.....司馬遼太郎氏は原作『坂の 上の雲』の映像化を終世断っていた.....”やはり書物にとどめておきたい”

「坂雲」ドラマ 菅野さんPR 松山でイベント

2010年3月13日 愛媛新聞 8面 (弓山氏提供)
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で正岡子規の妹・律を演じる女優の菅野美穂さんを招いた同ドラマのPRイベントが12日、松山市大街道3丁目の「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」などであり、大勢のファンが詰め掛けた。
 7日にオープンした同ドラマ館をアピールしようと、県内企業などでつくる交流人口・産業拡大会議(会長・麻生俊介松山商工会議所会頭)が開催した。

 ドラマ館前であったセレモニーで菅野さんは「松山のような穏やかな地域から、秋山兄弟ら新しい時代を切り開くヒーローが生まれたことを新鮮に感じる。ドラマは、私の家族からも代表作になると言われ、女優として大切な一歩を刻めた」とあいさつ。
 同市一番町3丁目の坂の上の雲ミュージアムではトークショウもあり、来館者ら約200人を前に、菅野さんは「撮影環境のつくり込みなどが壮大な作品で、出演できて光栄。第2部は12月に放映されるので、ぜひ見てほしい」とPRしていた。(柳生秀人)
【写真】NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のPRイベントであいさつする
    正岡律役の菅野美穂さん
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鐘馗(しょうき)さんと名城めぐり&好古揮毫石碑紀行
お竹さんは心配症 : 坂の上の雲
司馬遼太郎「坂の上の雲」:六号通り診療所所長

非戦の市民講座:第10回・第11回連続講座「韓国併合100年」を迎えて

2010/03/13日清・日露両戦争を経て、日本は武力により1905年韓国に「保護条約」を押しつけ、1910年にはついに「韓国併合」を行いました。http://blog.livedoor.jp/hisen_shimin/archives/50455083.html
しかし戦後65年を経た今も、日本の朝鮮半島侵略と植民地支配の精算は未だに行われず、鳩山政権が掲げる「アジア共同体」形成の大きな障害となっています。日本国憲法第9条の実現にとっても、朝鮮半島における冷戦構造の解体と平和構築は不可欠の課題です。
「韓国併合」から100年を迎えた今年こそ私たちは、侵略と植民地支配の過去に向き合い、その精算に踏み出さなければなりません。

第10回講座:2010年4月18日(日)13時30分〜16時(開場:13時15分)
会場:サンスクエア堺(JR阪和線・堺市駅下車すぐ)第1会議室
ゲスト:朴一(ぱく・いる)さん
(大阪市立大学大学院経済研究科教授)
テーマ:「韓国併合100年 植民地支配の精算とは何か
資料代:1000円

第11回講座:2010年5月30日(日)13時30分〜16時(開場:13時15分)
会場:サンスクエア堺(JR阪和線・堺市駅下車すぐ)第1会議室
ゲスト:康宗憲(かん・じょんほん)さん
(韓国問題研究所代表、早稲田大学アジア研究機構客員教授)
テーマ:「韓国併合100年 日朝国交正常化をめざして
資料代:1000円

東京の戦争遺跡を歩く〜『坂の上の雲』を斬る〜

葵から菊へそして今みどり様より  2010/03/13
「人骨の会」からのお知らせ
(軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会・代表神奈川大学教授常石敬一)
プレ企画 第2回 4月25日(日)午後1時30分〜
「葵から菊へ」
〜江戸徳川屋敷跡から帝国陸軍施設へ〜
講師:長谷川順一が本企画の「軍都東京を歩く」
フィールドワーク全体の意味や目的を解説します。
会場 新宿区立戸山生涯学習館会議室 新宿区戸山2-11-101 
電話 03-3207-1181 資料代 500円
申し込みは「人骨の会」事務局  jinkotsu731@yahoo.co.jp
 □連続フィールドワーク□
東京の戦争遺跡を歩く〜『坂の上の雲』を斬る〜
講師:長谷川順一(東京の戦争遺跡を歩く会) 何れも資料代500円 雨天決行
申し込みは「人骨の会」事務局  jinkotsu731@yahoo.co.jp

◇第1回 2010年5月23日(日)午後1時〜
 「日清・日露戦争『10万の英霊』」
集合場所:東京メトロ・都営地下鉄九段下駅6番出口(地上)
見学コース:しょうけい館(戦傷病者史料館)と靖国神社・遊就館 遊就館の入館料800円は各自負担です。
◇第2回 2010年9月26日(日)午後1時〜
 「江戸から明治へ〜近代国家への歩み〜」
集合場所 皇居大手門前(東京メトロ大手町駅下車徒歩5分)
◇第3回 2010年11月21日(日)午後1時〜
 「秋山好古が学んだ陸軍士官学校」
集合場所 JR市谷駅改札口
◇第4回 2011年1月23日(日)午後1時〜
 「上野戦争の戦跡」
集合場所 JR上野駅公園口改札口

老いの一筆 坂の上の雲(1〜4) 書評

http://winelight.blog112.fc2.com/blog-entry-1220.html

坂の上の雲(1) 書評 けなすの部
2010/03/12(金) 18:51:32
新聞を読むようになって気づいたことに、書評のパターンがある。
初めに、2分ほどけなす。読み手に、そんなものかと思わせてから、7分褒める。
最後の1分で、「あれがなかったのは残念だが、その不足を補い余るこれがある。すばらしい作品である」

クラシック分野でも、同じパターンだ。乱暴な演奏は、「自由奔放、さすが若さだ」、機械的な楽譜再生は、「端正な演奏は安心して聴ける」、こんな締め括りである。

現代作家の作品にまったく無関心な私が、「坂の上の雲」を読んだのは、偶然文庫本が、全8巻が揃って、手元に来たためである。3年か4年前である。活字から離れていたので、一気に読んでしまった。
帯に「明治」を描く大叙事詩とある。普通、長編小説を読み終わると、虚脱感と満足感が同時に迫ってくるものだが、これはまったくない。もともとつまらなければ、1冊目で止める。面白かったがなんにも残らない。私にはどこに詩があったのか、分からなかった。長編小説に限ったことではないが、「詩」がなければ、ただ面白いだけ、これであった。

明治を描くなんていうのも、大げさ過ぎる。描いたのは、日露間の日本海海戦と第三国での陸戦である。膨大な資料をもとにして、読者に戦さの状況変化を示してくれた。これに満足しなければいけない。
文学作品における満足感はない。戦記物、昔でいえば、真田幸村伝である。
明治を描いたのであれば、民衆はどうしたのか。戦場にされた第三国はどう受け止めたのか。これらを総体としてまとめ上げていなければならない。司馬遼太郎は、立志伝と会戦記録をミックスしただけである。明治を描いたという自覚はなかったはずだ。単なる戦記物に向かって大げさに評されたら、本人自身が、当惑し赤面することだろう。
「坂の上の雲」は、文学作品としての価値はゼロであっても、戦記物としては、非常に丁寧に作られている。私は、この点で、高く評価するものである。

ここから、褒めるに移る。

坂の上の雲(2) 書評 褒めるの部

二つあった。
ひとつが、観戦。
観戦は、囲碁・将棋の観戦記者が書くものとばかり思っていた。
「昨日の朝に開始された本局も、終盤に差しかかった。昨年暮れの緒戦から、ほぼ4ヶ月。お互いに先手番を落とさないまま最終局となった。
升田は、所在無げに、外に目をやりながら、ぼさぼさの頭を掻きむしりはじめた。無数のフケが盤面を覆った。大山は依然として盤面すれすれに顔を近づけて、読みに耽っている。大山の頭が天井の電灯の光を反射している。
升田のフケ、大山のハゲ、お互いに許しあう。同門で切磋琢磨した二人の間だからこそできることではなかろうか。管鮑の交わりである」
だいたい観戦はこんなものとばかり思っていた。

「坂の上の雲」を読むと、日本とロシアの軍艦がドンパチやっているその脇で、イギリスの軍艦が両者の戦い振りを観ているというのだ。
どちらに加勢するでもなし、間に割って入って仲裁するわけでなし、死に物狂いで戦っている現場で、ただ観ているのである。
「坂の上の雲」により観戦の真の意味を教えられた。感謝している。
付:
早速広辞苑を開いたら、観戦武官という言葉があり、交戦国の了解で観るとありました。なお、升田、大山は、架空名です。

坂の上の雲(3) 書評 褒めるの分 武士の情け

文庫本の第8巻にある。
5隻の敵艦が無抵抗になったのを見て、秋山真之が、東郷に向かって、「長官、武士の情けであります。発砲をやめてください」と叫んだ。
そのすぐ後の場面。
軽巡イズムルードが、降旗したまま、隙をみて逃げ出した。艦長の川島が、「イズムルードです。追いましょう」と叫ぶ。すると、司令官の島村が、「まあまあ、武士の情けだ」となだめた。
私はこの二つの「武士の情け」だけで、「坂の上の雲」を読んで良かったと思った。

秋山の情けは戦士として理にかなっている。無抵抗の相手に攻撃するのは野蛮人のすることである。
一方、川島の情けは、戦争のプロとして、失格である。この海戦で勝利したからといって、日露戦争が終結したのではない。一つの戦場で一つの決着を見ただけである。戦争が終わらない間は、イズムルードは、何度でも、日本軍に向かってくる。その度に、日本軍が確実に損失を被る。
投降した敵艦は撃沈するか自沈させるか、これ以外の選択はないのである。それを、武士の情けで、逃がすとは、一体どういうことなのか。私には、とても理解できない。
秋山の武士の情けは正しい。川島の武士の情けは間違っている。
付の1。
秋山発言、川島発言、共に小説によりました。実際にそう話したのかどうかは、分かりません。分からなくてもいいのですが。
付の2。 
宋襄の仁。今はそれ程でもありませんが、若い時にはこれが大嫌いでした。

坂の上の雲(4) 書評 褒めるの分 武士の情け(続)

武士の情けは、日本では武士道精神に則るものであり、西欧では騎士道であろう。
日本は、源平合戦が示しているように、お互いに命を賭けて戦う者同士には、一種の連帯感があった。「敵ながらあっぱれ」と賞賛するゆとりがあった。

西欧で頻繁に起きた王位継承戦争でも、騎士道精神を共有しながら戦場で敵味方となって戦った。
大将は、「勝利は我が軍にあり」と叫んで、戦士を鼓舞した。決して、「正義は我が軍にあり」とは言わなかった。こちらに道理があれば、敵にも敵なりの道理があることを知っていたからである。
戦争をプロとする軍人は、この武士道や騎士道の伝統を代々受け継いで、しっかり身に着けていた。その者同士が、君主なり国なりに分かれて戦うのだから、相手がよく理解できた。
この伝統がない軍隊では、どうなるか。

アメリカの軍隊がいい見本である。
新大陸に上陸した移民の中に、プロの軍人はいなかった。食いっぱぐれの元兵隊はいたかも知れないが、騎士道精神を徹底的に教え込まれた軍人は、いなかったろう。彼らは、騎士道の伝統を受け継いでいない。
殺すか殺されるかの二者択一しか、頭の中にはなかった。宋襄の仁は言うに及ばず、戦場でお互いに名乗りをあげてから戦うなど、最初から彼らの戦争思考になかったのである。

ネイティブ・インディアンへの殺戮と強制移住から始まって、太平洋戦争での原爆と焼夷弾、ベトナムの枯葉作戦、イラク戦争、みな、ひとかけらの騎士道精神でもあったら、絶対になかった攻撃である。

