.....司馬遼太郎氏は原作『坂の 上の雲』の映像化を終世断っていた.....”やはり書物にとどめておきたい”

参考文献

 [本の検索]タイトル:坂の上の雲 / 新刊.net


43 アナキズムと現代  鎌田慧 講演録
 pdf



 白水社 : 大正百年と関東大震災をめぐって : 絓秀実

義兵闘争から三一独立運動
F.A.マッケンジー, 韓 皙曦


279p 日本はヨーロッパ文明にかんする限り若い国である。列強のなかではもっとも若い国である。日本は世界の注目をえたいと望んでおり、そのためには労をいとわない国である。日本にたいして胸襟を開け。信頼してそのことを示すがよい。
 朝鮮のためには戦争をも辞さないつもりなのかと聞かれるならば、わたしはつぎのようにお答えする。こんにち確固たる行動をもって臨むのは確執をひきおこすことになりかねないが、しかし、その危険はごくわずかである。それどころか、いま弱腰で臨むようなことがあれば、まずまちがいなくここ二~三〇年のうちに極東において大きな戦争をひきおこすこととなる。そのような戦争にさいしては、ヨーロッパ諸国の重荷はアメリカが担うことになるであろう。
 日本人自身にたいしては、わたしはあえて一一年以上もまえにわたしが書いたことばをくりかえす。それはいまでは、それが書かれたときよりもはるかに真実をついている。
 日本の将来、東洋の将来、そしてある程度までは世界の将来も、(日本の)もっとも近い将来において政権を握るのが軍国主義者か、あるいは平和的発展を志す政党かという問いにたいする答えにかかっている。もし前者ならば、いよいよ苛烈に朝鮮を統治し、満州へ確実に侵入し、中国にたいする内政干渉をおこない、ついには大紛争を起こして、そのゆきつくところはなんぴとも予測しえない。後者であれば、日本は数世紀間アジアのいかなる強国にもまさって、栄光と安全の遺産を末ながく継承することになるであろう。……日本は剣を手にして属領に君臨するような、東洋の支配者になるのではなく-そんなことでは決して永続するものではない-f、むしろ東洋にとって平和の使者となり、教師となるべきものを自らのなかにもっている。日本は、この崇高な目標を選びうるであろうか?
-----------------------------------------------------------------------------------
バックパッカー遅すぎるデビュー: 「朝鮮の自由のための戦い 義兵闘争から三一独立運動へ」F.A.マッケンジー著 韓皙曦(ハン・ソッキ)訳 http://kimhongmyong.blogspot.jp/2013/03/fa.html

Korea S Fight For Freedom : F A Mckenzie : Free Download & Streaming : Internet Archive
https://archive.org/details/koreasfightforfr008219mbp

【書評】 日本と朝鮮の一〇〇年史

 日韓関係が危機的状況に陥っている。韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、天皇に謝罪を求めたと報じられたことにより、日本中をナショナリズムが席巻した。それに対して、韓国国内でもナショナリズムが高揚し、反日デモが頻発している。
 李大統領の言動は許されざるものである。しかし、韓国の国家政策を批判することと、韓国人一般を批判することとを同一視すべきではない。日本人の多く が、極端な在日朝鮮人批判に対して違和感を抱いているように、韓国の中にも、極端な日本批判に対して違和感を抱いている人たちはたくさんいる。そうした 人々の存在を忘れてはならない。
 中国が急速に力をつけ、アメリカがアジアに対する圧力を強めている状況下において、日韓が争うことで得られるものなど何もない。我々は和解のための着地点を見出さねばならない。
 1919年3月1日、大日本帝国の植民地下にあった朝鮮では大規模な独立運動が起こった。三・一独立運動である。その直接的なきっかけとなったのは皇 帝・高宗の死であった。高宗は日本の支配に対して抵抗を続け、ハーグ平和会議に朝鮮独立を訴える密使を送ったこともあったため、その死について毒殺説も流 れていた(本書63頁)。
 彼らは決起に先立ち、独立宣言を起草した。それは日本を批判することではなく、日本を説得することに重点の置かれたものであった。
「…丙子修好条規(日鮮修好条規)以来、時々種々の金石の盟約を蹂躙したからといって、日本の信なきを罪せんとするものではない。日本の学者は講壇におい て、日本の政治家は実際において、わが祖宗の世業を植民地視し、わが文化民族を野蛮人なみに遇し、もっぱら征服者の快楽を貪るのみであるが、わが久遠なる 社会的基礎と卓越した民族心理とを無視するものとして、日本の不義をせめんとするものではない。自己の鞭励するのに急なわれわれは、他人を怨み咎めるいと まはない。現在の問題を綢繆するに急なわれわれは、過去を懲弁するいとまはない。こんにちわれわれの専念するところは、ただ自己の建設にあるだけで、決し て他を破壊するものではない。厳粛なる良心の命令により、自国の新たな運命を開拓しようとするものである。けっして旧怨および一時の感情によって他を嫉逐 排斥するものではない。旧思想、旧勢力に束縛された日本為政家の功名心の犠牲となるという不自然にしてかつ不合理な錯誤状態を改善匡正して、自然にしてま た合理的な正経の大原に帰ろうとするものである。当初から民族的要求に由来しなかった両国併合の結果が、畢竟、姑息的威圧と差別的不平等と統計数字の虚飾 との下において、利害が相反する両民族間に、永遠に和同することのできない怨恨の溝をますます深くしているこんにちまでの実績をみよ。勇明、果敢をもって 旧き誤りを廓正し、真正なる理解と同情とを基本とする友好的新局面を打開することが、彼我の間に禍いを遠ざけ、祝福をもたらす捷径であることを明知すべき でなかろうか。…」(72頁)
 植民地当局はこれに対して厳しい弾圧を加えた。一説によれば、死者7509人、負傷者1万5961人、逮捕者は4万6948人にも上ったと言われている(77頁)。
 この独立運動は、日本のほとんどのメディアで批判的に報じられた。しかし、少数ではあるが、それを擁護する人たちもいた。
 その一人が石橋湛山である。石橋は「凡そ如何なる民族と雖、他民族の属国たることを愉快とする如き事実は古来殆どない。朝鮮人も一民族である。…衷心か ら日本の属国たるを喜ぶ鮮人は恐らく一人もなかろう」と述べ、「無用の犠牲を回避する道ありとせば、畢竟鮮人を自治の民族たらしむる外にない」と論じた (82頁)。
 また、内田良平も、今回の暴動は「朝鮮併合の後始末が頗る当を得ざるものありしが為めなり」と述べ、「其統治の大方針としては早晩彼等に許すに自治を以てするにあり」と訴えた(83頁)。
 自国の独立を主張するのであれば他国の独立も認めるべきである。彼らの訴えは至極当然のものであった。
 独立宣言を起草した人々はその後、親日派として裏切り者の烙印を押されることとなった。しかし、彼らが命を懸けて訴えたこの精神こそ、日韓両国が共に見直すべきものではないだろうか。
 現在、日本はアメリカの植民地下に置かれている。この現状に怒りを感じるのであれば、我々も朝鮮の怒りを正面から受け止めなければならない。その覚悟がない人間に、アメリカからの独立を主張する資格はない。
-------------------------------------------

