
マスコミ報道NHKの「坂の上の雲」放映には私も危惧し ていたものがありました。
以前、私は「歴史小説と歴史著述の違い」について色川大吉氏の言葉を引用し述べた事があります。
http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/d/20090508
人はメディアの取り上げ方や巧みなムードつくりなどにより、小泉純一郎氏を織田信長に例えてみたり、歴史上の権力者達を領民思いの人情家や立派な人物のよ うに錯覚してしまうのです。
もちろん強大な権力を持ち歴史に名を残すような人は、リーダーシップも並外れたものがあり、知恵も謀略にも長けていて、人心を掴む才も際立ったものがある のでしょう。ただし、彼らが常に考えるのは自己の強大な富と権力基盤を維持し更に大きく確かなものに固めて行くことではないでしょうか。
そういう意味では常に権力者というのは時代が変わっても考える事はそう変わるものではないかも知れません。現代の日本では「民主主義」とか憲法でも「主権 在民」が謳われておりすので、過去の権力者ほどエゴイスティックにやりたい放題という訳にはいきませんが。それなのに、どうして人はこうも簡単に自分を権 力者の側に感情移入さててしまうのでしょうか。そうやって束の間の権力者も気分を味わうのでしょうか。
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『坂の上の雲』を徹底検証した『ブックレット』完成

え ひめ教科書裁判を支える会
NHKが大々的に宣伝し、放送を始めたスペシャル大河ドラ
マ『坂の上の雲』の原作を徹底検証したブックレット
検証『坂の上の雲』
――その、あまりにも独善的、自国中心的なる物――
を作成しました。(09/12/05)

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今 なぜ「坂の上の雲」のドラマ化なのか

老 人党リアルグループ「護憲+」ブログ..
今 なぜ「坂の上の雲」のドラマ化なのか(1
2009-12-04 09:13:04 | マスコミ報道NHKは、11月29日夜8時に司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」のドラマをスタートさせた。
生前司馬遼太郎は「坂の上の雲」の映画化、ドラマ化の申し出があっても断ってきたと言われている。おそらく戦争体験者の一人として、ドラマ化されればその 時代背景となっている大日本帝国の富国強兵の国策が美化されて捉えられはしまいかと、一抹の不安を感じていたからではなかろうかと推察する。(09/12/04)
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NHKドラマ『坂の上の雲』を反面教師として

1.さりげない語りで刷り込まれていく歪んだ歴史観

   元外務省アメリカ局長の吉野文六さんは沖縄返還交渉の際、日米政府間で密約文書が交わされていたことを証言した。その折、吉野さんが語った「歴史を歪曲 することは国民にとってマイナス」という発言は、『坂の上の雲』のドラマ化にも相通じる格言と思われる。NHKが人気キャストの演技の合間に、 
 「『坂の上の雲』は国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語で す。」
という企画意図にそって、明治の時代を「少年の国」、「小さな国」と呼び、「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組んだ」という ナレーションを公共の電波をとおしてお茶の間に流す危うさを軽視できない。
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「坂の上の雲」第一回を見て

  第一回 を見て投稿者:tarokanja 投稿日:2009年11月30日(月)16時33分
(「坂 の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)投稿用掲示板 より

1。ドラマとしては、原作を越えていない。説明ぽくて平板。原作のこの部分は、青春物語として大概の読者はひっぱっていかれる。司馬作品は、それ自身絵画 的で、映像化しにくいと言われるが、そのジンクスにはまった感あり。
『もみの木は残った』などを手がけた、NHKプロジューサー・ディレクターであった故・吉田直哉氏もこの点から一貫して『雲』の映像化に否定的であったと いわれる(牧俊太郎『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」・現代作家研究会『司馬遼太郎読本』など参照)。

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今日から『坂の上の雲』の放送がスタート

い よ いよ今日から『坂の上の雲』の放送がスタートします(NHK総合、20時~21時30分)。

それに先立って今朝からNHKは総合、教育テレビの多くの時間帯を番宣に充てています。その中で、10時05分~11時30分総合の「ぐるっと日本」で松 山放送局が制作した「“坂の上の雲” 主人公の一人秋山好古 晩年の物語・中学校長として中学校生徒に伝えた言葉など」を観ました。
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NHKの「坂の上の雲放送」について

NHK の坂の上の雲放送について 投稿者:櫻井 龍市 投稿日:2009年11月26日(木)
(「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク)投稿用掲示板 より

文章化すると長くなりますので思いつくまま箇条書きします.
1、この放送は公共放送として根本的に不適当です.