アメリカの戦争は、戦う先方の“人格”を認めない「正義は我にあり」が基本になっている。しばらく前に言われていた悪の枢軸もアメリカ人にはごく自然な発想である。

太平洋戦争を起こす前に、こういう騎士道精神が皆無のアメリカを敵にまわす覚悟が大日本帝国の為政者にできていたのか、私はたいへん疑っている。
民主主義国家の戦争は、職業軍人の騎士道精神など構っていられない、なんでもありの戦争である。
「坂の上の雲」では、武士の情けがあたかも美談のように書かれている。司馬遼太郎が、そのように思って書いたとしたら、とんでもない錯覚である。
書評の名を借りた読後感、これにて完。
付の1。
秋山の「武士の情け」は良し、です。
付の2。
昭和天皇に騎士道抜きのアメリカの戦争観を示した学者がいたのか、知りたいものです。
付の3。
中国大陸の日本軍も、すでに武士道精神を忘れた軍人やもともと備わっていない町民・農民など平民の集団で構成されていました。南京虐殺も武士道からは想像できませんね。
付の4。
いくら軍規がきびしくても、自軍を正義とし、相手を認めないのであれば、山賊・海賊・夜盗と変わりません。日米軍事同盟、とんだ相手と日本は組んだものです。
付の5。
昨今の戦争は、国家が経済効果をひそかに狙っているのに呼応して、金儲け集団がからんでいます。なお始末が悪いです。

スペシャルドラマ「坂の上の雲」ファンミーティング開催

松山放送局が開催する会館公開(春のふれあい広場)にあわせて「坂の上の雲」ファンミーティングを【プロデューサーによる制作秘話編】と【驚異の最新VFX (視覚効果)解説編】の2本建てで、開催します。 ぜひご参加ください! http://www.nhk.or.jp/matsuyama/info/fan/
3月20日(土)12:30〜14:00【プロデューサーによる制作秘話編】
3月21日(日)12:30〜14:00【驚異の最新VFX (視覚効果)解説編】
会場 NHK松山放送局(松山市堀之内5)
内容【プロデューサーの制作秘話】
 講師:菅 康弘(「坂の上の雲」チーフ・プロデューサー)
 世界各地でのロケや豪華な出演者たちのエピソードなど、第1部を振り返っての思い出と、
 2部・3部に向けての見どころや撮影の進捗状況などを、映像を使ってわかりやすく解説。
 質問・疑問にもお答えします。 【最新VFX (視覚効果)による映像合成の世界】
 講師:川邨 亮(「坂の上の雲」放送技術局制作技術センターチーフ・エンジニア)

 作品の見どころであるVFX(実写映像などにCGなどを加える視覚効果)を、実際の制作に携わっている担当者がわかりやすく解説し、疑問点にもお答えします。
申込方法 入場無料です。NHK松山放送局に電話でお申し込みください。
【プロデューサー編】と【VFX編】のどちらか、あるいは両方お申し込みも可能です。受付終了後、案内状を郵送します。
<申し込み先>NHK松山放送局(広報)(089)921-1134 (平日9時半〜午後6時) 締め切り先着順・定員(各回50人)になり次第締め切ります問い合わせ先NHK松山放送局
 広報(089)921-1134 (平日9時半〜午後6時)

イベント:3/26、3/28「韓国併合」100年市民ネットワーク

http://www.nikkan100.net/
韓国併合から100年・植民地支配の植民地支配の清算へ 記憶・責任・未来という言葉を知っていますか?
日時 : 3月28日(日) 14時〜17時
会場 : エルおおさか(京阪・地下鉄谷町線「天満橋」駅下車5分)
ドキュメンタリー上映 : 「考えてみよう靖国問題」
  (2006年制作、24分)
講演 : 「創氏改名に見る日本の植民地支配」
講師 : 水野直樹さん(京都大学教授)
報告 : 「創氏名での合祀を問う・韓国人靖国合祀拒否訴訟の今」
     「戦後補償立法の展望」
主催 : 在韓軍人軍属裁判を支援する会・日本製鉄元徴用工裁判を支援する会・平和と生活をむすぶ会
共催 : 「韓国併合」100年市民ネットワーク
連絡先:古川(090-1135-1488) 中田(090-8482-9725)⇒ 案内チラシ(PDF)
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京都自由大学・特別講演会−安重根没100年(1910年3月26日処刑)
“「韓国併合」100年の原点を振り返る−1905年「韓国保護条約(?)」は捏造だったのか−”
講師 : 戸塚悦朗さん(龍谷大学法科大学院教授)
主催 : NPO法人京都自由大学
共催 : 「韓国併合」100年市民ネットワーク
後援 : NPO法人京都社会文化センター附置機関・市民科学研究所
日時 : 2010年3月26日(金) 19:00〜
会場 : 京都自由大学・町家キャンパス(下京区油小路通松原下る樋口町・京都社会文化センター内)
連絡先 opencafesf@hotmail.co.jp

「たま九条の会」の主催講演会「『坂の上の雲』の時代と現代の日本」

2010/3/12(金) 午後6時半開演 たま九条の会(神奈川県川崎市多摩区)主催
講演 「『坂の上の雲』 の時代と現代の日本」
講師:山田 朗(あきら)さん (明治大学文学部教授近現代史専門)
19世紀末から20世紀初頭にかけての「坂の上の雲」の時代状況を解説。そこから、現代の国際社会の一員として、日本に何が必要なのかについて考える。
場所:イノウエホール (小田急・JR南武線登戸駅より徒歩5分)
交通のご案内 http://www1.odn.ne.jp/inoue-hall/koutuu.html
資料代: 500円 主催:たま九条の会(連絡先) 隈部 044-922-4045 坂本 044-922-8639
tama9jo@hotmail.co.jp
NHKの連続ドラマ「坂の上の雲」がいろいろな意味で話題になっています。
純白の海軍の制服に身をつつんだ、かっこいい本木雅弘(もっくん)ら豪華な俳優たち、NHKが巨費を投じて制作した技術的には最高レベルという映像。
そこで展開されるのは、明治維新という近代化を成し遂げた日本が、清国やロシアの「脅威」から防衛する日清、日露の戦争に打ち勝つ姿です。ドラマは、これを、現代日本の青春として描いていくようです。
日清、日露の戦争は、朝鮮の支配をめぐる戦争でした。今年は日本による韓国併合(1910年)の100周年です。日清戦争によって日本は台湾を植民地化し、日露戦争の結果、日本は欧米列強に朝鮮支配を認めさせ、ついには「併合」して完全な植民地化をおこないました。
しかし、日本には、この戦争に反対する人たちもいました。「韓国併合」と同じ年、日本では、幸徳秋水ら数百人の社会主義者を大弾圧した「大逆事件」もおきています。
こんど講演する山田明さんは、近代史、とりわけ軍事史が専門ですが、「歴史をふりかえるとき、誰の目で世界を見るのかが問われます」と語っています。
21世紀の今日、私たちは誰の目で歴史を見るべきか。それは直接、憲法九条を生かし、輝かせる問題とつながってくるでしょう。

歴史問題の前向き解決とNHKドラマ『坂の上の雲』 牧 俊太郎氏(賛同者)

鳴り物入りで始まったドラマ、その中間決算は    2010/03/08

 NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』は昨年11月29日放映を開始、12月末に第1部の5回分が終わった。放映開始前から始まった宣伝は、嵐の前の騒々しさ=Bインターネットなどでその「やりすぎ」を指摘する意見が、自民党代議士からもでる始末だった。
 しかし、こうした宣伝、豪華キャスト、1億という破格の制作費にもかかわらず、視聴者は踊らず、冷静であった。ちなみに視聴率。第1回は17・6。これは、48年間の大河ドラマ史上、初回としては下から4番目の低さ。裏番組のボクシングにとられた面もある。したがって第2回、3回は19・6、19・5と一定挽回したが、4回は17・8に逆戻りし、最終回は12・9に転落してしまった。
 これは原作そのものが、高度経済成長期の経営者・中間管理職以上のサラリーマン・官僚にはよく読まれたが、女性・若者に不人気だったことの反映だと私は思う。「戦勝」を軸とした「サクセス物語」への忌避である。
 第1部は、主人公の青少年期を扱った「青春物語」的要素が強いのだが、それでも軍事色≠フぬぐいきれない事前宣伝と実際の絵を見て、視聴者は逃げたというべきである。5回の視聴率の推移はそれを示している。

ドラマ化批判と歴史を学ぶ運動が広がり始めた

原作『坂の上の雲』の核心は、日清・日露戦争の「勝利」を軸にして、アジアの「小さな国」が「一等国」へ駆け上る「明治の栄光」を描こうとするところにある。NHKも、原作の意を受けてこのドラマを「明治の栄光」を描くことによって「現代日本人」に示唆と勇気を与えるものにすると、その意図と決意を語っている(08年3月NHK「企画意図」)。
とくに、原作は日清・日露の戦争を「朝鮮の独立」、日本の「防衛」のための戦争と描き、内容的には「朝鮮無能」論など、誤った朝鮮認識に立ち、被害国としての朝鮮とその国民の苦悩は視野の外においている。 晩年、司馬氏は、こうした朝鮮認識についての変化と反省の弁を語っているが、朝鮮植民地化を抜きに日本の近現代は語れない。NHKがこの問題をどう扱うか問われ続けるだろう。
 原作・ドラマの、このような意図と内容に対して、歴史やメディア関係の専門家・団体が、啓蒙と批判を旺盛に展開、それとともに、ドラマを批判的にとらえ、議論する取り組みが広がり、高まってきている。また、原作者が「ミリタリズムを鼓吹している」との「誤解」をおそれて、終生、映像化を拒みつづけていたという事実が知れわたるにつれ、司馬ファンのなかでもドラマ化への疑念が広がり始めている。
 私が、参加した各種の集会や学習会でも、かなりの司馬ファンがおられたが、事実を知ることで認識が変わったという感想が多く寄せられた。
 このドラマ化について、大阪民主新報に問題提起的に一文を投稿した08年初めごろは、「いまなぜ『坂の上の雲』か」という矢は私に向かってくる雰囲気があったが、いまその矢はNHKに向き始めたと実感できる。

歴史学・文学を超えて、「歴史問題」「政治問題」として

 当初の疑問の中心は、歴史と小説の問題――『坂の上の雲』はあくまでも小説・フィクションの世界である、史実にそう綿密でなかっても良いのでは、政治的に扱うのはどうか、というところにあった。
しかし、作者自身「この作品は小説であるかどうかじつに疑わしい……事実に拘束されることが百%に近いから」と書いている(単行本第四巻あとがき)。
また、元もと『坂の上の雲』という作品とそのドラマ化には「政治」がまとわりついている。私が取りあげたのもそのゆえであった。
原作を、「産経」に連載をはじめた1968年には、政府・財界一体で「明治百年記念祭」のキャンぺ−ンが開始されていた。改憲を社是としていた「産経」はその広報紙のような役割を任じていた。作品はこういうなかでスタートしたのである。中曽根元首相ら右派政治家は歓迎し、自民党では、作品を「教科書」のように扱ったことはまだ記憶されている。
一方NHKは、ずっと映像化を要請していたが、司馬氏は96年に死去する。3年後の99年にはNHKの天皇と言われ、内部の「不祥事」問題で責任を問われ辞任に追い込まれた海老沢勝二会長が直々に遺族にドラマ化の説得を開始。01年には、従軍慰安婦番組改ざん事件があった。
安倍晋三(当時、内閣官房副長官)・中川昭一氏(同自民党政調会長)が介入、NHK上層部がこれを「忖度」し、番組を換骨奪胎=A取材協力の市民団体が提訴した事件である。
 ドラマの企画・推進は海老沢体制のもと、この事件と時期的にもほぼ重なる。02年には了承を取り付け、03年ドラマ化発表となる。翌04年は、日露開戦百年にあたる。中曽根・安倍・中川氏はじめ右派政治家を中心にそのキャンペーンを始めていた。03年のドラマ化発表は、彼らにとって贈り物≠ニなったであろう。
 この時期は、「神の国」発言の森喜朗内閣(2000年発足)、「靖国参拝」の小泉純一郎(01同)、「戦後レジームからの脱却」の安倍(06同)――自民党タカ派・靖国派が政治の表に浮上した時期である。ドラマ化はこうした「政治」状況の中で進められたのである。司馬氏の「ミリタリズム」云々の危惧も以上の「政治」と無縁ではない。

