日本国憲法と天皇制──天皇制の歴史を中心に ‘07.2.17  伊藤 清   はじめに  30年ほど前、ある高名な作家の「日本の歴史をみるときに、天皇の問題をはずすと、物事がよく見えるね。天皇という問題にこだわるとぜんぜん歴史が見えなくなる。天皇というものは尾てい骨のようなもので、おれたちには関係のないものだと思っている」という発言を読んで、たいへん驚いたことがあります。  さきの大戦中、「お前の命は天皇陛下に捧げるためにある」と徹底教育された皇国少年軍国少年であった私が、天皇の「玉音放送」をきいて敗戦を迎え、戦後「民主主義」を必死になって生きて、ようやくたどりついたのは、「天皇の問題をはずすと物事が見えなくなり、こだわると歴史がなんとなく見えてくる」というところでした。  今回のリポートでは、できるかぎり、天皇制と憲法、9条「戦争の放棄」とのかかわりに踏み込みたいと考えていますが、それすらも、「天皇の歴史」のなかに探る、しかも大雑把なものにならざるを得ませんので、はじめに、憲法第1章の、いわゆる「象徴天皇制」について私の考えを述べておきます。   「象徴」について  「象徴、シンボル」を、言葉や概念としては、理解できます。象徴とは、抽象的観念的で形のないもの、目に見ることができないものを形のあるもので表現することです。したがって、天皇であれ誰であれ、生身の人間が「国民統合の象徴」ではありえないし、たとえ歴史上の偉人、伝説的人物さえ、人間であるかぎり「日本国の象徴」たりえない、と考えます。  「象徴天皇」は、国民の上に天皇を位置させるもので、国民主権をはじめとする憲法の基本原則と矛盾するものだと考えます。 「世襲」「男系男子」について  つぎに、第2条は「皇位は世襲のもので……」と規定し、それを受けて、皇室典範第2条は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」としています。  世襲とは、特定の血統に属する者以外は継承できないということですから、血による差別だし、出生によって人を差別することです。「男系男子」は、あきらかな女性差別です。これらは、憲法の基本原則に反するもので、容認できません。天皇制そのものが差別の構造を根っこにもったものですから、天皇制あるかぎり差別はなくならないと考えます。憲法自体が差別を認めてしまっているという事実を直視し、一つひとつの差別に反対していくことが大切だと考えます。   「女帝」論議、天皇制タブー  現在、女帝是か非かの論議が活発です。「象徴天皇制」への賛否は別として、平等原則に立ってまじめに議論することは必要です。女帝を認めないのは憲法違反だと考えます。  いま、象徴天皇制の支持基盤は、あきらかに動いています。天皇制の危機打開の方向は見えず、混迷は深まるばかりです。  安倍晋三首相は、男系擁護派それも確信的男系堅持派で、その上に「万世一系イデオロギィスト」ですから、天皇制にかぎっていえば、改憲のなかで、「象徴天皇制維持」を「憲法前文の最上格、国民主権の上位」に置き、「皇室典範は不変」、「天皇を中心とする神の国=美しい国」作り路線の強化を貫こうとするでしょう。  これに反対し、もっと議論を深めていくことは、大切なことだと思います。日本人が「天皇」をこれだけ議論することは、日本の歴史上はじめてのことです。「天皇制タブー」は崩れつつあります。  また、タブーの淵源についてはまだわからないことがたくさんありますが、中世から「聖(天皇)」の周辺に「穢(え・けがれ)」をつくり出したことにはじまります。これに明治以降の天皇神格化教育から不敬罪にいたる過程で、差別思想・天皇制タブーは日本人のなかに「肉体化」されました。「一木一草に(天皇制が)しみ込んでいる」といわれるくらい。  敗戦後は大きく事情が変わりましたが、まだまだそういうものが残っているのは事実です。今は、むしろ私たちの差別に反対するたたかいの弱さ、自らのなかに天皇制タブーをつくってしまっているところに問題があると考えます。  それに加えて、マスメディアとくに大新聞、TVがいけません。