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「若い市民のためのパンセ」

高文 研の梅田正巳氏が同社のHPの「若い市民のためのパンセ」2009年8月号に、
「NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』批判
『東アジア共同体』形成が語られる今、NHKは『帝国主義史観』のドラマ
――こともあろうに『韓国併合』から100年にぶつけて」
と題する論説を掲載しておられます。大変有益な論説と思われますので紹介いたします。
若い市民のための新パンセ                                         

「坂の上の雲」まずはしっかりしたウォッチを!

JCJ ふらっしゅ [まぐまぐ!] 2009/11/24 1699号 より
       JCJ 石井 長世
2009/11/24
 NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が今月29日夜始まるが、このところ、連日鳴り物入りの前宣伝が続いている。
  原作は、司馬遼太郎の代表作で、文庫本で全8冊という長編歴史小説だ。司馬は作品のねらいを、維新によって近代的「国家」をもった新国民が、”少年のよう な”希望を持って、坂の上にかがやく白い雲をみつめてのぼってゆく明治の物語と位置づけた。 四国松山の士族の家に生れ、陸・海軍で活躍した秋山好古・真 之兄弟と、俳句の世界で新時代を開いた正岡子規の3人の物語である。
 司馬が生前、作品中の日清・日露戦争の戦争場面の多さが好戦気分を煽るとし て、映像化に反対したため、ドラマ化が実現するまでに時間を要した話題作だ。 ドラマは今年から3年にわたって、第一部から第三部までのべ15回、1回あ たり1時間半という大型番組で、今年放送の第一部5回は、3人の成長の過程と朝鮮半島の支配権をめぐる清国と日本の対立、それに日清戦争開戦が中心で、出 演者に本木雅弘、竹下景子、香川照之などの人気俳優をそろえたのも売り物だ。
 原作は、国民的作家・司馬の人気もあって、中高年を中心に 幅広い人気を集め、これまでに2000万部を売り上げたが、当初から「アイデンティティーを喪失した現代日本人が勇気を与えられる」とされる一方で、明治 が楽天的だったとする時代認識や、朝鮮、中国に対する蔑視的視点、日露戦争が”祖国防衛戦争”であったとする描写など、司馬の歴史観をめぐる批判も多く、 評価が分かれている。 放送されるドラマが原作と比べて、構成や史実の扱いがどのように変わっているのか、番組を観るまで分からないが、最近の近現代史の 研究成果を元に、司馬の歴史観の誤りを指摘する識者などの声が高くなっており、番組の展開から目が離せない。
 この企画のキャッチコピーは、「社 会構造の変化や価値観の分裂に直面し進むべき道が見えない状況が続く」日本にとって、「作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考え る上で大きなヒントを与えてくれる」であるが、いくら大作とはいえ、一人の作家の世界の上に成り立つドラマが、果たしてそれほどの洞察力を示すことができ るのか、まずはしっかりウォッチすることにしよう。
 NHKは、横浜開港150年に当たる今年から向こう3年におよぶプロジェクトJAPANをスタートさせ、このドラマもその一環だ。来年の日韓併合100 年など近現代史の重要な節目に、正面から向き合おうという姿勢は評価したい。
 しかし、この歴史小説とドラマの事実認識が一面的だとする見方もある以上、NHKスペシャルやETV特集などこのプロジェクトの他番組を通じて、別の視 点や指摘を多角的に呈示し、視聴者の期待に応えるべきではなかろうか

「韓国併合」100年 日本と南朝鮮知識人による共同声明(全文)

 1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。

 今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人びとの抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている。
 近代日本国家は1875年江華島に軍艦を送り込み、砲台を攻撃、占領するなどの軍事作戦を行った。翌年、日本側は、特使を派遣し、不平等条約を押しつけ、開国させた。1894年朝鮮に大規模な農民の蜂起がおこり、清国軍が出兵すると、日本は大軍を派遣して、ソウルを制圧した。そして王宮を占領して、国王王后をとりことしたあとで、清国軍を攻撃し、日清戦争を開始した。

 他方で朝鮮の農民軍を武力で鎮圧した。日清戦争の勝利で、日本は清国の勢力を朝鮮から一掃することに成功したが、三国干渉を受け、獲得した遼東半島を還付させられるにいたった。この結果、獲得した朝鮮での地位も失うと心配した日本は王后閔氏の殺害を実行し、国王に恐怖を与えんとした。国王高宗がロシア公使館に保護を求めるにいたり、日本はロシアとの協定によって、態勢を挽回することを余儀なくされた。