日本と朝鮮の100年史 和田春樹 平凡社新書 780円

<<   作成日時 : 2011/01/06 19:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

日本の近代について考える場合、朝鮮との関係を抜きにすることは絶対に出来ない。そうした意味で、少しずつでも日本と朝鮮との関係を関係について記した本 は読んで行きたい。この本では、日清戦争の時代、日露戦争の時代、金日成の出自、敗戦時の状況、朝鮮戦争、拉致問題を含めた最近の状況などについて記され ている。概説書であるからここに詳しく記したいことはないのであるが、司馬遼太郎に関する次の記述には注意すべきだろう。司馬が、昭和の日本や日本軍がお かしなものになったのに比べ、明治の国家も軍隊もはるかにまともなものであるという認識の下に「坂の上の雲」を書いたことはあまりにも有名なことである。 もちろんこれには異論も多く、とくにNHKでこれが放映されるに及んで、異論続出とも言うべき状況になっている。筆者は次のように述べる。「つまりこの小 説は日本海海戦が終ったあと、断ち切れたように終えられているのです。ポースマス条約もないし、それに不満な人々が起こした日比谷焼き討ち事件も出てこな い。その後の第二次日韓協約、保護条約のことも出てこない。急にあわてて幕を引くように、この小説は終っているのです。」それに対する筆者の答えは次のよ うに書かれている。「司馬氏はその中で、この作品をどういう結末を与えるか苦しくなったということではないでしょうか。やはり「坂の上の雲」の世界に問題 ありということになったのです。つまり明治は素晴らしく、昭和が悪いということではなく、明治という時代そのものに問題があったのではないかと司馬氏も認 識したはずです。明治の時代の帰結は日露戦争であり、韓国併合なのです。そこまで含めた明治の時代について司馬氏は考えざるをえなかった。「坂の上の雲」 が断ち切れたように日本海海戦の勝利のあとで終っているというのは、やはり司馬氏としては構想のある破綻を感じたからなのでしょう。」なるほどとうなずけ る論である。司馬は坂の上の雲の映画化を許さなかったというが、その理由もこのことに関係しているのではないか。
http://1007.at.webry.info/201101/article_3.html
(編集委員 中村友哉)


42 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってること―沖縄・米軍基地観光ガイド』
 書籍情報社

 戦後体制の守護神・司馬遼太郎

41 百年後の友へ

小説・大逆事件の新村忠雄
著 者 崎村 裕
ISBN 978-4-7803-0482-4 C0093
判 型 四六判
ページ数 224頁
発行年月日 2011年10月
価 格 定価(本体価格1,800円+税)

目次:
生い立ち/「高原文学」を出す/
巣鴨の幸徳秋水宅へ行く/
出獄、そして宮下太吉に合う/
菅野すが/明治四十二年(一九〇九)三月、忠雄紀州新宮へ/
忠雄平民社へ帰る/幸徳秋水の躊躇/
長野県東筑摩郡明科町(現安雲野市)/奥宮健之/
菅野、古村、新村の密談と千駄ヶ谷落ち/宮下太吉/ 逮捕される/
新村忠雄 逮捕される/秋水と菅野すが/
幸徳秋水拘束される/爆発物取締法違反事件から大逆事件へ/
大石誠之助、森近運平拘引される/成石平四郎など紀州派検挙される/
熊本派検挙される/捜査は大阪、神戸に、坂本清馬、内山愚堂も/
公判開始される/平出修弁護士の弁論/
判決/死刑執行とその後/徳富蘆花の講演と詩人の反応/冬の時代へ

著者プロフィール 崎村 裕
近代日本最大の冤罪事件
大逆事件百周年にあたり長野県出身の中心人物新村忠雄の生涯が蘇る!
小説家。1937年長野市生まれ。「煩悩」で第21回日本文藝大賞自伝小説賞受賞。
本名、清野龍。信州大学文理学部卒、日本文藝家協会員、日本ペンクラブ会員、全作家協会常務理事
処刑された12名の1人である長野県千曲市出身の新村忠雄を軸に、大逆事件の顛末を描いた史伝小説。近代日本最大の冤罪である大逆事件100周年にあたり、中心人物でありながら余り光を当てられなかった新村の生涯が蘇る。
40 韓国併合と同祖神話の破綻―「雲」の下の修羅

本山 美彦【著】

御茶の水書房 (2010/07/05 出版)
74p / 21cm / A5判
ISBN: 9784275008879
NDC分類: 210.68

1 NHKの司馬遼太郎特番に呼応する風潮
時代と闘った二人の事例
倭館の歴史と日清戦争から始まった日本の海外神社の政治化
韓国併合を巡る伊藤博文
併合前後の日英米露関係
朝鮮総督府によるキリスト教弾圧
神道による内鮮一体化の試み
神社参拝を拒否した朝鮮のミッション・スクール
───────────────────────────────────
韓国併合―神々の争いに敗れた「日本的精神」

「危機」を理由に「民族の一体化」をとなえたナショナリストの集団心理=「日本的精神」を追求
本山 美彦【著】
御茶の水書房 (2011/08/15 出版)
序章 韓国併合一〇〇周年
第1章 朝鮮領有が大前提であった日本の帝国主義
第2章 内鮮一体化の破綻
第3章 韓国併合と対外摩擦―関税、移民、鉄道
第4章 韓国併合と米国人宣教師
第5章 王政復古・日英同盟・韓国臣下論
第6章 韓国併合と日本の仏教
第7章 日本仏教の朝鮮布教と廃仏毀釈
第8章 韓国併合と日本のキリスト教団

本山美彦[モトヤマヨシヒコ]
世界経済論専攻。1943年神戸市生まれ。現在、大阪産業大学学長。京都大学名誉教授。元・福井県立大学経済学部教授。社団法人・国際経済労働研究所理事。元・日本国際経済学会長(1997~99年、現在、顧問)。元・京都大学大学院経済学研究科長兼経済学部長(2000~02年)。元・日本学術会議第一八期第三部(経済学)会員(2000~03年)。金融モラルの確立を研究テーマにしている。

──────────────────────────────────────
「韓国併合」100年を問う―2010年国際シンポジウム

国立歴史民俗博物館【編】
岩波書店 (2011/03/24 出版)

一九一〇年八月「韓国併合」が強行されてから一〇〇年が経過した今も、日本と朝鮮・韓国の間には植民地支配がもたらした様々な問題が未解決のまま残り、歴史認識をめぐる軋轢が絶えない。
二〇一〇年八月、研究の交流を通してこうした状況の転換を願う日韓の研究者が多数参加し、二日間にわたる熱気あふれるシンポジウムが行われた。
本書は、当日の成果にもとづく論考および「シンポジウムへの応答」として新たに執筆された論考、あわせて三九本を収める。