「韓国併合」百年の年に――NHKの恥ずべき時代錯誤

 今年は「韓国併合」百年の年。ドラマ企画が始まったころから見ても情勢は大きく動いたなかで迎える。
東アジアの平和の枠組みや歴史教科書づくりでの共同などアジアをめぐる平和と友好の気運が高まり、いろんな問題点や曲折をはらみながらも、政府レベルでも取り組まざるを得ない状況が生まれている。南米では選挙による「革命」が破竹の勢いで進み、米国でもオバマ政権を生み出すような変化が表れている。
 国内では自民党が、国民の審判で大敗し、政権の場から退場した。「靖国派」と目される自民党議員も多量に落選した。従軍慰安婦番組改ざんや、『坂の上の雲』ドラマ企画を推進した、政治家、NHK上層部の面々も表舞台から姿を消すこととなった。あくまでも「表舞台」だが。
 こういう年に、奇しくもNHKドラマは、韓国併合への一里塚というべき、日露戦争開戦前後の時代を舞台にした展開をむかえる。国民の税金と受信料で運営されている公共放送としてのNHKは、以上見てきた世界と日本の動向のなかで、恥ずべき時代錯誤を演じることになる。私は国際問題化さえ懸念する。
                 ◇
「韓国併合百年」のこの年、アジアで唯一の侵略国となった日本は、明治以来の歴史をあらためて学びなおし、国民的な議論をおこすことが求められている。それは、歴史問題を前向きに打開するカギ、アジアはじめ国際社会と日本の新しい関係を生み出す土台となり、そして憲法九条を守り、活かす力となる。

(牧 俊太郎・「司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか」著者、もと大阪民主新報編集長)「2010年3月7日付大阪民主新報より転載」

福沢諭吉の実像をどこまで伝えたか? 醍醐聡のブログ

--NHK「日本と朝鮮半島2000年」第10回を視て--    2010/03/07

 1月31日、NHK教育テレビの10時からETV特集「シリーズ 日本と朝鮮半島2010年 第10回 “脱亜”への道〜江華島事件から日清戦争へ〜」が放送された。新聞の番組表に「“坂の上の雲”が描かなかった朝鮮への進出 征韓論から日清戦争へ」と記されていたのが気になって録画を取りながら視た。

番組が伝えた江華島事件の真相
番組は江華島事件から日清戦争開戦までの流れを資料や現地の映像、スタジオでの解説を交えて、丹念に伝えていた。特に、江華島事件について表(外国向け)の報告と裏(部内)の報告が存在したこと、表向きの報告書にある、「ちょっとした事件が起こった」、「島に立ち寄り」、「しかたなく応戦した」という記述は、欧米から国際法に違反したという非難を招かないよう、井上良馨艦長が作成した海軍内部向け報告書を改ざんしたものであったこと、実態は日本側からの侵略行為といえるものであったことを資料に沿って克明に伝えたのは、国の公式説明をなぞるのではなく、独自の取材で史実に迫ろうとする意欲的な編集と思えた。

番組が迫った福沢諭吉の知られざる実像
 この番組の予告記事を見て、私が特に注視したのは福沢諭吉の「脱亜論」だった。「脱亜論」とは福沢諭吉が自ら創刊した『時事新報』の明治18年3月16日号に社説として掲載した論説である。福沢がこうした標題の論説を発表した背景には、彼が朝鮮の近代化を推進する人材として期待し支援もしたキム・オッキュン(金王均)ら開化派が1884年12月に企てた甲申事変(清国に頼る閔氏一族の政権を打倒し、国王を頂点とする近代立憲君主制国家の樹立を企てた一種のクーデター)がわずか3日で挫折したのを目の当たりにして李氏朝鮮の「近代化」の可能性を見限った福沢のいらだちが根底にあったといわれている。
 番組では、「脱亜論」の中の次のような重要な一節をクリップで写し出した(一部、原文が省略されていた)。

 「・・・・主義とする所は唯脱亜の二字に在るのみ 我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず」
 「其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪友を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

 アジア諸国を「悪友」と言い切り、彼らとの絶縁、西洋への接近を説いた点が注目される。さらに私が注目したのは、番組の中で、上のような『脱亜論』の一節ばかりでなく、福沢諭吉の中国・朝鮮論を知る上でもっとも重要な論説とされる『時事小言』(明治14年出版)をほぼそのまま踏襲した「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年3月11日付社説)の末尾の次の一節中の下線部分をクリップで紹介したことである。

 「今の支那国を支那人が支配し、朝鮮国を朝鮮人が支配すればこそ、我輩も深く之を憂とせざれども、万が一も此国土を挙げて之を西洋人の手に授るが如き大変に際したらば如何。恰も隣家を焼て自家の類焼を招くに異ならず。西人東に迫るの勢は、火の蔓延するが如し。隣家の焼亡、豈恐れざる可けんや。故に我日本国が、支那の形勢を憂ひ、又朝鮮の国事に干渉するは、敢て事を好むに非ず、日本自国の類焼を予防するものと知る可し。」

 このように、福沢が隣国朝鮮の「有事」を日本にとっての脅威と捉え、日本の国益の名において朝鮮の国事に干渉することを正当化したことは一般には知られていない。

大東亜共栄圏構想のさきがけ〜福沢諭吉のアジア文明史観の実相〜
 福沢諭吉というと、大半の国民は万人の平等を説いた『学問のすすめ』から明治の自由主義思想の代表的論客というイメージを抱いてきた。また、戦後の多くの知識人は丸山真男の『「文明論の概略」を読む』の講釈に感化され、福沢を明治におけるリベラリズムの騎手のごとくみなしてきた。それだけに、この番組が、通説的な福沢諭吉像を揺るがす彼の言説を、原文を示しながら紹介したのは特筆すべき点だった。しかし、「類焼の防止」という比喩を真に受けて福沢の「朝鮮干渉」論を受け身の国防論と捉えるのでは不十分である。同じ「朝鮮の交際を論ず」のなかで福沢は次のように記している。

 「仮令ひ或いは自衛の備えを要せずとするも、彼の国人心の穏やかならざる時に当て、我武威を示して其人心を圧倒し、我日本の国力を以て隣国の文明を助け進るは、両国交際の行き掛りにして、今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり。
 我輩が斯く朝鮮の事を憂て、其国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切望するものは、唯従前交際の行き掛りに従ひ、勢に於て止むを得ざるものあればなり。・・・・此時に当て亜細亜洲中、協心同力、以て西洋人の信凌を防がんとして、何れの国かよく其魁を為して其盟主たる可きや。我輩敢て自から自国を誇るに非ず、虚心平気これを視るも、亜細亜東方に於て、此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず。」

 つまり、福沢の脱亜論は消極的な「脱亜」ではなく、文明開化を助けるという尊大なアジア蔑視の思想を錦の御旗にして、朝鮮への武力侵略を正当化するイデオロギーにほかならなかったのである。また、彼の「入欧」とは西洋文明への同化ではなく、アジアの盟主として欧米列強のアジア進出に対抗するためのイデオロギーにほかならなかったのである。言い換えると、「脱亜」と言いつつ、日本をアジアの盟主と呼び、「入欧」と言いつつ西洋列強との対抗を唱導する福沢の主張には論理的な首尾一貫性はなかったものの、その後に日本を席巻した「大東亜共栄圏」の原型というにふさわしいものだった。番組がこの点にまで踏み込まなかったのは物足りなかった。

 丸山真男によって造作された福沢神話を福沢の原作に沿って徹頭徹尾反証してきた安川寿之輔氏は、この番組を視た感想を次のように記している。長年にわたる同氏の福沢諭吉に関する批判的研究の蓄積が活きた論説で、私も大いに啓発された。
 安川寿之輔「ETV特集「日本と朝鮮 2000年 第10回」について」2010年2月6日
 http://kakaue.web.fc2.com/b1.html#YASUetv

 このほか、「坂の上の雲が伝えなかった歴史を描く」というふれこみにしては、朝鮮王宮占領事件を一言のナレーションで素通りしたのは拍子抜けだった。

「坂雲」紹介 松山元気に ドラマ館あすオープン

2010/03/07前回、前々回は松山市や公立小学校での「坂雲」礼賛の記事でしたが今日は、「官民」の「民間」の企業・団体が整備した「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」オープンの新聞記事です。こういうのを「便乗商法」というのでしょう。今日7日オープンで正午のNHKローカルニュースでも当然ながら放映されました。松山の動きをお伝えします。(賛同者:弓山正路さん)10/3/6 愛媛新聞 7面
                       ★
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の紹介を通じて松山の魅力をアピールする「『坂の上の雲』のまち松山スペシャルドラマ館」が、松山市大街道3丁目の松山城ロープウエー駅舎2階に完成し、観光業界関係者らに5日公開された。7日オープンする。

 県内企業や団体など171会員で組織する交流人口・産業拡大会議(会長・麻生俊介松山商工会議所会頭)が整備。ドラマ放送期間に合わせ2012年1月末まで開催し、年間約15万人の入館を見込む。

 ドラマ館の面積は約300平方メートルで、七つのコーナーで構成。ドラマの登場人物を紹介するパネルや衣装、小道具などを展示するほか、主人公の秋山兄弟と正岡子規の生涯を時代を追って紹介する。映像シアターでは、ドラマのダイジェスト版を放映する。

 開館は午前8時半〜午後5時半(8月は同6時)。入館料は中学生以上600円、小学生300円、小学生未満は無料。

 同館近くに「伊予の国えひめの逸品物産館」が同日オープン。小説「坂の上の雲」にちなんだ商品や県内の農水ブランド品などを販売する。開館は午前8時半〜午後6時(8月は同6時半)。(宮野雄)

【写真】スペシャルドラマ「坂の上の雲」を紹介する展示品を集めたドラマ館=5日、松山市大街道3丁目 10/3/6 愛媛新聞
(参考)松山で「坂の上の雲」楽しんで ドラマ館がオープン
明治体感まつやま博 『坂の上の雲』のまち松山 | スペシャルドラマ館&「伊予の国 えひめの逸品」物産館

3/6 「韓国併合100年」東海行動たちあげ集会

2010/03/05「日韓併合100年」の今年、各地で様々動きがありますが、東海地方でも以下のように、「韓国併合100年」東海行動を立ち上げることになりました。3月6日に、以下のように結成集会を持ちます。集会への参加並びに会への参加・賛同をお願いいたします。
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◇◆◇「韓国併合100年」東海行動たちあげ集会◇◆◇
■講演:康 宗憲 氏
 「韓国併合100年」―現在の課題を考える
■康 宗憲 (カンジョンホン) 氏  プロフィール■
 1951年奈良県で誕生。 1971年韓国に留学1972年 ソウル大学入学 1975年ソウル大在学中に反共法・国家保安法違反の容疑で拘束。1977年、最高裁で死刑判決が確定。(13年間収監)1988年 仮釈放、89年 帰日。 1989年 韓国問題研究所設立。以後、同研究所の代表として資料誌「韓国の声」を刊行中。 大阪大学国際公共政策研究科博士課程にて、朝鮮半島の非核化と  平和構築について研究。早稲田大学客員教授<著書> ・「90年代を生きるために?講座・戦争と差別を考える?」など