 しかし、義和団事件とロシアの満州占領ののち、1903年には日本は韓国全土を自らの保護国とすることを認めるようにロシアに求めるにいたった。ロシアがこれを峻拒すると、日本は戦争を決意し、1904年戦時中立宣言をした大韓帝国に大軍を侵入させ、ソウルを占領した。その占領軍の圧力のもと、2月23日韓国保護国化の第一歩となる日韓定義書の調印を強制した。始まった日露戦争は日本の優勢勝ちに終わり、日本はポーツマス講和において、ロシアに朝鮮での自らの支配を認めさせた。伊藤博文はただちにソウルに乗り込み、日本軍の力を背景に、威嚇と懐柔をおりまぜながら、1905年11月18日、外交権を剥奪する第二次日韓協約を結ばせた。義兵運動が各地におこる中、皇帝高宗はこの協約が無効であるとの訴えを列国に送った。1907年ハーグ平和会議に密使を送ったことで、伊藤統監は高宗の責任を問い、ついに軍隊解散、高宗退位を実現させた。7月24日第三次日韓協約により日本は韓国内政の監督権をも掌握した。このような日本の支配の強化に対して、義兵運動が高まったが、日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだのである。

 以上のとおり、韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。

 日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。この条約の前文には、日本と韓国の皇帝が日本と韓国の親密な関係を願い、相互の幸福と東洋の平和の永久確保のために、「韓国ヲ日本帝国二合併スルニ如カザル」、併合するのが最善だと確信して、本条約を結ぶにいたったと述べられている。そして第一条に、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」と記され、第2条に「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」と記されている。

 ここにおいて、力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれを受け取って、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。
 かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。

 日本帝国がその侵略戦争のはてに敗北した1945年、朝鮮は植民地支配から解放された。解放された朝鮮半島の南側に生まれた大韓民国と日本は、1965年に国交を樹立した。その際結ばれた日韓基本条約の第二条において、1910年8月22日およびそれ以前に締結されたすべての条約および協約は already null and voidであると宣言された。しかし、この条項の解釈が日韓両政府間で分かれた。

 日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した。これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。

 併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである。

 現在にいたるまで、日本でも緩慢ながら、植民地支配に関する認識は前進してきた。新しい認識は、1990年代に入って、河野官房長官談話(1993年)、村山総理談話(1995年)、日韓共同宣言(1998年)、日朝平壌宣言(2002年)などにあらわれている。とくに1995年8月15日村山総理談話において、日本政府は「植民地支配」がもたらした「多大の損害と苦痛」に対して、「痛切な反省の意」「心からのおわびの気持ち」を表明した。

 なお、村山首相は1995年10月13日衆議院予算委員会で「韓国併合条約」について「双方の立場が平等であったというふうには考えておりません」と答弁し、野坂官房長官も同日の記者会見で「日韓併合条約は…極めて強制的なものだった」と認めている。村山首相は11月14日、金泳三大統領への親書で、併合条約とこれに先立つ日韓協約について、「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いをいれない」と強調した。

 そこでつくられた基礎が、その後のさまざまな試練と検証をへて、今日日本政府が公式的に、併合と併合条約について判断を下し、日韓基本条約第二条の解釈を修正することを可能にしている。米国議会も、ハワイ併合の前提をなしたハワイ王国転覆の行為を100年目にあたる1993年に「不法な(illegal)行為」であったと認め、謝罪する決議を採択した。近年「人道に反する罪」や「植民地犯罪」に関する国際法学界でのさまざまな努力も進められている。いまや、日本でも新しい正義感の風を受けて、侵略と併合、植民地支配の歴史を根本的に反省する時が来ているのである。

 韓国併合100年にあたり、われわれはこのような共通の歴史認識を有する。この共通の歴史認識に立って、日本と韓国の間にある、歴史に由来する多くの問題を問い直し、共同の努力によって解決していくことができるだろう。和解のためのプロセスが一層自覚的に進められなければならない。

 共通の歴史認識をさらに強固なものにするために、過去100年以上にわたる日本と朝鮮半島との歴史的関係に関わる資料は、隠すことなく公開されねばならない。とりわけ、植民地支配の時期に記録文書の作成を独占していた日本政府当局は、歴史資料を積極的に収集し公開する義務を負っている。