第1部 「韓国併合」一〇〇年を問う―二〇一〇年八月シンポジウム(近代の東アジアと「韓国併合」;日本の朝鮮植民地支配;戦後日本と植民地支配の問題;歴史認識の問題 ほか)
第2部 「韓国併合」一〇〇年への問い―シンポジウムへの応答(新自由主義・新帝国主義・「韓国併合」;現代日本と韓国併合;植民地主義の継続を問う視角はあったか?;イベリア・インパクトと壬辰戦争 ほか)
【内容一覧】
第◆u2160◆部 「韓国併合」一〇〇年を問う
未来を切り拓く歴史的展望を目指して 平川 南/述
歴史をもてあそぶのか 中塚 明/述
東アジアの近代と「韓国併合」 趙 景達/著
一八八〇-九〇年代における朝清朝貢関係の 具 仙姫/著
韓国併合と辛亥革命 村田 雄二郎/著
「鮮満一体化」構想と寺内正毅・山県伊三郎 柳沢 遊/著
韓国併合期日本社会における「義」的行為を 見城 悌治/著
植民地支配の実態解明はなぜ必要なのか 李 成市/著
大日本主義か小日本主義か 松尾 尊兌/著
皇民化政策の虚像と実像 水野 直樹/著
植民主義と近代 尹 海東/著
「親日文学」の再審 川村 湊/著
戦後日本と植民地支配の問題 和田 春樹/著
日本は植民地支配をどう清算したのか 内海 愛子/著
在日朝鮮人に見る戦後日本の植民地主義 宋 連玉/著
戦後史認識と戦後史叙述 大門 正克/著
朝鮮史認識の陥穽 宮嶋 博史/著
歴史認識の問題 安田 常雄/著
新しい歴史家たちよ、目覚めよ 成田 龍一/著
歴史教科書対話を通じた東アジア型歴史構想 辛 珠柏/著
東アジア史の「パラダイム転換」をめぐって 岸本 美緒/著
「韓国併合」と同時代の世界、そして現代 永原 陽子/著
イタリアのアフリカにおける植民地との比較 石田 憲/著
インド人知識層の「韓国併合」認識をめぐっ 粟屋 利江/著
国民国家形成と植民地国家形成 梅森 直之/著
画像資料と歴史認識 久留島 浩/著
歴史教育の立場から「韓国併合」一〇〇年を 山本 直美/著
シンポジウムを終えるにあたって 安田 常雄/述
シンポジウムを振り返って 宮嶋 博史/述
第◆u2161◆部 「韓国併合」一〇〇年への問
新自由主義・新帝国主義・「韓国併合」 小沢 弘明/著
現代日本と韓国併合 原田 敬一/著
植民地主義の継続を問う視角はあったか? 中野 敏男/著
イベリア・インパクトと壬辰戦争 深谷 克己/著
後備歩兵第一九大隊・大隊長南小四郎文書 井上 勝生/著
似非実証的論法による一面的な指導者像の造 安田 浩/著
韓国併呑一〇〇年と東アジアの歴史和解 鄭 在貞/著
「一四〇年戦争」の視座から 愼 蒼宇/著
日本におけるアジア認識の欠落 小川原 宏幸/著
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の墓碑・追 山田 昭次/著
近現代史のなかの朝鮮 原山 浩介/著
日本史教育のなかの「韓国併合」 須田 努/著
---------------------------------------------------------------------------

シンポジウム会場の様子 2010年8月7日
(撮影:「韓国併合」100年を問う会事務局)
 「本書は,国立歴史民俗博物館主催・「韓国併合」100年を問う会共催によって2010年8月7~8日に開催された「国際シンポジウム 「韓国併合」100年を問う」(岩波書店・朝日新聞社後援,於東京大学弥生講堂一条ホール)の記録集である.
 このシンポジウムは「韓国併合」100年を期し,「韓国併合」の歴史的位相や世界史的意味,植民地主義批判, 歴史認識問題などについて自由に議論すべく企画されたものである.初日557名,2日目491名,計1048名という大変多くの参加者を得て盛況のうちに 終わった.この数字は2日目午後4時までに参加者名簿に記載された方たちの人数に基づいているが,実際はこの数をかなり上回ったようである.(中略)実 は,どれだけの方に参加していただけるのか,一方では期待していながらも,一抹の不安があった.しかし,この不安はまったくの杞憂に終わったわけで,暑い なか,冷房の十分効かないホールにしゃがみ込み,必ずしも良くない音声に一生懸命耳を傾ける参加者の熱意には心を打たれた.
 (中略)本シンポジウムの報告者は世話人と講演の中塚明氏を含め,実に27名に及んだ.報告者の人選は,歴史 学全般から募ることを旨とし,「韓国併合」100年だからといってことさらに朝鮮史に重点を置かないものとなっている.「韓国併合」100年を節目に考え るのは,世界史的観点からなされるべきであり,たんに朝鮮史の分野に限定されるべきではないと考えたからである.
 当日は各セッションの討論はもとより,全体討論ではさらに熱い議論が交わされたが,紙幅の関係もあってその記 録を収録できなかったことは残念である.代わりに,第II部として,事前にお願いしていた参加者と『思想』執筆者の協力を得て,シンポジウムへの応答をし ていただくことにした.その結果,本書はより内容の濃いものとなったと自負している.……本書は単なるシンポジウムの記録という範疇をいささか超えたもの になっているかもしれない.」
――久留島浩・趙景達「2010年国際シンポジウム あとがき」より
『「韓国併合」100年を問う(全2巻)』
39 坂の上の雲の幻影 “天才”秋山は存在しなかった
  
  木村 勲:著
  発行:論創社
  四六判 294ページ 上製
  定価:1,800円+税 
  ISBN 978-4-8460-0844-4 C0021
  発売日:2011年07月30日


『極秘戦史』の隠蔽・改竄史料である『公刊戦史』に基づいて書かれた『坂の上の雲』―それは、軍上層と新聞によって捏造された「日露の海戦像」の最もスマートな完成型である。
司馬史観は「国の形」の範となるか?TV化のブームに見える“現代の危うさ”を衝く。
はじめに
第一章 極秘戦史のインパクト
   1 中村政則著『「坂の上の雲」と司馬史観』について
   2 右往左往の「作戦」変更 
   3 ユーモラス?な芋づる式水雷奇襲作戦
   4 秋山奇襲作戦は四日で却下
   5 同航戦、中央幹線上に占位せよ
   6 究極のオマージュ
第二章 「偉大な東郷」像
   1 史料に即した菊田愼典の仕事
   2 開戦二年目の更迭人事
   3 明治のペンタゴン・ペーパーズ〃
第三章 丁字戦法か、水雷奇襲隊作戦か
   1 「本日天気晴朗なれども波高し」は暗号!
   2 「暗号説」に朝日新聞がお墨付き!?‥
   3 新たな丁字戦法論の登場 
   4 丁字戦法論議のナンセンス 
第四章 神話を崩した吉田昭彦の仕事
   1 三コースに割れた航路予測 
   2 神話の語り部たち …
   3 記者集会室でコントロール
第五章 海戦直後から創造された伝説
   1 覆面参謀が語る「七段構え」 
   2 小笠原と「参謀某氏」はいつ意思交換したか
   3 そのとき秋山真之は不在だった!?‥ 
第六章 松山スクールのこと
   1 地元から秋山アピーール 
   2 反戦軍人・水野廣徳のこと 
   3 八島沈没隠蔽と東郷平八郎への「注意」 
   4 正念場だった「独断専行」 
第七章 『坂の上の雲』への道
   1 島田謹二の秋山発見 
   2 「明治第一級の女性」石上露子 
   3 『坂の上の雲』はどう書かれたか 
終 章 「青い天の……白い雲」とは
   1 高度成長期の気分 
   2 戦車兵、福田定一青年 
─────────────────────────────────
あとがき から
....『坂の上の雲』のテレビ・ドラマ化を契機に生じた現象を考えることであった。ここに至る歴史的経緯をたどりながら分析的に検証を試みた。氏のお人柄とは別問題として、すでに大部前から生じていたやや過剰と思える作品賛、さらには無謬の聖典視とも受け取れる風潮、それを「国の形」のモデルにまでつなげていく論調に率直のところ危惧を感じていた。そこまでいくと、新たな史料状況のもと、改竄・偽造史料をペースにした作品なのです、といわざるを得なくなっていた。......
その改竄・偽造は国家の軸をなす巨大組織でなされ、その病的体質を昂進させるのに力あり、後々まで(現在も)諸組織に深く及んだことは、年金や検察の証拠改竄など直近の出来事としてわたしたちが思い知らされたことだ。程度の差こそあれ、どこの国にもあり得る権カ悪ではあるだろう。....明治維新後の薩長藩閥政治下で生じた有司専制、つまり国民支配の官僚組織は根が深い。その自閉的権力機構と隠蔽・改竄因子はよく親和した。第二次世界大戦後も基本的には解体されることなく生き延びた。それは権力・権威的なものに阿る傾向を世に瀰漫(ビマン)させ、批判することを避ける性向を持続させた。本気でものをいおうとすると、唇寒し……は過去の話ではない。...............司馬氏は映像化を望んでいなかったと聞く。表現・言論の自由とは、当人がそれをしない自由も含んでいる。原作者の意図に反してそれを行った理由を放送側は説明したのだろうか。.............