日時:3月6日(土)13:30〜
場所:名古屋YWCA (名古屋「栄」 地下鉄 5番 出口東へ2分)
◇東海行動立ち上げに当たって意義と課題  実行委員会代表 磯貝治良
◇各団体からのアピール   
◇東海行動のこれからの運動提起
◇参加費:800円
◇◆◇「韓国併合100年」東海行動参加・賛同呼びかけ◇◆◇
     −100年と向き合う日本の良心をつくろう−
 今年2010年は、1910年にいわゆる「韓国併合条約」を強要し、朝鮮半島を植民地支配した「韓国併合」から100年に当たります。私たちは「韓国併合100年」を機会に、良心と誠意をもって韓国朝鮮民衆と向きあい、真の友好と和解、平和的な関係構築の年にしたいと思い、「韓国併合100年」東海行動を結成します。多くの皆さんの参加と賛同を呼びかけます。

.「韓国併合」以来、日本による植民地支配によって、朝鮮半島の人々に多大な犠牲を強いてきました。確かに、植民地支配の責任は1995年の村山首相(当時)の「戦後50年の終戦記念日にあたって」(村山談話)以後、1998年の金大中大統領と小渕首相(いずれも当時)の「日韓共同宣言―21世紀に向けた日韓パートナーシップ」、2002年の「日朝平壌宣言」でも、植民地支配によって韓国朝鮮の人々に損害と苦痛を与えたことを表明していますが、「従軍慰安婦」問題や女子勤労挺身隊など強制連行・強制労働、日本人として日本の軍隊に徴用され戦場で殺され、あるいは負傷し、さらにはBC級戦犯として裁判にかけられて重刑を負わされた韓国朝鮮人など――実質的な戦後補償や謝罪はなされていません。

 朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)に対しては、「拉致問題」を口実に交渉の窓口さえ閉ざしています。私たちは何よりもまず、日本と朝鮮半島の歴史的事実を明らかにし、民族への侵略、虐殺など日本が犯した卑劣極まりない歴史的行為に対して、反省と謝罪をごまかしなく行うことが不可欠と考えます。これは日本人として一人ひとりのモラル、生き方の問題にも深くかかわってくることです。正しい歴史認識を持って、日本と朝鮮半島に真の友好と和解を築きたいと考えます。

.在日韓国朝鮮人の権利保障と尊厳の回復を図ることです。日本は、韓国併合時代もそして敗戦となった朝鮮解放後も、在日の人びとの権利と尊厳を一方的に制限し、管理政策を進めてきました。たとえば、敗戦後約65万人の在日の人々から参政権を奪い、外国人登録法によって「屈辱の烙印」と言われた指紋押捺(永住資格者は1993年1月に廃止、2000年4月1日より全面廃止)を強制してきました。
 朝鮮学校などにもありとあらゆる妨害を企て、朝鮮民族の教育と文化を傷つけてきました。それらもまた、日本が進めた植民地支配の正しい清算を怠ってきたために生じたことであります。在日韓国朝鮮人の権利保障と尊厳をいかに回復するか、私たちの姿勢が問われています。

.朝鮮半島は、1945年の「解放」後も東西冷戦構造の中で、南北に分断され、4・3事件や「朝鮮戦争」という民族が相争う悲劇を被りました。日本は朝鮮戦争による「朝鮮特需」によって経済復興を果たし、一貫して韓国の軍事独裁政権を支持し、北朝鮮に対して敵視政策を続け、分断の固定化に加担し続けてきました。韓国民衆は、軍事独裁政権を自らの手で平和的に打倒し、民主化を成し遂げました。
 しかし、朝鮮半島では未だ冷戦は終結せず、「分断国家」としてあり続けています。「韓国併合100年」のいま、植民地支配の過去清算はもちろん、朝鮮半島の冷戦の終結に向けて、日本政府の朝鮮半島政策の転換が求められています。

「韓国併合100年」を機会に、このような日韓日朝関係の友好的な発展のために努める市民の取り組みを進めていきたいと考えます。皆さんが参加・賛同してくださるよう呼びかけます。
≪呼びかけ団体・個人≫敬称略【2010年2月11日現在】磯貝治良(在日朝鮮人作家を読む会)・岩田菊二(東海民衆センター)・岩月浩二(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟事務局長)・浮葉正親(名古屋大学准教授)・内河惠一(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会・代表世話人、弁護士)・大西 豊(笹島日雇労働組合)・加藤 明 (岐阜地下壕研究会)・旧日本軍による性的被害女性を支える会・小出 裕(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会)・後藤満史(地下壕研究会)・近藤 真(ぎふ・2001年の会代表).斉藤まこと(名古屋市会議員)・在日韓国民主統一連合愛知県本部・都 相太(NPO法人三千里鐡道理事長)・中谷雄二(自衛隊イラク派兵差止訴訟弁護団)・永山峰子(名古屋YWCA)・野村正男(岐阜地下壕研究会)・平山良平(<ノーモア南京>名古屋の会)・水田 洋(名古屋大学名誉教授)・三宅ゆかり(名古屋YWCA)・山本みはぎ(不戦へのネットワーク)・李誠姫
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「韓国併合100年」東海行動に賛同します
名  前 (団体名)   
賛同金  
個人 一口/2000円   口
団体 一口/3000円   口

郵便振替:口座番号 00890-1-169730
加入者名:「韓国併合100年」東海行動
mihagidaiti@mud.biglobe.ne.jp
fax:052-875-5130
「韓国併合100年」東海行動 実行委員会
 連絡先:名古屋市昭和区鶴舞3-8-13 労働文化センター2階  052-731-7517  
不戦へのネットワーク
http://www.jca.apc.org/~husen/index.htm
山本 みはぎ 080−3627−5767

「韓国併合100年」を問う3・6大阪集会     2010/03/05

 日時:3月6日(土曜)午後1時30分〜5時
 場所:大阪人権センター  TEL:06-6561-9121
 (JR環状線「芦原橋」下車7分) 
 http://www.osaka-jinkencenter.jp/access/index.html
 講演:韓国併合100年と福沢諭吉の「脱亜」論
 講師:安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
 会場費:800円(資料代含む)
 主催:参戦と天皇制に反対する連続行動
  大阪市淀川区十三東3-16-12 Tel 06−6303−0449 
◇賛同を! 賛同費は個人・団体とも1000円以上。 郵便振込00900−8−168991 反戦反天皇制労働者ネットワーク(3・6集会と明記を)

 今年は韓国併合100年・大逆事件100年・工場法99年の年である。
 1月31日の朝日新聞は「朝鮮王朝の蔵書、宮内庁に存在 韓国併合後に流出か」と「朝鮮王朝が所蔵していた図書や王への講義に使われた書物が、日本の宮内庁に保管されていることがわかった。1910年に日本が韓国を併合後、朝鮮総督府を通じて日本に流出したとみられる」と報じた。
 この記事を韓国の各紙が取り上げ、朝鮮日報(2月2日)は、この書籍は、朝鮮王室儀軌(ぎき)(王室や国家の重要な行事の内容を記録した書物。07年に世界文化遺産指定)など79種類、269冊に上る、また、韓国文化財庁の調査では儒教の経典や医学・軍事に関する書籍など38種類、375冊や、歴代国王が受けた教養講座「経筵(けいえん)」のために書かれた書籍3種類、17冊もあると報じた。それだけではない。中央日報(2月2日)は韓国文化財庁の集計では09年末現在、日本が保有している韓国文化財を6万1409点と報じている。
 日本は朝鮮から強盗・略奪した貴重な文献を戦後65年のいまも返却していないのである。「朝鮮王室儀軌」について、06年12月韓国国会は「朝鮮王室儀軌返還促求決議案」を採択し、08年4月日本政府に要求したにもかかわらず、である。日本政府は「65年、韓日基本条約の締結により、日本は国有・公有の文化財1432点を韓国に返還した」ことで、「国際法上の『文化財の引き渡し』は完了した、という立場」だ(前掲・朝鮮日報)。その論理は「決して略奪したものではなく、……韓国の独立を記念するプレゼントとして、一部を贈呈」(同上)したというものである。90年代以降も「返還」はあるが、「確認されているだけで17件約2500点。ほとんどが日本側の寄贈だ」という(前掲『朝日』)。
 日本の強盗・略奪行為が敗戦65年後のいまも続いている。重要なことは日本支配階級の認識である。日本政府は、朝鮮の国権を根こそぎ奪いとったうえにおこなった強奪を決して認めず、「返還」も謝罪をともなう返還ではなく、「プレゼント」だと言い張るのだ。日本の大新聞、『朝日』も「強奪」「略奪」でなく日本への「流出」、韓国への「返還」ではなく「寄贈」、とのペテンを弄してはばからない。
 これは、天皇制帝国主義の強盗の論理が現在にいたるも連綿と続いている証左ではないか。アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮に対する侵略を近代国家建設に組み込み「一等国への道」をひた走った軍事的帝国主義が何一つ清算されていないことを示している。1910年の韓国併合と大逆事件、翌年の工場法制定は、アジア蔑視と民族排外主義を国民意識として定着させ、民主主義を萌芽のうちに摘み取り、天皇制国家への国民統合をはかる画期となる事件であった。いま、日本の私たちは、果たしてここから自由なのか。

『季論21』特集 日本近代と「坂の上の雲」  2010/03/05

創刊一周年記念シンポジウム〉生きた思想とは何か――近代啓蒙思想と自由民権
堀尾輝久/宮地正人/吉田傑俊
「明治の精神」は何を語るか 松本三之介
「坂の上の雲」と日本近代 原田敬一
司馬遼太郎にとっての「坂の上の雲」 新船海三郎
植民地・朝鮮の「御用英字新聞」 李 修京

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宮地正人:(福沢が)致命的なくさびとして打ち込んだのは、天皇の政治的権限の部分です。政治には一切関与するな、この1点です。それは、イギリスの議院内閣制とイギリス王室のあり方です。.....これを、福沢が天皇制と天皇制イデオロギーの成立に悼さしたと言うのは、福沢への侮辱以外の何ものでもない、と私は思います。
吉田傑俊:天皇を補佐する政府、並びに統帥権に依拠する軍部のグループは日本の政治を軍国主義および戦争へ導いていったわけですが、そういう背景は、福沢はここ(帝室論)で明示していますように、天皇制イデオロギー的機能をある意味では先駆的に方向づけしている。
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【小特集】大学で人は育つか
国立大学ガバナンスの構造と本質 山口和孝
法人化以後の国立大学 池内 了
立命館大学の改革をめぐる断想 斎藤敏康
《日本人の精神》C徳富蘇峰――明治国家と平民主義 和田 守

いま、なぜ三鷹事件か 梁田政方
労働の「彼方」の「自由の国」とは何か 高田 純
ウイグル会議と自治区政府のキャンペーンを検証する 大西 広
1970年代〈東ドイツ〉における『マルクス主義哲学』騒動のゆくえ 秋間 実

《観測点》
沖縄県民の民意とは何か(山口剛史)
東京南部のサークル誌を追って(浜賀知彦)
フランスのローコスト社会(福間憲三)
IOC総会に見た転換期の世界(三浦一夫)