 罪の許しは乞わねばならず、許しは与えられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない。関東大震災の際になされた朝鮮人住民の大量殺害をはじめとするすべての理不尽なる行為は振り返られなければならない。日本軍「慰安婦」問題はいまだ解決されたとはいえない状態にある。韓国政府が取り組みを開始した強制動員労働者・軍人軍属に対する慰労と医療支援の措置に、日本政府と企業、国民は積極的な努力で応えることが望まれる。

 対立する問題は、過去を省察し、未来を見据えることで、先延ばしすることなく解決をはからねばならない。朝鮮半島の北側にあるもうひとつの国、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない。

 このようにすることによって、韓国と日本の間に、真の和解と友好に基づいた新しい100年を切り開くことができる。私たちは、この趣意を韓日両国の政府と国民に広く知らせ、これを厳粛に受け止めることを訴える。
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日本側署名者 *発起人
荒井献(東京大学名誉教授・聖書学)、荒井信一*(茨城大学名誉教授・日本の戦争責任資料センター共同代表)、井口和起*(京都府立大学名誉教授・日本史)、石坂浩一*(立教大学准教授・韓国社会論)、石田雄(東京大学名誉教授・政治学)、石山久男(歴史教育者協議会会員)、李順愛(早稲田大学講師・女性学)、出水薫(九州大学教授・韓国政治)、李成市*(早稲田大学教授・朝鮮史)、李鍾元*(立教大学教授・国際政治)、板垣雄三(東京大学名誉教授・イスラム学)、井筒和幸(映画監督)、井出孫六(作家)、伊藤成彦(中央大学名誉教授・社会思想)、井上勝生*(北海道大学名誉教授・日本史)、今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、上杉聡(大阪市立大学教授)、上田正昭(京都大学名誉教授・日本史)、内田雅敏(弁護士)、内海愛子*(早稲田大学大学院客員教授・日本―アジア関係史)、大江健三郎(作家)、太田修*(同志社大学教授・朝鮮史)、岡本厚*(雑誌『世界』編集長)、沖浦和光(桃山学院大学名誉教授)、小田川興*(元朝日新聞編集委員)、糟谷憲一*(一橋大学教授・朝鮮史)、鹿野政直*(早稲田大学名誉教授・日本史)、加納実紀代(敬和学園大学教授・女性史)、川村湊(文芸評論家・法政大学教授)、姜尚中(東京大学教授・政治学)、姜徳相(滋賀県立大学名誉教授・朝鮮史)、木田献一(山梨英和学院大学院長・キリスト教学)、木畑洋一(成城大学教授・国際関係史)、君島和彦(ソウル大学教授・日本史)、金石範(作家)、金文子(歴史家)、小谷汪之(首都大学・東京教授・インド史)、小林知子(福岡教育大学准教授・在日朝鮮人史)、小森陽一*(東京大学教授・日本文学)、坂本義和*(東京大学名誉教授・国際政治)、笹川紀勝(明治大学教授・国際法)、佐高信(雑誌『週刊金曜日』発行人)、沢地久枝(ノンフィクション作家)、重藤都(東京日朝女性の集い世話人)、清水澄子(日朝国交正常化連絡会代表委員・元参議院議員)、東海林勤*(日本キリスト教団牧師)、進藤栄一(筑波大学名誉教授・東アジア共同体学会会長)、末本雛子(日朝友好促進京都婦人会議代表)、鈴木道彦(独協大学名誉教授・フランス文学)、鈴木伶子(平和を実現するキリスト者ネット代表)、関田寛雄(青山学院大学名誉教授・日本キリスト教団牧師)、徐京植(作家・東京経済大学教授)、高木健一(弁護士)、高崎宗司*(津田塾大学教授・日本史)、高橋哲哉(東京大学教授・哲学)、田中宏(一橋大学名誉教授・戦後補償問題)、俵義文(子どもと教科書全国ネット 21事務局長)、趙景達*(千葉大学教授・朝鮮史)、鶴見俊輔(哲学者)、外村大(東京大学准教授・朝鮮史)、仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授)、中塚明*(奈良女子大名誉教授・日朝関係史)、中野聡(一橋大学教授・歴史学研究会事務局長)、中村政則*(一橋大学名誉教授・日本史)、中山弘正(明治学院大学名誉教授・経済学)、永久睦子(I女性会議・大阪会員)、成田龍一(日本女子大学教授・日本史)、朴一(大阪市立大学教授・経済学)、林雄介(明星大学教授・朝鮮史)、原寿雄(ジャーナリスト)、針生一郎(美術評論家)、樋口雄一(高麗博物館館長)、飛田雄一(神戸学生青年センター館長)、平川均(名古屋大学教授・経済学)、深水正勝(カトリック司祭)、藤沢房俊(東京経済大学教授・イタリア近代史)、藤永壮(大阪産業大学教授・朝鮮史)、福山真劫(フォーラム平和・人権・環境代表)、古田武(高麗野遊会実行委員会代表)、布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学)、前田憲二(映画監督・NPO法人ハヌルハウス代表理事)、松尾尊兊*(都大学名誉教授・日本史)、水野直樹*(京都大学人文科学研究所教授・朝鮮史)、三谷太一郎(政治学者)、南塚信吾(法政大学教授・世界史研究所所長)、宮崎勇(経済学者・元経済企画庁長官)、宮嶋博史*(成均館大学教授・朝鮮史)、宮田毬栄(文筆家)、宮地正人(東京大学名誉教授・日本史)、宮田節子*(歴史学者・元朝鮮史研究会会長)、文京洙(立命館大学教授・政治学)、百瀬宏(津田塾大学名誉教授・国際関係学)、山口啓二(歴史研究者・元日朝協会会長)、山崎朋子(女性史研究家)、山田昭次*(立教大学名誉教授・日本史)、山室英男*(元NHK解説委員長)、梁石日(作家)、油井大三郎(東京女子大学教授・アメリカ史)、吉岡達也(ピースボート共同代表)、吉沢文寿(新潟国際情報大学准教授・朝鮮史)、吉野誠(東海大学教授・朝鮮史)、吉松繁(王子北教会牧師)、吉見義明(中央大学教授・日本史)、李進煕(和光大学名誉教授・朝鮮史)、和田春樹*(東京大学名誉教授)        総105人