渋谷のNHK放送センター内には大きな面積を占める放送記者クラブがある。大手新聞社・通信社の文化・学芸担当記者が所属する。NHKの広報員が適宜、番組を軸にリリースをする。官公庁の記者クラブと基本的に変わらない。.........もともとラ・テ面はダントツの閲読率を誇る紙面である。------
(朝日は)他紙と比べても肩入れが際だつが、〇五(平成一七)年以前はNHK作品がとくに特等席を占めていたわけではない。少々注目したいのは〇五年一月、朝日がNHKの番組が政治家の関与で改変されたという記事を掲載したことから、両者のバトルが生じたことだ。女性戦犯法廷を扱ったドキュメンタリー作品で制作現場の意向を無視して上層部が政治圧力に屈したという趣旨のスクープ記事だった。紙面と画面という各機能を通したやりあいが長らく続いた........
『坂の上の雲』に戻るが、電波・出版の巨大メディアがシステムとして作動する下での「賛」であるから、批判の側はどうしても影が薄くなるのは否めない(批判のフリの賛もあった)。そのなかで対朝鮮・韓国観、及び司馬氏の日露戦祖国防衛戦争論を批判した筋の通った(フリでない)史観的批判もある。これが左的立場とすると、氏は東京裁判史観に侵されているとする右的立場からの批判もある。総賛美つまり翼賛状態というのは社会として不健全であるから、多様な立場からの言論はいいことだと思う。.....多彩な人々の司馬賛を見た。商業主義的観点からはなんということもないのだが、一般には対立関係にあると思われる朝日と文春・産経がここでは競い合っていた。ついブルータスよ……の心境にもなる。........