《書評》
大西 広著『現場からの中国論―社会主義に向かう資本主義』(山本恒人)
広田照幸著『格差・秩序不安と教育』(望田幸男)
【私の読んだ本】歩平 編集代表『中日関係史』(加藤幸三郎)/尾木直樹著『変われるか? 日本の教育―現場の視点から「教育改革」を斬る』(曽田陽子)

連載・戦前の落語界―その笑えない話E 落語家の軍隊生活と慰問(柏木 新)
戯曲・ケバブ(ナジャニーナ・カルブリナウ 訳・市川 明)
グラビア・チェルノブイリ(森住卓)
本の泉社,240頁,本体1,000円

「坂雲」歩いて学習 松山・石井東小143人が施設巡る    2010/03/05

「坂の上の雲」まちづくりを進めている松山市の小学校が「坂の上の雲」ゆかりの施設をオリエンテーリングした記事が愛媛新聞に掲載されていましたので紹介します。
日露戦争を「祖国防衛戦争」と教えられ、秋山兄弟を「英雄視」する歴史観を植え付けられる子どもたちの将来が思いやられます。(賛同者:弓山正路さん)

 松山市越智1丁目の石井東小学校(谷井紀夫校長)の6年生143人が3日、小説「坂の上の雲」ゆかりの施設を巡るオリエンテーリング遠足をした。
 小説の主人公について地域の有識者が小中学生に話す同市の「語り部派遣事業」が昨年9月、同校であったのを機に(こちら参照)、「坂の上の雲」をテーマに授業などで学習。卒業前の集大成として遠足を実施した。
 この日は30グループに分かれ、坂の上の雲ミュージアムや秋山兄弟生誕地などを巡回。「愚陀仏庵で俳句を作れ」や「秋山好古の銅像はどちらの手で馬の手綱を握っているか確認せよ」など六つの指令を次々こなした。
 参加した尾道夢さん(12)は「松山の歴史に触れて松山のことが分かり、もっと好きになった」と笑顔で話していた。(渡部竜太郎)
【写真】秋山兄弟生誕地の銅像前で「指令」を解く石井東小の児童 2010/3/4 愛媛新聞11面

明治の青春学んで 松山市初の語り部派遣 市長「坂雲」語る 石井東小

中村市長が個人的に「坂の上の雲」を愛読するのは勝手ですが、松山市政の中心に据え、「坂の上の雲」町づくりを推進するのは、公私混同の極みです。(弓山)
09/9/17愛媛新聞11面より
 司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公、秋山好古・真之兄弟と正岡子規について地域の有識者が小中学生に話す松山市の語り部派遣事業の1回目が16日、同市越智町1丁目の石井東小学校(谷井紀夫校長、940人)であり、中村時広市長が講演した。
 この事業はふるさと松山に対する子どもたちの誇りと愛情を育て、同小説の主人公らの前向きな生き方を学んでもらおうと、市が本年度から実施。同日は6年生と教員ら約150人が参加した。

 中村市長は「子規は新聞で野球を広め、最期まで好きな俳句を追い求めた。秋山兄弟も勉強して軍人となり、日本をロシアから守った」などと説明し、児童らを「3人に学び、目標や志を持ち頑張って」と激励。児童代表の荒巻和希君(11)と野本菜央さん(11)が「松山に素晴らしい人がいたと知った。夢や目標に向かって頑張る」と礼を述べた。
 今後も市教育委員会の金本房夫委員長や秋山兄弟生誕地運営委員、坂の上の雲ミュージアム学芸員らが語り部として市立小中学校を訪れる予定。

【写真】松山市の語り部派遣事業で、小説「坂の上の雲」の主人公について語る松山市長(右)の話を聞く石井東小児童

朝鮮王妃暗殺 背景学ぶ 松山 ■ 韓国併合100年 誤った歴史を繰り返すな 京都

2010/03/04
■ 日本コリア協会・愛媛(東俊一会長、約50人)の「3・1朝鮮独立 運動記念講演会」が1日夜、松山市北持田町の県教育会館であった。元 奈良女子大助手の金文子さん(朝鮮近代史)が、日本公使らによる19 85年の朝鮮王妃・閔妃(明成皇后)暗殺事件をテーマに多角的な分析 を交えて講演し、約70人が事件の経緯や背景を学んだ。

 講演会は1919年の大規模反日行動「3・1独立運動」を記念して 毎年開いており、9回目。東会長が本年の日韓併合100周年に触れ「 一つの事件を掘り下げることで、日本の狙いが明らかになる」とあいさ つした。

 金さんは、暗殺の計画から実行までの流れを日本公使や領事館員の記 録を基に詳述。王朝の勢力争いによる事件に見せようとした日本の関与 が、不備で発覚した経緯を説明した。

 暗殺の目的が、軍事的に重要な朝鮮半島の国際通信線の独占だったと も指摘。ロシアなどの三国干渉が朝鮮問題に及ぶのを恐れ、ロシアと通 じているとみた王妃を日本が排除したと解説し「国家を消滅させること は一朝一夕にはできない。背景に凶悪な事件があったことを心にとどめ てほしい」と結んだ。

 聴講した愛媛大1年の男子学生(20)は「事実を知ることは大切。 内容は難しかったが、背景が分かってよかった」と話した。
【写真】日本公使らによる朝鮮王妃暗殺について講演する元奈良女子大助手の金文子さん(右)=1日夜、松山市 2010/3/3 愛媛新聞7面(秦俊太郎)

■ 韓国併合100年 誤った歴史を繰り返すな

韓国併合100年を考えるつどい 「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす、『併合』100年日本委員会」の呼びかけに応えた「京都の会、結成のつどい」が、2月28日、下京区の京都市ひとまち交流館で行われ、約240人が参加しました。

 元朝日新聞ソウル支局長、波佐場清さんが「現代韓国の誕生を見る─元ソウル駐在記者として」と題して講演。100年間の近現代史をひもときながら、戦後の歴史と87年民主化闘争後の現代について語りました。日本帝国主義の朝鮮強奪からアジア侵略、第2次世界大戦へと「狂った35年」の本質とともに、韓国では日本で報道されない多くの民主化闘争が繰り広げられていることも指摘。「併合」100年の今年、二度と誤った歴史を繰り返さず日・朝・韓の友好で新しい歴史を開こうと呼びかけました。

 歌手のケイ・シュガーさんが熱唱、参加者に深い感銘を与えました。
 参加者からは「日本の安保闘争を思い出した。青年が歴史を切りひらく先頭に立っていた姿に感動した」(69歳男性)、「現在韓国のドラマ、映画、冬季オリンピックでの活躍など、国民の変革へのエネルギーに感動し、私たちも負けていられないと思った」(63歳女性)などの感想が寄せられました。「京都の会」は、8月の戦争展への参加、秋には、第2弾のつどいを予定しています。(大橋満)
京都民報Web 2010年3月 2日 18:44

イベント:NHK「坂の上の雲」チーフプロデューサーが語る 習志野商工会議所

NHK「坂の上の雲」講演会

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」チーフプロデューサー(藤澤 浩一氏)が、番組制作の裏側と見所、ゆかりについて語ります。      2010/03/03

● 日 時 平成22年 3月 20日(土) 午後2時 〜
● 場 所 日本大学生産工学部(習志野市泉町1-2-1/京成大久保駅下車徒歩10分)
● 講 師 藤澤 浩一 氏(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」チーフプロデューサー)
● 参加費 無 料 ● 定 員 400名先着順 (*定員に達しない場合は、当日の受付も実施します)
● 申込み 所定用紙に必要事項を記入の上、FAXにてお申込み下さい (*FAXがない場合は電話)
● 問合せ 習志野商工会議所 TEL:047-452-6700 FAX:047-452-6744
● 後 援 習志野市、習志野市教育委員会、NHK千葉放送局、習志野市商店会連合会、 日本大学生産工学部、東邦大学薬学部・理学部、東邦大学付属中高等学校、学園おおくぼ商店街 「坂の上の雲講演会」

参加申込書 FAX:047-452-6744
@参加者氏名(フリガナ)A 住 所 B 電 話
(注)会場には駐車場がございません。来場の際は公共交通機関をご利用下さい。
(注)申込受付をもって受講決定といたします。後日あらためての通知はいたしません。

 参加申込書ダウンロード
http://www.narashino-cci.or.jp/topics/kouenkai/pdf/20100320.pdf

日清、日露をめぐるメール・ダイアローグコモンズの悲喜劇:2010/03/02

コモンズの悲喜劇さまより転載
A 先日神保町の岩波ブックセンターで、和田春樹の大冊『日露戦争』上下2卷が出たのを知りました。早速Amazonで買って、さっきから読み始めたところです。和田さんもこればかりは全力投球でしょう。正確には日露開戦史ですが、近現代日本のロシア認識、対ロシア感情の起源の問題、と同時に、この戦争も日清戦争も「朝鮮戦争」ですから、近代日本の対朝鮮意識の問題でもある。司馬遼太郎批判から始めていますがこれはまったく妥当です。

 ロシア帝国には日本と開戦する意図も準備もまったくなかったというのが、和田氏のこの本の筋道の一つであるようです。日本への侵略どころか、朝鮮についても、その意図はほとんどなかった。帝政ロシアはでかすぎる図体を時にほとんどもてあましていた。ところが幕末・明治日本もその後も、ロシア「脅威論」は国是のようなものになった。明治日本ではその差し迫った「脅威」が「事実」なわけで、『坂の上の雲』は、近代日本の常識となったその「事実」からしかこの戦争を観ていない。

 去年の暮れにNHKTV版『坂の上の雲』と並行的に、私たちは韓流DVD『明成皇后』(明成皇后とは日露開戦前史で暗殺された閔妃で、70回くらいの大河ドラマ)を、出来・不出来を比較しながらほとんどまったくの同時代を描いてかくも異なるのかと、おもしろがって観ていたのですが、『坂の上の雲』(小説もそうですが)には、肝心の「朝鮮」はほとんど出てこないのです。

 「ロシア」とはなにか。と同時に「朝鮮」とはなにか。そしてその向こう側に広がる、満州・沿海州とはなにか。ということを考えてみなければいけませんね。

B 和田さんとは、ついこのあいだ、本郷東大の図書館でバッタリ会ったばかりでした。東大闘争の頃のことを二、三、立ち話をしただけでしたが、『日露戦争』という本が出たばかりだったとは知りませんでした。

 かりにたとえば、司馬遼太郎が主題化したのが日露以後ということなら、和田春樹は日露以前こそがまずは問題だと言おうとしているということになるんでしょうか。勝つとは誰も思っていなかったロシアに日本が勝ってしまった。そこから思い違いが始まり、いわゆる軍部の独走に繋がったのだと司馬遼太郎がいうのはそうかもしれない。しかし同時に、秋山兄弟の一種の「武者振り」にたっぷり思い入れがこもり、その点で読者を引っ張るので、日清も日露も戦場がすべて朝鮮だったことが語られない。

 和田春樹の新著をまだ読みもせずに思いつきだけを書いていますが、かつて司馬遼太郎を結構面白く読んだ記憶をたどり返すともう一つ気になっていたことがあります。今度のドラマは見ていないのでどうなっているか知りませんが、気になっていたのは『坂の上』での子規の扱いです。いかにも三人が物語の中をどう生きてゆくかを語ろうとしているようでいて,物語の風景そのものから後半では子規がまったく消えてしまう。現実には子規が早逝したからとはいえ、最初に期待した物語の組み立てが歪みます。たしか最後の結びに言い訳のように子規の妹が出てきたのだったか、かえってつまらない。