「敬語」使用、批判的報道はしない。政府、宮内庁記者クラブ制度は「タブーをタブーたらしめるためにはできるだけ隠せ」とガードしていますから。その意味で女帝論議大いに結構だと思っています。       Ⅰ 日本国のはじまり、古代天皇制の成立から近代まで  最近の天皇制論議のなかで、日本の天皇制は「世界に類ない2千年の伝統文化」だという言説が流行しています。なかには、2600年、3000年だというものもあります。安倍首相周辺や「新しい教科書をつくる会」の学者や、「男系天皇制」支持の人に多いようです。一言でいえば、これは事実を無視した、まったく無責任な議論です。  しかし、建国はいつなのか、日本という国号はなにを意味するのか、あまり関心を持たない、知ろうとしない国民は世界でも珍しいでしょう。   (1)国のはじまり、天皇制の起源  おおよそ5世紀ごろ、後の大和とか筑紫、出雲、吉備、毛野などに王、大王を首長とする地方政権が生まれ、6世紀から7世紀にかけて、大和では氏族豪族が連合する政権をへて、呪術・儀礼・祭祀をつかさどるカリスマ性をもった大王が統一政権の首長になった。  そして、7世紀末から8世紀始めにかけて、古代国家と律令という国家の制度と、天皇制と、日本(天皇のいますところ)という国号とが、その20〜30年後に国家と天皇制を正統づける歴史書『日本書紀』が、ワンセットで成立したと理解していいでしょう。これが現在もっとも有力な古代史研究の定説です。 (2)律令と天皇  律は刑罰、令は法規、律令はいまの憲法ですが、天皇は令の上、枠外におきました。律令(大宝、701年)は、「天子、祭祀に用いる。天皇、詔書に用いる。皇帝、華夷に用いる」と定め、天子号が多用され、天皇号は古代末期から明治前まで875年間まったく使用されず、皇帝は古代から外交文書に使われ、これを天皇に変えたのは、なんと昭和11年ですから驚きます。律令は早くから衰えますが、細々と明治まで続きます。 (3)天皇制のさまざま  天皇号ひとつとっても、天皇制の印象はかなり変わるはずです。  2000年前は弥生時代、2600年前は縄文晩期、3000年前は後期で、天皇どころか日本さえなく、国もないのです。天皇制は古来の伝統? 事実とは無縁の妄論です。  ・継体って海の向こうからおいでなさった天皇サンのことかね──福井県古老。  ・天皇号初代天武、神武からは40代、686年没65歳。その兄38代天智671年没46歳。弟天武が4歳年長──歴史学研究会編、日本史年表。  ・古代の天皇は皇位継承争いで血を流してきた。  ・摂関政治の最盛期、一条天皇は、朝食時「きっと、明日も誰もおらんのだろうな」と嘆いた。殿上人40人すべてが藤原の青年公家の旅行のお供、見送りにいってしまった。  ・室町末期104代後柏原天皇は、食事にも事欠き、毎朝「お朝は、まだか」と催促しきり、などなど。 (4)天皇──海外からの渡来も?  ・継体も天武もそのほかにも。朝鮮半島や中国大陸から、紀元前後1千年間に百万から2百万人渡来したといわれます。弥生時代は縄文人口30万ほどのところへ水耕稲作と金属器をもっての渡来が始まります。天皇家も縄文系でなく弥生系といわれています。 (5)聖徳太子信仰、伊勢と出雲(略) Ⅱ 近代天皇制と大日本帝国憲法  江戸幕藩体制が、商品生産・流通の発展、続発する災害、頻発する一揆、西南諸藩の倒幕の動きなどで衰退するなか、先進諸外国の植民、通商をもとめる外圧が加わり、国論が二分し、騒然としてきます。緊迫した動乱のなかで明治維新を迎えます。Ⅰ章で触れた、875年ぶりに天皇号の復活をなし遂げた光格天皇をはじめ幕末期の皇室は、王政復古の志向が強く、記紀などの古典を熱心に勉強します。これが折から興隆する国学者、神道家、水戸学者らの尊皇思想・運動とむすびつき、政治的な力になりました。そして、勤皇志士たちを中心とする倒幕勢力と影響しあい維新を達成します。 (1)明治維新と天皇制  維新は「王政復古」といわれましたが、古代天皇制の復活ではなく、まったく新しい君主制をつくりだしました。