日露の海戦史について近現代史の人が司馬氏の記述を前提に書くのにも驚く。歴史の人間としていまそれをするのなら、『極秘戦史』抜きでは済まないのだが、ほとんど無頓着である。なぜか。戦闘史、作戦・戦術論など直接軍行動に関わることはディレッタントの世界であり、正統学問の領域ではないという意識があるからだ。.......『坂の上の雲』現象とは、東郷平ハ郎で保たなくなった神話を虚像の秋山真之で延命を図るところに本質がある。.......いまもし草場の陰の秋山をして現況を知らしめば恐惶して身の置くところを知らずではないか。呼び戻すべきは水野廣徳である。秋山もって瞑すべし......
──────────────────────────────
著者紹介
木村勲[キムライサオ]
1943年、静岡県生まれ。一橋大学社会学部卒、同大学院社会学研究科修士課程修了。朝日新聞学芸部記者(近現代史・近代文学担当)を経て、現在、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授。専攻は日本近代思想史・メディア論
────────────────────
日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判 [著]木村勲
[掲載]2006年07月02日
[評者]野口武彦(文芸評論家)
 長らく闇に埋もれていた『極秘明治三十七八年海戦史』の存在が発表されたのは昭和五十二年(一九七七)である。それ以後、日本海海戦の実像に迫る研究がいくつも書かれた。本書はその流れに沿って、尨大(ぼうだい)な未刊史料と公刊戦史・同時代の新聞雑誌報道を比較検討し、この海戦史に輝く大勝利を飾る伝説の仕組みを解読する。
 日本海海戦の勝因といえば「丁字戦法」と「敵前大回頭」。明治三十八年(一九〇五)五月二十七日、連合艦隊が対馬沖でロシアのバルチック艦隊を撃滅した栄光は、司令長官東郷平八郎と参謀秋山真之の名前に結びついた国民神話になって今なお揺るがない。しかし著者によれば、それらは当初、世論への「イメージ効果」を狙って大本営と新聞メディアが流布させたフレーズだったという。
 戦況報告を物語に変えた元兇(げんきょう)とされるのは、当時大本営参謀だった小笠原長生(ながなり)という人物である。本書には同年六月十五日の東京朝日新聞に載った「戦闘詳報」が紹介されているが、それには全艦隊が一糸乱れず敵艦隊を迎撃し、午後二時五分の回頭から始まった海戦が二時四十五分には決していたとある。後に秋山が主張した「開戦後三十分決着論」の原形である。
 クローズアップされたのはもっぱら秋山の頭脳と東郷の神業である。実際の戦闘では不可避的に発生する齟齬(そご)・見込み違い・戦術ミスといった失点は隠蔽(いんぺい)され、無謬(むびゅう)神話が作り上げられる。(1)ロシア艦隊の針路判断に悩み、一度は津軽海峡に向かいかけた、(2)秋山の「丁字戦法」が机上案として批判を浴びた、(3)繋留(けいりゅう)機雷作戦が「天気晴朗なれども波高し」という気候条件で中止された、(4)いったん取り逃がしかけたロシア艦隊を捕捉殲滅(かいめつ)できたのは第二艦隊長上村(かみむら)彦之丞が命令を無視した「独断専行」の結果だった等々の事項が戦史の表面から消去されたとするのである。
 戦史の文学的脚色を実証する文献批評は精密だ。たしかに公刊戦史と『坂の上の雲』の間には、鎖の一環として存在すべき古典的な歴史の書物が欠けている。
──────────────────────────────────
古河しゅんたろう 鞭声粛粛、夜本を読む 面白い本のガイド
日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判』『坂の上の雲』 『 海軍と日本 』ー1
 ー2
 ー3
「 戦争の世紀を予告することになった日露戦争。虚構のロマンには自省的であっていいと思う 」―。 こうして冷静に筆を運ぶ良書が『 日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判 』 (木村勲著、講談社)。
じっくり書いた推理小説を驚きながら読み解くような、 あるいは「歴史はその時動いた」の100倍面白いと言っていいような、そんな本。 あがめ立てて、松山市にある銅像に詣でたこともある私のような輩には、なかなか手厳しい本でもあります。
『 坂の上の雲 』 連載終了後に陽の目 極秘公文書
筆者によると、 海軍軍令部が作成した史料は 「 極秘明治三十七八年海戦史 全116巻 」と、 軍事機密を伏せた一般向けの公刊書 「 明治三十七八年海戦史 上下 」の2バージョンがあった。
「 極秘… 」 は大部のため艦隊司令長官らから“職場”への配布を敬遠され、 死蔵されることになった、といいます。 現在、 「 極秘海戦史 」の原本は防衛研究所図書館と米議会と書簡に1セットずつ保管されているそうです。
筆者によると、 『 坂の上の雲 』(文藝春秋)のサンケイ新聞(現・産経新聞)連載が終わった数年後の1980年ごろから 「 極秘海戦史 」 の閲覧が可能になりました。 これをもとに、数々の真相が分かった、 というのが『…とメディア 』の真骨頂でしょう。
つまり…国民的大著『…雲』は、取材に長けた司馬遼太郎氏でさえ真相に触れられずに書かざるを得なかった、ということになります。
私の感動はどこへやら~。 まぁ、 確かに、 『…雲』は、 読んでいると何かしら奮い立ち、うっとりとさせる英雄史観に彩られ、 国家の盛衰と自らの人生をひたむきに一体化して考えるように陶酔させる、 幻術めいたひとりでに動き出すような文字の力を存分に示した作品ではありますが。
いずれにせよ、 「 極秘海戦史 」 が死蔵されたため、 軍部でさえ有効利用されなかったことは確かです。 海軍の精神的硬化と狭量さの背景や、国家を追い込んだ責任を追究した 『 海軍と日本 』 (中公新書)の著者で、海軍兵学校出身の池田清・元東北大教授も、「 戦闘が開始されて30分で勝敗が決した 」と、ヒロイックな話を史実として認識せざるをえなかったのです。
ヒステリックな批判と軍神祭り上げ
 日本海海戦の約1年前、6隻しかなかった戦艦のうち、「 初瀬 」が水雷で沈没した直後、「 八島 」が続いて触雷沈没してしまった。 「極秘…」によると、 伊藤祐亨軍令部長は、 せめて「 八島 」だけでも沈没の公表を差し止めるよう命じ、実行された。 隠蔽は御前会議で明治天皇のお墨付きまで確保していた、という。
この直前にあったのが、秋山参謀が関わった旅順口封鎖作戦の大失敗。しかし、同時期、ロシア・ウラジオストック艦隊が日本の輸送船を撃沈する事件がなぜか、立て続けに公表されていった。
レーダーのない時代で、 撃退役の第2艦隊(東郷長官が座乗したのは第1艦隊)は難渋したのだが、 新聞の関心は、 相次ぐ戦艦消失や旅順口封鎖の失敗よりも、 第2艦隊へのヒステリックな批判と、 失敗した旅順口作戦で落命した広瀬武夫海軍中佐 を軍神に祭り上げることにシフト。
『 日本海海戦とメディア 』 の筆者は、 「 日露開戦までの海軍史にはどこか風通しの良さとでもいうものがあるのは否定できない。 …創設者・勝海舟(西暦1899年、明治32年没)のにらみがきき、 その人脈が残っていたこととも無関係ではないかもしれない 」 と書いています。
体面を取り繕い、うそを押し通す体質への変容の 「 メルクマールが 『 八島沈没秘匿 』 である 」 と見定めています。 隠匿体質を象徴したのが、 戦意高揚のため偶像に祭り上げられた広瀬中佐の物語で、 著者は秋山真之の巧妙な差し金でできあがった可能性を指摘しています。
T字戦法は一度失敗していた
筆者によると、 東郷ターンは、軍国主義の昭和期の造語。 当事者は 「 大転舵 」 と呼んでいた。 実態は、 天啓神助で東郷平八郎長官が下した決断ではなく、 秋山参謀の生み出した天才的な機略ですらなかった。
ロシア・バルチック艦隊の進路を強引に塞ぎ、 逃がさずに確実に決戦に持ち込み、 絶対に壊滅させるには、 ごく当たり前の作戦だった。 日本海海戦に先立つ旅順艦隊との海戦で既に「 大転舵 」 を発動したが失敗に終わっていた、といいます。
東郷ターンは、T字(丁字)戦法の俗称もあったことは、 よく知られています。
日露開戦以前に戦法として規定されたことは 『 海戦史に学ぶ 』 (野村實著、文藝春秋)も指摘しているところです。野村氏は元海軍兵学校教官(大尉)。
同書では 「 当時の軍艦の主砲の砲塔や舷側の副砲は、 キール線方向に砲撃力を集中することができず、 最大の火力を集中できるのはキール線の正横方向であった。 …(丁字戦法は)最も有利な戦法である 」と指摘します。
秋山案は次から次へと否定されていた
  ともあれ。
『…とメディア』によると、日本海海戦の作戦は朝令暮改、二転三転だったことが「極秘…」に記されている。筆者は、「極秘…」でさえ避けた真相を、海軍関係者の雑誌「有終」の昭和6年(1931年)2月号から引用して埋めていく。
 東郷司令長官が採用した秋山参謀の作戦は、 艦隊上層部内の派閥争いの調整も踏まえたため迷走し、時には「机上の論」などと批判され、 次から次へと練り直しを迫られ、 アクロバティックな奇略も現れた。
秋山参謀は、 対馬沖で戦うのでなく、 津軽方面へ北上してバルチック艦隊を迎え撃とうと提起したとみられるが、 それも否定されていた。 秋山案が次から次へと否定され、通らなかったことが、日本海海戦の勝利につながった訳だ。『日本海海戦とメディア』 の著者は、 「 心に深い傷を受けたのは誰よりも秋山であったに違いない。最後の1カ月間、全霊で取り組んだ作戦はついに実現しなかった。…戦役後、奇矯ともとれる行動には深いトラウマがあったことをうかがわせる 」 と深い同情を寄せています。
この苦悩に満ちた日本海海戦までの「最後の1カ月間」は、『坂の上の雲』で描かれたバルチック艦隊の航路予測などではなかった、のが真実だと立証しています。
どっちつかずの東郷長官のもとで、作戦案が迷走し、最終版はおよそ現実離れしたものになり果てたのが 「 最後の1カ月間 」だったことが、 克明に、平易に描かれています。 筆者は言います。 「 アイデンティティの核心部で秋山は敗れた 」 と。
役回りを演じた秋山参謀
しかも、バルチック艦隊壊滅の主役は、 東郷長官が乗り組んだ巨艦揃いの第1艦隊ではなく、 実は小振りの軍艦ぞろいの第2艦隊で、 しかも、第2艦隊は戦闘中に東郷長官の命令に反し、 機転を利かし追撃したことが大きく奏功したのでした。
さらに、 海戦勝利の最終決定打は、 駆逐艦や水雷艇による夜間の雷撃だった。 それなのに、 秋山参謀は、 事実と異なる国民向け戦況報告を書き、 公式の戦史史料作りに関わり、 講演では武勇伝を語り、 著名人になるなど、 かつて秋山本人があからさまに批判した無能の米軍の代将と同じような役回りを演じざるを得なかった…。
この本には書かれていないが、 秋山参謀はのちに、海軍では雲の上の伝説の人になり、それでいて、本人は新興宗教に没入し、 海軍軍人に信徒が多かった大本教の信者だった後の井上成美提督を、盛んに自分の宗教へ引き込もうと勧誘し、 井上提督は、雲の上の人の熱い勧誘にたいそう苦しんだ、という実話が残っています。
ちなみに、 秋山参謀は風呂嫌いで、 退官後、 異臭がすることもあったとか。 坂本竜馬の風呂嫌いも有名。 中岡慎太郎は折り目正しく、清潔好きだったことも有名。
『 日本海海戦とメディア 』 著者の木村勲氏は、1943年生まれの神戸松蔭女子学院大教授で、専攻は日本近代思想史など。朝日新聞学芸部で近現代史や近代文学の担当記者だったことがある。
────────────────────────────────
『日本海海戦とメディア-秋山真之神話批判』: クロノ・ダイヴァー