 そんな不満を抱いていて、十年ほどまえに一つ気がついたことがあります。『墨汁一滴』だったか別の何かだったか詳しくは忘れましたが、世紀初めの正月の子規の感慨です。入手したばかりの地球儀を病床で珍しがりながら、日本の赤がどこまで広がるのだろうと書いていたと思う。司馬遼太郎は、どうしてこの一場面を秋山兄弟の話に絡ませなかったんだろう。日本の赤が台湾、朝鮮、そして後の「満州」へと広がろうとすることを子規がどう見ていたか。ぼくらの祖先が国民戦争に巻き込まれていったその中に、地球儀の赤に興奮している子規もいたはず。台湾、朝鮮を踏みにじりながら、日清、日露以前にすでに醸成されつつあった対外膨張の気運から、そのまま子規の見ていた地球儀の赤へと繋がっていたことは間違いない。

 今回のメールを読んで、そういうことが問題なのだろうかと考えました。

A 司馬遼太郎は子規が死んだところでこの物語の連載で何を書こうとしているかわからなくなっていると、わりと率直に書いていましたね。それもなにか大衆作家の新聞連載テクニックっぽい感じがありますが。和田さんは、司馬遼太郎が日露戦争後については日本の堕落ということは繰り返し言っているけれどそれ以外は語らなかったことを評価しています。

 問題は、近代日本の「ロシア像・朝鮮像・大陸像」というものと膨張主義・武力対抗主義的なそのありようが日清・日露戦争以前にすでに形成されていたということ。その反対に、ロシアにはそうした日本像は、(もちろんさまざまなレベルで警戒心はあったようですが)なかったということではないでしょうか。どうも途中まで読んだところによると、ロシアはなんとか戦争を回避したい、戦う準備もできていない(実際陸・海とも劣勢だった)ということだった。ところが、司馬史観によると、「まことに小さな国」が、「追い詰められ」、知勇の限りを尽くして巨大専制帝国に反撃した、ということになる。

 丸山さんや竹内好、歴研派の遠山茂樹氏ももちろんですが、日清・日露までの日本の初期ショナリズムの「健全性」近代国家建設の「健康なナショナリズム」ということを大前提において、この時期の歴史像を作っていますね。
ということは、ロシア像・朝鮮像・中国像は、当時形成されていたものをそのまま「継承」している、ということにもなる。相手側の認識や対日像、ナショナリズム、帝国主義のありかたの検討を怠った議論になる、ということではないでしょうか。

B メールを読みながら考えたこと二つ。
 「戦争はお上のやること」という気分でいたところから、「自国の大事」とばかりに、「国民」の一人ひとりが巻き込まれてゆくまでになる。それがいつからどうやって始まったか。明治政府の膨張主義は欧米帝国主義をモデルに形成されたとして、それはお上の話。正岡子規あたりは、その点、どうだったのか、考えてみたくなりました。

 余談ですが、このあいだ妻と谷中を散歩していて、岡倉天心記念公園で天心の歌碑を見つけました。

 谷中うぐいす 初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい
 奇骨侠骨 開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでもよい

 美術院創設の決意を語ったものと普通はいわれますが、この壮士気取りはそのまま大東亜戦争に突入していったころの軍歌を思わせます。

 もう一つは、竹内好さんのこと。
 彼はたしか日本の中国侵略が進行する中で苦しむんですよね。ところが、大東亜戦争が始まって、五族協和などというスローガンが出てくると、中国と戦うんじゃなくて、米英と戦うんだと何となくほっとしたような、そして結果的には翼賛的な趣旨の文章を書いていたと思う。
 国際関係というものと、そこに大衆が動員されていくことの近代戦争のメカニズム。
 この視点も残念ながら司馬さんにはなかったですかね。

A その二つを媒介するのに「志士的気分」というものがあるでしょう。これがいったいどこから出てくるのか。「志士的気分」と「世界認識」「他者認識」がごちゃまぜに出てくる。「東海散士(柴四郎)」なんていうのは、和田春樹さんのこの本にも取り上げられているわけですが、むちゃくちゃな後発「帝国主義」で、実際、閔妃暗殺の実行者の一人です。しかも、帝政ロシアの内部矛盾についても正確な観察者で、革命派の台頭を正確に予見していた。
 天心のその歌も、東海散士の歌といっても不思議でないですね。

B そうか、東海散史とはまた懐かしい名前が出てきましたね。『佳人の奇遇』の作者が閔妃暗殺の実行者とはまったく知りませんでした。

 もしかして、大陸浪人も秩父の民権運動も、みんな絡んでくるのかな。政財界とインテリと大衆を分けて考えなければいけないというどこにでもある風景だろうけど。
 茶化すようではありますが、知的でかつ「志士的気分」に溢れているのは司馬遼太郎もまたそうですよね。さらに混ぜっ返せば、和田春樹はどこに位置するのか。

〈シリーズ「韓国併合」100年 朝鮮観を根底から覆す 中塚明さん−中〉

3/13(土)司馬遼太郎史観をどうみるか?(第8回政治討論集会)2010/03/01

日時:3月13日(土)午後1時30分〜
会場:文京シビックセンター(地下鉄後楽園駅、春日駅下車) 5階Cの市民会議室
地図:http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
(3/1 会場変更)
講演:深津真澄(ジャーナリスト、昨年、石橋湛山賞受賞者)
参加費:700円
主催:政治の変革をめざす市民連帯
http://www.siminrentai.com/

NHKの『坂の上の雲』放映で、司馬遼太郎が大きな話題になっています。 明治時代を美化しすぎる、日本の中国や朝鮮への侵略を直視していない、 などの批判が加えられています。そうであったにしても、なぜ司馬遼太郎の 歴史小説はこれほど大きな共感を呼びさましているのか、そのことを深く 理解しないと、「批判」は表面的なものにしかなりません。日本の近代化は いかに実現したのか、その光と陰をしっかりと認識しなけくてはなりません。講師の深津真澄さんは、著作『近代日本の分岐点』(ロゴス)で昨年の 石橋湛山賞を受賞し、日本近代史に独自の視点で切り込んでいます。司馬作品に興味を抱く人、批判的な人、多いに意見を交換しましょう。
☆講演者の著作:「近代日本の分岐点」(ロゴス)
最近の論文:「日本デモクラシーの伝統を評価せよ」『プランB』掲載。
「歴史とロマンの距離を考える」『プランB』第26号掲載予定

「坂の上の雲記念館」の問題を考える会 松山市長に質問状 2010/02/21

2010年2月16日 愛媛新聞 7面より
「秋山兄弟ロシアから日本守った」松山市長発言に市民団体質問状
 松山市の中村時広市長が市立小学校で児童らに講演した際、日露戦争に関し史実と違う発言をしたとして「えひめ教科書裁判を支える会」などは15日、市長に歴史認識と根拠の開示を求める公開質問状を出した。月末までの回答を求めている。
 市長は有識者が小説「坂の上の雲」の主人公について小中学生に話す市の語り部派遣事業の初回として昨年9月16日に石井東小を訪問。
6年生と教員ら約150人に「秋山兄弟は勉強して軍人となり日本をロシアから守った」などと述べた。
 質問状は史料などを基に▽日露戦争は日本がロシアに仕掛けた▽戦場は満州(中国東北部)でロシアは日本に攻めてきていない▽日本海海戦の日本の目的は満州での戦闘へのロシア海軍参加阻止−と指摘。「攻めてきていないので守る行為は成立しない」などとして、発言の当否と根拠をただしている。
 会の山中哲夫さん(65)=同市=らから15日、質問状を受け取った市教育委員会は「対応は未定」とし中村市長は秘書課を通じ「(困難を克服し前向きに生きた秋山兄弟に感動した内容の)児童らのアンケートを見れば分かる」として問題ないとの見解を示した。
********************************            公 開 質 問 状 >中村時広 松山市長 
 日露戦争とは、<歴史的事実>に基づけば、日本が朝鮮を単独支配することを目的として、日本からロシアに仕掛けた戦争である。
 その戦場も、日本および日本の周囲ではなく、中国の東北地方――「満州」であった。「日本海海戦」もあったが、これは、ロシア海軍が日本に攻めてくるのを守るための「海戦」などではなく、「満州」を戦場として行われている「日露戦」に、ロシア海軍が海上から参加し、自軍に協力するのを阻止するために行った戦闘である。これは、日露戦争の性格を「祖国防衛戦」と見なしていた司馬でさえ、そのように認識しているところのものである。
しかるに市長は、昨年9月16日に石井東小学校で行われた、「語り部派遣事業」の第一回目の「語り」において、子どもたちの前で、「秋山兄弟も勉強して軍人となり、日本をロシアから守った」(『愛媛新聞』・『朝日新聞』、2009年9月17日)と断言している。
 ところで、「日本をロシアから守った」と言い得るためには、その前提としてロシアが日本に攻めて来ていたという事実が必要である。日本に攻めてきている相手がいなければ、当然ながら、「守る」と言う行為は成立しないし、不可能である。子ども達も「(秋山兄弟が)日本をロシアから守った」という話を聞いたとき、頭の中には、同時に、日本に攻め寄せるロシア軍を思い浮かべていたのではないでしょうか。
 「日本をロシアから守った」とは、以上のようなことを意味する言葉である。
 そこで、以下のことを質問することとする。
、 市長は、当時、「ロシアが日本に攻めてきた」と認識しているのですか?
(   はい        いいえ   ) 
ア、 「はい」と答えた場合には、そのことを示す証拠・史料を示してください。
イ、 「いいえ」と答えた場合は、「ロシアが日本に攻めて来ていない」状況の中で、どうして「日本をロシアから守る」行為が可能なのか示してください。
、 当然、市長の言葉を疑うことなく信じるであろう、まだ小学生の子ども達に対する市長の「語り」には、それが<歴史的事実>に合致しているかどうかに関して、とても重い責任が伴うはずです。
市長は、石井東小学校で語っているとき、あるいは、「語る」に到る時間の中で、このような自らの重い責任を自覚していましたか?
(   はい      いいえ    )
ア、 「はい」と答えた場合は、そのような「責任の自覚」に基づき、日露戦争について、どのような学習を、どのような書物に基づいて行ったのか、お答えください。
、 市長は、子ども達に対して自ら語ったことが<歴史的事実>と違っていたとき、どのような責任が自らにあると考えていますか?
また、そのような「語り」を行ってしまった後、子ども達に対する、その「責任」にどのように向き合い、どのような行為をするのが適切だと考えていますか? 以上、2010年2月28日までに文書にてお答え下さい。 2010年2月15日
えひめ教科書裁判を支える会
「坂の上の雲記念館」の問題を考える会