韓国側署名者   *発起人
姜萬吉*(高麗大名誉敎授,元尚志大総長・韓国史)、姜天錫*(朝鮮日報主筆)、高光憲*(ハンギョレ新聞社長)、高銀*(詩人)、權泰檍(ソウル大敎授・韓国史)、具正謨(江原大敎授・經濟学,東北亞大学敎授協議会会長)、金京熙*(知識産業社社長)、金基.(ソウル大敎授・敎育学)、金度亨(延世大敎授・韓国史)、金炳翼(文学&知性社常任顧問)、金成国(釜山大敎授・社会学)、金彦鎬(圖書出版ハンギル社代表)、金永一(光復会会長)、金泳鎬*(柳韓大総長)、金容九(翰林大翰林科学院敎授)、金容徳*(ソウル大名誉教授・光州科学技術院碩座教授・東洋史)、金容燮(延世大名誉敎授・韓国史)、金潤煥(高麗大名誉敎授・經濟学,韓国經濟学会名誉会長)、金鍾圭(韓国博物館協会会長,韓国文化財トラスト協会会長)、金芝河*(詩人)、金鎭炫*(元韓国經濟新聞会長,元ソウル市立大総長)、金昌祿*(慶北大敎授・国際法)、金泰永(慶熙大名誉敎授・韓国史)、金平祐(大韓辯護士協会会長)、金炫(ソウル辯護士協会会長)、金皓起(延世大敎授・社会学)、金和經(嶺南大敎授・韓国文学)、金薰(小説家)、金喜坤(安東大敎授・韓国史)、羅鍾一(友石大総長,元駐日大使)、南時旭*(世宗大碩座敎授,元文化日報社長)、盧明鎬(ソウル大敎授・韓国史)、盧泰敦(ソウル大敎授・韓国史)、都珍淳(昌原大敎授・韓国史)、朴孟浩(民音社会長)、朴明圭(ソウル大敎授・社会学)、朴秉濠(大韓民国学術院会員・法制史)、朴元淳*(希望制作所常任理事)、朴在勝(元大韓辯護士協会会長)、朴維徹(安重根義士百周年記念館建立委員会委員長)、裵仁俊*(東亞日報主筆)、白楽晴*(ソウル大名誉敎授・英文学)、白承憲(民主社会のための弁護士会会長)、白永瑞(延世大敎授・東洋史)、朴宇熙(世宗大総長,韓国經濟学会名誉会長)、朴仁奎(プレシアン社長)、徐仲錫(成均館大敎授・韓国史)、成大慶(成均館大名誉敎授・韓国史)、宋永丞(京鄕新聞社長)、宋虎根(ソウル大敎授・社会学)、申庚林(詩人)、申榮福(聖公会大碩座敎授・經濟学)、愼鏞廈*(梨花女子大碩座敎授・韓国史)、安秉祐(韓信大敎授・韓国史)、安秉旭(カトリック大敎授・韓国史)、安哲秀(KAIST(韓国科学技術院)碩座敎授)、梁民滸(東北亞平和センター運營委員長)、嚴昌玉(慶北大敎授・經濟学,国債報償記念事業会常任理事)、廉武雄(嶺南大名誉敎授・文学評論)、呉世榮(ソウル大名誉敎授,韓国詩人協会会長)、呉連鎬(Oh My News社長)、劉在天(尚志大総長)、尹炳.(仁荷大名誉敎授・韓国史)、尹炯斗(汎友社社長、韓国出版学会会長)、李根寬(ソウル大敎授・国際法)、李基相(外国語大敎授・韓国史)、李琦.