日露戦争の参考資料
水野広徳 小特集
───────────────────────────────────
日露海戦新史 外山三郎


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー----------
38
 福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 国権拡張」「脱亜」の果て
杉田 聡:編 :明石書店 四六判 400ページ 上製
定価:3,800円 初版発行年月:2010年10月
紹介
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず…」で市民的自由主義者として知られる福沢諭吉は、他方で帝国主義西欧列強の世界観を模倣し、朝鮮・中国を日本の国権拡張の対象とするアジア観の持ち主だった。時事新報の論説からそのアジア観を示す論考を集めた。
『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』所収論説一覧
〈本の紹介〉 福沢諭吉-国権拡張脱亜の果て
──────────────────────────────────────
Amazon レビュー
5つ星のうち 5.0 福沢諭吉の対外政策思想が集約された本, 2010/11/28
By つくしん坊 (東京都) - 福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集―「国権拡張」「脱亜」の果て― (単行本)
 福沢諭吉が創刊し、主宰した日刊新聞『時事新報』に掲載された論説を編集し、解説・解題付きで、現代かなに改めたものである。『福澤諭吉全集』(岩波書店)第8巻~第16巻に収められている膨大な時事新報論集の中から、朝鮮・中国・台湾に対する対外政策に関する社説を収録している。読みやすい形で福沢の対外政策思想が集約されている。
 『時事新報』の無署名論文の著者が果たして福沢だったのかについては、本書でも詳細に検討が行われ、疑いもなく福沢の思想そのものであることが結論付けられている。このことについては、安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)と全く同じ結論である。
 本書から浮かび上がる福沢諭吉は、朝鮮・中国・台湾の人々を侮蔑・罵倒し、侵略を煽る、今日で言えばネオコンのイデオローグそのものである。福沢に代表されるアジア蔑視思想が現在に至るまで日本に影響を与えていることが本書でよく分かる。かつて本書のような議論が日本の政治・外交を動かしていたことを史実として知ることは、今後のアジアとの対応を考える上で重要である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ナチに匹敵するアジア観

[福沢諭吉は悪人だった]
37 近代日本の分岐点 日露戦争から満州事変前夜まで深津真澄 著 ロゴス刊
「大日本主義」の幻想は一掃されたか  深津真澄
 『近代日本の分岐点』の巻末には、付録として石橋湛山が大正10(1921)年に書いた『大日本主義の幻想』という論文を全文収録している。大日本主義とは、湛山の定義によると「即ち日本本土以外に、領土もしくは勢力範囲を拡張せんとする政策」である。人によっては、帝国主義日本は敗戦によってとっくに清算されたのに、というかもしれないが、私は形を変えた大日本主義の幻想が現代日本にまだ息づいていると思う。
───────────────────────────────────
36  朝鮮半島戦争の危機を読む-朝鮮を知り平和を創る
 鎌倉孝夫著、白峰社  朝鮮西海での砲撃事件(11月23日)について、日本のメディアはあたかも朝鮮が一方的に砲撃を加えたかのように報じている。事件発生の背景と根本原因には触れようとしない。 
35 風塵抄・司馬遼太郎
  風塵抄2
34 近現代史をどう見るか-司馬史観を問う 中村政則
  近現代史
  伊藤博文
33 韓国・朝鮮  アジア文庫の店頭から
32 こんなに共鳴した本はありません、文京洙『在日朝鮮人問題の起源
文京洙『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン、2007)、
「在日」関係の本でこんなに共鳴したことはありません。文さんの学者としての謙虚な姿勢から、わからないことはそのままわからないと言い、断定的でなく、それでいてしっかりと事実は事実として押さえるという書き方をしています。私が共鳴したのは、文書から彼の人柄がしのばれるということもさることながら、彼の追い求めてきた思想的遍歴(「在日」としての生き方)に自分のそれが重なるように思えたからでしょう。続きを読む
31小川原宏幸著『伊藤博文の韓国併合構想と朝鮮社会―王権論の相克』
 メッセージ(岩波)
 韓国併合に至る朝鮮植民地化の過程を、伊藤博文ら政治家の統治構想、朝鮮をめぐる国際関係、朝鮮社会の三つを軸に考察。伊藤の併合構想が朝鮮社会に受入れられず挫折したことなど明らかに。
 小川原宏幸[オガワラヒロユキ]
1971年長野県に生まれる。2003年明治大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(史学)。現在、青山学院大学非常勤講師、千葉大学非常勤講師、明治大学兼任講師ほか。専攻、近代日朝関係史
───────────────────────────────
日本の韓国保護政策と韓国におけるイギリスの領事裁判権 一梁起鐸裁判をめぐって一 小川原宏幸
第三次日韓協約をめぐる国際関係 : 日英両国の対韓政策 を中心に 片山慶隆
幻の韓国統監官邸、設計図見つかる 近代日本の文明誇示
30この国のあした―司馬遼太郎の戦争観  高橋 誠一郎
ロシア文学との比較や「福沢史観」との対比をとおして、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『沖縄・先島への道』『菜の花の沖』を読み解き、「司馬史観」に迫る。テロと戦争の発生の仕組みを「欧化と国粋」の視点で考察した注目の最新刊。発売日: 2002/08
ロシア文学との比較や「福沢史観」との比較をとおして、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「沖縄・先島への道」「菜の花の沖」を読み解き、「司馬史観」に迫る。またテロと戦争の発生の仕組みを「欧化と国粋」の視点で考察する。
高橋 誠一郎
1949年福島県・二本松市に生まれる。1979年東海大学大学院文学研究科(文明専攻)修士課程修了。現在、東海大学外国語教育センター教授

29高文研新刊のご案内を申し上げます。書名は『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』です。
立ち読み
 本書出版の簡単な経緯─────編集部
中塚明先生の『司馬遼太郎の歴史観──その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』を出版したのは、二〇〇九年八月初旬でした。執筆・出版の動機は、NHKによる司馬の大作『坂の上の雲』のドラマ化の予告でした。
 先生はすでに原作の発表当時、日朝関係史の研究者として、司馬の朝鮮・韓国観の独断的偏見を批判する論考を提出していました。その原作がこの国最大のマスメディアによってドラマ化され、こともあろうに「韓国併合一〇〇年」をはさんで三年がかりで放送されるのです。とうてい見逃すことはできませんでした。
日清戦争の虚構と真実
中塚 明 安川寿之輔 醍醐 聰=著
●46判 176頁
●2010年6月6日発行
●本体価格1500円
●ISBN 978-4-87498-443-7
28伊藤博文の韓国併合構想と朝鮮社会 (岩波)小川原宏幸
    立ち読み(序章)
 本書の課題――韓国併合構想の再検討
 分析視角――帝国主義研究としての韓国併合史・日朝
       関係史の課題
 国際関係史研究における民衆史的視挫の導入
 日本および朝鮮における王権観の位相
     著者からのメッセージ
27