2月27日(土)「韓国併合」100年 − 3・1朝鮮独立運動91周年

今こそ100年に及ぶ不正常な関係に終止符を!2・27集会 *********************************************************
●日時 2月27日(土)午後6時半開会(6時開場) *資料代500円
●場所 文京区民センター 3F (地下鉄「春日」or「後楽園」下車すぐ)        http://www.cadu-jp.org/notice/bunkyo_city-hall.htm
  講演 「韓国併合」100年−日本と朝鮮半島の過去・現在を問い直す(仮題)
  伊藤 晃・元千葉工業大学教授(社会運動史) 報告 「在特会」による朝鮮学校襲撃を許さない   「 安・NPO役員 *襲撃当日の映像も上映   日本軍「慰安婦」問題の解決に向けて   西野瑠美子・VAWW-NETジャパン共同代表   ♪歌 ノレの会 【韓国ゲストの特別アピール】 韓国進歩連帯代表 *民主労働党を含む韓国在野運動の連合体
平和のための日韓共同宣言運動(仮称)のアピール *韓国側3・1集会と同時発表します
主催「韓国併合」100年 真の和解・平和・友好を求める2010年運動(略称・2010 年運動) 連絡先 日韓民衆連帯全国ネットワーク(03-5684-0194)新しい反安保行動をつくる実行委員会(03-5275-5989)「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)(03-3818-5903) 基地はいらない!女たちの全国ネット(03-5670-4837) 許すな!憲法改悪・市民連絡会(03-3221-4668)      在日韓国民主統一連合(03-3862-6881)   *順不同 (郵便送付先 東京都文京区小石川1-1-10-105 日韓ネット気付) ----------------------------------------------------------------------
【呼びかけ】 日本の植民地支配からの独立を求め朝鮮半島全土で人々が立ち上がった3・1独 立運動から間もなく91周年を迎えます。しかも今年は、日本が朝鮮半島を完全 に植民地化した「韓国(大韓帝国)併合」から100年の年でもあります。
明治維新からわずか7年後に軍艦・雲揚号の武力挑発で江華島事件(1875年)を 引き起こした明治政府は、さらに日清戦争、日露戦争に突き進み、朝鮮半島への 侵略を進めていきました。 日清戦争は、清との間で朝鮮半島への覇権をめぐって開始した戦争です。
今では 、日本軍の計画的な朝鮮王宮占領から日清戦争が仕掛けられたことが明らかにな っています。
その戦争の主戦場は朝鮮半島であり、当時、王政や外国勢力の侵入 に反対して立ち上がっていた東学農民軍の掃討・殺戮のなかで進められたもので す。
日清戦争直後の1895年10月には、駐在公使・三浦梧楼の指揮の下、朝 鮮王妃・閔妃(明成皇后)虐殺事件すら引き起こします。この事件も最近の研究 で日本陸軍参謀本部が深く関与していたことが明らかになっています。
さらに日露戦争に突き進んだ日本は、朝鮮に「日韓議定書」を強要して朝鮮半島 を軍事占領、1905年には「乙巳保護条約(第二次日韓協約)」を捏造して朝 鮮の外交権を奪い、統監府を置いて朝鮮支配を強引に推し進めました(初代統監 ・伊藤博文)。国王・高宗はこれを認めませんでしたが、日本は強引に「韓国併 合」を強制するに至りました。
朝鮮全土では「義兵闘争」と呼ばれる抗日闘争が燃え広がり、日本軍の武力作戦 にも関わらず、朝鮮民衆の抵抗闘争は間断なく続きます。3・1独立運動は、そ の延長上にある大衆的な抗議行動であり、2ヵ月後に起こった中国の5・4運動 にも影響を与えたといわれています。
●過去を清算し過去を清算し、2010年を日本と朝鮮半島の人々との平和・友好の転換点に
● 現在、韓国との間では過去の清算が未解決であるばかりか、朝鮮民主主義人民共 和国(北朝鮮)との間には国交すらないまま今日に至っています。これ自体、異 常なことです。 私たちは、あらためて「韓国併合」100年という歴史の節目を、過去に真摯に 向き合い、日本と朝鮮半島の真の和解と平和・友好の転換の年にしていく必要が あると思います。 しかし、年末からNHKが鳴り物入りで司馬遼太郎の「坂の上の雲」をスペシャ ルドラマとして放映し、日本の朝鮮侵略の血塗られた歴史にはほとんど触れず日 清・日露戦争の美化−「明治栄光」論を鼓吹しようとしています。他方で一部右 翼による朝鮮学校襲撃など暴力的な排外主義行動も顕在化しています。また、鳩 山首相は「日韓新安保共同宣言」をめざすと言明し(1月8日)、天皇訪韓も取 りざたされています。 私たちは、新たなナショナリズム・排外主義や天皇訪韓など「未来志向」の名に よる欺瞞的な過去清算問題の幕引き、日韓安保協力に反対します。こうした中で 、日韓の市民・民衆の共同で「韓国併合」100年を問う取り組みもさまざまに 開始されています。その重要な一環としてある、この「『韓国併合』100年− 3・1独立運動91周年 今こそ100年に及ぶ不正常な関係に終止符を!2・ 27集会」へ心ある多くの皆様の参加・賛同をお願いする次第です。    
●実行委参加・賛同費 個人1000円/団体3000円    
●郵便振替 00110-8-140618 [日韓民衆連帯全国ネットワーク]*「3・1集会賛同」と明記してください   2010/02/19

◆ 2月20日「坂の上の雲」批判、我孫子近現代史講座・特別編

 ご存知のようにNHKが大宣伝をし力を入れている「国民作家」司馬遼太郎のベストセラー小説の第一部放映が終わりました。皆様はご覧になっていかが感想を持たれましたか? このドラマはあと2年間、放映されるそうです・・・  2010/02/16
 「あびこ平和ネット」では、件名のように2月20日(土)14:00〜16:00、我孫子栄光教会(成田線湖北駅徒歩3分)において、この小説の徹底批判講座を準備しています。
 以下、この小説の日清・日露戦争について、それぞれ、ほんの2点づつだけ(挙ればキリがないほどあります)問題点を示しておきます。
ーーーー
 @日清戦争についての記述
 「日本は、より切実であった。切実というのは、朝鮮への想いである。朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。」(文春文庫新装版第2巻、48P)
 「韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。」(同、50P)
 A日露戦争についての記述
 「後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。」(第3巻、178P)
 「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることにはまちがいない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(第3巻、182P)

 司馬自身が「これは事実である。事実関係に誤りはない。」と以下のように書いています。
 「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手――私のことだ――はどうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」(第8巻、330P)
 「『坂の上の雲』という作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到着するための刺戟剤であるにすぎないのだが、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとられてしまったような苦しみを覚えた。」(同、369P) 
 さて、司馬がこの小説で書いたことは、本当に歴史「事実」でしょうか? 参加者とともに、考えていきたいと思います。ご都合のつく方は、どうぞ、ご参加ください!

菜の花忌 「坂の上の雲」問う

シンポジウムで『坂の上の雲』の魅力を語るパネリストら=栗原怜里撮影

(シンポジウムで『坂の上の雲』の魅力を語るパネリストら=栗原怜里撮影)
 作家の司馬遼太郎をしのぶ「第14回菜の花忌」(司馬遼太郎記念財団主催)が13日、東京の日比谷公会堂で開かれ、司馬遼太郎賞の授賞式とシンポジウム「『坂の上の雲』と日露戦争」が行われた。 小説『骸骨ビルの庭』で同賞を受賞した作家の宮本輝さんは受賞スピーチで、日本の艦隊がバルチック艦隊と戦う直前の『坂の上の雲』の場面に言及。「水兵たちが船内を徹底的に掃除し、甲板にまく砂まで消毒する。そのくだりを抑えた筆致で描いている。小説が書けなくてどうにもならないときは、この一節を読み返すことにしている」と語った。

 シンポジウムでは、映画監督の篠田正浩さん、漫画家の黒鉄ヒロシさん、評論家の松本健一さん、東京大教授の加藤陽子さんが作品の魅力や現代への課題を語り合った。 篠田さんは、酒の席で司馬さんに「篠田くん、君の映画は暗いよ」と言われたというエピソードを披露。「司馬作品が明るいのは、人間に対する信頼があるから。『坂の上の雲』はエリートばかり描いていると言われるが、描こうとしたのは日本の民衆に共通した国民の資質だろう。その資質に対して楽観的だった」と話した。

 松本さんは、「『坂の上の雲』は、日露戦争が明治天皇の戦争、軍神たちの戦争だったというそれまでの見方を覆した。一人一人の国民が歴史の歯車を回したことを描いた」と指摘。加藤さんは、父が司馬と同い年で、同じように従軍経験があるといい、「父ぐらいの戦争で生き残った世代は、こういう(『坂の上の雲』に描かれているような)指導者に率いられたかったと思ったのでは」と語った。(2010年2月17日  読売新聞)
10/02/16

「坂の上の雲」推移に注目(新聞投書)/金文子さん講演

毎日(1/14)みんなの広場
NHK「坂の上の雲」推移に注目 無職 84(東京都八王子市
 NHKが「坂の上の雲」をどう映像化するか、 関心を持って番組を見ています。 100年前の1910年に日清、日露戦争の帰結として韓国併合があり、日露戦争に反戦論を唱えた人たちが、大逆事件で計画にかかわったとされる人たちと共に翌年、処刑されました。「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」と歌った石川啄木、幸徳秋水らの助命を訴えた徳富蘆花、「雨の降る品川駅」で朝鮮人との連帯を歌った中野重治、そして、あの侮蔑の時代に異国の留学生・周樹人(魯迅)に温かい手を差しのべた「藤野先生」、これらの人たちがいたことで、私の心は慰められ、明日に向かって生きる力をもらったような気がします。 弱肉強食の帝国主義時代を迎え、英露独仏米の巨大な潮流の内で、小国日本外交は福沢諭吉の言う「脱亜」の道しか選ぶことができなかったのか、そして今日の韓国、中国の人たちがこの作品をどう受け取るか、心にかかります。
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「坂の上の雲」投書に教えられる  無職 83 (千葉県八千代市)
 NHKテレビ「坂の上の雲」の今後の展開を韓国や中国の人たちがどう受け取るかと案ずる投書(1月14日)に目を覚まされた。
 日清、日露戦争の帰結としての韓国併合や、社会主義者で日露戦争に反対した幸徳秋水らが大逆事件で処刑されたことなどのほか、啄木、蘆花、魯迅、諭吉らの名前も出てきて、改めて明治史をひもとく機会となったのは楽しかった。
 1月17日の「今週の本棚」では、「『坂の上の雲』と司馬史観」が著者の中村政則氏によって語られた。これは勇気の要る書だ。一例が、軍備拡張のため「飢餓予算」を組んだ明治政府に対し当時の人々から不満はほとんどなかったとする点は「小説」とはいえ司馬史観の誤りと断ずる。司馬さんは圧倒的な影響力を持つ作家だけに、フィクションが史実として浸透してしまうと著者は心配される。 史実とフィクション。同じ歴史を見るにも表と裏があって、両方に目を配らないと真実が見えてこないことを教えられた。
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金文子(キム・ムンジャ)さんが講演「朝鮮王妃殺害と日本人」著者
「韓国併合」100年歴史から学ぶ 奈良--- 日本支配の過程明らかに
奈良県で44回目を迎える「建国記念の日」に反対する県民集会が10日、奈良市内で開かれ、研究者や教員、市民ら90人が参加しました。同集会実行委員会が主催したものです。 集会では朝鮮史研究会会員の金文子(キム・ムンジャ)さんが講演に立ち、明成(ミョンソン)皇后(朝鮮王妃)殺害事件=1895年10月=の真相を、朝鮮の日本領事らが本国の外務次官に送った私信や、外交文書などを示して解き明かしました。この中で金さんは同皇后殺害は日本政府と大本営の意を受けた特命全権公使の三浦梧楼が企てた謀略事件であり、朝鮮での国権回復の動きが激しくなるもとで、同皇后の存在が、朝鮮半島の「電信線」を日本のものにする「緊急の事項」を遂行する上で大きな障害と考えられたと話しました。講漬のあと、参加者はNHKドラマ「坂の上の雲」を疑う連続学習会,など各地域、分野のとりくみを交流しました。
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京都----アジアの平和創造をともに
 京都市下京区内で11日開かれた「建国記念の日」不承認を訴える府民のつどいには、100人を超す市民らが参加しました。実行委員会の大八木賢治さんが基調提案。「韓国併合」や大逆事件から100年となる今年が、「歴史から何を学び、教訓とするか、アジアの平和な未来をともに創造するためのチャンスだ」との思いを訴えました。
 ジャーナリストの島本慈子(やすこ)さんが「労働と戦争−この国のいまと未来」と題し講演しました。在日米軍基地で働く日本人の労働現場の取材や、戦中の毒ガス工場について紹介。「銃後で働く人の戦争責任」を問いかけました。また、米国に追随した日本の貧困・格差拡大政策を批判し、社会情勢が「(戦争を求めた)戦前にUターンしている」と、戦争を支える労働が全国に広がる危険性を示し、「主権者の力でベクトルを変えないといけない」と呼びかけました。
参加者からは、木製の飛行機や陶器の部品を作っていた「戦争のバカさ加減」の告発や、請負企業による″戦争の民営化″を危ぐする発言がありました。<しんぶん赤旗(2/12)>