世直しを求める一揆など民衆の力も強かったが、倒幕志士たちの新体制づくりに利用されました。  薩摩、長州など西南雄藩の士族(新官僚)が実権をにぎった新政府は、権威づけのための「玉」として天皇をかつぐことが有効と考えました。明治初期、聖徳太子の知名度はほぼ全国区でしたが、天皇はほとんど知られていませんでした。 (2)自由民権運動のなかの憲法草案  維新回天のなかの民衆の世直し志向は、明治10年代、自由民権運動として盛り上がり、新政府の専制に反発する世直し一揆と結合し、立憲政治への要求、人民主権、なかには君主制廃止を主張する憲法草案まであしました(植木枝盛の人民主権の思想などは、1945年の戦後の憲法研究会の思想に引き継がれています)。 (3)近代国家機構づくりと憲法  1872年の岩倉使節団も法律・財政・外交分野で欧米に学び、火急に近代化を遂げようとの意図で派遣されたが、1882年から1年半におよぶ伊藤博文の欧州旅行は憲法調査一本にしぼったもので、「国家の法は文化と同じく歴史的につくられる」、「憲法の条文や制度にもまして、その運用や行政のあり方が重要」なことを深く知ることになりました。  伊藤は、明治天皇を説得、身分制と天皇親政を廃止し、「君主は政策決定に介入せず、政治責任は負わない」という立憲君主制の基礎を理解させた。そして「国民に天皇を見せて、天皇に国民を見せる」史上最大の巡行に天皇をかりたて、写真を配り、「天子様は、天照皇大神宮様の御子孫様にて、此世の始より日本の主で、神様より尊く」と大宣伝に努め、「万世一系」を創りだしました。帝国憲法の下地づくりです。 (4)大日本帝国憲法の展開と、その後の天皇制──戦争への道  1889年成立の帝国憲法で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定された天皇制は、翌年の教育勅語で、学校での修身・歴史などを通じ、天皇=国体の無条件服従を強いて行く。御真影への最敬礼、教育勅語の奉読謹聴、君が代斉唱、歴代天皇号の暗唱などの動作反復は、軍服を着た大元帥天皇畏敬の心情を肉体化するうえで成功をおさめます。  これに徴兵制、国家神道の義務化、不敬罪、治安維持法の創設で、またなによりも国民一人ひとりという細胞単位で支えたのが、「国体の基礎」といわれた家父長制家族制度でした。このように、帝国日本の戦争体制の基礎固めが完成していきました。   Ⅲ 日本国憲法成立の背景──「象徴天皇制」と「戦争放棄」──  日本は、15年間に及ぶさきの戦争で、アジア諸国に戦禍を深くきざみこみ、国土を焦土とした。敗戦後の日本を、ジョン・ダワーは「天皇制民主主義」と呼んだ。「天皇制」と「民主主義」は相矛盾するもの。   1.戦争責任の回避と「国体護持」 (1)太平洋戦争末期からポツダム宣言受諾へ   「戦局危急、一億一心、敵を撃さいせよ」(1944.12)。「和平はもう一度戦果を挙げないと」(‘45.2)。沖縄戦(‘45.3)。東京大空襲(‘45.3)。ポツダム宣言(‘45.7)本土決戦か「三種の神器が心配だ」(‘45.7)。広島、長崎原爆(‘45.8)。ポツダム宣言受諾通告「国体護持を条件に」(‘45.8.10)。連合国回答「日本政府の形態は国民の自由意志により決せられる」(‘45.8.12)。「受諾、降服を国民に向かって発表しない政府」、大阪大空襲(‘45.8.14)。 (2)「終戦の詔書」「共同宣言ヲ受諾ス」と言い「敗戦」とは言わず(‘45.8.14〜15)。一億総懺悔(ざんげ)(‘45.8.28) (3)「国体護持(天皇制維持)」と戦争責任回避に狂奔   戦後初の外国人記者会見の天皇声明「米英開戦の責任は東条にあり」(‘45.9.25)。   マ元帥、天皇を引見(会見)(‘45.9.27) 2.「人間宣言」から「憲法改正」へ (1)人間宣言「新日本建設に関する詔書」   「現人神」は否定。「しかし、私は天照大神の末裔である」。「皇基(明治大日本帝国憲法の精神=国体)ヲ振起スベシ」と。