日本人の朝鮮観 その光と影

琴 秉洞:著 発行:明石書店  四六判 312ページ 上製
定価:3,600円+税 
ISBN978-4-7503-2415-9(4-7503-2415-9) C0021
奥付の初版発行年月:2006年10月
江戸期を通じて明治で結実する征韓思想。その狂熱に与さず抵抗をした人物。近世以降の日本の代表的な人物60人が,朝鮮をどのようにとらえていたか。植民地支配は朝鮮のためになされたという主張がなされる今日,真の和解のために必要なものは何か考える。
あとがき
 この本は、一九九九年に出した『日本の朝鮮侵略思想』(朝鮮新報社刊)と、二〇〇四年一月から二〇〇五年十二月までの二年間、『朝鮮新報』紙上に連載した「人物で見る日本の朝鮮観」を併せて一本にしたものである。
 もともと私は朝鮮・日本関係史の研究を専らにしてきていたが、幾つかのテーマのなかで、日本、朝鮮の両民族が、お互いをどう見てきたかという問題は、長いこと私の関心事ではあった。
 さてこれを具体化しようとする際、どのような様式、そして方法、時期はいつからなどということがあって仲々に難しかったが、試行錯誤の末、その時々の双方の代表的な朝鮮観、日本観をもって中世以降、朝鮮植民地期までの時期を概観してみようと考えた。
 その第一段階が、諸紙に連載した二十八人分に八人分を加えた『日本の朝鮮侵略思想』である。
 私の問題意識のなかに、日本による朝鮮植民地化という強い前提があるので、日本の侵略思想と朝鮮蔑視観をできる限り明らかにしようという思いがあった。私は『日本の朝鮮侵略思想』の「あとがき」で次のように書いた。
全部読む

26● 司馬遼太郎と朝鮮―『坂の上の雲』‐もう一つの読み方 備仲 臣道 (著)
 司馬遼太郎の作品『故郷忘じがたく候』にある一行の引用からこの物語ははじまる。それまで慣れ親しんできた司馬遼太郎の作品群への憧憬の念は、日本による朝鮮の植民地支配を「たかが三十余年」と断じたとき、悉く喪失する。その重苦しい意味を心の奥深くに刻んだときから、侵略者として日本人である自分の出自と重ね合わせて、己を苛む長く苦しい旅がはじまる。幼少時に育った遥かなる朝鮮での体験を踏まえて『坂の上の雲』に潜む蔑みの思想と対をなす「日本の優位」という国家幻想を緻密に検証し、維新から今日に至る近代化のネジレ構造を照射する。
書評 思想の根源に横たわる蔑視観
はじめに 序章
一章 明治維新◆ねじれた変革◆民衆の悲鳴◆幕府の手づまり◆一揆・打ち壊し◆坂本龍馬の裏切り◆朝鮮侵略の思想
二章 明治新政府◆天皇をかつぐ◆征韓論争◆征韓論の根っ子◆「反革命」の完結
三章 日清戦争◆征韓のはじまり◆奇襲で火ぶたを切る◆旅順の虐殺◆朝鮮侵略戦争◆踏みつぶした夜明け
四章 日露戦争◆帝国主義戦争◆民衆同士が手を結ぶ時◆忍従の哀しみ◆一九〇五年の革命◆明石大佐の後方攪乱◆レーニンの友人◆革命ののち
五章 東方の覇者◆講和条約◆日露兵士の抱擁◆国民の軍隊◆飽くなき抑圧◆一旗組/

25 「日本における文明開化論――福沢諭吉と中江兆民を中心に」
(韓国・東洋政治思想史学会 国際学術大会/報告ペーパー)
 PDF    WORD    TXT
米原謙教授HP(大阪大学)

24□ 日本近現代史を読む
著者 :宮地正人 監修・著/大日方純夫 著/山田朗 著/山田敬男 著/吉田裕 著
■ 未来を見つめて――わかりやすく、面白く、読み解く
経済危機、大国支配の綻び……変わりつつある時代の中でこの国をどうするのか。平和と人間の尊厳ある社会へ、今こそ歴史に学ぶ時です。明治維新以降の激動、日本の侵略と植民地支配の真実を、支配層と人々とのせめぎ合いの中でとらえ、世界史と連関させて読み解いた本書は、人間らしくありたいと願う読者に深い示唆を与えます。
発行 : 2010年 1 月出版
判型:B5並製 / 240 ページ
ISBN : 978-4-406-05331-0
定価 1,890円 (本体 1,800円)
23書評『日本近現代史を読む』を読む WordPressでBlog生活

22★ 日本の近現代史をどう見るか岩波

21■シリーズ・「韓国併合」100年 朝鮮観を根底から覆す 中塚明さん-中〉 歴史の現場に立つ徹底した調査を

現代日本の歴史認識-その自覚せざる欠落を問う」 中塚明さん

日本の「常識」は、世界に通用しない

 最新刊「現代日本の歴史認識-その自覚せざる欠落を問う」が、各界の反響を巻き起こしている。きな臭い時代、政治もメディアも改憲への歯 止めのない坂を転げ落ちていく様相を呈している。中塚さんは日朝の近代史研究に半生を捧げ、近代日本の立ち遅れた朝鮮観を根底から覆す視点を切り開いてき た歴史家として知られる。

 代表作に「日清戦争の研究」、当時の外務大臣陸奥宗光の外交を追究した「蹇蹇録の世界」など。とりわけ、近年、 軍事大国化や有事法制の暗雲に覆われる政治状況の中で、90年代以降の中塚さんの仕事ぶりはめざましい。「近代日本の朝鮮認識」(研文出版)、「近代日本 と朝鮮」(三省堂)、「歴史の偽造をただす」「歴史家の仕事」、若い世代向けに書かれた「これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史」(以上高文 研)…。

 昨年、喜寿を迎えた中塚さんがなぜ、これほどまでに歴史研究に心血を注ぐのか。背景には、急速に右シフトした時代への強い危機感がある。憲法9条への攻撃、国連常任理事国入りをめざす動きなど、頭をもたげてきた日本の大国意識は、戦前の状況と似てきた。

中塚明さん

 「日本の近代史を考えるとき、客観的に見て、明治以降の朝鮮への侵略の歴史を視野に入れなくて、何が明らかになるだろうか。しかし、今の日本には、『明治の栄光、愚かな昭和の戦争』というような言説が大手を振っている」と強調してやまない。

 作家・司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」、半藤一利さんの「昭和史」がその代表的な例。いずれも、「国民的」な人気を博しているといわれている。「はたしてそうだろうか」と中塚さんは、疑問を投げかける。

  「『明治を栄光の時代』として、日清戦争(1894~95年)や日露戦争(1904~05年)で日本が朝鮮で何をしたのかを不問に付すことは、結局、日本 の近代史全体を見誤ることになる。独善的な歴史観が再び日本を覆うならば、日本の亡国につながる」と。「明治栄光論」とは何か。中塚さんはこう説明する。

  「31年の『満州事変』から、第2次世界大戦での敗戦にいたる昭和前半の時代は、中国はじめ東南アジアや太平洋上の島々にまでひろげた無謀な戦争で、日本 の内外に多くの犠牲を強いたみじめな時代であった。それに比べて、日清、日露戦争ごろの『明治の時代』はすばらしい時代であった。政治や軍事の指導者も しっかりしていて、国のかじとりをあやまらなかった。その結果、日本は世界の大国の仲間入りを果すことができた。国際法もよく守り、捕虜を虐待するような こともなかった」-という見方。こうした見方は、歴史家はじめ、多くの評論家、小説家、ジャーナリスト、政治家たちの「常識」となっている。