日露戦争にいたる近代日本の膨張戦略 山田朗明大教授

http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20100226#p3
第1期「坂の上の雲」で日露戦争はわかるか
講演 シリーズ「近現代史のなかの事件と人物」(1)
「日露戦争にいたる近代日本の膨張戦略」
講師:山田朗(明治大・日本近現代軍事史)期日:2010年2月26日
場所:文京区区民センター4Fシルバーホール(地下鉄後楽園駅徒歩1分)
時間:13:30〜16:30 会費:800円 主催:都老協

中村政則氏『坂の上の雲』に関する講演会 お知らせ

フォーラム色川: 中村政則氏『坂の上の雲』に関する講演会お知らせ http://firokawa1996.seesaa.net/article/140609941.html
立川九条の会 学習講演会
『坂の上の雲』と司馬史観
日時:2010年2月19日(金) 19:00〜
場所:立川市柴崎学習館(旧中央公民館)
講師:中村政則 一橋大学名誉教授
入場無料
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東京都歴史教育者協議会 第43回研究集会
記念講演 
『坂の上の雲』と歴史教育の課題
日時:2010年2月28日(日) 9:30開場 10:00開会
場所:桐朋中学高等学校
参加費:会員 学生 500円  一般 700円
講師:中村政則 一橋大学名誉教授
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『坂の上の雲』と司馬史観
〜中村政則さんと語る〜
日時:2010年3月13日(土) 13:00〜
場所:府中ルミエール(市立図書館)
講師:中村政則 一橋大学名誉教授

【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思

■歴史の「ものがたり」と「論理
 NHKの大河ドラマで坂本龍馬をやっている。また、昨年末には、秋山好古・真之兄弟を扱った司馬遼太郎の『坂の上の雲』を数回放映した。こちらは、3年計画だそうだ。いずれも、幕末から開国へかけて、そして維新から日露戦争への時代を扱ったもので、近代国家形成からその頂点へいたる日本を描こうとしている。明治政府の成立が1868年、日露戦争が1904年。その間わずか36年である。西南戦争が1877年、帝国憲法発布が1889年、日清戦争が1894年だから、日本は息つく間もなくあわただしく近代国家へと変身し、国際関係の大きな波の中に飛び込んでいった。
 そこで、おおよそ、われわれの頭には次のような想念が植えつけられることとなる。すなわち、幕藩体制が行き詰まりつつあった幕末に、めずらしく大きな構想力と行動力をもった若い下級武士たちが現れ、「国の将来」を憂えるその純粋な行動力が、旧態依然たる支配体制を覆して新生日本をうみだした。それに続く先見の明をもった明治の指導者たちは、アジアの植民地化をもくろむ列強の中にあって、日本を列強と並ぶ一等国にまでもちあげた。しかし、日露戦争の勝利に酔い、第一次大戦の戦勝に調子に乗る日本は過度の傲慢(ごうまん)におちいり、その後、昭和に入って軍部の台頭とともに日本は帝国主義化し大戦へと突き進んでいった。
 要するに明治の近代国家形成は、世界的視野と健全な愛国心をもったすぐれた政治指導者によってなされ、近代日本の栄光の時代であったが、昭和に入って、軍部の台頭と過剰な愛国心によって日本は道を誤った、というわけだ。
 龍馬をはじめとする幕末維新の志士たちへのわれわれの共感も、また、秋山兄弟をはじめ、明治の元勲たちへの関心も、おおよそこのような「ものがたり」から発している。
 私も、この「ものがたり」を認めるのにやぶさかではないのだが、それはあくまで暫定的であって、心中はもう少し複雑である。少なくとも、「論理」の問題としていえば、明治と昭和をそれほど簡単に明暗で区別するわけにはいかない。
 今、「論理の問題」という言い方をした。変な言い方であることはよくわかっている。歴史に論理も何もないだろう。あるのは、出来事が生み出す事態の生成・変化のみであって、歴史の論理などというものはない、というのはその通りであろう。にもかかわらず、ここであえて「論理」といいたかったのは、次のようなきわめて単純なことを改めて想起したかったからである。
 近代日本の目的の第一は、西洋列強による植民地化を回避し、日本を強国にすることであった。ところでもしそれに成功すると日本は列強と肩を並べる。列強と肩を並べれば、日本も列強と同様の行動をとり、そのことは列強との摩擦を引き起こす。となればどうなるか。いずれは列強との戦争になるであろう。これはあまりに明確で単純な「論理」である。もちろん、「論理」がそのまま「現実」になる必然性もないし、そうなる必要もないのだが、驚くべきは、この単純な論理が、本当に「現実化」してしまった点にこそあろう。
 この「論理」をもっとも明快に意識していたのは、たとえば福沢諭吉であった。今年は、日韓併合から100年である。いうまでもなく、福沢は、日本でもっともはやく朝鮮からの留学生を受け入れ、金玉均らの朝鮮独立派を強く支援した。にもかかわらず、朝鮮独立運動が失敗するや、彼は、手のひらを返したように朝鮮への支援を排し、「脱亜入欧」を説く。アジアの悪友との交際は遮断すべきだ、というのである。それどころか、文明の度合いの高い国が、低い国を指導するのは当然である、とまでいう。
 その結果はどうなるか。さきほどの「論理」である。列強の仲間入りをした日本は列強と争わざるを得ない。福沢は、自分は決して主戦論者ではないが、行き着くところは戦争と覚悟だけは決めておけばよい、というようなことを書いている。
 こうなると、明治の政治指導者はりっぱだったが、昭和に入って軍部の台頭によって日本は道を誤ったと簡単にいうわけにはいかない。問題は、日本の近代化そのものなのである。もし、道を誤ったというなら、それは明治の西欧模倣型近代化の帰結だとしなければならないだろう。文明国になるために、日本はわずか三十数年の間に急激に西欧的な近代化を行った。それは、一方では、列強との強い軋轢(あつれき)を生みだし、他方では、「日本的なもの」の深い喪失感を生み出していった。その両者が相まって、強烈なナショナリズムへと行き着くのである。
 われわれは、国の方向が見えにくくなり、自信喪失に陥ると、しばしばこの「ものがたり」を思い起こそうとする。近年もまた、維新の志士や明治の指導者にこの「ものがたり」を訪ねようとしているようだ。この「ものがたり」は、坂本龍馬や岩崎弥太郎や、秋山兄弟などの「青春群像」を描くことで、あの若くて元気で希望に燃えた日本を思いださせてくれる。それはそれでよいのだが、この青春群像の背後に隠れてしまう、日本の近代化、とりわけ西欧模倣の近代化というもののもつ問題へと、われわれの視界が届かなくなってしまうのでは困る。西欧型の近代化と、「日本的なもの」の喪失というテーマは、今日でも決して消失したわけではないからである。(さえき けいし)

イベント「韓国併合」100年 2/12(金)、2/17(水)

「韓国併合」100年にあたり
−川崎から日本軍「慰安婦」問題解決の意見書採択を−
話題提供:岡田卓己さん(韓国 啓明文化大学招聘教授、求める会
かわさき 共同代表、「韓国併合」100年市民ネットワーク共同代表、
川崎出身・大邱在住)
日  程:2月12日(金曜日)
時  間:午後6時30分開始(6時00分開場)
場  所:川崎市(新)中原市民館2F第2会議室
(JR南武線または東急東横線武蔵小杉駅より徒歩約5分)
所 在 地:川崎市中原区新丸子東3―1100―12
パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー1・2階
(電話044−433−7773)
地図http://www.city.kawasaki.jp/88/88nakasi/home/access.html
参 加 費:500円
主  催:川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会
問 合 せ:070−6641−7850(佐藤)
2010年は、「韓国併合条約」から100年になります。しかしながら、
朝鮮半島と日本との間には、日本軍「慰安婦」問題、在韓被爆者
2世問題、そしてサハリン残留被害者問題など、未解決の課題が
数多く横たわっています。真実の和解を果たすために、私たちは
いかなる努力をしたらよいのでしょうか。そこで、韓国の様々な運動
にかかわっている岡田さんに、現地の情況を報告していただき、
ともに考えていきたいと思います。
是非お気軽に、ご参加ください。
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講演会のお知らせ
<大韓帝国強制併合(日本による朝鮮植民地化)100年>に向き合う
■お話 金(キム) 敏(ミンチョル)さん
 (アジアの平和と歴史教育連帯 共同運営委員長)
■演題 <日帝強占ー大韓帝国強制併合ー100年>に思うこと
金 敏浮ウんプロフィール
 歴史研究者(著書に『記憶をめぐる闘争』など) /
慶熙(キョンヒ)大学 兼任教授 /
『アジアの平和と歴史教育連帯』初代執行委員長、現・常任共同運営委員長 /
太平洋戦争被害者報償推進協議会 執行委員長
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2月17日 (水)18:30〜21:00
会 場 松山市民会館 第3会議室 (089-931-8181)
参加費 700円
主催 えひめ教科書裁判を支える会 
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2月18日 (木)19:00〜21:00
会 場 『愛らんど』(今治市総合福祉センター)1F会議室
      南宝来町1-9-8 0898‐22‐042 
参加費 500円
主催 子どもの人権と教科書の問題を考える越智今治の会
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今年は日本が朝鮮を植民地化(大韓帝国併合)してから、
ちょうど100年目に当たります。
そして日本による植民地支配の終焉ー朝鮮の解放からは65年になります。
しかし、いまなお、日本政府は、
この36年間にわたる支配を合法的なものであったとする立場を公式にとっており、
その<不法>を認めたうえでの謝罪や賠償―植民地支配の誠実な清算―は、
韓国に対しても、朝鮮に対しても、一切行っていません。
しかも、問題は、この36年間だけではありません。
日本は「強制併合」の35年前、「明治国家」の成立当初から朝鮮への侵略を始め、
朝鮮の人々の自主的・自立的な近代国家づくりと
日本への抵抗・反植民地化闘争を徹底的に妨害・弾圧したうえで、暴力的に植民地と
したのです。
また朝鮮の解放後、朝鮮の人々自身によって、
めざましい勢いで進められた自主的・民主的な国づくりがアメリカによって潰され、
その後、民族分断状況に到ったのも、
「強制併合」した日本がアメリカおよび「連合国」に戦争を仕掛け敗戦し、
米ソが、当時日本領であったということで朝鮮半島を分割占領したことによるもので
した。
このように、<韓国強制併合100年>に当たって、
私たち日本人が向き合わなければならない具体的・政治的課題と、
獲得しなければならない<歴史認識>の射程とは、実に大きく深いものがあります。
 この重要な課題に向き合うために、私たちは、何よりもまず、
朝鮮の人々にとって<日本による植民地支配>とは何だったのか、
そしていまなお、どのようなことであり続けているのか、
直接、お話を伺いたいと思っています。
この貴重な機会に、みなさん、ぜひ、お集まりください。




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