「宣言」を米国は好感、日本の朝野は歓迎(‘46.1.1) (2)食糧メーデー(飯米獲得人民大会)プラカード事件   「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(‘46.5.19) 3.民間「憲法」論議活発、政府案不評──「憲法勅語」まで (1)改正審議までに民間案、10案出る。「憲法研究会」案をGHQ高く評価「民主的だ。なんていい案なのだろう。こういうものがどうしてできたのだろう?」(‘45.12.26)   政府案の立ち遅れ。ようやくできた「政府案」。GHQ驚愕「明治憲法をちょっとだけいじっただけ。きわめて保守的、天皇の地位ちっとも変わっていない」と失望(‘46.2.8)。 (2)マ元帥「憲法立案、日本政府に期待できず」GHQ「草案」の作成を決意。1週間で極秘うちに作成。(‘46.2.5) (3)「極東委員会FEC(日本占領遂行のための連合国の最高意志決定機関、天皇制存続に批判的な国も、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、中国など)の干渉をさけるため、その開催まえに、「日本政府案(実はGHQ案)を作成」 (4)GHQ案を日本政府に手交(‘46.2.13)   政府、1週間経ても閣議で態度決められず(2.19)。 4.「天皇制維持」のため「戦争放棄」条項をつくった (1)マ元帥「政府案(天皇制維持)では、世界は必ず日本の真意を疑う。日本の安泰を期すること不可能」「戦争を放棄すると声明して、日本がモラル・リーダーシップを握れ」 (2)GHQは米本国政府への報告で、この憲法は「天皇の意志で積極的につくられた」と強調。戦争放棄条項を含む憲法作成を、天皇が政府に命令する勅語(原文はGHQによる英文)を出させた。 (3)マ元帥は、憲法で「国家の非武装」「戦争放棄」を定めることは国家主権上重大なことであることを承知で決断。その背景には、沖縄の基地化を構想。「沖縄を基地化すれば日本本土に軍隊は必要ない」と「天皇制維持」のために「戦争放棄」を決断。 5.天皇は「平和愛好者」か──沖縄メッセージ・内奏 (1)天皇(憲法施行直後)米政府に対し「沖縄基地化」を提案、「アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の──25年から50年ないしそれ以上の──貸与するという擬制の上になさるべきである」(‘47.9) (2)「内奏」という憲法違反。天皇「近隣諸国に比べ、自衛力がそんなに大きいとは思えない」「旧軍隊のよい所をうけついで軍備をいっそう発展させるよう」(増原恵吉防衛庁長官の内奏をうけ、激励(‘73.5.26)。    ───────────────────────────────────── ◎参考文献(○印はとくに重要なもの)  司馬遼太郎、小田実『天下大乱を生きる』 1977年 潮出版社  加藤哲郎『象徴天皇制の起源──アメリカの心理戦「日本計画」』 2005年 平凡社新書  鈴木正幸『皇室制度──明治から戦後まで』 1993年 岩波新書 ○横田耕一『憲法と天皇制』 1990年 岩波新書  藤田 覚『幕末の天皇』 1994年 講談社  川端道喜『和菓子の京都』 1990年 岩波新書  大和岩雄『天武天皇(1)(2)』 1987年 大和書房  亀田隆之『皇位継承の古代史』 1996年 吉川弘文館  網野善彦他・編『天皇と王権を考える』全10巻 2002〜03年 岩波書店 ○網野善彦『「日本」とは何か』 2000年 講談社  増田知子『天皇制と国家──近代日本の立憲君主制』 1999年 青木書店 ○ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』 1994年 みすず書房  奥平康弘『「萬世一系」の研究──「皇室典範的なるもの」への視座』 2005年 岩波書店  高水博志『近代天皇制の文化史的研究』 1997年 校倉書房 ○ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて─第二次大戦後の日本人─(上)(下)』 2001年 岩波書店 ○ハーバート・ビックス『昭和天皇(上)(下) 