「無名東学農民軍慰霊塔」。農民の顔や茶碗などが碑に彫りつけられている(全羅北道古阜)

 はたして日本の「常識」は世界やアジアで通用するだろうか。「常識的に考えて、日本のやり方が昭和になって突然『異常』になったとは考え にくい。日清、日露戦争は正規の手続きを踏んだというが、これも作り話である。日清戦争の直前、時の日本政府(陸奥宗光外相ら)も朝鮮に派遣されていた日 本軍と共謀して『戦争の名分』を手にいれようとして朝鮮王宮を占領して、国王を『擒』にした、そんな『異常』をおこなってきたのだ」と中塚さんは力説す る。

 しかも、その事実を外交文書や戦史から抹殺して、記憶に残らないようにしてすませてきたために、その「異常さ」が、のちのちくりかえされることになると語る(※注=朝鮮王宮占領事件については、著書「歴史の偽造を正す」に詳しい)。

  そして、中塚さんは、中国で繰り広げられた日本軍による三光作戦(焼き、殺し、奪いつくす)の悲劇は突然に起きたのではないと語り、1894年、老若男女 がいっせいに蜂起した東学農民戦争や乙巳保護条約の後、武器を取って抗日に立ち上がった義兵戦争弾圧で「日本軍が何度も練習したもの」と指摘した。

 「明治」のはじめ、日本の朝鮮侵略の第一歩から、日本政府・日本軍は、自分のした行為をきちんと公表せず、歴史を偽ることを当然と考えることによって、日本の政治、軍事の指導者たちの目が曇り、時を追って体質化していったと、中塚さんは強調する。

  「国民一人ひとりに染みついた歪んだ朝鮮観は、日本の知識人にも大きな責任がある。そのことについて、日本の歴史研究者はもっと自覚的であってほしい。事 実の前に謙虚であることは、何も恥かしいことではない。『ウソ』の事実をあたかも事実であるかのように言い続けること、それが恥かしいことだ」。心が揺さ ぶられる一冊である。(高文研刊、2400円+税)(朴日粉記者)  立ち読み

[朝鮮新報 2007.6.18]


20「歴史家の仕事 人はなぜ歴史を研究するのか」(中塚明著) 立ち読み
 日清戦争の講和会議がなぜ、下関の春帆楼で開かれたのか。なぜ、当時、天皇が滞在し大本営もおかれていた広島ではなく、また清国にもっとも近い長崎でもなく、下関だったのか。私の長い間の疑問だった。それがある時、下関のホテルで一泊して、何気なしに窓から関門海峡の早い潮の流れやゆきかう船をぼんやり見ていたときに、その疑問が一挙に氷解したように感じた。というのは日清戦争当時、朝鮮や中国東北に向かう日本軍を乗せた輸送船は、広島の宇品を出てすべてこの関門海峡を通過したのである。

19■〈シリーズ・「韓国併合」100年 朝鮮観を根底から覆す 中塚明さん-上〉 通念に疑問を、原史料あたれ

18■〈シリーズ・「韓国併合」100年 朝鮮観を根底から覆す 中塚明さん-下〉 歴史の偽造をただす

17■ 中塚明氏研究の日清戦史草案の一部

16雑誌「思想」特集-「『韓国併合』100年を問う」を読む

15■ シリーズ・「韓国併合」100年 日本の朝鮮侵略思想を告発 琴秉洞先生に学ぶ-中〉 石橋湛山の朝鮮認識評価

14■ シリーズ・「韓国併合」100年 日本の朝鮮侵略思想を告発 琴秉洞先生に学ぶ-下〉 日朝平壌宣言にもとづき国交を

13■ シリーズ・「韓国併合」100年 日本の朝鮮侵略思想を告発 琴秉洞先生に学ぶ-上〉 真の朝・日友好を求めて

12■ 朝鮮新報 文化

11★ 〈この人、この一冊 -5-〉 「復刻戦ふ朝鮮」 宮田浩人さん

10異端の民衆反乱 東学と甲午農民戦争 著者名:趙景達

9■「東学農民革命100年」革命の野火、その黄土の道の歴史を尋ねて


8●福沢諭吉のアジア認識 安川寿之輔著
  Amazon「安川寿之輔」検索
7● 半沢英一『雲の先の修羅――『坂の上の雲』批判』
http://hayao.at.webry.info/200911/article_2.html
このタイミングでぜひとも読まれるべき本が出た。
半沢英一『雲の先の修羅『坂の上の雲』批判』だ。
 この本がもっとも特徴的なのは、歴史家ではなく「数学者」によって書かれたという点かもしれない。ひじょうに明快に、論理的に、『坂の上の雲』の問題点が列挙され、そのひとつひとつについて、「史実」や史料が対置され、それが場合場合において、いかなる誤謬、史料的限界、無知、意図的歪曲によって生じているのか、分析・整理されている。
 数学者ならではの論証は、司馬の矛盾や破綻が生じている原因を、確実に特定できるところと、推定の範囲でほぼ言えることとを、きっちりと示していき、そこから妥当な結論(司馬史観の問題点)がきわめて説得的に導きだされている。
6● これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史
http://www.koubunken.co.jp/0300/0284.html

5● 戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」
http://www.koubunken.co.jp/0200/0199.html

4● 岩波新書 日清・日露戦争 原田敬一
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0702/sin_k341.html

3●世界史の中の日露戦争 - 山田 朗
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33985.html

3● 日清戦争 - 原田敬一
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33984.html

2● 話題を読む 最新キーワードは「坂の上の雲」
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n607.html

1● キーワードNOW 坂の上の雲
http://www.iwanami.co.jp/keyword/sakanoue.html

1. 司 馬遼太郎の歴史観-その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う(中塚明=著)   【立ち読みコーナー】

   中塚 明著『司馬遼太郎と歴史観』を読む
2. 司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか 著:牧俊太郎

3. 司馬遼太郎と朝鮮 『坂の上の雲』—もう一つの読み方 (備仲臣道)

4. 『坂の上の雲』と司馬史観 中村政則著 岩波書店 

 近現代史をどう見るか-司馬史観を問う 中村 政則

5. 検証『坂の上の雲』―その、あまりにも独善的、自国中心的なる物
(えひめ教科書裁判を支える会)

6. 日露戦争―世界史から見た「坂の途上」 (ユーラシア・ブックレット)
井口 和起 著 東洋書店
100周年を迎えた日露戦争の全体像を、「現代」という位置から歴史学として描こうとする時、見落としてはならない基本的な事実や視点を、16項のQ&Aで述べる。現代歴史学の成果を紹介しながら読みやすくまとめる。
著者略歴 1940年生まれ。京都大学博士(文学)。職歴、京都大学人文科学研究所助手、大阪外国語大学朝鮮語科講師・助教授、京都府立大学文学部助教授・教授を経 て同大学学長(2004年8月退職)。現職、京都府立大学名誉教授、第19期日本学術会議会員。東アジア近代史学会副会長。専攻、日本近現代政治史(近代 日本の対外政策、植民政策、戦争史。とくに日清・日露戦争史・韓国「併合」・朝鮮植民地支配など)

7. 世界史としての日露戦争 立風書房 大江志乃夫(著)
近現代史の代表的学者大江志乃夫の特別書下ろし新論考。欧米列強の立ち迫る東アジア世界の解体過程と近代主権国家の形成過程を世界史的に捉えて新論考を提唱。

*

..

リンク

inserted by FC2 system