(ソウル大名誉敎授・地理学)、李起雄(悅話堂社長、出版都市文化財団理事長)、李萬烈*(淑明女子大名誉敎授・韓国史)、李文烈(小説家)、李相燦(ソウル大敎授・韓国史)、李成茂(韓国学中央研究院名誉教授,元国史編纂委員会委員長)、李時載カトリック大敎授・社会学,環境運動聯合代表)、李御寧(梨花女子大碩座敎授,元文化部長官)、李元德(国民大敎授・国際政治学)、李長熙*(外国語大敎授・国制法,国際常設仲裁裁判所(PCA)裁判官)、李泰鎭*(ソウル大名誉敎授・韓国史)、李效再(梨花女子大名誉敎授・社会学)、李学永(韓国 YMCA全国聯盟事務総長)、林玉相(画家)、林賑澤(韓国民族藝術人総聯合副会長)、任喆淳(韓国日報主筆)、林.澤(成均館大敎授・韓国文学)、任軒永(民族問題研究所所長)、林玄鎭(ソウル大敎授・社会学)、張萬基(韓国人間開發研究院会長)、張寅成(ソウル大敎授・外交学)、張忠植(檀国大名誉総長)、鄭聖憲(DMZ生命平和東山理事長)、鄭在貞(ソウル市立大敎授・韓国史,東北亞歴史財團理事長)、鄭昌烈*(漢陽大名誉敎授・韓国史)、鄭泰寅(高麗大敎授・韓国史)、趙光(高麗大敎授・韓国史)、趙東杰(国民大名誉敎授・韓国史)、趙東成(ソウル大敎授・經營学)、趙東一(ソウル大名誉敎授・韓国文学)、曺ヒヨン(聖公会大敎授・社会学)、朱宗桓(東国大名誉敎授・經濟学,市民社会新聞論説顧問)、車河淳(西江大名誉敎授・西洋史、大韓民国学術院会員)、蔡雄錫(カトリック大敎授・韓国史)、崔元植*(仁荷大敎授・韓国文学)、崔章集(高麗大敎授・政治学)、韓敬九(ソウル大敎授・人類学)、韓相震(ソウル大名誉敎授,中国淸華大敎授・社会学)、韓水山(小説家)、韓勝憲(弁護士、元監査院長)、許南振(中央日報論説主幹)、許粹烈(忠南大敎授・農業經濟学)、黄晳暎(小説家)
総109人

お願い
以上の声明は、2010年5月10日、東京とソウルで記者会見をもって発表しました。日韓の発起人は、この声明に賛同して下さる方の署名をいただいて、署名者を双方500人づつ、あわせて1000人にすることを希望しています。その上で、本年7月に日韓両国政府に提出し、併合100年にさいしての日本総理談話を出すこと、日韓条約第2条の解釈の統一をはかることなどを要請するつもりです。

声明をお読みになって、ご賛同いただける方は、その旨を日本側発起人(文書中の*印)の誰かにご連絡になるか、下記の連絡先にご連絡下さい。
連絡先178-0061東京都練馬区大泉学園町7-6-5 和田春樹 電話ファクス03-3922-1219
メールアドレス fwjg0575@nifty.com 発起人一同

韓国併合100年日韓共同声明に賛同します
お名前肩書
ご住所

このページに書き込んで、そのままファクスで送って下さい。メールでも結構です。
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