2002年 講談社 ○進藤榮一『分割された領土──もう一つの戦後史』 2002年 岩波現代文庫 ○竹前栄治、岡部史信『憲法制定史──日本国憲法・検証①』 2000年 小学館文庫 ○古関彰一『九条と安全保障──日本国憲法・検証⑤』 2001年 小学館文庫 ○小森陽一『天皇の玉音放送』 2003年 五月書房  上田正昭『帰化人──古代国家の成立をめぐって』 1965年 中公新書  森 博達『日本書紀の謎を解く──述作者は誰か』 1999年 中公新書 --------------------------------------------- 日本について考える本 http://classic.music.coocan.jp/_book/japan/japan.htm マンガ 日本人と天皇 雁屋 哲。 雁屋氏はあの有名な『美味しんぼ』の作者である。氏は、昨今の右傾的風潮、中でもマンガでその煽動をしている輩がいることに憂えてこの本を書いたのだろう。良識ある日本人は必読。→私の感想 司馬遼太郎と藤沢周平 佐高 信。光文社。1999年6月。 藤岡信勝ら「自由主義史観研究会」の連中に担がれている司馬遼太郎への厳しい批判。 確かに、司馬遼太郎と彼を担いでいる連中との歴史観は違う、という弁護も可能だが、佐高氏は、次のように言う。 読者の側から作家を規定するということも必要だ。つまり、日本の愚かなる経営者たちが司馬遼太郎を愛読書としてあげている。「あいつらが愛読書としてあげるんじゃ、こりゃろくなもんじゃない」と。 そう。つまり、「ああいう奴ら」に担がれるということは、どこかしら共鳴するものがある、ということである。  64~66ページにかけて、司馬遼太郎が、現代においても天皇問題が重大なテーマとなっていることに、ほとんど関心を示していなかったことが書かれている。特に次の司馬の発言を読んで唖然としてしまった。  日本の歴史を見るときに、天皇の問題をはずすと、物事がよく見えるね。天皇という問題にこだわるとぜんぜん歴史が見えなくなる。だから、天皇という問題からきわめて鈍感に、それを無視して眺めると、幕末もよく見えるし、明治も見えると思っている。 というのだ。全くとんでもない話である。これだけで、司馬は「読むに値しない」人間だ、と結論づけてもよいだろう。  井上ひさしが、司馬遼太郎と対談した「国家・宗教・日本人」(講談社文庫)では、司馬自身は「自由主義史観」とは相容れないようなことも言っている(対談は、95年6月~96年1月)。そのためか、井上はその直後の1996年6月に発売された雑誌の対談で、佐高に対して、司馬を弁護したり「この国のかたち」を推奨したりしたらしい。しかし佐高氏の司馬批判は強まりこそすれ弱まりはしなかったようだ。 ------------------------------ 日本の歴史を見るときに、天皇の問題を外すと物事がよく見える - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%80%81%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%92%E5%A4%96%E3%81%99%E3%81%A8%E7%89%A9%E4%BA%8B%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B&oq=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%80%81%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%92%E5%A4%96%E3%81%99%E3%81%A8%E7%89%A9%E4%BA%8B%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B&aqs=chrome..69i57.64443205j0j7&sourceid=chrome&es_sm=122&ie=UTF-8